はじめに
今日、『小説家になろう』の作品群において、その価値に対する重大な批判が行われている。
世間一般的な評価として、なろう系作品はつまらない、という評価がある。この評価は世間一般的な評価であって、全ての作品を指すものではないことは理解いただけるであろう。
一方でこの一般的な評価というものを、『小説家になろう』内に存在する殆ど全ての作品に当てはめ、或いは全ての作品が無価値なものであるという認識をされてしまう方も、一定数存在する。
そこで、本稿は、小説家になろう内における諸作品群について、価値が認められないものばかりであるかについて、考察していく。
具体的な内容としては、基本的には、中堅作品及び未開拓作品における、各作品の価値について、一つの作品を取り上げて論ずるものである。
その点、本稿はレビューと同様に作品紹介の意図は存在するものの、作品紹介を主たる目的とするものではない。
もっとも、全ての作品を論ずることは困難であるため、筆者の認識し得る作品群から、筆者の独断と偏見を基準として、いくつかを論ずる事とする。
本稿において中堅作品や未開拓作品を論ずる意義は、主に二つ挙げられる。
第一に、商業化作品は、既に作品の価値が認められていると仮定できる点である。この点は、主に商業化する作品群については、既に商品としての需要を持つ、意義のある作品であると認められるためである。この点、中堅作品や未開拓の作品群は、商業化されるほどの価値を見出されていない、或いは、その価値を認知されていないものと考えられよう。このような作品の価値を論ずることは、本稿の主旨に適うものであり、商業化がなされた作品について論じないこともまた、作品の主旨に反するとは言えない。
第二に、筆者の時間的拘束の軽減のためである。所謂商業化作品は、その性質上、止むを得ず大作化することが多い。その為、一作品に対する拘束時間の長期化が引き起こされてしまう。そのような作品を論ずることは非常に困難であり、時間的に好ましいものとは言えない。ある程度の絞り込みとして、既に価値が認められている書籍化作品を紹介しない事は、本稿の主旨に反しない。
このように、本稿は小説家になろうにおいて、所謂日の目を見ない作品群について論ずることによって、その価値を発見することを主旨とする。
本稿では、上記の主旨を満たすために、以下のように論考を進めていく。
第一章「はじめに」において、本稿の主旨と意図を説明する。本稿は作品の紹介という点においてはレビューとその多くの意義を同じくするものの、基本的にはその作品の価値に関する考察として、作品の良し悪しを区別するものではないと言う点について、説明する。
第二章「定義」においては、本稿を読む上での基礎的事項について説明する。
インターネット上では様々な単語が日々生まれており、『小説家になろう』内においても、一般的でない定義が存在する。また、曖昧な定義も存在する為、第二章では、本稿を読む上で必要な基礎的事項について説明する。
第三章「検討」においては、小説家になろう内における作品のいくつかを紹介し、その価値について検討する。この検討を通して、各作品の価値について確認する事とする。
そして、第四章「おわりに」において、本稿の総括をし、結びとしたい。
なお、第四章の予定は未定であることを明記しておく。