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『エデンの孵卵』-ウマル・ハイヤームの盃

 今回は、犬井作氏著『エデンの孵卵』について、その価値を考察する。

 紹介作品の詳細は以下の通りである(詳細はいずれも作品URLより引用)。


 ジャンル:空想科学〔SF〕

 作品名:『エデンの孵卵』

 著者:犬井作

 作品URL:https://ncode.syosetu.com/n6671dk/(最終アクセス2018年11月9日8時現在)

 作品分類:未開拓作品


 あらすじ:エデンの街に暮らす少年:ユバルは胸の”軋み”に悩んでいた。話の合わない級友、妙にすかした女教師サライ、そして、誰も教えてくれない喪われた街バビロンの真実……そのすべてが原因のようで、原因ではない。ユバルは彼の神に祈った。どうか答えを授けてください。そしてその日、奇蹟は起きた。ユバルは昼食を取ろうとした聖マリア公園で、「バビロンの民」と接触する。それは案山子のようななりをした男だった。案山子は尋ねる、「求めよ、さらば与えられん」少年は案山子に誘われ、喪われた地バビロンへ向かう。そこで彼は真実を知り、エデンは孵卵の時を迎える。


 紹介作品の概要は以下の通りである。信仰の下で作られた楽園「エデン」に住む敬虔な少年ユバルは、周囲の人間が事象について考える事を避ける事に疑問を抱いていた。そんな中、ユバルは学校でエデンでは禁忌の存在であるバビロンの民の不審な動きについての注意喚起を受けた。

 彼は聖マリア公園で自らの逡巡を告白する。その時、案山子のような不審な男と出会う。その男は、ユバルに対して「君は、卵を、どう思う?」(犬井作「第3話 幻視」『エデンの孵卵』https://ncode.syosetu.com/n6671dk/3/、最終アクセス2018年11月9日8現在)と、問いかける。ユバルはバビロンの真実を知るために、禁忌の殻を破り、世界の真実に近づいていく。


 紹介作品は、ブックマーク数28件の未開拓作品である(2018年11月9日8現在)。概要を見ても明らかな通り、紹介作品はディストピアを基礎に置く空想科学作品であり、所謂なろう系作品とは一線を画するものである。


 紹介作品を論ずる上で重要な点は、「1.信仰の功罪」と、「2.哲学への道」である。

 まず、「1.信仰の功罪」について論ずる。ユバルに限らず、エデンの住民は神の下で幸福な生活を享受している。幸福な生活はエデンの中で完結しており、その外の世界へと向かう事は禁忌とされている。主人公であるユバルは、その外の世界を垣間見る事によって、始めて世界の真実を知ることになる。

 信仰とは必ずしも神などの絶対的存在を信じ尊ぶ事に限らず、ある一つの尺度を絶対のものとして信じる事をも指す。紹介作品では宗教を基礎とした信仰がエデンの中において育まれているが、その内実はSFとしての要素である科学的な要素によって維持されている。そこで、ここでは広義の信仰を含む信仰の功罪について論ずる。


 信仰とは、絶対の基準であると言い換えることができる。絶対の基準である以上、その教えに背く事は許されないか、不可能である。つまり、信仰とは秩序であり、人間のあるべき姿を定義づけるものである。秩序の不在が実際にどのような災厄をもたらすかは明言しかねるが、類似のものとして考えられるのはトマス・ホッブズの『リヴァイアサン』における自然状態である。

 トマス・ホッブズは、リヴァイアサンにおいて自然状態を「万人の万人に対する闘争」状態と定義し、国家のない世界においては、人々は無法の下に互いに互いの権利を奪い合う自然状態に陥るとする。この自然状態は必ずしも信仰の存在と合致する事はないが、信仰が秩序である以上、その禁を破る事となるような闘争状態は避けられることになる。

 このように、信仰には、法と同質の秩序維持の役割がある。秩序維持は社会性を持つ人間にとって非常に重要なものであって、信仰によって作られた秩序は無政府状態や超国家的統一の為にも役立っていた。即ち、同じ宗教圏の人々の過度な闘争状態を防止し、活発な交易や宗教的な共同体の形成に重要な役割を担っていたという事である。この秩序維持こそが、信仰の重要な役割、「功」の影響である。


 一方で、信仰は、信仰から外れるものを排除するという罪を作り出す恐れがある。中世に行われた十字軍はその顕著な例と言える。第一回十字軍は十字軍国家建国というキリスト教世界の勝利に終わった、11世紀末の聖地回復運動である。事の発端は1095年のクレルモン公会議において教皇ウルバヌス二世が提唱した十字軍宣言である。占領した地域における十字軍による大規模な虐殺や略奪は、酸鼻極まるものであった。信仰によって正しく秩序に適うものと定義された行動が、後世における反省となった事実は注目に値する。

 このような信仰の排他性は、そのまま秩序の外に向けた不理解に繋がる事がある。作中に見られるエデンの外にある世界への無知も、住人の思考の放棄も、正しく信仰に裏付けられたものであって、十字軍に見られるような過激な排斥運動と同質のものと言うことが出来よう。現代日本においては、特にこのような排斥性を重視して、宗教の信仰‐このような過度な信仰を妄信と呼ぶことが出来る‐を毛嫌いする傾向がある。しかし、妄信は信仰の一側面に過ぎず、宗教とは考え方の基礎に当たるものであって、それを信仰することは必ずしも悪ではないし、断罪に値するものでないことも明らかである。紹介作品は、いわば信仰の「罪」の部分にスポットライトを当てつつも、幸福な秩序の世界を映し出すことによって、その「功」の部分を描くことに成功しているのである。


 第二に、「哲学への道」について論ずる。哲学とは元来、あらゆる学問分野に相当するものとして古代ギリシャ世界において発展を遂げ、中世イスラーム世界において諸分野を研究する為に再び花開いた、万物の成り立ちについて考察する学問分野である。現代では独立した学問分野として、思想の領域に関する社会学として独立しているが、過去には様々な世界の成り立ちを探求するという非常に多岐にわたる学問分野であった。紹介作品には哲学に関する記述は一切記されていないものの、その成り立ちから哲学の芽生えについて考察するうえで参考となる部分が存在するため、紹介する。

 一般的に、哲学とは、


「1 世界・人生などの根本原理を追求する学問」

『goo辞書』(松村 明監修、池上 秋彦・金田 弘ほか編集「てつ‐がく【哲学】の意味」『goo辞書』(提供元『デジタル大辞泉』(小学館)(https://dictionary.goo.ne.jp/jn/151684/meaning/m0u/、最終アクセス2018年11月10日9時30分現在)


 と定義されており、人間が初めに本格的な世界の解明に乗り出した、いわば最も古い学問分野である。哲学の存在が、その後の学問の発展に寄与したことは先述の通りであるが、哲学発展のきっかけには、世界の根本を解き明かそうとする人々の疑問と探求心が必要不可欠であった。

 通常、無秩序な状態、つまりホッブズの述べるような「自然状態」にある場合には、人間は外の世界へ疑問を抱く事が非常に難しくなる。自分の生活に絶対的に必要な糧を得る事に多くの時間を割く必要があるからである。

 一方で、古代ギリシャ世界では、「奴隷」と「市民」の二つの階級によって常時の労働と有事の戦争を分けたことによって、市民は政治への参加と自国の防衛に専念する事が出来た。彼らは有事の際には戦士として活躍した反面、非常事態でない時には自身の趣味に時間を割くことが出来た。このような時間的余裕によって、非常に多岐にわたる哲学者が自身の哲学を発表し、様々な学説が成り立っていった。


 上述の通り、哲学にはいわば「衣食足る」事が最低限必要であり、紹介作品におけるエデンでは既にその最低条件が満たされていた。そして、エデンの成り立ちについて疑問を抱く少年ユバルは、世界の成り立ちに疑問を抱くという条件を満たし、その殻を案山子との出会いによって破ったのである。

 このように、紹介作品は世界への疑問と満ち足りた生活の存在によって、哲学への道を暗示するような構成もとられている。但し、科学分野の発展の前身には神への理解を求める姿勢があったように、この哲学への道の為には、世界を解き明かそうとする姿勢と、神への信仰が共存する事が矛盾しないことは理解しなければならない。むしろ、信仰に基づく精神的安定は、科学への興味関心を見出す一つの要因であったと言う余地もある。この点については、別途検討が必要であろう。


 最後に、紹介作品の考察について私見を述べる事で、本考察の結びとする。

 かつて隆盛を誇った古代ギリシャ哲学は、ローマ帝国の成立を経て、キリスト教の発展とイスラーム教の誕生という二つの宗教の板挟みに逢い、急速に衰退した。しかし、その叡智は後にイスラーム世界へと受け継がれ、これを探求する事に寛容だったアッバース朝の下で、天文学、数学、論理学、文学に至るまで、多岐にわたる発展に寄与した。そして、キリスト教世界においてもスコラ学としてキリスト教神学とアリストテレス哲学が融合・発展し、浸透していった。

 このように、哲学の破壊と哲学の発展には神の助けが重要な役割を果たしたことは事実であり、この一見矛盾した展開は、いわばコンクリートの隙間から芽を出す花のような、人間の逞しい探求心を見出す意味で価値のあるものと言える。

 しかし、時に世界の真理が神の言葉と矛盾する事態が生じる事も事実である。エデンの孵卵の後に残る美しい楽園の破壊は、その一つの例である。


 かつてペルシャのダ・ヴィンチと呼ばれたウマル・ハイヤームは、様々な学問分野に精通した万能の天才でありながら、イスラム教においては禁じられている飲酒を隠れて行っていたとされる。彼は自分が神の擁護する世界から離れていることに気付きながらも、その思想を『四行詩集』として書き残した。その刹那的な生命賛歌は現代の人々にも心打つ名作として今も残り続けている。


 いま、この作品を通して、我々には、二つの盃が差し出されている。一つはキリストの血と呼ばれるワインを注いだ神の恩恵を受けられる聖なる盃であり、今一つは、ウマル・ハイヤームの差し出す葡萄酒の注がれた、世界の真理を解き明かし、過酷な世界を酒と共に飲み込む陶器の盃である。筆者がいずれを受け取るかを敢えて言及することは避けるが、紹介作品には、いずれの盃を選ぶべきかを考えさせる力がある。その意味で、紹介作品には価値があると言えるのである。

 作品としても面白く、文章力も高い、非常に洗練された作品です。

 最後に、本考察をする事に御快諾いただきました犬井作様に最大の感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

 また、更新まで大変時間がかかってしまったこと、謹んでお詫び申し上げます。そこで、次回は第一回の中間報告として、ここまで書いた考察から考える「小説家になろう」における評価ポイントの意義について考察していこうと思います。


 以下、本考察の参考資料を提示させていただきます。


Alt+F4『世界の奇書をゆっくり解説 第8回 「サンゴルスキーのルバイヤート」』(https://www.nicovideo.jp/watch/sm33159073(最終アクセス2018年11月10日10時30分))



Alt+F4『世界の奇書をゆっくり解説 番外編2 「物の本質について」』(https://www.nicovideo.jp/watch/sm32626973(最終アクセス2018年11月10日11時30分))


ウマル・ハイヤーム著、小川 亮作訳『ルバイヤート』(1949、岩波文庫)


加藤隆「第7章 キリスト教と近代」『一神教の誕生‐ユダヤ教からキリスト教へ』259頁‐289頁(2002、講談社現代新書)


山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』(2017、岩波新書)

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