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『ゆっるー』


もぬけの殻の手洗いで一人、立ち竦む俺の脳裏にフミィの声が過ぎった。






あれはいつだったろう? 確かフミィを陛下に紹介して二、三日目だった。あの時は俺とフミィ、陛下の三人でお茶をしていたのだ。


「ねぇねぇ、ここのガラス張りってすっごく眺めも良くって日当たりも良くって快適だけど、陛下の姿も外から丸見えじゃない?」


フミィはシェフ手製の菓子の3個目(本来陛下と俺の分だ)を手に取って、もくもくと平らげながらそんな事を言った。


「ん? ここのはガラスじゃないぞ? 希少な耐衝撃水晶の特注品だ。外からは反射するばかりで中は見えんし、刃物や火での攻撃にもキズひとつ入れられん」


陛下の言葉の通り、陛下の政務室は堅固な構えでその御身をお守りしている。


「うっわー。出た出た異世界の便利アイテム」


「そりゃぁ一応一国の国王の政務室だからな。盤石の構えだぞ」


フミィはふんふんと頷き感心した様子だ。


「あ。じゃ、トイレも?」


いきなりのトイレ発言に俺も陛下も一瞬たじろぐ。


「トイレとは?」


陛下は怪訝な顔で問う。俺も何の事かと不可解だ。


「だってアレ、人一人侵入できちゃうでしょ?」


俺と陛下は互いに目を見合った。


フミィの言っているアレとは下水道の事か?


「……通れるのか?」


俺に向けた陛下の問いに一瞬の逡巡の後、是と首を縦に振った。


「肥満体でなければ可能かと」


「セキュリティ、ゆっるー」


陛下はその瞬間、ものすっごく嫌そうな顔をした。


「そんな臭い経路はさっさと塞いでしまえ」


「いやいやいや! 用を足せなくなっちゃいますから!」


すかさずフミィから陛下にツッコミが入った。


「はぁ~。気付いてしまったんだから仕方ない。早急に改善案として議会にかけるか」


かけるか、と言いつつ陛下は当然議題の資料作りは俺に丸投げだ。


「はい。明日の早朝議会に間に合わせます」


とは言え、これは早急に対処が必要な議案だ。議会承認で予算を得たら直ぐにでも改修に着手しなければならない。改修にはかなりの金額がかかるだろう。王政と言えどもこれだけの支出には形だけでも議会承認は必要だ。要らん種を蒔かないためにも面倒だが仕方ない。


「ん、食べすぎたかな? すいません、ちょっとトイレ~」


そそくさと席を立ったフミィを俺と陛下は無言で見送った。テーブルには空の菓子籠と一滴も残っていないティーポットが残っていた。






そう! そうだ!! 


危険信号はフミィ自身が与えてくれていたじゃないか!! どうして俺は悠長に構えていたんだ!!


これはもう、フミィの不安が的中したとしか考えられないだろう!


「クソッ!」


あの会話からまだ二週間程。議会から改修工事の承認も下り、その着手も目前の段だった。そのタイミングでまさかフミィの疑念が現実になってしまうとは。


トロトロと対策も取らずに現状に甘んじていた己の阿呆さ加減に眩暈がした。迂闊に考えていたかつての自分自身を嬲り殺してやりたい。


『とっろー』


再び脳内にフミィの気の無いリフレイン。


実際にフミィがこの台詞を言った訳ではないが、如実に俺の状況を物語る台詞だ。


「いいや、フミィ! 俺は一度事を仕損じたかもしれない。だが、もうトロトロと後悔するのは御免だ!」


直ぐにフミィをこの手に取り戻す!


宰相職を務めているのは伊達じゃない! 俺は脳内に王都近郊の下水道網を思い描く。


全ての可能性から川辺にも程近く、使用者も比較的少ない公衆トイレにあたりをつけた。十中八九間違いない! フミィはそこにいる!


そうしてバーガン以下一小隊を引き連れて向かった先で、フミィの消息は拍子抜けするほどあっさりと知れた。


「あぁ、黒髪黒目の珍しい女の子だろ? 恋人らしい男と手に手を取ってグリゼダム将軍閣下のお屋敷の方に向かったよ」


恋人!? 聞き捨てならん台詞だが、今はそれよりもフミィの身が心配だ。


「バーガン! フミィ誘拐の首謀者はグリゼダム将軍で間違いない。想定通りグリゼダム将軍の別邸にフミィ救出に向かう!」


「おうっ!」








◇◇◇








「ようこそ、お嬢さん?」


悪臭の誘拐犯(川で水浴びしてからはもう臭わなかったけど)は私を送り届ければもう、やる事はやったとばかりに早々に姿を消した。


帰りがけに意味不明の言葉を残して。しかしこれに関しては深く考えまい。


だって相手はちょっと頭のおかしい誘拐犯。だから、スルーの方向で!


「お招きいただいてどうも。これお土産です」


広い応接間と思しきこの場所には、今は私とグリゼダム将軍だろうお爺さんしかいない。


初対面のグリゼダム将軍はとても還暦を過ぎているとは思えないくらいがっしりた筋肉フェチ垂涎の体格の持ち主だった。


だけど、一見すれば穏やかなその人の真意は読み解く事が出来ない。


「土産とはまた驚いたな」


表面上グリゼダム将軍はにこやか。しかしその瞳の奥はちっとも笑っていない。


「せっかくお招きいただいたなら、手土産くらいは常識ですね。グリゼダム将軍のうわさは常々聞き及んでおります。一度お話できたらいいなって思ってました」


この際、誘拐というグリゼダム将軍の非常識はスルーだ。だって初対面だから、ここは喧嘩を売らずに穏便にいこう。うん? もう売っちゃったかな?


「ほぅ?いったいどんなうわさであったか非常に興味深いですな」


グリゼダム将軍の眉間に皺が寄っている。


ありゃ。やらかしたかな。


「建国からの名門、そしてその腕一つで数多の敵を薙ぎ倒す名将軍。国の誉れ」


事実を淡々と上げていく。そのどれもが正しくグリゼダム将軍の一面でもある。


「そんな貴方が何故、軍需産業との癒着を?」


しかし一方で、戦争で金儲けをしたのもまたグリゼダム将軍の事実。


グリゼダム将軍はその表情を一切変えない。眉間の皺も相変わらず寄ったままだ。それでも少し逡巡するようにして、ゆっくりとその口を開く。


「そうだな。正直、便宜を図った事で幾ばくかの金銭を得た事は事実だ」


そうでしょうとも。その証拠を掴んだのは他でもない私だ。


「だが、それは結果に過ぎん」


「では、目的は?」


軍産複合体、元の世界でも戦争をすると儲かるなんて言われてたその根底。でもさ、それをどうして地位も名誉も財産もあるグリゼダム将軍が?


「戦いの中でしか生きられんのだ。儂は人の生き死ににしか興奮出来ん」


グリゼダム将軍はニヤリと仄暗く嗤う。


「白獣宰相閣下は目の上の瘤。いつもいつも儂の邪魔をする。儂から戦を取り上げる」


そっか、そっちにとっちゃ、こっちが目の上の瘤。でも、そりゃそうだろう。ダルジャンは(本当は陛下も)戦を嫌う。グリゼダム将軍とは真逆の平和志向の良識者だ。


「こんな事なら幼い白獣宰相閣下を助けるのではなかった。だがな、不思議とあれの血濡れの朱い瞳は胸が騒ぐ。正しく魔が差したんじゃろうな。思わず助けてしまった」


ゴクリ。


自分の喉、唾を呑み込む音が厭に大きく響いた。


グリゼダム将軍が一歩大きく踏み出した。釣られて私も一歩後ろに下がる。


ザッ、ザッ。


けれどグリゼダム将軍は容赦なく私との距離を詰める。その靴音が迫る。


寄られた分だけ私は後ずさる。


とんっ。


それを何度か繰り返した所で私の背中が壁に当たった。


グリゼダム将軍の丸太みたいに太い腕が迫る。


「っっ!!」


ガシッとグリゼダム将軍の手が首を掴みあげる。文字通り大きな手が私の首を掴み、片腕で私を持ち上げる。


「お前を屠った時、冷静沈着の白獣宰相閣下はどんな顔をするやら。それはあるいは、お前の死よりも興奮できるやもしれんな」


そう口にしたグリゼダム将軍の瞳は不思議なくらい凪いでいた。


足が宙を蹴り、苦しさに両手でグリゼダム将軍の手に縋り付く。


そこで見合ったグリゼダム将軍の表情が苦く歪む? しかしそれも滲む涙にゆらゆらと焦点を結ばない。


グッと掴む手に力が籠められた。


視界が白く塗られる。息が、出来ない……。




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