表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/32

かぶきもの

「……のめくん。……冬野目君!」

 遠くから何やら鈴が鳴る様な声が聞こえる。しかしそれはどうも現実感に乏しく、意識を失うことの心地よさを知った冬野目は意図的に覚醒を遠ざけていた。

 しかし鈴の音は止まない。

「冬野目君……どうしようかしら、起きないわ……。あっ、あのパソコンで『死体 処理』で検索すれば何か良い知恵が借りられかも」

「ごしゅじん、ねちゃったの?」

「冬野目君はね、遠い所に行ってしまったのかもしれない。もしそうなら、学友として私は然るべき処置をしなければならないわ」

「ごしゅじん……まだなにもできてないのにぃ」

 何やら物騒な会話が聞こえる。しかし仔細について考えるには、今の冬野目の自我も理性も弱すぎる。

 それにしてもこの美しい鈴のような声と、舌っ足らずで未成熟な声の主は誰だろう。女性であることに間違いはないのだが、自分の人生にこんなに可憐な声の持ち主との接点があるとは到底思えない。

 そうなれば、これも夢なのか。

 成程、自分はあまりにも女性との接点がない余り、睡眠中に見る夢を自分で調整できる術を身に付けたのか。それならば全てはこちらのものだ。知性に溢れ容姿端麗で、なによりも乳まわりが豊かなご令嬢と、どう見ても十代半ばにしか見えず、乳まわりが慎ましいことを気にしてもじもじしてしまう少女。そのどちらも自由自在に自分のものにできるではないか。人間は知性の生き物だ。お犬様には嗅覚で負け、御猫様には敏捷性で劣るものの、こうして脳内では無限の可能性を広げることができる。なんと素晴らしい。

 ひとまず、ご令嬢だ。その胸部にある大きな夢の包みを自らの頭の上に乗せ、そしてこう言ってやろう。

「これで貴女の肩凝りを僕も共有できますね」

 これでくらっとこない女性はおるまい。何しろ常日頃付きまとうその重みを分担し、あまつさえそのお宝の副作用とも言える肩凝りの苦しさを進んで引き受けようと言うのだ。これは英国紳士にも発想できない心遣いであり、これこそが気遣いの国の侍の本分とも言える。

 そして次は少女だ。夕暮れの公園で一人寂しく泣いている彼女の元へ優雅に歩み寄り、どうして泣いているのを優しく問おう。そうすれば、彼女はきっとこう言うはずだ。

「私の……おっぱいが小さいから……ふっ、ふえーん」

 自分の声で想像すると寒気と吐き気がするが、これが制服を身に付けた十五歳位の少女の声であれば話は別だ。そして、それを聞いたらこう言ってやるのだ。

「君のおムネは小さいのではない。僕の手のサイズに合っているだけだよ」

 泣き顔はたちまち満面の笑みへと変わり、歓喜に満ちた彼女は僕の首に腕を巻き付けて抱き付いてくるだろう。そして、少し照れたような口ぶりでこう言うのだ。

「そ、そうだよね……私のおムネは、もう予約済みだもんね!」

 これだ。これを今から完全に再現するのだ。そうすれば無粋な現実世界へと帰らなければならない理由は霧と消え、これから自分はこの桃源郷で何不自由なく暮らしてゆけるだろう。あえて一つだけ気がかりな点があるとすれば、自分に多大な好意を寄せる二人の女性が喧嘩をしてしまう可能性があるということだ。しかし、それは致し方ない。苦悩の無い人生など、何の意味も無いではないか。人は苦悩と共に成長する。この二人と仲睦まじくやってゆけるように尽力することが、自分に課せられた試練なのだ。そうこう考えているうちに令嬢はその二つの大きなメロンパンを背中に押し当ててくるし、少女は予約済みである二つの小さな果実を目の前に差し出してくる。まったく、思案に耽る隙すら与えてくれないのだ。この二人のマイスィートは。ははは。ははははははははははは。

「……なんだか笑ってるわね」

「ごしゅじん、きもちわるい!」

 気を失った冬野目をベッドまで運んだのは壬生だった。自分の腕力で意識の無い男性一人を移動できるか不安があったものの、いざやってみると新聞の束を持ち上げるようなものだった。その後半裸の彼にひよこマンのシャツを着せて、水に浸してから絞ったタオルを額に乗せて、心配そうに名前を呼び続けている。

 砧はその一連の様子をぽかんと見ていたが、やがて冬野目が動かないことに気が付いて、自ら壬生に介抱を買って出た。砧は眉をひそめて冬野目の口と鼻を塞いでみたり、『ゴキブリ、イチコロ!』と書かれた箱から取り出した黒いキューブを彼の口にねじ込もうとした。しかしそれらはなかなかうまくいかず、仕方がないのでキッチンに向かい包丁を取り出したところで、壬生に「それを使うと面倒なことになるわ」とたしなめられ、刃物を諦めて壬生の横でちょこんと座って大人しくすることにした。

「でも、もう何時間も目が覚めないわ……私が我を忘れてこの貧相な身体に突っ込んでしまったばかりに……」

「つまんないよう。ごしゅじん、おきてよう!」

「……仕方ないわ。やっぱり冬野目君のパソコンを借りましょう。何か意識を取り戻す手だてが見つかるかも」

 壬生は慣れない手つきでノートパソコンを開き、電源マークのようなものをぽちりと押した。すると画面には起動を告げる文字が浮かび上がり、その後は冬野目お気に入りの壁紙が映し出された。

「……」

「はだかのオンナノコがいっぱいだ!」

 画面には端から端まで、様々なタイプの女の子が笑顔でこちらを向いている。可愛らしく小首を傾げる子もいれば、少し恥ずかしそうに俯きながらこちらを見ている子もいる。しかしその全ての女の子に共通しているのは、誰も服を着ていないということだった。

「ごしゅじんはこういうのがすきなのかぁ」

「とにかく、何か検索しましょう。えっと……確か調べものをするサイトは……グ、グ……なんとかよね」

 壬生がおぼつかない手つきでマウスを操作し、一つのアイコンをクリックした。

「グリグリしちゃだめぇ、おにいちゃん……?これじゃないわね」

 隅にあるマークをクリックしてそれを消し、その後も様々なアイコンをクリックしてみるが、目的のものは見つからない。それどころか何をクリックしても壬生には意味がわからない語句ばかりが並び、画面には毎回裸の女の子が表示された。

「パソコンって難しいわね……間違えると女の子の裸が出るなんて……。この子達にこれ以上恥ずかしい思いをさせないためにも、もう失敗は許されないわ」

「おねぇちゃんってけっこうメルヘンだねぇ」

 その時、ようやく家主の意識が覚醒した。

「うぅ……あれ」

「あ、ごしゅじん!」

「冬野目君。よかった、気が付いたのね……気分はどう?」

「なんだか体中がギシギシします……あの、僕はいったい……?」

「あなたにシャツを届けようとしたとき、急に玄関から巨大なイノシシが入って来たの。私はなんとか避けられたけれど、あなたは上手く避けきることができずに激突されたのよ。それで気を失っていたの」

「あぁ、そうだったんですか……いてて……。あれ、でも僕の最後の記憶では、突進してきたのは壬生さんだったような……」

 壬生は慈愛に満ちた表情で冬野目の額に乗っているタオルをよけて、彼の頭を優しく撫で乍らこう言った。

「可哀想に……まだ記憶が混乱しているのね……」

 それを聞いた冬野目はしばらくは訝しんでいたが、考えてもどうなることでもないと踏んでその話は切り上げた。

「まぁ、いいです。それよりも砧ちゃんのことなんですが……」

「あ、そうね。それが優先事項だわ」そして二人の視線は砧に集まった。

 きょとんとした顔で二人を見つめる砧。

「どうしたの?」

「あの、砧ちゃん。今朝も聞いたことだけど、君は昨日僕らが保護したタヌキ……なんだよね?」

 冬野目が恐る恐る尋ねた。

「そうだよっ」

 にこりとして、彼女は答える。

「その、どうして人間の姿になってしまったの?」

「えっと、たすけてくれたごしゅじんになにかしてあげたくてっ」

「つまり、恩返しってことかな?」

「おんがえし?ってなぁに?」

「言葉が難しいかあ」

 考え込む冬野目に、私に提案があるわ、と壬生が言った。

「砧ちゃんが元タヌキだということで話を進めるけれど、まだ人間の言葉には慣れていないのだと思うの。だから詳しい事情を聞くにしてもこのままじゃ効率が悪いわ。だから、何日間か私の家で一緒に暮らして、少しでも言葉に慣れてもらおうと思うの。どうかしら」

「あぁ、そうですね……確かに、このままじゃ埒があかないです」

「となると早い方がいいわ。今日から砧ちゃんを連れて帰って、私も何とか話を聞いてみる。また明日にでも大学で話しましょう」

「はい、お願いします」

 その後壬生は砧を連れて自分の下宿へと戻った。砧が外出を恐がるかと心配したが、壬生が手をつないでいたのが幸いしたのか、何の問題も無く二人の女性は帰路についた。

 既にとっぷりと陽は暮れている。冬野目はその日の講義を完全に諦めて、部屋で過ごすことに決めた。そして一人遊戯に耽るべくパソコンを起動して、開かれた画面に気が付いて頭を抱えた。




 その頃、都内の某所。

 一人の女性が暗い路地裏を軽快に走っている。二人の追手に追われて、徐々に追い詰められているのにも関わらず、彼女の口元にはうっすらと笑みすら浮かんでいる。

「この感覚……やっぱりええもんやねぇ」

 誰にも聞かれることなくそう呟き、速度を落とさずに路地裏の角を曲がった。しかし、そこから先に道は無く、目の前には高いコンクリート塀が立ちはだかっている。

 立ち尽くす女性に追いついた二人の追手は、乱れた息を整えながら口角を上げた。

「おいネエちゃん。ここまで来たらもう逃げられねぇぞ。とっとと盗んだもの返してもらおうか」

 それを聞いた女性はふわりと笑い、追い詰められた者とは思えない雰囲気をまとっている。

「ウチのことを、まぁだネエちゃん扱いしてくれはるのは嬉しいわぁ。でも残念。これ返したら、ウチ素っ裸や」

 金髪のショートカットを揺らし、身に付けている服の襟を指でつまむ。

「そこまでサービスしまへん」

「あんたのヌードくらいじゃ、まだそのスーツの値段にゃ足りねえんだよ」

「あら、失礼な」

 じりじりと、追手は距離を詰める。華奢な女性とは対照的に筋骨隆々とした男の二人組で、一目で堅気の人間ではないとわかる風貌だ。

「もう逃げられないからな」

「それは……困ったなぁ」

 アスファルトを蹴る音が響き、二人の男は女性に向かって猛スピードで走りだした。

「ふふ、元気やねぇ」

 次の瞬間、二人の視界から女性の姿が消えた。きょろきょろを辺りを見回しても姿は見えない。すると、頭の上から声がした。

「お二人さん、残念でしたなぁ」

 見上げると、コンクリート塀の上に先ほどの女性が立っている。

「ど、どうやって……」

 立ち尽くす二人を塀の上から見下ろした後、金髪の女性はくるりと背を向けた。

「ほな」

 そう言うと塀の向こう側へと飛び降りて、軽快な足音だけを残して去って行った。二人の男はお互いに顔を見合わせて、開いた口がふさがらない様子だ。

 しかし、彼女が高い塀に一瞬で上ったことよりも、二人の男の記憶に強く残ったことがある。

 彼女の頭には、三角形の突起が二つ生えていたのだ。

 それはまるで、獣の耳のように見えた。


挿絵(By みてみん)




 追手を振り切った金髪の女性は、街中のガラスに自分の姿を映した。そして襟を正し、裾の乱れを直しホコリを払う。最後に手櫛で髪を整え、満足したように一息ついた。

「あ」

 薄い唇を尖らせて、ガラスに近づく。そして自分の容姿を見つめてから顔を歪めた。

「あかん。耳が……」  

 陽は完全に沈み、街は人工の明かりが灯り始めていた。

 何とかして露出したままの耳を隠そうとするが、手ごろなものが見当たらず、女性は再び薄暗い路地裏に身を潜めた。

「あかんなぁ。このままやとまぁ~た騒ぎになってしまうわ」

 思案する女性の背後に、小柄な人影が忍び寄る。それに気が付いたのか、女性は背後に声をかける。

「……はじめくん?はじめくんやんな」

 少し吊り上がった目を糸目にして、女性はにっこりと笑った。

「一条さん、どうして何の用意もせずに行動するんですか。探すのに苦労しましたよ」

「でも、こうして見つけてくれるんが、はじめ君の素敵なところやわぁ」

「冗談は結構です。それよりも、これ」

 はじめと呼ばれた人物は片手に持っていた帽子を女性に差し出した。

「おおきに。これで騒がれずに済むわ。……これ、はじめ君のチョイス?」

 革で出来たハンチング帽を受け取り、繁々と眺める。

「はい。一条さんに似合うかと思って」

「……もっとカジュアルなんが良かったなぁ」

「そ、そんなことないですよ。そのスーツに良く合ってます」

 ぎゅ、っとハンチングを被る。そして二人は裏路地から大通りへと出た。仕事帰りの人や街へ繰り出す人で通りは賑わっている。その中を二人は歩きはじめる。

「それ、邪魔にならんの?」

 一条が指差したのは、小柄な背中に背負われた細長い棒状のモノだ。それは紫色の布にくるまれ、上には鈴がついている。

「なりません。それに今回はこれが無いと……」

「まぁ……そやね。ほんま、大変な時やっちゅうんに」

「仕方がないです。それより、場所はわかっているのですか?」

「大体の場所は、な。詳しいことは、はじめくんの鼻に頼ることにするわ」

「わかりました」

「ほな、いきまひょか」

 アスファルトを踏みしめ、二人はこれから向かう先を見つめた。

「砧んとこのお姫様、迎えにな」 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ