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第6章 二度目のプロポーズ

第6章 二度目のプロポーズ


 ここ毎日が仕事をしていても楽しくて仕方がない。知らないうちに顔も歪んでしまっているようだ。あれから何とかうまくやっている健三にも、『顔、ゆるみっぱなし』ってにやついて言われることもよくある。うだるような暑さの中、バイクを走らせても、暑いなぁって空を見上げ笑顔になれる。今日は特にそう感じる。久しぶりに朝風亜子に郵便物が届いたのである。

まだ報告していないのでお礼方々挨拶しないと、と思っていた。

いつものように気配を消すように門をそっとくぐった。あれ?留守かな?

キョロキョロしながら手紙を郵便受けに落した。やっぱり留守のようだ。仕方ない、また今度にするしかないなと戻ろうとし振り返ったら、後ろから『ご苦労様』って声がした。

一瞬びっくりしたけど、亜子の声だとわかりすぐにまた振り返った。

「うまくいってるようね」にっこり笑っている。もちろん足元には空君が抱きついている。

「報告遅くなりましたけど、きちんとお付き合いさせてもらっております。その節はいろいろとありがとうございました」

「ありがとうって・・・フフフ、おかしくない、私何もしてないし。・・・でもよかったね」

「あ、はい」亜子の顔色があまりよさそうに見えなくて

「あの~どっか体調でも悪いですか?」

「私?全然、いつもと同じよ」そう言い、いつもの明るい笑顔で答えた。

「ならよかったです」晴も笑顔で答えた。

「あ、ごめんね。今、麦茶持ってきますからね」

「あ、大丈夫です」

と言ったけど亜子は、家の中に入っていった。その後姿が妙に寂しく、そして薄くも見えた。

いつものように冷たくておいしい麦茶を一気に飲み干し、お礼を言い仕事に戻ろうとしたら、

「城崎さん」と呼び止められた。

「そろそろ、プロポーズしてみない?プロポーズしなさい。いいよね?

何事も早いにこしたことはないし、タイミングってものがあるから・・・ねぇ?」

真剣に言っているのが伝わってきた。

「えっ!プロ・・・プロ・・・プロポーズ?えっ!えぇ~」

想定外の言葉に腰をぬかすかと晴は思った。

「大丈夫。きっと夏子も待っているよ」自信でもありげに亜子は言う。

「無理!無理!これだけは・・・まだ・・・勘弁してぇ~・・・だって、早すぎるし」

亜子に勘弁してと、拝むように両手を合わせていた。

「エッチなDVDにエロ本・・・いいの?いいの?・・・まぁ、それはどうでもいいけど」

クスクス笑う亜子。

「えっ!えっ!・・・はぁ~」恥ずかしくて、変な溜息が出てしまった。

夏子は時々家には遊びに来るけど、押し入れの中まではまだ見られていない。見られたら何て言うかなぁ~やっぱり引いちゃうだろうな。その中には健三から借りっぱなしのもいくつかある。でも大抵の男ならエッチなの二つや三つ、いやもっと持っているだろうし、気にしなくていいかなと思いながらも、何で亜子はこの前から知っているんだろうか。どう考えても意味がわからない。家に遊びに来たことなどあるわけもないし、まして会ったのは初めてだし。

「とにかくいいよね。わかったわね、プロポーズ」まっすぐ見つめて言う亜子に

「はぁ~・・・」と溜息か返事か、わからない声を出し、

「あぁ~ちょっと急いでるんで」と、ちょこっと頭を下げ逃げるように門を出て行った。


 その夜、また眠れなかった。結婚とは?いや再婚とは?そして恋愛とは?何か?

確かに亜希子と結婚した。しかし結婚生活というのは、知らないうちに終わっていた。

喧嘩なんてする時間もないうちに。結婚というより、まだ恋愛関係で付き合っているという感じだった。だから結婚と付き合っているの違いってどんな風なのかよくわからない。しいて言えば亜希子の名字が変わったことぐらいだ。あ、もうひとつあった。弁当の中身も変わった。

結婚前は、母が作ってくれていたけど、結婚してからは亜希子が作ってくれていたのだ。

最初弁当を開ける時は、そりゃもうドキドキしたのも覚えている。母には悪いが、彩りも違い最高においしかったのもはっきり覚えている。毎日の弁当が楽しみでもあった。だから結婚というものに嫌な思いは何ひとつない。

でも俺は再婚になる。再婚となるとまったく意味が違ってくる。離婚じゃなくて死別になるのだからさらに意味が違ってくるはずだ。どんなに時間が立っても心の中には亜希子がいる。

好きで好きでどうしようもなく好きだった亜希子がいる。好きだった、過去形になるけどそれは消えることはないだろう。消去の仕方だってわからないし、する必要もない。

また、亜希子はどう思うだろう?。回りの人はもう忘れて違う人を探しなさいとか、天国で幸せになることを祈っていると思うとか、当たり障りのないよう言うけれど。亜希子はほんとのとこどう思っているだろうか?もう私を忘れたの?嫌いになったの?私にはもう誰もいない。

晴君しかいないのに。と思うのではないだろうか?亜希子を時々思い出してやれるのは俺しかいない。

でも今は、夏子とお付き合いをさせてもらっている。亜希子と同じくらい好きだ。

矛盾している自分が情けなく嫌になってしまうけど、好きになってしまった気持ちは変えられない。なぜ夏子を好きになってしまったのか、好きにならなければ何もなかったのに。と時々思うことはある。でも好きになってしまった。好きになるには理由など必要なかったのである。

いつも見上げる天井は変わらない。ベッドから出てカーテンを開き窓を開ける。気持ちのいい風が部屋に入って来る。見上げる空は今日も満天の星だ。

 そして三日後、また朝風亜子に郵便物が届いた。いつもと同じ差出人のない手紙。

誰もいませんようにと願いながら、門からちょこっと顔を出す。空君もいないようだ。

ほっとしながらも、念のために気づかれないように足音を殺して、ゆっくりゆっくり忍び足で郵便受けに近づく。

ポトンと郵便受けに手紙を入れたとたん、玄関のドアの引き戸がガラガラと一気に開いた。

そこには、今まで見たことのない朝風亜子の姿があった。両手を腰に当て眉も目も吊り上げじっと睨んでいた。金棒を持っていれば仁王様のようだ。

その隣には、空君も腰に手を当て眉も目も吊り上げ同じようにじっと睨んでいた。

「城崎さん、あんた何やっての!」腰に手を当て睨んだまま、亜子は叫ぶように言った。

「えっ!えぇ~・・・手紙ならちゃんと入れましたけど」

顔面蒼白になりながらも、何とか答えた。

「違う!プロポーズよ」一歩前に出てさらに大きな声で叫ぶように言った。

「あっ!あぁ!あぁ~」あの優しかった亜子の変わり様に腰が砕けたんじゃないかと思った。

「いつまでそうしてるの!夏子のこと、どう思ってんの。このままじゃ夏子誰かにとられちゃうよ。いいの!」

「あぁ!あぁ!あぁ~・・・」

「夏子のこと、どうなの?ほんとに好きなの?」腰の手を前に回し、腕組みをし睨み言った。

「あぁ!あぁ!あぁ~・・・好きです」晴は、ぼそりと言った。

「だったら早くプロポーズしなさい」

腕組をしてた腕はほどかれ、鬼のような顔も緩んでいった。

「何事も早いほうがいいし、時間だってあまりないし」いつもの優しい笑顔に戻っていた。

「時間って?」何のことだろうと晴は首を傾げた。

「ずるずるしてたら何もかもダメになってしまうってことよ」

悲しげに言う亜子を、今度は晴がじっと見つめた。

「城崎さんのこと一番よく知っているの誰だと思う?夏子じゃないかな」

一瞬空を見上げた目は晴に戻っている。

「亜希子さんが亡くなった時、ずうっとそばにいてくれたのも夏子だし。気が付いてみれば、夏子はいつも城崎さんのそばにいるんだよね。城崎さんも今は気づいているはずだよね。いつもそばにいるのは夏子だって」

素直に頷けないのは、考えてみれば言っていることは確かだからである。

「城崎さん、夏子のこと好きなんだし。あと何があるの?」

はっきり言う亜子に反論できないまま黙っている。

この前のデートのようで、デートでないデートで晴は気づいた。夏子を好きになっていたのが。

ただ、気づかない振りをし続けていたのである。でもダメだった。気づいてしまったのだ。

好き。それ以上望んでなかったけど、亜子に言われるまま告白してしまった。

その結果、今は付き合っている。ただそれ以上進むということがどうなのか?わからない。

亜子の前で嘘をつくことはできない。嘘をつく必要もない。

けど・・・早すぎる。あまりにも早すぎる。結婚、いや再婚なんて早すぎる。

「亜希子さんのことは大丈夫だと思うよ。夏子の一番の親友だし、そう願っているんじゃないかな。早いか遅いかなんてどうでもいい、今がその時じゃないかな。二人の幸せ望んでると思うよ」

「大抵の人はそう言うよ。大丈夫とか、願っているとか、そして望んでいるとか。

でもそんなのただのきれい事でしょ。ありかな?」

「そうね、城崎さんのことを思って、そう言うのよね。でもそれが何?」

「何って?・・・」

「夏子はもっと辛かったんでないかな?親友の亜希子さんが亡くなって、そこに私が入る。

それなら忘れたほうがいい、でもそう簡単に忘れられるものでもないと気づいてから、さらに苦しくてどうしたらいいか、辛かったんでないの」

「俺も、亜希子に悪いと思って。誰か違う人好きになることが亜希子に悪いと思って」

間をおいて続けた。

「亜希子に悪いと思いながら、夏子と会うのも夏子にも悪いと思って。どうしたらいいかわからないまま過ごしてきた。俺は最低な男だ」

晴は誰にも言ったことのない胸の内を、誰にも言えない胸の内をさらけ出し、言葉に詰まってしまった。

「亜子さんにこんなこと言ってごめん」やっと出た言葉は震えていた。

「ごめんは変だよ。城崎さんが辛いのはわかってる、そうだよね。だからはっきりしよう、

亜希子さんのためにも。夏子のためにも。そして何より城崎さんのために」

ニコッと晴を見つめる目は輝いていた。

「人生長いようであっという間だよ。私、亜希子さんの気持ちわかる気がする。本当に城崎さんのこと好きだったんだよね。夏子もまた城崎さんのこと好きだったのを亜希子さんは知っていたけど

、夏子ってあんな性格でしょ、だから自分の気持ちを押し潰して、亜希子さんのこと応援するよと言ったと思う。」

「・・・・・」

「だから夏子は彼氏いるよって、嘘ついていたんだよね。どうにもできずに一番辛いのは夏子じゃないかな?亜希子さんは、天国であぁ~二人とも何やってんの!ってイライラしてると思うけどなぁ~。夏子と結婚したって城崎さんの心にはずうっと亜希子さんがいるでしょ。時々思い出してあげるだけでいいんじゃないかな?夏子だってずうっと心の中に亜希子さんいると思うよ。それでいいんじゃない」

亜子の言葉に目を潤ませている晴は、必死で涙をこらえている。胸の奥に詰まった何かが爆発寸前なのを。

「亜子さん・・・」そう言ったとたんに、その何かが爆発してしまった。晴は嗚咽した。

そっと空を見上げた亜子の目にも、光るものが見え頬を伝わり滴り落ちていた。

それはうれし涙だった。優しい笑顔で微笑み泣いていた。そんな亜子を見るのは初めてだった。

空君が、どうしたのと言うようにティッシュペーパーを晴に「はい」と持ってきた。

「空君、ありがと」

スッキリした顔で晴は思いっきり鼻をかみ、涙を拭いた。目を真っ赤にしながら笑っていた。

「亜子さん、いろいろありがとう。俺、行ってきます」

力強く立ち上がり、そして思いっきり頭を下げた。

「うん」と亜子は頷き、微笑んでいた。目元の雫が光り輝いていた。

門を出る前、もう一度振り返り頭を下げた。晴の目がまだ赤くなっているからであろうか、

亜子の姿は霧でもかかったようにぼやけて見えた。でもいつもの笑顔でいるのはわかった。


 職場に戻るなり晴は、周りを見渡した。夏子を探している。

ちょうど来客はなく、机の上で仕事をしていた。まっすぐ夏子の所へ行き、何も言わずメモ用紙を置いた。

『今日仕事終わったら会えませんか?大岩海岸で待っています』と書いたメモ用紙をそっと。

メモ用紙を読んだ夏子は、振り返って小首を傾げていた。

もう迷いは無くなっていた。夏子の返事はどうだかわからないが、問題はそこではない。

とにかく自分の思いを伝えなきゃ。そして一歩、歩き出さなきゃと。

 

大岩海岸につくと、夏子はすでに来ており一人ぽつんと座っているのが見えた。

今日も夕陽はきれいだ。亜希子と重ならないでもないその後ろ姿がとても愛おしくてたまらない。このままずうっと見ていたい、見守っていたい。そんな気もする。

「ごめん、待った」振り向く夏子に、晴は右手を上げ、ぺこっと頭を下げた。

「全然、今来たとこ。今日もきれいだね」いつもと変わらぬ笑顔が嬉しかった。

夏子の横に座り、冷たい缶コーヒーを「はい」と渡す。どうもとニコニコする夏子。

何の用?とも聞かず夏子は、一口飲み微笑みながら遥か遠くの地平線の夕陽を見つめている。

「大岩の頂上まで行こうか?」

「うん。いいね、ひさしぶり~」頂上を指さしている晴に、夏子は、はしゃぐ様に言った。

晴が夏子の手を握り、引っ張っていくように二人は登って行った。笑い声も聞こえる。

そして大岩の頂上に着くと、大きく息を吸って吐いて深呼吸する。さすがに空気もうまい。

木のベンチに二人座って夕陽に目をやる。さっきの海岸より高いところにあるので、夕陽が少し上に昇ったように見える。二人の間に流れる何もない時間が、二人とも好きだった。

「あのさ・・・」晴は缶コーヒーを両手で握ったまま話し始めた。

「ん?」夏子は横に座っている晴のほうに顔を向ける。晴は、はるか地平線を見たままだった。

「俺、改めて言うけど夏子のこと好きだ。だんだん好きになっていく。昨日より今日が好きだし、

明日は今よりもっと好きになっていると思う。けど、亜希子が亡くなってまだ一年立っていない。

だからか、夏子のこと好きなの気づかないようにしてた。でも無理だった。ダメ元で告白した時、承諾してくれて付き合うようになって俺は、うれしくて幸せ過ぎて怖い時もあった。亜希子を忘れている日もいっぱいあった。時々思い出す日もあった。そんな時どうしたらいいかわからなくなっちゃって。亜希子を忘れてはいけない気持ちと、夏子が好きでたまらない気持ちがごちゃごちゃになっちゃって、どうしたらいいかわからなくなっちゃうんだよね」

「・・・・・」

「俺の心の中には亜希子もいる。多分これからもずうっといると思う。でも夏子もいるんだよね、

心の中に。俺、こんなんだから何て言ったらいいかよくわかんないんだけど、夏子ともずうっと一緒にいたいと思う。そんな俺はずるいかもしれない。ずるい男だよね。でもずうっと一緒にいたいんだ。何度も言うけどずうっと一緒にいたいんだ。だからさ、いや、だからっておかしいけど・・・」

少し間をおいてゆっくりと晴は言った。

「俺と結婚してくれないかな。結婚と言うか正式には俺、再婚になるけど俺と一緒になってくれないかな。絶対幸せにするって自信はないけど、俺には、夏子が必要だとわかったんだ。

もちろん、返事は今すぐでなくてもいい。考えてくれればそれでいい」

「私の中にも亜希子はいるよ。多分私の中の亜希子も、これからもずうっといると思うよ」

缶コーヒーを撫でながら、晴から夕陽に目を移し夏子は静かに言った。

「そうか」晴も遠くを見つめている。

「うん。でも城崎さんのプロポーズうれしい。ってかそれプロポーズなの」

晴に目を戻し笑いそうに言った。

「えっ!プロポーズだけど・・・一応」夏子と目が合う。

「幸せにする自信ないけどって晴君らしい。

私ね、この人となら幸せになれるっていうよりもね、この人となら不幸せになってもいい。

と思う人と結婚できたらなと思ってた。で、不幸せになってもいいと思う人と出会えたの」

「えっ・・・」

「じゃ、今、返事するね」

見つめあうようになった二人。夏子は一旦目をそらし、また見つめる。

「・・・」晴のゴクッと唾を飲む音が聞こえたようだ。

「私でよければ、末永くよろしくお願いします」フフフと笑い、大きく頭を下げる。

「マジか!?ほんとに?冗談じゃなくてマジで?マジか?」

想定外の早い展開に驚き、目をぱちくりさせる。結婚は、また別の話だと思っていただけに。

「冗談なんか言えないでしょ。マジって何回言うの。ほんとバカなんだから」

ちょっとほっぺたを膨らませている。

「ありがとう。夏子」晴の目からは、涙腺が決壊したかのように涙がどっと溢れだした。

「晴君となら不幸せになってもいいよ」それを聞き、もう止まらなくなってしまった。

「夏子」唇を震わせやっとの思いで呼ぶ。

「晴君」微笑んでいる夏子の目からも、いくつもの雫が頬をつたって零れ落ちていた。

二人は向き合ったままだ。そしてどちらからともなく顔は近づく。二人の顔の真ん中でオレンジ色に染まった夕陽が笑っている。目を閉じさらに顔は近づき、夕陽を挟むように唇を重ねた。いつもより断然きれいな夕陽のゴールドラインが、キラキラと二人のところへ光り輝きながら祝福するようにすうっと伸びてきた。唇を離し、おでこをくっつけて、二人は目を真っ赤にし、泣きながら笑っている。そして強く抱き締めあった。


「あ!婚約指輪」晴は、またやってしまった。情けない、そんな顔をした。

「いいよ。私いらないよ。結婚指輪だけでいいよ」フフフ。

「でも・・・」亜希子の時もそうだったと思い出し、都合悪くなった晴に夏子が言った。

「亜希子のように雑草でいいかな」フフフ。

「えっ!」びっくりしたが、心の中では『夏子きみって・・・いつか必ず買ってやるよ。そんなに高価なものは買えないけど』と呟いていた。

晴は、白い花を咲かせて目の前に咲いている草花を契り、夏子の薬指にしっかりそして優しく巻いた。夏子も亜希子と同じように、薬指に巻かれた名前も知らない草花を、オレンジ色に染まった空に、高く掲げて微笑んでいた。

「見て、きれい」頬を伝って零れ落ちた涙の跡が、横顔にまだうっすらと残っていた。

そして、二人はまた唇を重ね抱き合った。夕陽も二人を見ているのが何だか照れ臭そうにさらに赤くなって燃えていた。誰もいない大岩の頂上には、二人の笑い声だけが優しく響いていた。


晴はもう言っても大丈夫だろうと「あの~」とじっと夏子の目を見つめて言った。

「朝風亜子さんって知ってるでしょ?」

「えっ!?・・・ん~?」小首を傾げ考える夏子。

「あぁ!前の名字はわからないけど、夏子と高校の時の同級生で友達だったとか。

今でもたまに電話してるとか言ってたっけ。亜子って名前の人。3歳ぐらいの男の子がいてさ」

「あこ?・・・ん~・・・知らないなぁ~」きょとんと首を傾げたまま不思議そうに晴を見る。

「いや、いや、いや、同級生だよ。自分でびっくりさせるから俺からは、まだ言わないでって言われてたんだけど、もういいかなと思って。この前引越して来たんだよね」

夏子をびっくりさせようと思って言ったのだが、知らないって?えっ?何?どういうこと?。

「あこって名前の人、知らないよ。まして3歳ぐらいの男の子がいる人なんて友達にいないよ」

夏子がまだ勘違いしていると思い、晴は口調を強くして続けた。

「あそこの高い塀のある空き家にさ、引越して来たんだけどさ。

俺、何度か配達で行って会ってるんだよね。そう麦茶だって何度もごちそうになってさ」

今度は夏子もわかっただろうと、得意げに晴はじっと見つめ言い、返事を待った。

「晴君、門のある大きな家でしょ。・・・あそこ誰も住んでないよ。私だってわかるよ」

返ってきた思ってもいなかった返事に、耳を疑った。

「誰も住んでないってどういうこと?」

あぁ~やっぱり夏子は、まだどっかの空き家と勘違いしている。この町には空き家が増えたからなぁ~と自分に思い込ませようとしたが、背筋が凍るような感覚がした。

「ずうっと空き家のままだよ。それにやっぱりあこって人、知らないよ」

どうしたのって夏子は覗き込む。

「えっ!えっ!えっ!えぇ~・・・」さらに血の気が引いていくのが自分でもわかった。

「晴君、大丈夫?」夏子は晴の手を握りしめたまま、『晴君!晴君!』と呼び続けていた。

亜子という人は知らない。3歳ぐらいの男の子がいる人なんて友達にいない。

そしてずうっと空き家で、今も誰も住んでいない。

でも俺は、亜子という人に会っていた。空君というかわいい男の子にも会っていた。

亜子に会っていたから夏子にプロポーズできた。何かの間違いだ。きっと何かの間違いだ。

俺は会っていた。何度も朝風亜子という人に会っていた。

もう一度行かなきゃ、朝風亜子に会いに行かなきゃ。次の郵便物が来るまでなんか待っていられない。そしてお礼を言わなきゃ、『ありがとう』って言わなきゃ。

「晴君!晴君!」

夏子は、晴の肩を揺さぶり、何度も叫んでいた。


「夏子、ごめん」と言い、晴は夏子の手をほどき、すうっと立ちそして急に駆け出した。

「待って、晴君」夏子も立ち上がり、すでに小さくなっていく晴の後姿を懸命に追いかけた。

夏子が叫びながら追いかけて来ているのもかまわず、全力疾走で大岩を降り海岸を走る。

何?どういうことだ?何がなんだかまったく理解できない。きっと夏子はまだ勘違いしている。

そう晴は確信するように自分に言い聞かせ、車のアクセルを思いっきり踏み向かった。

朝風亜子の家に。家の前に着くと勢いよく車のドアを開け、門の前まで走って行く。

門の前で立ち止まり、静かに目を閉じた。まだ頭の中はパニック状態である。閉じた目をゆっくり開き、荒い呼吸のまま、門を開いた。そして、一歩足を踏み入れた。

その瞬間、棒立ちのまま身動きできずに固まってしまった。目の前のすさんだ光景を見て。

今まで見たきた光景とは、うって変わってしまっている。声も出ず唖然としてしまった。

広い庭は草がボウボウと生え、パンジーやサフィニアなどが植えられていた鉢は、あっちこっちに転がっている。玄関まで行く道すらまともに歩けない。

空君が乗っていた三輪車は、錆びてしまって草むらの中に放りっぱなしだ。洗濯物を干す物干し竿も、草むらの中に折れたまま転がっている。

家は誰か住んでいる気配はまったく感じられず、窓も曇っていてボロボロのカーテンで閉め切られている。トタン屋根も雨漏りしそうで、茶色になってしまって錆びており、家は見るからに朽ちている。郵便受けには、何年も前らしきチラシなどが溢れんばかりに飛び出している。

ただ麦茶を入れていたポットだけは真新しいまま、三個のコップと一緒に朽ちた縁側にぽつんと置かれていた。

晴はガクッと膝を落とし、両手をつきながらその場に崩れ落ちた。

「えっ!何?嘘だろ・・・」ゆっくりと顔を上げ、声にならない声で呟くように言った。

「もしかして亜子さん、きみは亜希子だったのか?空君ってきみの、そして俺達の子供だったのか?」

震えながら小声で言う晴は嗚咽した。手の甲に冷たいものがどんどん落ちてくる。

顔を上げると、亜子と三輪車を乗っている空君の姿がうっすらと見え、微笑んでいるような気がした。

「よかったね」と亜子が言っているような気がした。

そして亜子と空君は空高く登るように、すうっと消えていったように見えた。

「わぁ~」晴は号泣し叫んでいる。

「晴く~ん」追いかけてきた夏子が、晴の後ろで大きな声で呼んでいた。

汗で額に張り付いた髪を手で拭おうともせず、息を切らし立ち尽くしたまま叫んでいた。

そしてゆっくりと歩いてきた夏子は、崩れ落ちてる晴を後ろから何も言わず力強く抱きしめた。

「夏子・・・俺」晴は両手をついたまま、涙を堪えやっと声にした。

「うん」と言い、さらに力を込めて後ろからギュッと抱きしめた。

「俺、どうかしちゃったのかな?」

「どうもしないと思うよ」

「でも・・・俺」声はまだ震えている。

「亜希子に会ったんだね」強く抱きしめたまま夏子は優しく言った。

「えっ!・・・」晴は一瞬びくっとするが、夏子はさらに優しく小さな声でゆっくりと言った。

「私も何度も会っているよ。夢だけど何度も会っているよ。晴君を頼むわねってね。幸せになってね。幸せにならなきゃだめだよ。だって夏子は、私の一番の親友なんだからねって」

「夏子・・・」また涙が手の甲にぽつぽつと落ちてくる。

「私、亜希子大好き。そして晴君も大好き。二人とも私の大事な人だもの」

抱きしめたまま晴を覗き込み言った。その目は赤く腫れあがっていた。

「夏子・・・」夏子の目から滴り落ちてくるものを見た晴の目からは、さらに涙が溢れ出てきてどうしようもなかった。

晴を後ろから強く抱き締めたまま、二人はその場にどのくらいいたのだろうか。

オレンジ色に染まっていた夕焼け空も、いつのまにか群青色に変わり、辺りはどんよりと薄暗くなり始めていた。

「夏子、ごめんね」

「何で謝るの?謝る必要なんてどこにもないし、それっておかしくない」

涙声で言う夏子は、優しく微笑んでいる。

「わかんないけど、ごめんね」鼻をすすりながら言う晴も、微笑みが戻ってきた。

「ほら、またごめんって言った」

背中に夏子の温もりが感じられる。暖かい。そして和やかな空気が二人をそっと包んでいく。

薄暗くなった空は、さらに濃く青さを増し、もうすぐ夜の闇に変わろうとしている。

蒸し暑かった夜も少しずつ過ごしやすくなり、どこからとなく吹いてくる風も心地よい。

季節はもうすぐ次の季節に移り替わっていくのであろう。

どんなことがあっても季節だけはその時がくれば当たり前のように移り変わっていく。

時の流れだけは立ち止まらないし、ゆっくりでもなく、早くでもなく、いつも同じ流れでたんたんと過ぎていく。いつの時代も変わらず流れてきた時の中で、今俺は、亜希子と出会い、そして夏子とも出会った。確かなのはそれだけだった。これからも時は変わることなく流れていくだろう。その時の中で俺にできること、それは何だ?


「もうすぐお盆も終わるけど、一緒に亜希子の墓参り行こうよ。今年亜希子の初盆だし、

ねぇ行こう」さらにギュッとうずくまったままの晴を強く優しく抱きしめ夏子は言った。

「うん。そうだね」黒ずんでいく空を見つめ、晴は呟くように言った。

そんな二人を、星が一つ二つ三つと優しく包み込むように、晴と夏子の上で輝き始めた。

ゆっくり立ち上がった晴を、しっかり支えながら夏も立ち上がった。

二人で夏の終わりの空を見上げると、流れ星が一つ流れそして消えていった。






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