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おくりもの

 張り裂けそうな緊張感が満ちている。自分の城であるはずの下宿で、これほどまでに胃が痛くなる思いをしたことがあるだろうか。少なくとも木の枝の如き男、冬野目百草には経験が無い。というのも、目の前では細雪の如き美少女、壬生夏吉が腕組みをして仁王立ちしているからだ。

 冬野目の後ろには、右足に包帯を巻いただけの垂れ目の美少女が隠れている。

 そう、包帯を巻いただけ。つまりそれ以外は何も身に付けていない。その健康的美脚も、健康的腰回りも、健康的乳まわりも隠れてはいない。顔つきだけを見ると中学生のようであるその少女は、発育という観点で見ると大学生である壬生をはるかに上回り、生命力という観点では冬野目を凌駕していた。

「その子、いつ連れてきたの?私が眠ってしまった後、あなた何をしていたの?」

 壬生が言葉を口にするたびに、冬野目は自分の細胞が枯れてゆく思いがした。いた、存在そのものが塵と化してゆくような、といったほうが適確かもしれない。

 非常にまずい状況だということに間違いはない。

「ち、違うんだ壬生さん。この子は昨日助けたタヌキなんだよ」

「……へぇ……」

 軽蔑、侮蔑、蔑み。まるで汚物を見るかのようなその視線には、堅さと共に冷たさもあった。壬生のような儚げな美少女からそのような視線を頂くのもまた風流、と思えなくもないが、このあとも人生を続けてゆくとすれば、この状況はなんとか切り抜けなければならない。

 さて。

「こ、この子に直接話を聞いてくれればわかると思います」

 す、っと後ろに隠れていた少女を前に出す。一糸纏わぬその裸体は、包帯という純白の人工物をアクセントにして更に肉感的に映えた。

「とにかく、その子に何か着せてあげましょう。今のままではあまりにも可哀想よ」

 状況が状況とはいえ、壬生にモラル溢れる発言を先んじられてしまった。そうか、服を着せてから壬生を起こして、しかるべき順序を以て説明をすればこのような事態には陥らなかったのではないか。そう冬野目は考えて後悔した。

「クローゼットを勝手に探してもいいかしら?」そう言いながら既に壬生は服を物色している。

「あ、うん……。といっても僕の手持ちの服なんてたかが知れてるけど、自由に探してください」

「それと、冬野目君」

「は、はい」

「いつまでその子の裸を見ているの?目を逸らしなさい」

「はっ、はい!」

 壬生と包帯少女が服を物色している。北海道とブラジルくらい、お洒落とは程遠い冬野目の持ち衣装なんて期待はできない。それでも年頃の女性が二人、少ない材料でどうにか良い出来にしようと四苦八苦し、最後のほうにはきゃっきゃと楽しそうな声が響いていた。少女は壬生を「おねえちゃん」と呼び始め、非常に懐いている様子が声だけからでも推し量ることができる。

 一方、自分のすぐ後ろで未成年の夢光景が繰り広げられているにも関わらず、それが自分の一風変わったこだわりとはマッチしないことに苦悶する枯れ枝男は気持ちを落ち着けようと、パソコンを起動した。電子世界の欲望の海へと飛び込んでも良かったが、ここには女性が二人もいる。一度は店仕舞いをした彼の紳士は再び営業を再開し、無難に今日のニュースなどを斜め読みしようと考えた。

 なるべく無難な、そして普段なら眠くなってしまうような内容が望ましい。オショクジケンだとかセンキョだとか、まねぇろんだりんぐだとかカブカのキュウ-ラクだとか、そんな語句を期待してニュースを見つめる。決して読んではいない。

 すると、変わった事故が起きていた。東京都世田谷の砧で、交通事故があったという。それだけなら別段変わったことはないのだが、事故を起こした運転手は車を捨てて逃走、その車は盗難車で、持ち主が後を追っている途中で事故が起きたのだ。そして、この事故が変わっているのは、運転手が逃走する瞬間に原因がある。

 元の持ち主が逃走する運転手を目撃しているのだが、その証言によると「半裸で、コスプレをしている若い女性」だったというのだ。

「東京って、色々な人がいるなぁ」

 そう考えると、こうしてほぼ全裸の未成年少女と部屋にいて、そして風呂を勧めようとしていた自分なんてちっぽけなものではないのか。このままではいけない、もっと大きなことを成して故郷に錦を飾らなければならない。そして数十年後、「青森県出身の有名人」の項目に自分の名前が載るのだ。そうでなければなんのために自分はこの変態の巣窟である魔都・東京に出てきたのか、目的を見失う。

 まるで侍のように顔を引き締め、冬野目は精神を統一した。一は全、全は一。そう頭の中でイメージし、数々の煩悩をあえて受け入れ、そして大悟に至るのだと自分の全細胞に言い聞かせた。

「何をしているの」

 急に話かけられて、内臓が全て出てしまいそうなくらい驚いた。先ほどまでの疑似瞑想はなんの意味も落ち着きも、冬野目にはもたらさなかった。

「い、いや、ニュースを見ていたんですよ」

「ふぅん……どんなニュース?」

「えっと……汚職事件とか……です」

「お食事券……?」

 不思議な空気が流れた。

「あ。あそんなことより。服借りたわ」

「あ、はい。ロクなものがなくてすいません」

「大丈夫よ。あの子可愛いから何を着ても魅力的だわ」

 そう言われて後ろを向くと、包帯少女は肌の露出は幾分少なくなっていた。とはいえ、ハーフパンツとシャツという組み合わせなのでその腕や脚は出ている。そして何よりも冬野目の目を引いたのは、もはや都市伝説と化しているその組み合わせだった。

「あれが一番しっくりくるのよ。冬野目君って生意気に身長だけは高いから、どうしても丈が合わないのよね」

 包帯少女が身に付けているのは無難なハーフパンツと、これまた無難な白シャツだった。そのシャツは冬野目がネットで見かけた「オンナノコはシンプルな白シャツが好きなんだゾ!ポイントはボタンの上三つは開けること!」との情報を信じて買ったものだ。しかし冬野目が着ると、どうしても冴えない技術者のような容貌になる。それで中途半端に清潔感が出る分、貧相感も倍増なのだ。

 しかしこの少女が例のシャツを着るとどうだろう。冬野目よりもだいぶ小柄な彼女には、その丈は長い。ハーフパンツがすっかり隠れ、まるでシャツ一枚しか着ていないような錯覚を覚える。そして何重にも巻き上げられた袖はイノセントな魅力を醸し出し、なによりも男性には無い胸部の圧倒的な膨らみが、見る者にトドメを刺す。

「ごしゅじん、にあうかな?」


挿絵(By みてみん)


 にこにこと顔を綻ばせ、いかにも嬉しそうに彼女は尋ねた。

「う、うん。とっても可愛いよ」

 気を抜くと前屈みにならざるを得ないような、その圧倒的な力。どこに視線を向けていいやらわからない。

「また変なこと考えてない?」

 第三の目でもあるかのように彼の心中を観察した壬生は、あまりにも的確な言葉でその時の彼を評した。

「変態ロリコン」

 妖怪か怪獣のようである。無駄に語呂が良い。

 さて。ひとまず有り余る破壊力を秘めた少女の身体は冬野目の粗末な布に包まれ、落ち着いて話ができる下地はできた。これからどうするのか、大人であればしっかりと話し合わなければならない。

「この子は私の家に連れて帰るわ。それでもっときちんとした服を着せて、警察に連れていく。きっと親御さんも心配しているはずよ」

テーブルを挟んで差し向いに座り、まるで離婚調停さながらの雰囲気で壬生は言った。

「そ、それが当たり前だとは思うんですが、この子は自分で昨日助けられたタヌキだって言ってたんですよ。警察に行っても相手にしてもらえるかどうか……」

「きっと記憶違いか、ふざけてるだけでしょう。あなたがこの子を無理やり連れ込んだのではないとしたら、やっぱり迷子だというのがまっとうな考えよ。まあ、迷子を無理矢理連れ込んだという可能性もあるけれど……」

 なんて物騒な。人を妖怪・豊満な身体の未成年専門人さらいみたいな。

「まず、彼女の話を聞きませんか?子供とはいえ、せいぜい中学生くらいでしょう。ちゃんと話せば、こちらがわかることもあるはずです」

「ふうむ。そうね」

 当の少女は、冬野目のパソコンを食い入るように見ている。ニュースの内容に興味があるのか、それとも単に飽きてしまっただけだろう。

「ねぇ、お姉ちゃんにあなたのお名前教えてくれないかしら?」

 今まで聞いたことが無いような優しい声で壬生は言った。そんな機能がついていたのか……と驚くばかりの冬野目をよそに、聞かれた少女は全く見当違いな言葉を口にした。

「これ、なんてよむの?」

 少女はモニターを指差して聞いた。その先には『砧』の文字。

「これはね、『きぬた』って読むのよ」

「きぬた……わたしはきぬた!」

 顔を合わせる二人の大学生。

「まあ、名字として無いわけではないけれど……」

「それとも世田谷区の出身なのでしょうか」

「わからないわね。そうかもしれない。便宜上、これからはこの子のことは砧ちゃんと呼びましょう」

「そうですね」

「ごしゅじん、おふろまだ?」

 小首を傾げて砧が聞いた。人差し指を唇に当てて、これでもかと言うほどあざとい。しかしこれを天然でやってのけるのだから恐ろしい。

「……きっと、高校や中学時代にクラスにいたら私が一番嫌うタイプの女子だわ」

「み、壬生さん。落ち着いて。ここ最近まったく令嬢っぽくないですよ」

「今はもう大丈夫よ。それなりに経験を積んで、処世術も身に付けたわ。それに砧ちゃんは私に懐いてくれている。それがとても可愛らしいわ」

「ごしゅじんとおねえちゃんときぬた、さんにんでおふろにする?」

 まるで爆弾のような提案である。それを爆発させてはならないので、冬野目は咄嗟に反応した。

「み、壬生さんと砧ちゃんでお風呂に入ればいいんじゃないかな?うちはユニットバスじゃないし、けっこうゆっくりできるよ」

「そうね……私も始発で帰ってシャワーを浴びるつもりだったけれど、こうなってしまっては私だけ帰るわけにもいかないし……じゃあ、冬野目君」

「はひ?」

 声が裏返った。壬生とシャワーという関係性が、彼の脳内に様々な想像をさせた結果だ。

 それを意にも介さず、壬生はバッグから手帳を出して一枚破り、それに何かを書き始めた。

「これ」

 ひらりと目の前にメモを出され、戸惑う冬野目。

「なんですか?買い出しですか?」

 見ると、そこにはアルファべットと数字が書いてある。それからいくつかの食料品。

「スーパーの女性用下着売り場に行って、これを店員さんに見せれば適当に選んでくれるわ。あなたのために助言してあげるけれど、あくまで頼まれた買い物だってスタンスを崩さないほうがいいわね。そうしなければただの趣味だと思われるわよ」

「え……僕が買ってくるんですか?そんな、女性用の下着なんて恥ずかしくて嫌ですよ!」

「……あなたが下宿に未成年の女の子を連れ込んだなんて話、大学で広まったらどうなるでしょうね。今でも肩身が狭くて二センチくらいしかないのに、そうなればもうミリ単位しか残らないわね」

「ぐっ……策士ですか……諸葛亮孔明みたいな人だ……わかりましたよ、いってきます」

「悪いわね。私はまだしも、外出するのに下着が無いだなんてこの子が可哀想でならないの」

「あぁ……確かにそうですね。ではこれはこの子の分なんですか?」

 渡されたメモを見る。

「私の分もあるわよ。ちょっと、数字覚えようとしないでよ」

「いやいや、この数字の意味がわからないですから……じゃ、行ってきます」


 数々の視線を受け流し、それでも受け流し損ねた視線による傷から流れ出る心の血をなんとか止血して、壬生のメモにあったものを買い揃えた。

 しかしなんだろう。意外と楽しかったな、と冬野目は思った。

「壬生さん、買ってきましたよ」

 シャワーの音にかき消されて聞こえないのだろう、彼はバスルームの扉をこんこんとノックして、同じことを告げた。

「ありがとう。ちょっと、すりガラス越しに見ないでよ」

 何をしても怒られると感じたので、彼は部屋で黙っていることにした。時計を見ると、抗議の一コマ目はとうに始まっている。こうなれば今日の講義は諦め、本日中にあの少女についてどうするかを決めたほうがいいだろう。

 バスルームの扉が開く音がして、中から壬生がひょこっと顔だけを出した。

「……着替えるますので、一旦部屋から出て頂けます?」

 おとなしくしているだけでも怒られてしまった。

 仕方がないので部屋から出て、玄関の前でぼんやりと空を見上げて待った。

 やがて中から入室の許可が出て、何故か申し訳ない気持ちで靴を脱いで部屋に上がる。すると顔を真っ赤にした壬生が肩を怒らせて冬野目に詰め寄ってきた。

「冬野目君!あなたねぇ」

 わけがわからない彼は、ただおろおろとするばかりだ。

 後ろではバスタオルをかぶってほくほく顔の砧がいる。その砧に聞こえないように、壬生は声を潜めて言った。

「どうして……くっ……黒なんて選ぶのよ!」

 どうやら下着の色のことで怒っているらしい。壬生の好みの色と合わなかったということだろうか。

「いや、サイズは店員さんが選んでくれたんですけど、色やデザインはお客様でどうぞと言われたので……壬生さんは色白なので、黒が映えるかと……グッ」

 喉元を押さえられた。

「じょ、女性の下着は無難なピンクか白でしょう普通!私、自前で……くっ、黒なんてもってないわよ!それに砧ちゃんにはしっかりと可愛い色とデザインのものを選んでおいて……もう!」

 やっと解放された。しかし、これほどまでに怒ることだろうか。女心はわからないと冬野目は改めて思った。

「あ、壬生さんは普段、砧ちゃんのみたいな可愛いやつなんでですか?こう、リボンがついてるような……グッ」

「あなたね……私、こんな辱めは初めてよ」

 顔を真っ赤にして、壬生は下を向いた。今は服を着ているので、そうなると用意した挑戦的なデザインと官能的な色合いの下着をつけているのだろう。

 これまたなかなか風流、と冬野目は満足げだった。

 すると、さっきまでぼんやりしていた砧がとてとてとこちらへやってきた。そして壬生の顔と冬野目の顔を交互に見て、にかっと笑ってこう言った。

「おねえちゃん、すごいカワイイみずたまだった」

 ショート、である。隣の壬生の顔と頭から湯気が上がっている。ような気がする。

「水玉?……あぁ、水玉パンツこと?」

「うん!カワイかったよ」

「……冬野目君、包丁はどこ?」

「な、何を企んでいるんですか壬生さん!」

「だって!下着の色や柄を冬野目君に知られて、あまつさえ屈辱的な色の下着までつけさせられて……私、もうお嫁さんになれないじゃない……」

「何を言うんですか壬生さん、あなた黙っていればただの美女なんですよ。猫のかぶり方を勉強すれば男なんていくらでも」

「違うのよ」

「……え?」

「嫌な、思い出があるの」

 キッチンに座り込み、涙目をうるうるとさせて頬を赤らめる細雪の美少女。

 これもこれで風流、と冬野目は思った。  

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