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『水面の月を抱く国』‐フリードリヒは多民族国家の夢を見るか

 今回は、橘 塔子氏著『水面の月を抱く国』について、その価値を考察する。

 紹介作品の詳細は以下の通りである(詳細はいずれも作品URLより引用)。



 ジャンル:ハイファンタジー〔ファンタジー〕

 作品名:『水面の月を抱く国』

 著者:橘 塔子

 作品URL:https://ncode.syosetu.com/n5667z/(最終アクセス2019年2月5日9時54分現在)

 作品分類:下流小説


 あらすじ:何時とも知れぬ時代、何処とも知れぬ世界、広大な砂漠は月の神に守護された王国によって統一されつつあった。

 豊かな湖を抱くその王都に、異国から旅の楽師がやって来る。国王に雇われた彼は不思議な楽器を奏で、瞬く間に人々を魅了していった。


 天真爛漫な王女と真面目な属国の王子との淡い恋、封印された国王の過去、神殿の秘密、そして東方から吹いてくる動乱の風――美貌の楽師を中心に様々な人間模様が描かれる。オアシスの都を舞台とした『家族』の物語。




 紹介作品の概要は以下の通りである。砂漠のオアシスに作られた国家オドナス王国は、セファイド王一代によって砂漠一帯を支配する大国へと発展していた。この王国に、旅の楽師、サリエルが訪れる。その演奏を気に入られたサリエルは、オドナスの繁栄を築いたセファイド王の下で仕えることとなった。

 オドナス王の娘リリンスもまたサリエルをよく気に入り、サリエルは侍女などからもその美貌を讃えられ、翻訳の仕事なども請け負いながら、オドナス王家の信頼を得ていった。

 多くの属国を擁するオドナスの王宮には、各地から後継者が人質代わりに仕えており、オドナスの者ではない人々もまた、このオアシスの都で過ごしていた。例えば、誇り高きロタセイの王太子ナタレは、このオドナスの地で他の人質たちと学びながら宮仕えをしている。彼らは王国の支配に不自由なく過ごしているが、ナタレはロタセイの誇りを忘れられずに日々を過ごしている。

 セファイド王の下で繁栄を築いた砂漠の都オドナスにおいて、サリエルを中心に、このような多くの地位・立場にある人々が、それぞれの物語を紡ぐ。


 紹介作品は、ブックマーク数795件の下流作品である(2019年2月5日10時24分現在現在)。上述の通り、紹介作品は権力とはやや距離を置いた楽師サリエルを中心に、属国の王子や、王国の姫や、王宮の人々、将軍など、様々な立場の人々について描くものである。独自の作風と、群像劇の体裁を取るような登場人物の心情の変化と視点の転換が特徴であると言える。

「小説家になろう」においては、このような多人数の視点が入れ替わる作風はあまり人気がなく、一人称視点の作品が中心である。この点、紹介作品は「小説家になろう」においては必ずしも有力な作品とはなり得ていないが、独自の世界観と作風によって、耽美的な砂漠の昼夜を行き来するような、独特の雰囲気を生み出している。


 筆者は、紹介作品を論ずる上で重要な点として、1.「家族と言う社会集団」、2.「君主の時代」を挙げる。


 まず、1.について述べる。あらすじにも示されるように、紹介作品の主軸はいくつかの家族によって構成されている。主なものとしてオドナス王家、属国ロタセイ王家、あるいは独り身となったシャルナグ将軍など、実に様々な家族が描かれている。


 言うまでもなく、家族とは人間が最初に所属する社会集団である。そして家族は、集団としての最小単位であると同時に、最も長期に渡って関係を築く事になる、基礎的な社会集団でもある。

 このような家族について語る場合、特に時代・地位・地域によって若干異なる様相を呈する事も言及しておかなければならない。

 家族には、現代でも顕著に主張されることが多い(ⅰ)「相互理解によって団結乃至分裂する集団」としての基本的な在り方の他に、(ⅱ)「血縁によって正当性を主張しうる家父長的集団」という旧式の在り方、さらに、(ⅲ)「遺伝的な繋がりによって形成される連合的集団」という、原始的な在り方などが存在する。列挙した例がすべてと言うわけではないが、これらは比較的代表的な家族の在り方であると言うことが出来よう。筆者は、紹介作品では特に、(ⅰ)乃至(ⅱ)が重要であると考えるため、まずはこれらの在り方について言及する。


(ⅰ)の在り方とは、所謂長期的な関係性によって育まれた相互理解によって、各々が家族の中で自らの立場を確立し、それに伴って対立や協力関係が成立するような関係を指す。紹介作品では特にリリンスやナタレがその渦中にあったと言える。両者の家系はおおいに異なっているものの、共通して家族に対する強い思いの描写が描かれている。それは、ひとえに(ⅰ)の在り方、家族を相互に理解しているという信頼感によって育まれたものである。

 この二人を例にとるのであれば、王太子として送り出されたナタレが、国家の代表者として、また父の後継者として奔走する姿は、正しく家族と言う集団が名誉を重んじる在り方を選んできたことにその根幹を置いている。彼の兄へ対する信頼もまた相互理解に基づくものであったが、同時に兄の裏切りにも兄の弟へ対する信頼が窺える。

 一方でリリンスは、姫として恵まれた立場にあり、父や兄にも愛されて育ったが、同時に自らの立場を弁えて行動することが出来た。それは、家族の集団が王国の根幹をなす王族である事から、父がどのような人物であるかをよく知り、その為に自分がどのような道を辿るかもある程度理解していたことに原因を見ることが出来るだろう。


 上述の通り、(ⅰ)の在り方においては、相互理解によって家族の構成員である各々が各々の立場を知り、家族の在り方が形成されていく。そして、家族の在り方が形成されることは、そのまま個人の性格の方向性を決めていく。この個性の構成は最初の社会集団となる家族の重要な効果であり、その本人の本来的な性格に上乗せされるような形で、個性が肉付けされていくのである。

 その為、ナタレの在り方はリリンスの立場ではあり得なかったであろうし、またリリンスがナタレの立場であったならば、オドナス王家の為にどの程度の「忠義」を示すことが出来たであろうか。いずれにせよ、家族の相互理解関係に着目すると、紹介作品ではそのすれ違いによる対立と、それに基づく信頼関係との双方を窺うことが出来るだろう。


(ⅱ)については、(ⅰ)と比較して相当に明確に現れる家族観であると考えられる。即ち、父を中心とし、兄、弟、妻、娘など、その生い立ちの優位性に基づいて形成される家族の在り方である。

 古くより、血縁と言うものは多くの凄惨な対立を生み出してきた。神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世は、弟アルブレヒト6世放蕩公によってウィーンを追い出され、子と妻を幽閉された。また、1701年より勃発したスペイン継承戦争も、血縁の優位性を争うものであり、その対立はフランス・オーストリアは勿論、イギリス、ネーデルラントなど、ヨーロッパの多くの地域に及んだ。現代で言うならば相続の問題において顕著に現れる事が多いが、わが国の法律上はこの問題を避けるために平等な遺産分割を基礎としているため、実際にはこの対立に対する解決策はある程度存在すると言えよう。

 そして、(ⅱ)の在り方は、特に世襲制の時代に顕著に現れるという特徴を持つ。貴族の兄弟はライバル同士であるという国内での対立と、姻戚関係によって結ばれた、断絶後に大きな成果を期待しうる国外での対立などの例は特に世襲制の時代に多く見られる傾向と言えるのである。そして、紹介作品にはこの問題が大いに盛り込まれている。

 紹介作品における(ⅱ)の在り方に関する問題の例を挙げるならば、セファイド王が好例であろう。セファイド王はオドナスを治める君主であるが、長男が後継者となるべきこの国の体制に反し、弟であった。彼が後継者となったのは、父王を殺した長男ミルジムを仇討ちした結果であって、いわば、兄弟は権力の領域においては(ⅱ)の対立に巻き込まれていたのである。

 しかし、ここでこの二人を(ⅰ)の見方で捉えると、むしろ彼らは相互に尊重し合う仲であったと言える。聖職者に向くような性格の兄の在り方を弟は不憫にも思っていたうえ、彼は兄よりも自分が王としての素質を持っていると冷静に分析していた。ミルジムは必ずしも優れた人物とは言い得なかったが、セファイドの才能について理解もしていたうえ、弟の才能を理解していたがために、自身の血縁的優位性に葛藤している様すらあった「第四章 封じられた断章」「密室の石像」『水面の月を抱く国』橘 塔子 https://ncode.syosetu.com/n5667z/25/(最終アクセス2019年2月5日11時14分現在)。この個人差と言うべき才能の違いについては、他者から見ても明らかなものであった「第四章 封じられた断章」「昔語り・2」『水面の月を抱く国』橘 塔子 https://ncode.syosetu.com/n5667z/27/(最終アクセス2019年2月5日11時7分現在)。


 このように、(ⅱ)の在り方を中心として家族を見た時、(ⅰ)の在り方とは全く異なる対立構造が生じる事がある。これは特に血縁を重視する文化圏において強く働き、その結果生じる対立は、時に双方の望まない結果を招く事がある。紹介作品における「家族」の多様性は、この二つの視点で俯瞰する事によって、新たなる価値、即ち、精神と理性の領域と、権威と運命の領域における家族と言う社会集団の歪さの再発見が出来るのである。

 そして、この歪な再発見には、さらに広い社会集団である、友人や、会社や、国家という、基礎的な社会集団である家族の集合体の歪ささえも浮かび上がらせるのである。それはちょうど、名誉を踏み躙られた屈辱に対するロタセイの反乱と、名誉よりも実益に適う国家運営を重んじるオドナスの寛容さに現れるのである。


 次に、2.について述べる。歴史的に見て、政府の体制はその文化に大いに影響を与えるが、その中でも、現代においては比較的強い非難を浴びる政治体制がある。これを人々は「君主制」と呼び、君主制とは、


「君主によって統治される政治形態。絶対君主制・立憲君主制などがある。」

(松村 明監修、池上 秋彦・金田 弘ほか編集「くんしゅ‐せい【君主制】の意味」『goo辞書』(提供元『デジタル大辞泉』(小学館)(https://dictionary.goo.ne.jp/jn/65602/meaning/m0u/、最終アクセス2019月年2月5日13時30分現在)


 という政治形態を指す。多くの場合、このような政治を独裁的と考える者もあるが、独裁の本質は君主のような絶対権力者の為の言葉ではなく、共和制下においてよりその意味を強くするものである。何故なら、君主政治では、最終決定権を有する君主と少数の貴族による助言という重要なアクターが存在し、その上で君主の決定によって国家が運営されるが、共和制では信任者の信頼に従って代表者が政治を行うという前提があり、国家運営には民衆の信任という基礎が存在する。この点、君主制は独裁的と言う言葉は間違っているとまでは言えないものの、その本質がこの最終決定者の明確性にあるのであって、それが正しい国家運営であると言える。一方で、その前提が崩壊する共和制国家においてこそ、独裁と言う言葉の重要性が強調されるのである。


 では、君主制の時代とは、果たして邪悪な時代であっただろうか。必ずしもそうではない事が、紹介作品では既に語られている。それは、君主の統治能力に大きく依存する事こそが、君主制の評価すべき点であると同時に問題点であるという事である。

 君主の統治能力と述べたものの、ここで紹介作品について言及するのであれば、比較するべき対象はオドナス王セファイドと、知事サイハングの二者であろう。両者はいずれもある程度の自由を与えられた土地を有しており、支配者として王国を指示する立場にある。セファイドは名君として讃えられ、サイハングは暴君(正確な表現ではないが)として激しい抵抗を受けた。両者の主な違いとして、個を見る者と集団を見る者という違いが大きいであろう。君主制下において、君主が非常に重要な役割を担っている事は当然である。しかし、君主の統治は常に集団に益を齎す必要があり、その為にはある程度巨大な集団を見る必要がある。

 そして、これは国家元首であれば君主に限った事ではない。「君主の時代」における国家運営には、国内ではこの集団の団結と個の影響力を、支配や束縛、寛容や名誉を示す事によって維持しながら、外的な代表者に対して優位に立つことが必要である。個の在り方を重視する政治体制である君主制が、最終的には集団と向き合う事に重きを置かざるを得ないのである。共和制ではこの傾向がより強いのは疑いないが、共和制において政治参加のために必要な集団の中の好印象よりも、君主制は国政の結果が集団の好印象を大きく左右し、重視されるという点で興味深く、ある意味では高度な技術を必要とする政治態勢と言える。

 君主の時代に目を向ける事は、紹介作品の中では重要とされない事項であろうが、私見では、1.で述べたとおり、国家は数多の家族の集合体であって、セファイドの築いた家族関係が比較的平和である事を踏まえると、君主の時代について、その家族の在り方を考察する事は重要な価値があると考える。

 個の重要性が大きい事は、必ずしも集団の重要性が低下する事を意味するのではない。そうであれば、「個」を絶対不可侵とする現在の傾向は、実際には閉鎖的であって君主の時代よりも個を重視しないとも言えるのではないか。この点については、別途検討が必要であろう。


 最後に、 紹介作品の考察について私見を述べる事で、本考察の結びとする。


 本稿は、紹介作品を通して、家族と国家という二つの社会集団について手探りで考察を加えたものであるが、この考察を通して、私見では、社会集団の形成において、もっとも基礎的な家族関係と言うものは、非常に重要な意味を持つと考える。それは、個人が培ってきた家族関係という社会集団の中での彼乃至彼女と言うものが、彼乃至彼女の個性となって表出し、異なる社会集団に接触・所属する際に様々な効果をもたらすためである。それはちょうど、紹介作品においてナタレが、多くの異なる集団に所属し、培ってきた個性の為に人々に助けられ、彼の中に「ある」基礎的な社会集団によって、そこに所属する人々を助けたように。


 1278年、マルヒフェルトの戦いにおいて勝利した神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ一世は、その後敗戦したボヘミア王オタカル2世の領有していた土地に定住する事になる。彼は後にオーストリア家と呼ばれる、強国ハプスブルク家の礎を築いた。

 このハプスブルク帝国の王家は比較的穏当な家族関係でも有名であり、血縁を巡る争いは、他家に比べて少なく、また多産の伝統を続けていた。彼らは自らの家系図を「家族の樹」として描き、ラートポトから始まるその血を維持する事に成功した。

 マリア・テレジアの時代に男系ハプスブルク家が断絶し、新たなるハプスブルク=ロートリンゲン家の時代が訪れた時も、この家族関係の良好さという伝統は女系ハプスブルク家へと維持されていく。この王家の家族関係の良好さについては、夫の死後、一生を喪服で過ごしたと伝えられるマリア・テレジアの姿が、正しく顕著な例と言えるかもしれない。また彼女を支え、自身の手を怒りと屈辱に震わせて故郷ロレーヌを放棄する契約をした夫フランツは、彼女の為にダイヤモンドを大きくしようとして失敗し、貴重な宝石を焦がしてしまうなどと言う、愛の籠った失敗談を持つ愛妻家であったとされる。


 ハプスブルク家の領土拡大は血縁によるところが多く、拡大するハプスブルクの地は、様々な社会集団を巻き込みながら、多民族国家としての道を歩き始める。

「闘いは他家に任せておけ、幸いなるハプスブルクよ、汝らは幸せな結婚をせよ」

 ハプスブルク家は幸いなる結婚(この言葉は皮肉として用いられたとされる説もあるが)によって、歪な社会集団を形成していった。


 1914年第一次世界大戦の勃発は、ちょうどこの帝国の落日を見るような事件であったと言える。彼らが形成した歪な社会集団は、ナショナリズムの波に飲み込まれ、1918年の敗戦の後、オーストリア共和国となる。その地は後に世界で最も有名な独裁者の手に渡ることになるが、それをどのように捉えるべきかについては言及するべきではないだろう。

 第一次世界大戦中の君主、つまりハプスブルク帝国の最期より二番目の当主であるフランツ・ヨーゼフは妃エリーザベトが母ゾフィーの厳しい教育に堪えかねて旅をする中殺害され、息子ルドルフ皇太子が男爵令嬢と心中し、弟は遠くメキシコの地で処刑され、果ては後継者となった甥フランツ・フェルディナンド大公をも暗殺集団によって失った。この生真面目な君主は愛する家族を次々に失ったが、その様はどこか多民族国家として歪に進化したハプスブルク帝国と言う社会集団の崩壊の様を見るようでもある。

 彼の悲壮な人生を思うと、いずれ訪れるであろうオドナスの崩壊の様もまた、大きな社会集団の中に燻る小さな社会集団のほころびから始まるのではないか、と思えてならない。サリエルの背中が「銀の砂の彼方へ」消えるその瞬間、彼はオドナスの人々に対して何を思ったであろうか。


 神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ三世は、特別裁判所改革において、「神聖ローマ帝国とドイツ国民」という言葉を残している。この神聖ローマ帝国の大愚図は、多くの皇帝が夢見たイタリア政策を放棄し、ドイツ国民のための帝国を、非力なりに自分の掌中に保ち続けた。彼は吝嗇家であり、多くの対立に負け続けたが、一方で、帝国を失う事はついになかった。彼の帝国は皮肉にも息子マクシミリアン一世の時代に、多民族国家への道を歩き始める。君主制では社会集団の拡大はその指導者の在り方によることが多いと先述したが、彼が仮にオドナスの在り方を見た時に、それを息子の姿に重ねるであろう。

 社会集団の拡大は、家族の拡大のように歪なねじれとなり、そしてハプスブルク帝国のように崩壊するかもしれない。紹介作品に登場するそれぞれの家族は、それ自体が美しい人間模様を描くにもかかわらず、この歪な関係をも、暗示しているのではないか。即ち、基礎的な社会集団である「家族」を捉える紹介作品には、価値があると言わざるを得ないだろう。

 独特の作風と耽美的な情景描写が魅力の作品です。これを機に「家族」について考えてみてはいかがでしょうか。


 最後に、作品の考察を御快諾くださいました紹介作品の著者である橘 塔子様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


参考文献


 参考文献

菊池良生『神聖ローマ帝国』(2013、講談社)

菊池良生、関田淳子、西川和子、平田達治『ビジュアル選書 ハプスブルク帝国』(2010、新人物往来社)



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