第4章 思い
第4章 思い
晴は、朝風亜子の家の前にいる。今日は手紙が来ている。差出人の名前はやはりなかった。
「こんにちは」とドキドキしながら門をくぐる。
空君は相変わらず三輪車に乗り、洗濯物を干しているママ、朝風亜子を下から最高の笑顔で見ている。
ごく普通のどこの家庭でもありそうな光景がとても幸せそうで、そしてちょっとだけ羨ましく感じた。
「こんにちは」亜子は洗濯物をパンパンしながらお辞儀をし、いつもの笑顔で言う。
そして縁側に置いてある麦茶をコップに入れ、どうぞと差し出す。
「いつも、すいません」と深く頭を下げ、ゴクッとまた一気に飲み干した。
危うく手紙を渡すのを忘れそうになり、あぁ~ってヘルメットの上から頭を叩き、どうぞと手渡した。
「今日も暑いですね。もう一杯飲みます?」返事を聞く前にまたコップに注いでいる。
「あっ、すいません」何度も申し訳なさそうに頭を下げたにもかかわらず、また一気に飲み干してしまった。
普通ならすぐ次の配達に戻るのだが、何か言ったほうがいいのか?それとも彼女から何か言ってくるのを待ったほうがいいのか?どうしたらいいのか晴はチラッと亜子を見た。
すると微笑みながら亜子は言った。
「じゃ今度、夏子を映画に誘ってあげてね」
「えっ!映画!?何で?」びっくりしてどこから声がでたのかわからなかった。
「夏子、観たい映画あるって言ってたなぁ~『愛と青春の旅だち』もうすぐ公開なるでしょ」
「言ってたって?えっ!えっ!・・・夏子が?」
もっとしっかりしてよと言うように亜子は続けた。
「この間電話で言ってたよ。でも絶対夏子には言わないでよ。約束だから!ねぇ!」
睨むように言った。
「無理!無理!それってデートじゃないか!無理!無理!無理!」
晴は首をぶるぶる横に振った。
「いいの?!じゃ、城崎さんの秘密ばらしちゃおうかなぁ~」
フンと亜子はまた睨むように言った。
「えっ!秘密?そんなのないよ」蛇に睨まれたカエルのように晴はボソッと言った。
「城崎さんの押し入れの中!・・・エッチなDⅤDと本、エロ本ね。いっぱいじゃん。
そりゃ男の人は大抵持っているとは思うけど、ちょっと多すぎない?
押し入れを開けるとドサドサと落ちてきそうだもんね。今でも結構たまにこっそりと観てるんじゃない?夏子に言ったらひくかなぁ~
さらに健三さんに伝わったら広まっちゃうかなぁ~」じろっと亜子は覗き込む。
「えっ!えぇ~ちょ、ちょっと待ってくれ。何で?何で?押し入れの中って?何で!何で!」
晴は顔を真っ赤にして、両手を広げ待ったというように亜子に向けた。
「じゃ、映画いいよね。前売り券買ってきちんと誘うんだよ。そのあとは自由にしていいけど」フフフ。
「はぁ~何か恥ずかしいなぁ~。そういうの苦手なんだよなぁ~」肩を落としてる晴に
「だからそれを克服しないとダメなんだよ。メモ用紙にでも書いて渡せばいんじゃない?」
わかったか!というように晴の前に立ち、腕組みをし亜子は言った。
なぜ朝風亜子さんに言われると断れないのか?なぜ押し入れの中まで知っているのか?
押し入れの中を知っていようがいまいがそれはどうでもよいことだ。
いや、どうでもよくはない。
それが弱みというわけではないが、なぜ亜子さんの言うことを断れないのか?
気が付いてみると、晴は『愛と青春の旅だち』のチケットを2枚買っていた。
次の日、仕事が終わり「お疲れさまでした。お先に失礼します」と夏子は帰ろうとしていた。
「あの~」と晴は、出口を出たところで夏子に追いついた。回りに誰もいないのを確認して
「あの~もしよかったら・・・」言葉が続かず、一瞬間が開いたが封筒を手渡し、回れ右をして仕事に戻った。
もしも近くに誰かいたら明日にしようと思っていただけに、誰もいなくてほっとした。
特に健三がいたなら、こりゃぁ大変なことになる。これだけは気をつけなきゃと思っていた。
ほっとしたと同時に、首筋から冷や汗がどっと流れてくるのがわかった。
はぁ~と深い溜息をついた。
俺にしては、何たる勇気ある行動か!?
でも半分は自分の体でないような不思議な感覚だとも思っていた。
小首をかしげながら夏子は封筒を開いた。「わっ!」と思わず声をあげてしまった。
『愛と青春の旅だち』のチケット一枚とメモ用紙が入っていた。
メモ用紙には『もしよかったら一緒に映画でも行きませんか?』と晴のわりにはとても丁寧に書かれていた。
職場の中へ戻ろうかと思ったがやめといた。自然と顔がほころんでくるのがわかる。
空を見上げ、雲でも掴むかのように両手を思いっきり伸ばし、ゆっくりと深呼吸をしてフフフと笑いスキップでもしているかのように軽やかに職場を後にして帰って行った。
その夜、夏子はチケットを見つめながら亜希子のことを思っていた。
とっても嬉しくてはしゃいでしまったけど、一人になって落ち着くといろんなことを考えてしまった。
これってデートになるのかな?
デートになるんだったらどうしよう。行っていいのかな?
映画は前から観たいと思っていたけど、行っていいのかな?
城崎さんは何で誘ったのかな?
ただのお友達として誘ったのか?
それとも・・・まさかそれ以上の気持ちはないよね。
晴君のことは好きだ。ずうっと前から好きだった。
でも私の秘密を知ったらきっと晴君は・・・。
晴君は、私の目の前から消えてしまう。
それが怖くて怖くてどうしようもなく、気持ちを言い出せずにいた。
だから、亜希子を紹介し晴君には幸せになってほしかった。
亜希子は、少し私の気持ちに気づいていたかもしれないが、私は、それはないな。
とはっきり言っていた。けど心がこうも揺れるのは何で?
揺れれば揺れるほど大きくなっていく。
それも、今、亜希子がいない、亜希子がいない今になってさらに大きくなっていく。
亜希子、私・・・亜希子に嘘ついていた。
亜希子、ほんとにごめん。
私、晴君のことが好きだった。
私って。最低の友達だよね。
今更、許してなんて言えないけど、ほんとごめんなさい。
頬を伝わって落ちてくる涙が止まらない。ボロボロ落ちてくる。
亜希子、どうしたらいいんだろ?
行っていいのかな?それともゴメンと嘘ついて断ったほうがいいのかな?
やっぱり亜希子に悪い気がするよ。手にはチケットを持ったまま、亜希子と二人ピースをして写っている写真立てをずうっと見ていた。涙で滲んではっきり見えないけど、亜希子の笑顔はよくわかる。かわいい笑顔は、楽しそうにいつまでも笑っている。
布団に入っても中々眠ることができず、外がうっすらと明るくなって来た頃、ようやく眠りについた。
けど、いつもの時間にぱっと目が覚めた。
いや、いつもよりぱっと起きられた。それも清々しく爽やかに。
「夏子、私も謝らなけばいけないと思ってた。ごめん。
夏子が晴君のこと好きなのは知ってた。『それはないな』と言った夏子は妙におかしかったから。
でも私も、晴君のこと少しずつ好きになっちゃったんだよね。
夏子の気持ちに気づきながらも、気づかないふりをして好きになっちゃったんだよね。
ほんとにごめんなさい。
結婚した時、夏子はほんとに祝福してくれた。
うれしくてうれしくて、誰の祝福よりもうれしかった。
私は、夏子のおかげでとても幸せでした。
素敵な友達をもってとても幸せでした。
ありがとう、夏子。
だから今度は、夏子が幸せにならなきゃね。
夏子なら必ず幸せになれるよ。
夏子の秘密だって、晴君はきっとわかってくれる。
秘密がわかったからといって夏子の前から消えるなんて、そんなの晴君らしくないでしょ。
そんな晴君を知っているのは、夏子と私だけなんだから。
夏子、友達になってくれてありがとう。
だから行ってきて。
お願い、一緒に行ってきて。
亜希子が、夏子に『お願い、一緒に行ってきて』と今にも泣きそうな顔で頭を下げていた。
夢のようで夢でない夢、はっとして目覚めた瞬間、夏子は亜希子と呟いていた。
二人で写っている写真立てを見て、
「じゃ、行ってくるね」と言うと
亜希子が『うん』と大きく頷いて微笑みを浮かべているかのように見えた。
晴もまたその日眠れなかった。
夏子とは二人っきりで夕陽とかは見たことはあるけど、デート?映画とかは初めてだったから。
いや、その前にまだいいよって返事ももらってないけど、眠れるわけがなかった。
返事がいいのかどうかが問題ではなく、映画に誘ってしまったことが問題だったのだ。
晴もまた、亜希子と二人で写っている写真立てを見て『いいんだろうか、亜希子』って呟いていた。もし断られたら、それはそれでよしだけど、いいよってなった場合の時だ。
夏子が嫌いということではないけど、まだ後ろめたさに似たようなものが心の中にはある。
亜希子がいなくなってからまだ1年立っていない。
その1年というのがどうなのかはわからない。
短すぎるのか?1年たったらいいのか?
それとも五年、10年、20年だったらいいのかどうか?
映画を観るだけのことだけど、とてつもない大きな決断・勇気がいるように感じられる。
なぜすんなりと亜子さんの言うとおりにしてしまうのか。考えればそれが一番不思議だ。
彼女の前では、子犬の様におとなしくなってしまう。断るという選択肢がないのである。
晴は、何を考えているのか?何を考えようとしているのか?
それすらわからなくなってしまった。
サイドボードの上に置かれた亜希子と二人写っている写真立ての中で、相変わらず亜希子は優しく微笑んでいた。
「今日の夕陽きれいかな?」
「多分きれいになるんじゃない」
海岸通りをドライブしていた二人は、目の前に広がる雲一つない真っ青な空を見つめながら、
幸せそうに笑顔を浮かべていた。
「私とどっちがきれいかな?」
運転している晴の横顔を見つめ、いたずらっぽく笑い言った。
「ん~どっちだろ。むずかしいなぁ~」
「えぇ~何で?」
頬を膨らませ拗ねるように言う亜希子が、とても無邪気でかわいいと晴は思った。
「じゃ、引き分けってことでどう?」
これは名回答だと誇らしげに、今にも吹き出しそうなのを堪えて隣の亜希子を見つめる。
「えぇ~」
さらに頬を膨らませる夏子に
「好きだよ」
まっすぐ前を見てハンドルを握りながら晴は、小さな声で言った。
「私も好き」
隣の夏子も、目の前に広がる夏の空をまっすぐ見つめながら、小さな声で言った。
「じゃ、大岩海岸に寄って行こうか?」
「うん。行こう。行こう」
大岩海岸に静かに同じ感覚で打ち寄せる、波の音を聞きながら二人は海辺に座っていた。
次第に太陽も傾き、少しずつ真っ青な空もオレンジ色に染まっていく。
小さな小石をぽちゃんと海に投げ入れながら、晴は言った。
「亜希子と出会えてよかった。まぁ、夏子のおかげだけど」
「私も晴君と出会えてよかったよ。夏子に感謝しないとね」
「あぁ~そうだね」
「でも、夏子も晴君のこと好きなんじゃない?」
亜希子も、目の前の小石を拾い、静かに打ち寄せる波に向かって投げた。
「えっ、まさか、それはないんじゃない」
「ん~そうかな?」
水平線を見つめたまま、小石を力いっぱいできるだけ遠くへ投げた。
「大岩の頂上まで登ってみる?」
「うん。行こうか」
言うより早く亜希子は立ち上がり、背伸びをした。
日曜日ということもあって、大岩の頂上には何組かのカップルがいた。
「わぁ~気持ちいいねぇ」
「最高!」晴は、両手を広げ叫んだ。
段々とオレンジ色も濃くなり、太陽もまもなく海の向こうに沈んでいこうとする。
生暖かい風も気持ちよく、体をすり抜けるように通り過ぎていく。
ベンチに腰掛け、二人は夕陽を浴び目を閉じていた。閉じた目の奥には、二人の未来が夕陽のようにキラキラとこれでもかと輝いているかのようだった。
気が付くと、夕陽も地平線に沈みかけ、周りにいた何組かのカップルはいなくなっていた。
「あ、写真撮ろう」
持ってきたデジカメをあわてて取り出し亜希子に言った。
「うん。いいね」
どこかデジカメを置くところがないか周りを見渡し、「あ!」と言い晴は走って行った。
デジカメのタイマーをセットし、
「じゃ、いくよ。10秒だからね」とシャッターを押し亜希子の隣に座った。
いろんな角度から撮り、それを見ては、ん~とか、いいね、とか笑い合っていた。
二人くっついて夕陽を見つめている後姿は、オレンジ色のおかげで素敵なシルエットとして映っていて、これはこれでとても素敵な写真に見えて、おぉ~って二人見つめ合った。
二人の顔は見えないけど、晴の肩に頭をちょこんと寄せている亜希子。幸せが感じられる一枚。。
夕陽を前面に浴び、オレンジ色に染まった二人のツーショットは、これまた美しくさえあった。
二人で万歳でもするように両手を広げ、笑っている写真。
また、一緒にジャンプしながら、うまく撮れずもう1回もう1回と撮った写真も。
亜希子一人だけの、笑顔も何枚も撮った。横顔もかわいい。下から見上げるように撮った写真もかわいい。何もかもかわいい。かわいすぎて何枚も撮った。
晴君も撮ってあげると言い、変な顔をしている晴の写真を見ながら腹の底から二人笑っていた。
その中の一枚。最高の笑顔の一枚が晴の部屋のサイドボードには飾られている。
一緒に夕陽も映るようにして、二人ピースサインをしている。
結構なドアップだ。今にも写真の中から笑い声が聞こえてきそうだ。
その一枚がサイドボードの上に飾られている。
気が付いてみると窓の外はうっすらと明るくなり始めた。新しい一日がもう生まれたのだ。
ちょっとだけ眠れたような眠れないような。
サイドボードの上に置かれた写真立てを手に取り微笑み、部屋から出て行った。
いつものようにトースト一枚とコーヒーの軽い朝食をとり晴は仕事に向かった。
いつもと違うのは、心臓が大きくドキドキしながら音を立てていることだった。
普段と変わりなく同じようにしなくては、という焦る気持ちがかえって晴の心拍数をあげる。
「おはようございます」夏子はいつもの明るい声で職場に入ってきた。
「おはよう夏子さん」心臓がドックンドックンしてても、噛まずに何とか言えた晴は安堵の溜息をついた。
「うん。おはよう城崎さん」ぺこっと頭を下げ、ニコッとする夏子。
晴は二度目の安堵の溜息をついた。
仕事の帰り際、夏子はちょこちょこっとやって来て、晴の机の上にメモ用紙を置いて
「お先に失礼します」と言って職場を出て言った。
健三にちらっと見られたが、気にしていないようだった。気にしているのは晴だけだった。
二つに畳まれたメモ用紙をおそるおそる開くと
『リチャード・ギア大好き。楽しみにしてま~す』
と女の子らしい丸みがかった文字で書かれていた。いつも見る夏子の文字だけど踊っているように見えた。今日、何度目かの安堵の溜息をついた。
こういう展開は、予想もしてなかったけど顔が勝手に、にやついてくるのがわかる。
そして、もしかして俺は、夏子のこと好きなのか?でもそれは、ありえない。
亜希子のことが忘れられないのは確かだ。まして亜希子が亡くなってまだ1年立たないというのに。誰かを好きになるなんて、そんなのできるはずもない。
でも何だかウキウキするようなこの気持ちは何なんだ。いや、ダメだ!
浮かれていてはダメだ。ただの友達だ。それ以上の感情はない。持ってはいけない。
亜子と言う不思議な彼女に言われて。、ただ夏子と仲良くしているだけだ。
好きとかそういう気持ちになるなんて、とんでもないことだ。
ただの仲の良い友達だ。それに夏子には付き合っている人がいる。
そうだ。夏子には付き合っている人がいるのだ。
だから変な感情を持ってはいけない。友達、仲の良い同僚でもある友達で十分なのだ。
「晴、どうした?何かあった?」
帰り支度をしていた健三が、遠くから言った。
「いや、別に」
「そっか、じゃお先に帰るわ。お疲れさん」
片手をあげ健三は出て行く。
「お疲れさん。じゃ、明日またなぁ」晴も片手を上げ言った。
いつかは健三にも話さなきゃと思いながらも、まだ言っちゃダメだとも思ってた。
亜子とのこと、そして夏子とのことも。
仕事を終えた帰り道、晴はちょっと遠回りをし、朝風亜子の家の前で車を止めた。
塀のおかげで中の様子が見えないのがわかっているのに、なぜかほっとした。
でも気になって仕方ないような複雑な思いも交差する。やはり気になる。
でも仕事でもないのに家に来るなんてとんでもないことだ。
仲のいい知り合いでもないのに、もし見られたらそれこそ大変だ。
けど入っていく勇気はまったくといってないから、そこは大丈夫だった。
それに今の時間は夕飯の支度もあるだろうし、また旦那も帰って来ているかもしれないとも思った。別に旦那がいても、やましいことは何もないんだけど。
偶然、外に出てきてくれたらと、かすかに変な期待もしていた。
そんな変な期待も起こることもなく、晴はその場から離れていった
あれから亜子に郵便物は来ていない。映画に誘ったらと言われたあの日から。
だから、今度映画に行くことになりました。と報告はしたほうがいいかなと。
報告というのも堅ぐるしいけど、報告になるだろうなと思っていた。
さらに、『亜子さんのおかげで』と付け加えたほうもいいかなとも。
ゆっくり走りだし、ルームミラーを見る。
そう言えば、家の灯りが付いていないような。今の時間帯だと大抵の家は灯りが付いている。
いくら大きな塀でも灯りが付いていればわかるはずだ。
そうか、今日は留守だったんだ。家族みんなで食事にでも出かけたのだろう。
晴は、またいつか郵便物は来るだろうとルームミラーから目を外した。
晴は時間通りに夏子の家の前に着いた。そう今日は二人で映画を観に出掛ける日だ。
初めてのデートのようでデートでないデート。けど、そわそわしないわけがない。
「おはよう」
「城崎さん、おはようございます。ってもういい時間だけど」
と助手席のドアを開け、座り込みながら笑ってた。
今日も夏らしいいい天気だ。天気がいいだけで自然とテンションも上がる。
助手席の夏子は、白地に花柄のワンピースがとても似合っていた。
始めてみる夏子のスカート姿に、ドキっとしたのを感づかれないように咳払いをしてしまった。
けど、ばれたのか
「どう?私じゃないみたいでしょ」
ちょっぴり恥ずかしそうにする夏子に
「いや、かわいい。似合ってる」本心で言った。
「かわいいなんて、恥ずかしい。私だってたまにはこういう恰好するわよ」
「俺はいつも、Tシャツにジーンズだけど」
「晴君は、それが一番似合っててかっこいいよ」
「おい、それどういう意味だよ」
「意味も何にもないよ、そのまんまかっこいいってことでしょ」
クスクス笑う夏子からは、爽やかなシャンプーの香りがしてきた。
途中で、知り合いでもある『漁師のおやつショップで』潮騒ソフトクリームを2つ買った。
「晴君久しぶり。おっ!今日はデートかな?」とおばさんに言われたけど
「そんなんじゃないっす」と晴は即答で答えていた。
晴が照れているのが、おばさんには見え見えのようで、
「まあ、まあ、まあ、途中で食べてって」
と笑いながらたこ焼き1パックサービスしてくれた。
「すみません。ありがとうございます」
と何度もペコペコ頭を下げる晴。おばさんはいいえと笑っている。
車の中での二人っきりというのは、どこかやはり違う。
意識しすぎなのはわかっているが、普段通り普段通りと思えばこそ逆に意識してしまう。
普段あまりぺらぺら喋らない晴は、何かおもしろいことを言わなくてはと必死だった。
それが変に伝わってしまうのだろう。夏子はいつもと違う晴を助手席から、ちらちらと見ながら必死で笑いを堪えていたが、我慢できずにフフフと笑ってしまった。
まだちょっと緊張している晴に向かって
「ソフトクリームおいしいね」とさらに笑う。
うんと静かに頷く晴、そしてソフトクリームを口いっぱいに入れた。
夏子も隣で、ほんとにおいしそうに目を細めて幸せって顔で食べていた。
「あぁ~おいしかった」ってソフトクリームを食べ終わると、
「たこ焼き食べようか」と言い、爪楊枝を刺して運転している晴に、「あ~んして」と言う。
「いいよ。子供じゃないんだから」
「子供でもいんじゃない。運転してるんだから前見てないと。ねぇ」
「遠慮しない、遠慮しない。誰も見てないし。はい、あ~んして」
とたこ焼きを目の前にちらつかせるように見せる。
晴は気が付いてみると、大きく口を開けていた。そこへひとつ放り込んだ夏子は楽しそうだった。
ふふふと笑いながら、夏子も自分の口にひとつ放り込んだ。
「ん~たこ焼きもおいしいぃ~」
ほんとにおいしそうに食べるなぁと晴は感心していた。
たこ焼きも、あっち行ったりこっち来たりしているうちに無くなってしまった。
「何か、お腹いっぱいなっちゃったね」
「夏子ってほんとにおいしそうに食べるね」
「だっておいしいんだもん」
「いっぱい食べる子、俺嫌いじゃないよ」
言ってしまってから、あっ!と思ったけど遅かった。
「じゃ、いっぱい食べる私のこと嫌いじゃないってことは・・・好きってこと?」
見上げるように見つめているのがわかり、晴は硬直したまま、まっすぐ前を見て運転していた。
そして、焦るように言った。
「えっ、いや、あの~いっぱい食べる子は健康的でよろしい」
「答えになってないけど、まぁいいか」それ以上突っ込んでこなくていつもの夏子でよかった。
「私、食べる方だよ。だからダイエット始めてもすぐ辞めちゃうし」
「ダイエットなんかしなくてもいんじゃない。全然太ってもいないし」
「やだ。私、結構肉ついてるよ。女の子にダイエットは付き物なの」
「俺は、今の夏子のままでいいと思うけどなぁ~」
ヤバい。またいらないこと言ってしまった。
「えっ、うれしい。でも・・・変なこと考えてんでしょ」
「あ、いや、いや、・・・全然そんなこと考えてないです。ないです」2回も言ってしまった。
「冗談、冗談」ハハハと笑う夏子。
つられて晴も大笑いしてしまった。
緊張が漂っていた二人っきりの空間だったが、いつの間にか楽しい空間に変わり、笑い声は絶えることなく続いていた。
『愛と青春の旅だち』もラストシーンを迎え、そして主題歌が流れだした。
夏子と映画を観たのは2回目だった。
けどその時は、隣に亜希子がいた。亜希子の隣には夏子がいた。
今、隣にいるのは夏子だけだ。あの時のようなドキドキ感はまったく感じなかった。
ちらちらと隣が気にならなかったわけではないけど、割と映画に集中できた。
キャストやスタッフの名前が、スクリーンに映し出され上に消えていく。
隣を見ると、夏子は大粒の涙を浮かべていた。まだ暗いのに、それははっきりと晴には見えた。
悲しみの涙ではなく、うれし涙だろう。晴も感動し泣きそうになったぐらいだ。
夏子の目から零れ落ちてくる雫を見て、さらに鳥肌が全身を襲ったのだ。
そしてどうしても自分の人生と重ねてしまう晴は、あんな風にかっこよく生きられたらとつくづく思った。俺は不甲斐ないなぁ~とも。
まだ涙が止まらない夏子を見る。付き合っていたら手でも握ってやれるのに、俺たちはそんな関係でもないしとも思った。映画が終わり場内の灯りが付き始めると、夏子は慌てて涙を拭う。
「よかったね」夏子は涙声で晴を見つめて言った。
「うん」晴は夏子にどんな言葉をかけたらいいのかわからず「よかった」とだけ続けて言った。
「行こうか」と晴は立ち上がると
「手でも握りなさい。何やってんの」と、どこからかそんな声が聞こえてきた。
すると勝手に左手が動き、まだ余韻に浸っている夏子のほうへ向けられていた。
一瞬きょとんとしながらも、夏子は晴の左手をしっかり掴んで立ち上がった。
夏子の手は柔らかく暖かくそして小さかった。
自分の行動にびっくりした晴は、思わず「あっ!」と声を出してしまいそうになり、やっとの思いで飲み込んだ。まだ夏子のぬくもりが左手に残っていた。
「リチャード・ギア、かっこいい~。あぁ~、あんな恋してみた~い」
帰りの車の中で夏子は、先ほどとはうって変わってキャッキャッはしゃぎながら言った。
「恋してるだろ?」晴は夏子をちらっと見て言った。どこか嫌味っぽく言った自分が急に情けなくなった。
「ん~・・・」夏子はどこか違うかもというよう、に窓の外に目をやった。
「何それ?付き合っている人いるって言ってたじゃん」
またちらっと見る。あぁ~また言ってしまった。
「ん~・・・」夏子は窓の外を見つめたままだ。
「また映画行こう?・・・ダメかな?」
助手席の窓からは、青く澄み切った空と深い緑の山しか見えない。
どこを見ているのかわからない夏子は、ぽつりと言った。
「でも・・・彼氏が」と言いかけた言葉をまた飲み込んだ。
もう彼氏のことは聞かないでおこうと思った。
なぜなら、少し前から夏子に恋心に似た感情が芽生え始めていたのを確信したからである。。
晴はやっと気づいたのである。まさかと思いながらも、少しずつ夏子が気になる。
一緒にいると楽しいと。俺はやっぱり夏子が好きになってしまったのかもしれないと。
好きという感情は、どうすることもできない。そう思えば思うほど強くなっていく。
「うん。俺は別にいいけど」愛想のない返事をすると、夏子は振り返り目をぱちくりさせた。
「いいけどって・・まぁいいか」
夏子は微笑みながらまた窓の外に目をやり、どことなく遠くを見つめていた。
人は空を見上げる癖がある。
楽しい時、悲しい時、嬉しい時、辛い時、わからない時。空を見上げる癖がある。
今の夏子はどんなことを思い、空を見上げているのだろう?
「焼き肉とラーメンどっちがいい?」
「焼き肉!」夏子は間髪入れずに、はい!と返事をするようにすかさず右手を挙げた。
「だなぁ~」と晴は予想通りの返事に、了解しましたと大きく頷いた。
子供のように無邪気で楽しそうに、そしておいしそうに肉を頬張る姿は、見ているこっちも楽しくなる。
「これ、もう焼けたよ」と言い、晴の小皿に入れる仕草は家庭的だなとも思う。
晴もまた、夏子の小皿に肉を入れてやると
「えぇ~こんなに食べれないよ」と言いいつつも、おいしそうに全部食べてくれる。
遠慮せずにいっぱい食べる子が、晴は好きだ。食べっぷりのいい女の子が好きだ。
変に気を使い、遠慮しているよりどんなによいか。おかげでちょっと太ってしまったとしても全く問題ない。どちらかというと痩せているよりぽちゃっとしているほうが好きかなとも思ってる。
楽しい、こんな楽しい食事もいつ以来か?晴の顔がほころんでいった。
「城崎さん、ビール飲めなくて残念だね」申し訳なさそうに夏子が言った。
「全然、俺普段飲まないし、付き合いでは飲むけど、あまり飲めないんだよね」
「そうなの?私もあんまり飲めないなぁ~多分。ちょっと口にするともう酔っぱらっちゃうし」
「へぇ~そういえば、会社の忘年会や新年会で飲んでるのあまり見たことないなぁ~」
「乾杯ぐらいで、あとはちょっと舐めてるだけかな。気分悪くなっちゃう」
「そうなんだ」
「でも一度、城崎さんとならどこまで飲めるか、挑戦してみたい気もする」
「おぉ~俺も夏子がどうなるか見てみたい」
ヤバい!ヤバい!ヤバい!またまた変なこと言ってしまった。
「じゃ、今度飲みに行こうか。その時は介抱よろしくね」
「あっ!あぁ~」
「でも、変なことしないでよね。純真な乙女には」夏子の目は笑っている。
「えっ!だ、だ、だ、大丈夫。理性は、ばっちり保てる方だから」顔は引きつっている。
「それって私に魅力ないってこと?」
「いや、いや、そんなんじゃないっす」いつもは使わない言葉が出てしまった。
「城崎さんだと・・・だったら・・・フフフ」
「何」
「何でもない。はぁ~食べたね」と夏子は満面の笑顔で言った。
「映画もよかったし、焼き肉もおいしかったね。じゃ、今度私がごちそうするね」
と車を降り、ドアを開けたまま顔をくしゃくしゃにした笑顔で言った。
そう言う夏子の顔を見ていると笑ってしまいそうだ。
「別にいいよ。誘ったのは俺だし。じゃ、また明日仕事で」と右手で小さく手を振る。
「よくない。・・・じゃ、また明日ね」手を振る夏子に、晴は『おっ!』と微笑み返した。
その夜、晴は明け方までまた眠れなかった。理由はわかっている。
夏子のことだ。今日が楽しかったからだけではない。
夏子のことを前より好きになってしまったのだ。
いや、好きだという気持ちを認めたくなかったのかも。亜希子に悪い。亜希子に悪いと。
この気持ちのまま、また夏子と会ってもいいのだろうか?夏子に悪い。夏子に悪いと。
そして映画が終わって、手を差し伸べたのには自分でもびっくりしたなぁと左手を見つめていた。
夏子とは、職場が同じこともあるけど何年一緒にいるんだろうか?
晴は、指を折って数え五年?になろうとしているのかと、改めて月日の流れの速さに驚いた。
明日はまた夏子と職場で会う。夏子は普段通りにしてくれるだろう。
どうしたらいいのか普段通りにできないのは自分かもな、と晴は溜息をついた。
窓に目をやると、カーテン越しでもわかるように外はうっすらと明るくなってきて、
また新しい1日が生まれ、そして始まっていた。