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じゃまもの

 すっかり陽は沈み、辺りは暗闇に包まれた。自分の目の前に何があるのか、かなり近づかないとわからないというのは原始的な恐怖心を煽る。それが自分に危害を加えるものなのか、そうでないのかの判断も難しい。

 それでなくとも、人類は暗闇を恐れて火を用いた。野生の動物と一線を画するその行動は、その後の人類の発達に大いに貢献したものである。しかしそれは逆に考えると、人類の弱点は今も昔も暗闇だという確固たる証だともいえる。ただ暗いだけで、人類はもう方向を失う。自分の背後に危険な野生動物が迫っていても、気が付かない。

 人は今でも闇が怖いのだ。

 壬生は全身の毛穴が粟立つのを感じている。

 男の身体変化を目の前で目撃した。なまじ薄暗くて細部がよく認識できなかった分、その不気味さは加速度的に増した。

 なんだか腕が膨らんで。

 なんだか服が破れて。

 なんだか羽のようなものになった。

 本当に気味が悪い。スーツの下から出てきた鳥の羽のようなその腕は黒光りしている。それが背後の暗闇と溶け合い、どこからが腕でどこからが暗闇なのかが判別しない。そればかりか、男は全身黒一色のスーツを身に付けいるので余計に行動を把握し難い。

 真っ暗闇の中から聞こえてくる、荒々しい息遣い。

 ひゅん、と風を切る音だけが良く聞こえる。それは先ほどから壬生の目の前を何度も行き来し、時には前後左右にも入れ替わる。

 何が起きているのだろう。

 男が、普通の人間では無い事がようやく飲み込めた。まさか特殊な鍛え方をすると両腕が鳥の羽になるなんてことはあるまい。それならば、先ほど見た身体変化の様子は手の込んだ悪戯か、自分の知識の外にある生き物のものだ。聡明な壬生は目の前の事実をそう捉えた。

 そして、喫茶店で初めて会った金髪の女性。背が高くスレンダーで、ショートカットに切り揃えた髪が涼しげに揺れていた。同性の壬生から見ても、それは魅力的に見えた。やや吊がちで大きな瞳は魅惑的で、その薄い唇から放たれる小切れ良い関西弁は痛快だ。

 出来うる限り控えめに表現しても、とてもキレイなお姉さん、といった感じだ。 

 しかし、その印象とは裏腹にこの女性は涙もろい。いや、泣き虫、とあの吠木と名乗る人は言っていた。全く、その通りだと思った。

 もしも自分が男性であれば、金髪を風に揺らす、痩身で長身の美人が両目を隠して泣いていたらどう思うだろう。それも魅力的だと思うのだろうか。

 そして。

 あの鳥の腕を持つ不気味な男と、真正面から殴り合いをしている光景を見たらどう思うだろうか。金髪をさらさらと揺らし、相手の羽による殴打を躱し乍らその細腕で殴り返す。そして追いかけるように長い脚で蹴り込む。まるで舞踊を演じているようなその動きは、可憐であり軽快だった。

 やっぱり魅力的だ、と壬生は思った。

「空も飛ばん烏が、ウチに勝てるかい」

 口元に微笑みを浮かべ、一条は次々に連撃を男に打ち込む。手数に差がありすぎて、むしろ男の方が憐れに見えてくるほどだ。しかし、いくら打ち込んでも男は怯まない。それどころか、動きに変化すら無い。

「チッ」

 忌々しそうに顔を歪め、一条は後ろを窺った。見ると吠木が背負っていた細長い物を下ろし、紫色の布を解いている。

「はじめくん、さっさとしてや!」

 言われた吠木はそれでも落ち着いていた。ゆっくりと布の中から細長く、緩やかな曲線の形をした物を取り出した。

「あ……あの、吠木君。それって……」

 すっかり蚊帳の外にいた冬野目は、吠木が手にした物を見て慄いた。それはテレビの時代劇で何度も見たことがある物で、今の日本では所持すること自体に申請と許可が必要なはずだ。

「ほ、本物なのかい?」

 吠木は至極真面目な顔付きで頷き、手にした物を目の前で水平に構えた。そしてゆっくりと片手の向きを変えて握り直し、何気なく引いた。

「日本刀ですよ。刃は潰れていますが」

 見事なつくりの日本刀だった。薄暗い中でそれはきらりと光り、吠木が正眼に構えると鉄の高い音が響いた。

「ま、まさか」

「そうです。これであれを」

 吠木は手にした刃物の切っ先を、鳥の腕を持つ男に向ける。

「切ります」 

「だ、駄目だ!それでは殺人になってしまう!」

「いえ、大丈夫です」

 自身に満ちた吠木の声。

「冬野目さん、あなたにはあれが人間に見えるのですか?」

 見ると、確かに黒スーツの男はもうすでに人の形を崩していた。両手はすっかり鳥の羽に成り、よく見ると顔の真ん中には鋭い突起がある。見るからに堅そうなその突起物を見て、冬野目は思わず口を開いた。

「く、嘴?」

「そうです。人間には嘴なんてものは無いでしょう。あれは……鳥のものです」

「鳥……?いや、それはわかるけど吠木君、なぜそんなものがあの人に……」

「だから、あれは最初から人間では無いのです。恐らく、砧さんをさらうために人間の形を模して行動していただけですね」

「どういうことだ……?」

 しかし吠木はそれには応えない。手にしたものをしっかりと握りしめ、一条と鳥の男を見つめている。

「冬野目さん、詳しい説明はすべて後回しです。今はあれを退けましょう」

 毅然とそう言い放ち、じりじりと少しづつ、乱舞を演じる二人へと近づいた。

「はじめくん、用意はええか?」

「いつでもどうぞ、一条さん」

 瞬間、一条の頭の上にある三角の突起がぴくっと動いた。すると途端に一条の身体が何倍にも膨らみ、全身から黒くごわついた体毛が生えてきた。それまでのスレンダーなシルエットはもう見る影も無く、丸みを帯び質量を増した全身を支えられるよう、手をついて四足歩行に移行した。三角だった頭の突起はいつのまにか丸いものへと変わり、薄い唇が特徴的だった口には大きく凶悪な牙が生えている。

 まさしく巨大な熊が、そこにいた。

 熊は鋭い眼光を鳥男へと向ける。すると鳥男はさすがに一瞬怯み、両手の動きを止めて後ずさった。

「お覚悟」

 鳥男の背後に小柄な影。それはやや下方から男の右腕めがけて、手にした細長い物で切り上げる。

 血を見ることになると思った壬生も冬野目も、その瞬間は目を閉じているつもりだった。しかし余りに素早いその行動に判断が間に合わず、結局は両目でしっかりと事の顛末を見届けた。

 血は、見えなかった。

 いや、暗くて見えなかったであるとか角度が悪くて目撃できなかったということでは無く、吠木が確かに切った男の右腕の断面からは、確かに血液が一滴も滴り落ちてはこなかったのだ。

 鈍い音を響かせて枯葉の上に落ちた、男の羽。それは元が人間の腕の形をしていたとは思えないほど完全に鳥類の骨格を持ち、そして確かに羽毛を生やしていた。

 その落下物に気を取られていたため、肝心の本体が消失したことについては、少し遅れて認識した。

「……あれ、あの変態は……」

 冬野目はあたりを見回す。そこにはあれだけ執拗に追いかけてきた男の姿は無く、ただの暗い森の道があった。

 もちろん、地面には一滴の血も無い。 

「せやから、消す言うたやん」

 振り返ると、得意げな表情で一条が立っていた。金髪と、そして頭頂部にある三角の突起が風に吹かれて爽やかに揺れている。

「一条さん……さっきのは一体」

「それより、砧は?」

 見ると、砧は倒れていた。意識が無いのか、ぴくりとも動かない。

 吠木も日本刀を元の布にくるみ、他の三人とともに砧の元へと集まった。

「砧ぁ……起きてよ」

 一条が既に涙声になっている。

「先ほどの戦闘に巻き込まれたのでしょうか……」

 心配そうに砧の顔を覗き込む三人。しかし、どれほど呼びかけても砧は返事をしない。

「そう言えば、どうして砧さんはこのような……」

 吠木は制服のスカートの端を持ち、眉根を寄せて言った。

「身体をほとんど隠せない服を着ているのですか?」

「た、確かに……壬生さん、この制服はどうしたんですか?」

 一同の視線が壬生に集まる。

「……似合うと思って。実家から送ってもらったの。私が中学生の頃の制服よ」

「な、なんでそんな……」

「壬生はん、砧と色々サイズちゃうねんから無理やろ」

「で、でも砧ちゃんは気に入ってたわよ。冬野目君がこういうの好きだからって」

 一条は侮蔑、吠木は軽蔑の色を帯びた視線を冬野目に向けた。しかし彼はそれに怯むことなく、むしろ毅然とした態度だ。

「それは誤解です。僕は特に制服フェチじゃないですし」

「確かにパソコンに保存されていた女の子の画像は、制服を着てなかったわね。むしろ、何も着てなかったわ」

「あんたの方が変態やん!砧に何してん!」

 一条が肩を怒らせて詰め寄る。冬野目は首を左右にぐりぐりと振って弁明した。

「何もしていません!それに砧ちゃんは余りにも立派な新幹線を搭載していて、僕の好みとは少し違っ……ぶふぁ」

 一条のコンパクトな裏拳が冬野目にヒットした。

「好みとかお前何様やねん!」

 騒がしくしていると、下の方から何やら甘ったるい声が聞こえる。

「うぅん……」

「砧!?」

 一同の視線が注がれる中、当の本人はまだ目覚めない。

「よかった……呼吸はあるな」

 その時、何かに気づいたように壬生が砧の口元へ自分の耳を運んだ。

「み、壬生はん、どしてん?」

 壬生は真剣な面持ちで言った。

「砧ちゃん……寝てるわ」

 誰もが言葉を無くしたところで、更に壬生が言葉を続けた。

「きっと、かまってもらえなくて飽きちゃったのね」




 




 冬野目百草は自室を愛している。それは自分の意識の延長上であるこの部屋にいる限り、何人にも侵害されない心地よさに浸ることができるからである。わざわざ出かけて食事のために行列に並んだり、馴染めない空間であるカラオケで角の地蔵と化すよりも、自室で電脳世界を自由気ままに闊歩したい。それが彼の慎ましい望みだった。

 しかし今の状況はどうだろう。ベッドの上には仏頂面を張り付けた金髪のチンピラじみた関西女、その横には全くの無表情で冬野目のパソコンの夢画像を点検する壬生、そして部屋の隅には、吠木が武士のように正座をしている。

 これでは落ち着こうにも落ち着けない。

 砧はあれから何度か無害な寝言を呟いただけで、あとはすっかり寝入ってしまっている。「もしかしたら狸寝入りかもしれませんよ、えへへ」と発言した冬野目は女性陣から鋼鉄の視線を頂き、自室だというのに一番びくびくしながらそこに佇んでいる。

「冬野目君って、変質者なの?」

 ようやくパソコンから視線を上げた壬生が、冬野目に向かって質問、いや詰問した。

「ち、違いますよ。別に犯罪を犯しているわけでもないですし。決して踏み入れてはならない、不可侵領域が誰にでもあるのです」

「何の説得力もないで、冬野目。お前のパソコンにあるんは八割方がエロい画像やんか。キショいで」 

 なんという不条理だろう。世の中の美男子やハンサム達は、お付き合いをしたり逢瀬を重ねる女性に困ってはいないことだろうが、冬野目は違う。困るどころか、経験がなさ過ぎて実感が湧かない。実感が湧かないので、困ることすら無い。どう困れば良いのかわからない。クリスマスは毎年一人でテトリスをして過ごしたし、バレンタインは周りで茶色い西洋菓子が飛び交うのを、まるで異国の文化のように眺めていた。しかしそのどの記憶にも悲観した感情は無く、ただ自分とは無関係なイベントだと傍観していただけである。それでも異性へ対する興味は当然湧いてくるので、それならば他人に迷惑を掛けないようにと、こうして個人の世界で楽しんでいるだけだというのに。

 そこに無理やり土足で上がり込んで、挙句に「キショいで」とは、言語道断である、と冬野目は思った。

「べ、別に良いじゃないですか。誰に迷惑をかけているわけでもないし」

「いやあ……でもこれはきついわ。こんなん、冬野目が特殊なんやろ」

 モニターを指差し、一条が顔を歪める。しかし冬野目には言い返さねばならないことがあった。

「お言葉ですが一条さん、男は皆こうです。どんなハンサムでも涼しげな美男子でも、頭の中は可憐な女性の乳まわりや腰まわりのことで一杯です。それはもう脳味噌のシワに刻まれた刻印なのです」 

「あ、阿保かあんた!そんなわけないやろ!」

「いえ、断言できます。一条さんも壬生さんも、黙っていれば只の美人令嬢と京美人です。なので、あなた方の本質を知らない男達は、街であなた方を見かけたら必ず見ます」

「な、何をや」

「その魅惑的な脚や荒涼とした胸元や、きゅっと引き締まった腰や艶めかしく覗くうなじや……まるでお人形さんのような、その顔をです」

 一条はみるみる顔を赤く染めて、身を乗り出して全力で抗議した。

「あ、阿保!気色悪いわ!」

 しかし冬野目は怯まない。

「そうですか?でも一条さんは美人だ。そして背が高いので、必然的に脚も長い。美人のきれいな長い脚に見惚れない男は、この世にはいません」

「うっ…うっさい!」

「その強気な態度と関西弁も、また高ポイントなのです。一条さんは気付いて無いかもしれませんが、それは古今東西、立派なジャンルとして確立しています。し続けています」

「何をわけのわからんことを!」

「だってそうじゃないですか。少し吊り目がちなとびきりの美人、そして関西弁を自在に操り背が高い。これはもう、全国の男子中学が憧れる、あれなんですよ」

「あ、あれってなんやねん」

「……じょ」

「え?聞こえへん……」

「痴女です。関西弁の痴女です。完璧です」

「ばっ……」

 ハサミや鉛筆やカッターなど、殺傷能力が高い順に様々な文房具が冬野目を襲う。しかしそれらを器用にくねくねと身体を曲げ乍ら躱し、冬野目は腕を組みながら呵呵大笑

している。

「なんやねんその避け方、きっしょ!きっしょ!」

 一条は涙目になりながら次々に文房具を放る。しかしその数には限りがあり、やがて手の届く範囲には尖ったものや刃がついているものはなくなってしまった。

 その様子を見ていた冬野目は、ぐちゃあ、と効果音が付きそうな笑い方で笑った。

「はは、それで終わりですか?はっは」

 しかし彼は気が付いた。何やら一条の隣から、禍禍しい雰囲気が漂う。それに当てられた冬野目はまるで蛇に睨まれた蛙のように硬直した。しかしどうにか首だけを動かし

て、禍禍しさの元凶の方へと視線を向けた。

 そこにには、一匹の鬼がいた。

 果たして、鬼は小さく可愛らしい唇を動かして言った。



「冬野目君、荒涼とした胸元って、誰のこと?」 


   

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