表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/15

『0pt小説は砂漠であり、愉快な旅でもある』‐キャラバン・サライの篝火

今回の考察は、私の解釈違いもいくつか散見されます。その上で、紹介作品の著者の方に確認して、公開の許可をいただいております。本来学術論文の体裁をなす場合には、出来る限り断定口調を利用するべきですが、今回は上述の理由から少しぼかして表現しております。ご了承の上で、お読みいただければ幸いです。

 今回は、岬林 守氏著『0pt小説は砂漠であり、愉快な旅でもある』について、その価値を考察する。

 紹介作品の詳細は以下の通りである(詳細はいずれも作品URLより引用)。


 ジャンル: 詩〔その他〕

 作品名:『0pt小説は砂漠であり、愉快な旅でもある』

 著者: 岬林 守

 作品URL: https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n1250eg/(最終アクセス2019年6月25日0時21分現在)

 作品分類:短編作品


 あらすじ:人気の無い小説は砂漠のよう 


 だが、私は寂れた世界を読む旅をする!


 なろうの現実と、0ptの小説を読む魅力を表現しきった一品をご堪能あれ!



 紹介作品は詩であり、その解釈の余地は無限に存在する。本考察も例に漏れず、紹介作品へ対する解釈のうちの一つに過ぎない。よって、紹介作品のジャンルである詩の特性を踏まえ、作品の概要を提示することで却って考察の余地を狭める恐れがあり、これを避けるためにその概要の代わりに、紹介作品の構成について簡単に説明する。

 紹介作品は、詩の中では自由詩に分類され、特定の押韻や構成を取っているものではない。また、その冒頭から「砂漠」と言う暗喩を用い、以後も暗喩と直喩を多数用いながら、著者の思想を概観する事が出来るものである。

 第一節、第二節において舞台を表現し、第三節以降に転調をし、舞台での出来事を述べるという形式をとる。これにより、読者は作品の世界観を認識しながら、小節ごとの主張と表現を体験する構成となっている。

 先述の通り、紹介作品は詩であり、小説などとは異なり、その考察の余地は無限に存在する。また、小説家になろうにおいては非常に小規模なジャンルであると言え、その中で紹介作品は比較的高評価を得ていると言える。しかし、紹介作品を紹介する事で、小説家になろうにおいて正当に評価されることの少ない「詩」の価値を確認する事が出来る事、紹介作品の主張である、「0pt小説」と言う作品群の価値を再認識する事が出来る事から、考察する価値がある。また、この認識によって、多くの作品が0ptである小説家になろうにおいて、その価値が認知され、考察の余地が生じる事の手助けとなる点で、非常に有意義であると言えるため、考察する。なお、先述の通り、紹介作品が詩と言うジャンルであることを踏まえ、本考察も一つの解釈であるという事を注意されたい。


 本稿では、紹介作品における重要な要素として、「苦痛の旅と楽しみの旅」を挙げる。

 小説家になろうには、「作者」、「作者であり読者」、「読者」、「隠れた読者」の4種類の利用者が存在する。私見では、0pt小説を投稿する作者を、紹介作品ではオアシスを求める旅人として表現していると解釈した。即ち、「読者」乃至「作者であり読者」は水を持つ存在であると解釈でき、より多くの水を受け取った者を表現するために、オアシスに住む「作者」が存在すると解釈する。

 しかし、水を持たない砂漠の最中の作者の中からは、水を求め、時にオアシスの恵みに与ろうとその宗主らとの交易をおこなう者も現れる。彼らは自らの渇きを癒し、交易の恵みを預かる事で、砂漠の中にあっても水を得られる、富める者へと変わっていく。

 それさえもままならない作者は、作品を置き去りとして力尽き、砂漠から立ち去るか、身動きが取れずにその場に蹲り、時には亡骸となって発見される。紹介作品の著者は、このような、水を得られないか、意図的に水を求めて交易を行わない作者の作品を求めて、砂塵の中に目を凝らすのである。

 そのような過酷な砂漠の中で、読者である著者は、砂漠の砂に蹲り、水を求めているそれらの作品たちに水を与える。水を与える事なく通り過ぎる人々である隠れた読者とはその意味で異なる。功利主義的ではあるが、このような水を少量分け与えるという行為は、最大多数の幸福に大きく貢献するであろう。その意味では、著者は「苦痛の旅」を和らげる緩衝材であると解する事も出来る。


 しかし、著者自身が砂漠に存在するために、著者も又、読書による「苦痛の旅」を経験し続けているとも解釈できる。

 では、苦痛の旅の側面に焦点を当てた時、著者自身は何を糧として、苦痛の旅を続けているのであろうか。紹介作品では、その糧について明確に言及されている。それは、「楽しみの旅」としての旅の側面である。「0ptの未開の地を踏む時、私の心が魚がかかった時の釣糸のように張り詰めて、大きく揺れ動かされるから」、「今後どうなるか分からない、0ptの砂漠を 作品と共に旅をする、この面白さが堪らない」(岬林 守『0pt小説は砂漠であり、愉快な旅でもある』https://ncode.syosetu.com/n1250eg/(最終アクセス2019年6月25日0時21分現在))といった表現からも、著者の「読みの喜び」、即ち「楽しみの旅」の無限の可能性が垣間見れる。


 著者が実際に感想を書いた作品の中には、最早作者自身が捨て置いたものがある。この捨て置かれた作品への「手向け」としての感想の送付は、死者を弔う葬儀であり、また、死者の復活を求める信仰でもある。作者は世界を創世するという意味において「神」でもあるため、この手向けの儀式が、祈りであり、信仰としての感想の送付の側面を否定することは出来ないであろう。


 また、その感想によって、自身の作品の価値を認められた作者は、その言葉に新たな思考の領域‐他者の存在の認識による「自己」の認識‐を見出し、それを基に作品を書く事が出来る。芸術の創作活動とは、他者からの影響によって大きく前進する例があるが、感想の送付にはそのような、他者からの働きかけの始まりとして意義がある。

 その最たるものが、アレクサンドロス大王のマケドニア拡張に伴って生じた、ヘレニズム文化であろう。アレクサンドロス大王の東方遠征は、古代西方世界に東方のオリエント世界の文化を流入させ、融合させるきっかけとなった。

 そして、その文化は後にキリスト教文化と融合し、ビザンツ文化を、そして東方インドにおいて仏教文化と融和してガンダーラ美術を生み出した。

 読者が与える作者への作用は、その読者が認識するか否かに関わらず、自己の作品の立ち位置を理解する事によって、一つの発展を迎えるのである。このような文化的融合は他者の存在があって初めて成立し、これらの0pt小説にとって初めての他者の認識はこの感想を与えた読者である。私見ではあるが、他者に影響を与える感想を書く読者は、その意味で芸術の世界における重要なアクターであると言え、それ故に読者は一人の創作者或いは捜索者としての側面を持つ。作者が創造する「生みの苦しみ」と同じほどに、読者が「読みの苦しみ」を受けるとすれば、「生みの喜び」と同じほどの「探求の喜び」を見出す事がある事を否定することは出来ないであろう。


 最後に、紹介作品の考察について私見を述べる事で、本考察の結びとする。

 紹介作品は砂漠の旅に準えて、小説家になろうの過酷な評価競争の現実と、そこから一定の距離を置いた読者による放浪の旅について、その楽しみを謳った詩であると解される。


 そこで、私見においても砂漠の旅をモチーフとして、この詩についての私見を述べる。

 かつて資源の少ない砂漠地帯において最も大きな役割を担ったものは、隊商(キャラバン)である。オアシスの道の経済的な繋がりを築いたソグド人は、絹や金銀、絨毯や香辛料など、様々な商品を運んだ。彼らの旅程には砂漠があり、楼蘭の水資源が枯渇するなど、交易に支障をきたす問題にはしばしば水が原因となった。飢えと渇きに苦しむ生死をかけた旅の疲れを癒したのは隊商宿(キャラバン・サライ)であった。彼らは隊商同士で杯を傾け合い、時にはラクダの乳を、時にはその血を飲んだ旅の苦労を労わり合った。彼らの旅は彼らに莫大な利益を齎したが、この旅の過酷さを謳った後に、「これがどうにもやめられない」と言う言葉を残している。それはさながら、小説家になろうを旅する、数多の読者たちの如く。


 オアシスの道は、やがて海上交易路の発展や遊牧騎馬民族達を中心とする「海の道」と「草原の道」の発展によって、その役割を徐々に失っていく。しかし、彼らの旅路は後に19世紀から20世紀にかけてのフェルディナンド・フォン・リヒトホーヘンのシルクロード命名やスヴェン・ヘディンの楼蘭遺跡発掘などによって再び注目されることになる。こうして、オアシスの道は、世界中の思考と探求の旅路の中で、再び評価されていくのである。


 紹介作品は、忘れ去られた作品群を発掘する探求の旅であると同時に、渇く人々と杯を傾け合う邂逅の旅路である。仮に、『小説家になろう』を、双方向コミュニケーションツールとして捉えるならば、この作品には、砂漠の墓に水を注ぐ以上の価値があると言えるだろう。


紹介作品は詩であり、比較的読みやすい文体も特徴です。解釈は皆様の思うとおりにしていただける方が、議論の余地も生じ、学問の楽しみを追体験できることと思います。


最後に、考察にご快諾頂きました、紹介作品の著者である岬林 守様に、改めて感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ