《冥府の王》の試練が始まるようです。
家から出てきたロウを待っていたのは長老だった。
村で一番長く生きている彼は、その知識を後世に伝える役割を担っている。
村の纏め役から外れて数十年経つが、それでも何かあれば皆彼に相談に行く。
平均寿命が40歳前後のこの村で86歳まで生きているというのだから凄まじい。
ちなみにルウは長老の子孫に当たるが、ややこしいので誰も間を覚えていないのが現状である。
「ロウよ。お前が連れてきた娘じゃが…」
「《龍王》様のお許しを得ても駄目か?」
「阿呆、そこは皆認めとる。《龍王》様が良しと言うておるのに文句なぞ付ける者はおらん」
「じゃあ何だ」
「嫁にするつもりで連れてきたのかと思うてな」
そう言って長老は白く長い髭を撫でながらニヤリと笑った。
皆ロウが誰を選ぶのか楽しみに、というか、早く子を作って安心させて欲しいのだ。
ロウの子はきっと村を引っ張っていく存在になるだろうと、誰もが思っていた。
「…あのな、長老。そういうのはお互いの気持ちってのがあるだろ?」
「いいか、ロウ。村一番のお前がそう遠慮しとったら他の男衆に示しが付かん。今までは大目に見とったがもう許さんぞ」
「わ、分かった、分かったから」
「言うたな?なら最低でも2人は嫁を取れ。本当なら5人でも10人でもと言いたいところだが…それは嫌なんじゃろ?」
「嫌というか、まあ……うん、ありがとう、長老」
満足気に頷くと長老はロウの肩に手を回し小声で聞いた。
「勿論ウチのルウが一番目じゃろ?」
「え、いや…」
「…一番目じゃろ?はいと言え、はいと」
「は、はい…そうです…」
「よーし皆の者!ロウがウチのルウと夫婦となる事を了承したぞ!」
長老の言葉に盛り上がる村人達。
ルウがロウの事を好きなのは皆とっくに知っていた。だから皆で見守っていたのだ。
なのにロウときたら曖昧に誤魔化し続け今日という今日まで先延ばしにしてきた。
二人が夫婦となることに文句を言う者は誰もいなかった。
「……ルウの了承はとったのか?」
「当たり前じゃ。後はお前さんがうんと言えば済む話を何年ものらりくらりと…」
「わ、悪かったって…」
「ま、これでいつワシが冥府へ行っても大丈夫じゃな」
『さっきからうるせえぞジジイ!何の騒ぎだ!?』
家の中から罵声。外が騒がしくなっているのに気付いたのか、ルウが中から出てきた。
そんなルウの姿を見るなり一気に静かになる村人達。
全員の目はロウとルウへと向いていた。
「な、なんだよお前ら、一気に静かになって…」
「あ、あー…ルウ?」
「どうした改まって。女以外に何か見つけてたのか?」
「……ルウ、俺と夫婦になってくれ」
「何だ、そのことか。勿論いいぞ。…おい、なんだよお前らその顔は。ほら、散った散った!」
手に魔力を込め始めたルウを見て、村人達はちょっと残念そうにそれぞれの家へと戻っていった。
本当は皆、普段男みたいな言動のルウが顔を真っ赤にして照れる姿を見たかったのだ。
そんな姿を若干期待していたロウも、少し困惑していた。
「え、あれ…こういうのってもっと…こう…」
「後四年早く言ってくれれば泣いて喜んだだろうな。ったく、待たせやがって」
「あー………悪い」
「悪いと思ってるんなら行動で示して貰おうか?…まあいい、ちょっと来い」
そう言うとロウの腕を引っ張って家の中へと連れ込む。
細身にも関わらずロウが思わずよろめくほどの力を出せるのは、魔力のお陰なのだろうか。
「な、なんだよ…」
「や、さっきの騒ぎで起きたってのを知らせようと思ってな」
ルウが指で示した先には、ロウが連れてきた少女。
目を覚ましたばかりだからか、まだ自分の身に何が起きていたのか分かっていない様子だった。
「…えっと…あの、ここは何処でしょうか?」
「『龍王の森』だ。身体に怪我は無かったが…大丈夫か?」
「ええ、お陰様で…あの、私はどうしてここへ?」
「『使い魔』とやらに襲われてたアンタをコイツ…ロウが助けたんだよ」
「そうでしたか…ありがとうございます」
「…別に、大したことじゃないさ」
「照れんなって。…あ、オレはルウ。ルウ・エルアフォルン。こっちがロウ。ロウ・グランフォレンだ」
「ルウ様にロウ様、ですね?…私は、シェオル・ネテルウォルドと申します。この度は助けていただき、誠に…」
「ああいいっていいって、そんなに畏まらなくても。こっちも必要だったから助けたんだ。なあ?」
ルウが深々とお辞儀をしようとするシェオルを止め、顔を上げるように促す。
ロウが恩を着せようと思って助けたわけじゃないのは分かっていた。
このお人好しは困っていれば誰にだって手を差し伸べるのだ。
「え?いや俺はただ、見捨てるわけにもいかなかったから…」
「お前なぁ…。いや、オレはお前のそういうところは好きなんだけどな?」
「…分かりました。私に出来ることなら何でも致します」
「よーし決定。シェオルには今後オレのところで魔術を学んで貰うぞ」
「おい、まさか」
「診てて分かった。シェオルには魔術の才能がある。それもオレより遥かに凄い才能が」
「だからってなぁ…」
基本的に、魔術は体内に取り込める魔素の量と精神力で決まる。
精神力は修行でどうにかなるとしても、魔素を取り込む量に関しては生まれ持った体質頼みだった。
生まれ持った器に対して魔素が極端に多過ぎれば魔物になってしまうし、少なければ魔術は使えない。
それが村一番の才能の持ち主であるルウより上だというなら使わない手はない。
将来、森の外に出るに当たって魔術の力は必要不可欠だ。
などと、そんなことを考えてやや浮かれていたルウを尻目に、聞きそびれていた事を聞く。
「……ところでシェオルは…何で森にいたんだ?危ない獣もいるのに」
『龍王の森』は《龍王:グラン》の管理によって基本的に平和ではあるものの、獣も多い。
縄張り争いのような不必要な争いこそないが、生きるための喰らい合いは存在しているのだ。
1人で森に出られるのはそれこそロウくらいだろう。
「それは………その、私は……捨てられたんです」
「捨てられた?」
「お父様が…私が役に立たないから、と…」
「かーっ!なんて酷えオヤジなんだ!会ったら顔面ぶっ飛ばしてやろうぜ、ロウ!」
「同感だ。自分の娘を捨てるような奴、親失格だ」
「それで、気がついたら森にいて……そうしたら……あの黒い……黒……うあああああああああああっ!?」
「お、落ち着け!暴れるな!……おいロウ!手伝え!」
『使い魔』の事を思い出してしまったのか、真っ青な顔で取り乱すシェオルを慌てて抑える。
『使い魔』を直視するということは、生命が感じるありとあらゆる恐怖を受けることと同じだ。
そんな下手をすれば発狂しかねない《恐怖》を浴びてしまっているのだからシェオルの反応も無理はない。
ルウは意外そうだったが、直視して耐えられてしまうロウが常軌を逸しているのだ。
結局、シェオルが落ち着くまでには数分間を要した。
「…大丈夫か?」
「はっ…はいっ…だ、大丈夫…大丈夫です……すみません、ルウ様。ロウ様にも、ご迷惑をおかけして…」
「オレの事はルウでいい。……アレだ、昔の事なんか思い出さなくていい。今日からシェオルはオレ達の家族だ」
「俺の事もロウでいいよ。これから村の一員としてやっていくんだからそう畏まられちゃこっちが困る」
「…ありがとうございます、ルウさん、ロウさん…でも……」
シェオルの表情が暗くなる。
「……でも?」
「私を助けたことを、お父様は許さないでしょう。私がまだ生きていると知ったら何をするか分かりません」
「君の父親がどんな人か知らないが…ここには《龍王》様がいる。手出しはされないはずだ」
「いえ、それでもです。……これからするお話は他の皆様には内密にお願いします」
彼女は語り始めた。自らの父親について。
そして自分が何処から来たのか。
「私は―――――《冥府の王:エーリュシオン・ネテルウォルド》の娘です」
神がもたらした《冥府の王》の試練が、始まろうとしていた。