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うかれもの

 壬生夏吉は京都の老舗旅館、「壬生旅館」の次女として生まれた。そこは、地元は元より遠方からわざわざ足を運ぶ客もいるくらいの人気であったが、他の旅館の台頭や経営観の老朽化により年々客足は遠のいた。それでも当代である壬生の父によって、告知の近代化や京都の観光地化への便乗によりなんとか閉館せずに済んでいた。

 そんな中、生まれたのが壬生春海・夏吉姉妹だった。幼いころから可憐な姉妹として評判を得て、将来は旅館の看板美人女将姉妹として尽力してくれると、関係者の誰もが期待した。

 夏吉よりも三つ年上の春海は明るい性格で友達も多く、大学では経営学を学び実家へと戻り既に働いている。持ち前の美貌と才能で旅館の経営を仕切り、彼女が加わったことにより経営は持ち直し、また彼女自らが広告塔となり新たな客層も獲得した。

「古都・京都の老舗旅館を切り盛りする美人女将」の宣伝効果は予想以上で、京都界隈では若くして名の知れた経営者という一面も持ち合わせている。

 そして関係者の次の期待は妹である夏吉に注がれる。しかし、夏吉は小さなころから人見知りで大人しい子供だった。旅館に泊まりにくるたくさんの旅行者たちは近寄りがたい他人であったし、可愛い可愛いとチヤホヤされるのも素直には受け入れられなかった。しかし、いくら教室の隅でじっとしていてもその麗しい容姿は視線を集めた。そして学年が高学年にあがると、次第に男の子からの視線が、その性質を変えてきていることに気が付いた。それが過ぎると、壬生は理由もなく男子生徒から虐められた。いや、それは傍目から見れば決して悪質なものではなく、むしろ日増しに魅力を増す壬生に対してどう接していいのかわからない子供の戯れにしか見えないだろう。しかし元来人見知りな壬生がその繊細な機微に気を回せるはずもなく、彼女はからしてみればただ毎日理不尽に嫌がらせをされるだけの日々が続いた。初めは男子生徒からの嫌がらせだけに止まっていたが、それを見ていたクラスの女子が「なんで壬生さんだけあんなモテるん?」「やっぱ可愛い子ぉは得やわぁ」と、妬みや僻みともとれる感情を複数で共有して

いった。

 本来ならば俯いて涙目になっている壬生の肩を抱き、「やめーや男子!」と一喝してくれて然るべき存在である同性のクラスメイトまでもが、あまりにも繊細で可憐なその容姿と、大人しく慎ましい凛とした佇まいに、無意識の内に嫉妬を覚えていたのだ。

 しかしもちろんその容姿は天からの授かり物であるし、大人しくしていたのはただ単にこれ以上他人と関わりたくないが故の行動だった。

 そして徐々に壬生の人見知りは加速し、それと共に信頼できる友達ができないことを受け入れていった。姉の春海よりは社交性に欠けるものの、その分頭の回転は速い。信頼できる友人ができないであれば独りでやってゆく用意をしなければならないし、そうなれば対他人用に何らかの仮面を被るのが一番効果的だと、壬生は中学にあがる前に気が付いた。

 しかしそんなものを思春期の子供がすぐに形成できるはずもなく、度々耳に入るクラスメイトの心無い言葉で、壬生の羽毛の如き心は傷ついていった。

 そして、ついにその日が来た。

 その日のことを、壬生は冬野目にこう語った。

「中学にあがって、同じ小学校の子たちは離れる人のほうが多かったの。だから私は、これでやっと普通の友達付き合いが出来ると思ったわ。生徒の数も増えるし、中学にあがってまで下らない噂話で陰口を叩いたり、女子との距離の取り方が分からずに嫌がらせみたいな悪戯をするような人なんていないって思ったの。でも、違ったわ。同じ小学校から来た一人の子が、何も知らない他の人に私のことを話したの。もちろん根も葉もない噂よ。でも、それを聞いた人は私のことを知らない人だから。知り合う前から私について先入観を持っている人ばかり増えていったわ。私は、また同じことになるってはっきりわかったの」

 壬生は絶望した。これから三年間、またあの暗くて荒んだ学校生活が待っていると確信したのだ。それを思い知った日、壬生は初めて自室で泣いた。それまでは親や姉に迷惑をかけまいと、なんでもないように振る舞っていたが、これから先に横たわるヘドロにまみれた道が目に見えて、緊張の糸が切れたのだ。


挿絵(By みてみん)


 しかし、いつまでも自室で泣き声を堪えているわけにもいかない。いつ親や姉が襖を開けるか知れたものではないのだ。そこで彼女は泣き腫らした顔を隠しつつ、旅館の裏手へと向かった。

「京都と言えば伏見稲荷大社の狐が有名だけど、うちは何故か裏手にタヌキの社があったの。そこには滅多に人が来なくて、気持ちを落ち着けるには丁度いいと思ったのよ。期待通り、そこはとても静かだったわ。私はただただ力が抜けて、目からぽろぽろと涙を流していた。そのときに、会ったの」

「会った?誰にですか?」

 冬野目は半分飽きてきていたが、目の前の壬生が珍しく真面目に話をしているので、真面目に聞いているフリをした。

「タヌキよ。草むらから、小さくて可愛いらしい子供のタヌキが出てきたの。初めは警戒してたけど、私がただ泣いているのを見て、こちらに寄ってきてくれたわ。そして頭や鼻を押し付けて、私を励ましてくれたの。そうしていると何だか落ち着いてきて、私は初めて友達が出来たと思ったわ」

「はぁ……そこで壬生さんのタヌキ好きが覚醒したんですね」

 冬野目はキッチンの戸棚に隠してあった柿の種を齧っている。完全に飽きたのだ。 

「そうね、結婚を決意したわ」

「……え?」

「あんなに誰かといて落ち着いたのは初めてだった。だから、私はあの人と添い遂げることにしたのよ」

「あの人って、タヌキでしょ?」

「そんなこと、些事よ。些細な事よ」

「いやいや……」

「でも、あの人は私が落ち着いたのを確認したらそそくさと草むらの中に消えてしまった……クールだったわ」

「一応聞いておきますけど、壬生さんって恋人がいた経験は……?」

「ないわね。その時の彼がニアミスだったけど。と言うか、彼意外は眼中に無いわ」

「そ、そのタヌキはオスだったんですか?」

「お酢?彼は優しくて素敵な男性よ」

「確認したんですか?」

「するわけないじゃない。はしたないと思われたら嫌だもの」

「……で、その後その彼とは会えたんですか」

「それが会えないのよ。ずいぶん探したけれど、どうしても見つからないの。きっと私が一人前のレディになるのを待っているのね」

「はぁ……」

「それから私はタヌキが出たと聞けばどこでも飛んで行って確認したわ。それでもダメだった。それに、最近はタヌキの数も減ってしまって目撃情報自体が少ないの」

「で、でももし仮にその彼を見つけたとしても、見分けがつくんですか?当時から随分時間も経ってますよ」

「彼はね、胸のあたりに特徴的な模様があるの。それが目印。まぁ、一目見ればわかると思うけれど」

「そ、そうですか……。では、サークルの自己紹介で僕の実家について聞いてきたのって……」

「そんなに頻繁にタヌキが目撃できる御実家なら、彼がいてもおかしくないと思ってね」

「あなたのお嫁さんになれば、とか口走ったのは」

「あぁ、そうすれば御実家に入り浸る大義名分ができるでしょう。冬野目君には気の毒だけれど、不倫前提よ」

 よかった。何だかわからないけれどいつもの壬生さんだ、と冬野目は思った。正直、重たい話は苦手なのだ。これで柿の種も美味しく味わえる。

「そうですか……彼、見つかると良いですね」

「そうね……ああ、何だか話したらすっきりしてお腹が空いたわ。私にも柿の種ちょうだい」

 二人でぽりぽりと柿の種を齧り乍ら、キッチンに座り込んでいる。

「あぁ、それで下着の色について怒ったんですね?その彼にはしたないと思われて嫌われてしまうと」

「そうよ。なるべくきれいな身体で彼に捧がれたいの」

「『捧がれたい』って、あまり言わないですよね。変換もできません」

「『ササ枯れ対』になるわね」

「でも、中学時代はどうしたんです?結局何も解決はしてないですよね?一瞬の現実逃避をしただけで」

「現実逃避とか言わないでよ。でも、一度心に決めた人ができると強くなるのね。その後は何を言われても気にしなくなったわ。人間の男の人は今でも苦手だけれど」

「そう言えば、サークルのあの先輩……壬生さんのこと気に入ってますよ」

 初めの自己紹介で壬生に一際熱い熱視線を送っていた美男子のことだ。彼は周囲が眉を潜めるのも構わず、壬生にアプローチを続けている。映画に誘い、食事に誘い、遊園地に誘い、旅行に誘った。しかし、壬生がその誘いに乗ったという話は聞いたことがない。

「あぁ……毎回何か理由をつけて私を連れ出そうとするわね。いつも断るけれど」

「でも、断りずらくないですか?」

「高校の時、同じようにしつこくつきまとってくる男子が何人かいたの。その対処をしていたら、断り方なんて慣れたわ」

「へぇ、どう断るんです?」

「金魚に餌をあげなきゃいけないから……って」

 冬野目はそれを無視し、今までの壬生に対するイメージと、さっき聞いたばかりの壬生の過去を照らし合わせた。容姿端麗で目立つ壬生は、過去に同級生から虐めらた。長い間心を閉ざしていた彼女だが、傷心を癒してくれた一匹のタヌキに出会い、心を開く。そしてそのタヌキと祝言を上げることを決意して、彼に見合う女性になるべく純潔を貫こうとしている。そう言えば、彼女は言動以外は誰もが見惚れる美少女なのだ。服装は清楚であり可憐、髪はさらさらと風を弄ぶようにいたずらだ。そして華奢な身体はいつも姿勢良く保たれ、彼女の周りには常に静謐な空気が漂っている。

 もしかしたら、これら全ては単に天からの授かりものでは無く、彼女自身の努力の賜物なのではないか。その目的や矛先が到底冬野目のスポンジのような脳味噌では測り知れないだけで、この女性は昨今では珍しい大和撫子なのではないだろうか。彼はそう思い至った。

 そう思える彼もまた、ちょっとアレだった。

「ま、壬生さんのそういう話ってなかなか聞けないですから、聞けて良かったです」

「私もこの話をしたのは久しぶり。大抵は変な目で見られるから」

「でしょうね……ああ、僕もお風呂に入ろうかなぁ」

 両手を頭の上で組み、背伸びをした。二人の女性は汗を流したけれど、彼の肉体は未だ薄汚いままだ。いい加減着替えもしなければならない。

「ちょっと、お風呂してきますね。砧ちゃんと遊んでてください」

「そうね。あの子が本当に元タヌキなら、私のダーリンについて知らないか聞いてみようかしら」

「勝手にしてください」

 タオルとパンツを用意して、冬野目は一日分の汗を吸い込んだ服を脱いだ。晒されたその肉体に肉は少なく、ほとんど骨と皮しかないような有様だ。雀の姿揚げのような身体を動かし、浴室へと入る。

 熱い湯を浴びて、彼は思案する。

 朝、少しでも壬生に欲情しかけた自分が許せない。幸いにも壬生が夢乳ラインを下回っていたから何とか踏みとどまれていたようなものの、そうでなければ自分は何をしていただろう。その時はまだ知らなかったとは言え、心に決めた相手がいる女性に、だ。それはもうただの獣、ケダモノではないか。自分の欲望に対して忠実に生きること言うことは、時としてこんなにも障害が多い道のりなのか。彼は紳士を自負するが故、ケダモノであることを良しとしない。ケダモノの道に堕ちずに自分の欲望を貫くためにはどうすば良いか。そこまで考えて、一つの結果が出た。

「めんどくせぇ」

 今ではいくらでも電子の世界で欲望の疑似解放が可能な世の中だ。それであれば、国家権力に追われる危険を冒してまで現実の夢物体に手を出すことは無い。今は奇跡的にも自室に若い女性が二人もいる。しかし、その恐らく人生で最大の恵まれた環境に於いてすら、こだわりの条件は満たされていない。

 清楚で可憐なお嬢さまは小さく。

 幼く舌っ足らずな少女は大きい。

 なぜだ……なぜなんだ。この「大きさ」という項目が逆ならば、悲願達成、万事解決なのに。と遅まきながら悔しさが込み上げてきた。

「仕方がない。この世は世知辛いものだから」

 きゅっとシャワーを止めて、大きなため息をついた。彼は諦めが良い。

 浴室の扉を開けて、身体の水気を拭き取ってからパンツをはいた。そこでシャツを用意してなかったことに気が付いた。

「壬生さぁん」

「なぁに?」

「すいません、何か適当にシャツを取ってくれませんか?持ってくるのを忘れちゃいました」

「仕方ないわね……でも、これも彼のお嫁さんになるときの花嫁修業だと思えば殺意も湧かないわ」

「それくらいで殺意を湧かさないでくださいよ」

「本当に適当に選ぶけれど……」

「はい、何でもいいです」

 壬生はクローゼットを物色し、目についた物の中から直感で一枚のシャツを取り出した。

 『めんどり戦隊ひよこマン』とプリントされたシャツを手に、目を隠しながら冬野目の方へと向かう。

「すいません……どうして目を隠しているのですか?」

「乙女はむやみに男性の裸体を見てはいけないのよ」

「そうですか……」

 仕方がないので、半裸の冬野目は壬生の手からシャツを受けとるべく手を伸ばした。

 目を隠した美少女。

 半裸の雀の姿揚げ。

 しかし、冬野目がシャツを掴む前に壬生が手を離してしまった。目を隠していたので、距離感がわからなかったのだ。

 ひよこマンのシャツが落下すると気が付いた刹那、壬生は思わず目を覆っていたその手を外してしまった。

 壬生の視線はひよこマンへ、そしてその先の姿揚げへ。

 まるで石化でもしたかのように固まる壬生。

「もう、何してるんですか壬生さん」

 姿揚げはひよこマンを拾い上げ、そして頭から被るような仕草を見せた。

 その時。

「待って!!」

 全身が痙攣したように動きが止まる冬野目。 

「そ、その模様……」

 かたかたと震える壬生の指先が示しているのは、冬野目の胸のあたり。

「あぁ、このアザですか……。小さい時にちょっと」

 しかし彼の言葉は、歓喜に満ちた壬生の声で打ち消された。

「その模様、彼と同じ!!」

 それを聞いた直後に、冬野目は意識を失った。

 最後に彼の視界に映ったのは、自分に向かって両手を広げて猪突猛進してくる、満面の笑みを浮かべた壬生の姿だった。


 


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