19.聖騎士の魔道落ち
お姉様、闇落ち
「いつ、気づいた?」
エナの言葉は、フィリアの言葉を肯定している。
エナがヒエロを欲した理由。
復讐。
自分を、蔑んできた者達を、殺す為。
フィリアはさらに尻尾の数を増やし、エナの上昇を食い止める。
「最初から変だなって思っていたのです。一日一回の魔法と言っても、不意打ちでフィリアを殺す方法なんていくらでもあるはずなのに、お姉様はいつも正々堂々、正面から戦いを挑んできていた。さながら、命がけで修行に来ているようなお姿たっだのですよ」
「成る程……指摘されてみれば、その通りだな。本当にお前は大した奴だ。私自身、はっきり自覚したのは、ヒエロを取り込んだ瞬間だというのに」
「お姉様が殺人愛好家というなら、趣味で人を殺すというなら、フィリアには止める権利はないのです。ですが、今のお姉様はため込んできた復讐心だけで殺そうとしている。それは、外道にすらなれない、魔道なのです!!」
「魔道、か……そうだな、言い得て妙という奴だ……くっくっく、それもいい」
エナは心底愉しそうな表情で笑う。
まるで、ヒエロを彷彿とさせるような笑顔で。
「お前の言っていることは正論だ。否定しないよ。だが、私は行かせて貰う。そのために、ここまで来たんだからな!!」
エナがフィリアを睨んだ瞬間、エナの顔に刻まれたルーンが黒く輝く。
黒い光はエナの身体全体を包み、まるで先の見えない暗闇の霧のように広がり、フィリアの尻尾から光の粒子を吸い取り始める。
まるで、ブラックホールに吸い込まれていく星の様だ。
フィリアは慌てて尻尾を引っ込めるが、今度は身体から光の粒子が吸い取られていく。
「お姉様、恋人の命を奪うことに罪悪感はないのですか!?」
「そう言われても、集束の対象はお前しかいないからな」
防ぐ術がなく、フィリアの足から力が抜け、立っていることすら、覚束なってしまう。
「さて、私は行かせて貰うぞ」
エナは事も無げにその場で跳んだ。まるで大砲の弾の様に飛び上がったエナは、軽々と天蓋まで到達し、フィリアの目の前に迫る。
「ぐっ……」
魔力を奪われたフィリアは、弱々しい動きでどうにか腕をクロスさせて防御を固める。
「そうだ。それでいい」
フィリアの防御を待っていたエナは、子供がボールを蹴るようなキックを放つ。
瞬間、フィリアの身体はサッカーボールよろしく吹き飛び、後方の壁に叩きつけられた。
「がはっ!」
一瞬呼吸が止まり、フィリアが前のめりに倒れそうになるのを、尻尾が支える。
「さすがだな。これほど魔力を吸い取られて、まだ尻尾を動かす力が残っているのか」
「フィリアは外道なのです。お姉様の常識で魔力を計らないでほしいのですよ」
「たしかに、丸一日魔法を使い続けているのだから、私より魔力は多いのだろうな」
「だから、まだまだ動けるのですよ!!」
フィリアは、前のめりに倒れたかと思うほど低い態勢で突進し、エナの足下に潜り込む。
「暴力愛好拳!!」
フィリアが鋭く回転し、水面蹴りを仕掛ける。
しかし、エナは微笑みすら浮かべ軽く飛んで避ける。
流れるように起きあがったフィリアは、空中のエナに向けて強烈な縦拳を放つ。
エナは微笑んだまま、身体を回転させ、フィリアの拳を受け流す。
フィリアは崩れた勢いを利用し、胴回し回転蹴りを放つ。
避ける暇のない完璧なタイミングを、エナは片手で受け止め、フィリアの足を押しのける。
態勢が戻ると同時に、フィリアはエナの顔面にジャンプ、飛び膝蹴りを放つ。
エナの余裕は崩れず、顔を傾けてフィリアの膝を避けると同時に、お尻で揺れていたフィリアの尻尾を鷲掴む。
「捕まえた」
恐ろしいほど冷徹な声。
エナは無造作に尻尾を引っ張り動きエナの身体を呼び込むと、腹部に強烈な膝蹴りをぶち込む。
「ぐふっ!!」
フィリアが目を見開き、くぐもった悲鳴が漏れる。
続けざまに、エナは容赦なくハンマーブローをフィリアの背中に打ち下ろす。
「がはっ!!」
フィリアの身体がのけぞり、悲鳴を上げるまもなく石畳の床に叩きつけられる。
エナは感情を失った表情でフィリアの背中に馬乗りになり、素早くスリーパーを仕掛け、フィリアの身体を横向きにさせる。
「先ほどの借り、返させて貰うぞ」
「お、お姉様……つ、強い、のです……いったい、どんな魔法を……」
「身体強化魔法さ。使い続ければ良いというのは、お前たち親子の教えだ」
「い、言わなきゃ良かったのです。うくく、こんなシチュエーションでなければ、お姉様に追い込まれているこの状況を、存分に甘受出来ますのに……」
「それはすまない。なら、このまま落とすのは、せめてもの詫びになるのかな?」
寝っ転がったエナの背中に魔法陣が発動し、エナの身体から暗闇の霧が広がる。
「ま、まさか!?」
「私には為すべき事がある。お前の魔力、全て貰うぞ。そのかわり、苦しまないように締め落としてやる」
「愛の告白なら、もう少し、ムードを、考え、て、欲しい、のです」
フィリアは歯を食いしばりながら必死に転がったり足を暴れさせて抵抗をみせる。
しかし、動きは緩慢でエナをふりほどけない。
まるで身体中の血が奪い取られ、死に追いやられるかのように、手先が氷の様に冷たくなっていく。それはどんな生物でも、抗うことの出来ない、必然の感覚。
耐える暇すらなく、尻尾が力なく垂れ下がり、フィリアの手足は完全に脱力した。
「……落ちたか」
エナの身体から放たれていた暗闇の霧が霧散する。
スリーパーを解くと、エナはフィリアの口元に手を当て、呼吸があることを確認し、ほっと胸をなで下ろす。
「……すまない。私はずっとこの力を探し求めていたのだ。お前に軽蔑されるかもしれないが、ギルドで私を蔑み続けてきた連中への復讐の為に、私は生きてきた……そうさ、おまえの言うとおり、私は聖騎士じゃない。外道にも劣る、魔道者なのだ」
エナ、そっと意識を失ったフィリアの頭を愛おしそうに撫でると、その場から決然と立ち上がり、踵を返し一人出口へと向かう。
「私はこの力でギルドの連中に復讐する。この力が暴走しない内に。だが、私自身にもこの力が止められなくなった時は……お前に殺されたいものだな。フィリア……」
寂しげに呟く声は、遺跡の静寂に木霊して消えた。
……………………
陽の光が揺らめく照らす湖の底。
光の幕に包まれた出来損ないの砲台の様な遺跡から、人影が――エナが飛び出す。
遺跡を覆う幕にエナが触れると、全てエナに吸い込まれ、光の幕が消える。
同時に湖の水一気に遺跡へ雪崩込む。
とっさに風の結界を張り、事なきを得るエナ。
しかし、すぐに最悪の考えが頭によぎり、背後を振り向く。
手を伸ばした先では、水圧に耐えられず崩壊していく遺跡の姿。
エナは伸ばした手を握りしめ、切なそうな表情で崩落を見届ける。
「さらばだ……フィリア……」
自分を慕ってくれた、唯一の少女へ哀悼を呟き、湖面へと一人泳ぎ始める。
周囲の魚たちが次々と仰向けになっていることに、彼女は気づかなかった。
聖騎士からお姉様に、そして魔道者に。