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邂逅

 砧と一条の悲痛な叫び声は部屋中に響いたが、その声が冬野目に届いたのか、二人は知る術がない。

 

 床が赤黒い液体で染まっていく。それは冬野目の薄い胸板から次々と流れ落ちていて、止まることを知らないようだった。

「ご……御主人……」

 砧は品の良い唇を少し開けたまま、小さく名前を呼んだ。しかし問いかけに答える者は無く、パイプの中を水が勢いよく流れるような、冬野目の血液が流れ出している音が聞こえるだけだ。

 美作―精確には美作だったもの―は、冬野目の身体を右腕で貫いたまま微動だにしない。

「お前ぇっ!」

 一条は素早く跳躍すると、空中で耳と瞳の奥を黄金色に輝かせた。すると彼女の右腕はみるみるうちに細長い形状へと変化し、最後には鋭利な刃物へと変貌していた。

「冬野目を放せっ!」

 地面につま先がつくと同時に、彼女のふくらはぎは膨張・収縮した。美作との距離を一瞬で詰めるべく、その脚はさながら風船のように筋肉を躍らせた。

 室内の景色が、一瞬で後方へと流れる。

 力任せに右腕を振り下ろした。

 

 美作はぐったりとしている冬野目を無造作に放り出し、後方へと跳躍した。

 

 空気を切り裂く音。

 

「人が妖と混じって、人を殺すなんて……あってはあかんことやろ!」

 空振りに終わった自らの右腕を振り上げて、一条は声高に叫ぶ。

 それは誰かにというよりも、もっと大きな存在に対してぶつけるような問いだった。

 存在。概念。思念。思想。なんでもいい、誰でもいい。神でも仏でも、なんなら地獄から顔を出した閻魔でもいい。

 冬野目の死を、なかったことにしてくれ。そう思い乍ら、一条は視界を歪ませた。

「ルールやろ……人間が何をしようが、誰を殺そうがウチらは知らん。でもな、そこに人外の力を混ぜてはあかんねん! 良いことも悪いことも、人は人の力で積み重ねなあかんねん!」

 自分でも何を言っているのか、わからなかった。しかし、一条は口をつぐむことができない。そうしてしまえば、この状況を丸ごと認めてしまうことになると思えてならないからだ。

「何か言ったらどや! ミマサカ!」

 しかし美作は微動だにしない。右手をぬらぬらと鮮血で濡らしたまま、意思も意識もあるのかわからないような目をしている。

 一条の目に、激情の色が宿る。

「殺したる」

 獲物を捕食する肉食獣のように、一条は美作を真正面から睨み付けた。殺意も敵意もありったけを込めたつもりであったが、目の前の化け物はどこ吹く風だ。

 こんなにもあっさりと何かが終わってしまうのか。

 儚い。一条はその言葉を胸中に抱いた。

 人間に比べてはるかに長生きである妖は、人間界の様々な終わりをいくつも見てきた。

 

 人の死、組織の死、気持ちの死。

 

 しかし、それらはどれもひどく緩慢な活動のなかで行われるものだった。

 発達した医療で先延ばしにされる、人間の死。

 ゆっくりと腐敗が進んだのちに訪れる、組織の死。

 自分でも気が付かないうちに手遅れになっている、気持ちの死

  

 しかしどうだ。今目の前で行われた死は、いとも簡単に一瞬で事が済んでしまった。

 どうして、こんなにも簡単なのだろう。

 あれだけ見てきた人間界隈の死は、あくびが出るほどに緩慢だったはずだ。争いを避けて繁栄を勝ち取った人間は、そもそも死から遠い存在になった。それなのに、どうして自分が関わった人間だけが、こうしてすぐに死んでしまわなければならないのか。


 自らの興味の対象が、いつからか砧以外にも広がっていることに、一条はまだ気が付いていない。


 空気が乱れた。

 刃物と鍵爪がぶつかり合う音が響く。しだいにその音の間隔は短くなり、最後にはどすんという鈍い音がした。


 一条は痛みで顔をしかめ乍ら横を見た。

 砧と目が合った。

「秘常、わたくしも……」

「来るな!」

 びくりと、肩を跳ねさせる砧。

「砧は冬野目を……なんとかしてくれ」

 そう言われ、足元を見る砧。赤黒く染まった床の真ん中に、冬野目が倒れている。

 胸には大きな穴。

 臓器が、零れ落ちそうになっていた。砧は思わず目を細めるが、頭を振ってその場にしゃがみこむ。

「わかりました。できることは、すべていたします」

 一条は口角を上げた。痛みが激しく、顔を歪めて再び立ち上がる。

「はじめくんのこと、迎えに行ってあげられるやろか……」

 誰にも聞こえないように、口の中だけで呟いた。

 ちらりと横を見ると、砧が瞼を閉じて冬野目の胸にあいた穴に手をかざしている。

「とにかく、時間を稼がな」

 ぎゅっと力を込めて美作を見る。右の翼から冬野目の血液をしたたらせて、鳥類特有のガラス玉のような目をこちらに向けていた。

「いくで」

 筋肉の収縮。

 一条は渾身の力で右腕を振り下ろし、自身最大限の速度を以て美作に相対した。しかし狐が地上で走り回るのをあざ笑うかのように、美作はひらりひらりと全ての攻撃を躱していく。

 右腕を下せば左の翼で弾かれ。

 左脚を蹴りあげれば、右の翼でいなされる。

 徐々に一条の体力は消耗していき、右腕から流れ落ちる血液が、彼女の消耗に拍車をかけた。







 



 




 



 砧は意識を研ぎ澄ませた。自らの両掌に、全ての胆力を注ぐためだ。

 目の前に横たわる冬野目は、一目で助からないと判断ができる容態だった。損失した臓器があり、残ったものも損害が激しい。大量の血液が失われ、脳に酸素が供給されているのかどうかも怪しい。

 しかし、砧には勝算があった。

 妖界隈を束ねるほどの大きな勢力である、砧一派。自分は、その一派の中でも随一の胆力を保有してる。その全てを冬野目の治療に充てることができれば、命だけは助けることができるかもしれない。

 それは賭けだった。

 まず、一条が美作を食い止めている間に治療を完遂しなければならない。もし一条が倒されてしまえば、次は砧も危ない。冬野目の治療に大量の胆力を使用している砧が、もはや意識すら無くした生粋の化け物である美作に勝てるとは、どうしても思えなかった。

 「そうなれば、御主人も殺される」

 それは確信だった。明らかに、美作は冬野目憎しの一心で動いている。壬生と親しく交流を持つ冬野目が許せない気持ちが強すぎて、自らを妖へと変える禁忌に手を染めたのだ。

 しかし、このまま上手く事が運び、冬野目が一命をとりとめたところで、事態は好転しない。戦力である一条は消耗し、砧自身は治療にすべての力を使い果たして戦力にはならないだろう。

 吠木の到着を待つか。

 いや、それは現実味がない。あの大梟を相手にして、無事でいられるかもわからないのだ。

 どうすればいいのか。

 どう考えても、頭の中には最悪の結末しか浮かんでこない。この部屋の中に、自分を含む三体の死体が転がる結末だ。

 でも、とにかく今はやるしかない。砧は自分にそう言い聞かせて、意識を自分の中に落とした。

 まずは冬野目の失われた臓器。その再生からである。冬野目の体内に残る身体の設計図を元に、それらを構築する。

「こんなに……ひどいなんて」

 額には脂汗が浮かんだ。砧が想像していた以上に、冬野目の体内はずたずたに引き裂かれていた。きっと、美作の右腕に生えている無数の羽にやられたのだろう。

 血管、神経。そして、それらを内包する臓器そのもの。身体中の全てのものを差し出す覚悟で、砧は治療にあたった。

 

 その間にも、部屋の中には美作と一条の交戦の音が響いている。声を、言葉を無くした美作とは違い、一条は常に苦悶の声を漏らしている。

 徐々に、血のにおいも立ち込めてきた。 

 必死に、視線を冬野目に向けた。気を抜くと、一条の方に意識が流れそうになるからだ。

「秘常……本家に戻ったら、一緒にお風呂に入りましょう」

 口の中だけで呟くと、砧の視線の先では徐々に冬野目の失われた臓器がつくられはじめていた。






  


 

  ☆ ☆ ☆







 圧倒的に分が悪い。それは実力差や能力差以上に、覚悟の問題だと一条は感じ始めていた。

 美作は一条の攻撃を全て受け止め、そのまま距離を詰め攻撃に転じる。なので、一条は攻撃から一瞬の間もなく防御を考えなければならず、判断は常に後手後手にまわっていた。

 その原因は、美作の防御が、自身へのダメージの軽減のためのものではないからだ。

 美作が一条の攻撃を受けるとき、それは一条との距離を詰めたい時なのだと気が付いた。一応、致命傷になるような攻撃は防いでいる美作であるが、その他の攻撃については、もはや受けてもいない。ただ、食らうのみである。

 美作は自身の生存よりも、一条の命を奪うことに重きを置いている。

 いや、それも定かではない。もしかしたら、もう美作にそんなことを考えている余裕も、理性も無いのかもしれない。

 しかし、一条にはその理性がある。その分、この戦いが自分に不利になっていく一方だと感じているのだ。

 

 生きて、壬生や冬野目と帰りたい一条。

 この場ですべてを終わらせるつもりの美作。

 

 その違いが、如実に表れていた。皮肉なことに、生きたい者は死に近づき、終わらせたい者は自身の命をつなぎとめている。

 

 次々に繰り出される美作の攻撃を寸前でいなしながら、一条は絶望しかけていた。


 そのときである。


「お待たせしました!」

  

 声の方向を向くと、疲労困憊の様子ながら、吠木が立っている。

 

「はじめくん……」

 思わぬ加勢の登場に、一条の気持ちは一瞬だけ緩んだ。

 しかし。

「はじめくん……腕が……」

 何食わぬ顔で一条の横につく吠木。

 しかし、その身体には左腕が足りなかった。

「大丈夫です。雪丸も無事です」

 上着を乱暴に結んだだけの左肩からは、どくどくと血が流れている。

「それよりも、冬野目さんが……」

「今、砧がなんとかしてるとこや。ウチらは、それまでこいつの相手をせなあかん」

「なるほど……」

 吠木が、残った右腕で雪丸を握る。

 一条は、再び耳と瞳に光を宿した。

「美作さんと僕たち、どっちが先に電池切れになるかの勝負ですね」

「適確やけど、嫌な言い方やわ」

 にやり、と口角を上げ、一条は美作に狐火を放った。

 そのすぐ後ろにつけて吠木が走る。

 美作が狐火を翼で弾いた直後、吠木が俊敏な動きで雪丸を振り上げた。








  ☆ ☆ ☆







 


 目が霞む。自分でも、力が擦り減っていくのがわかる。砧はそう思うと、もう一度自分を奮い立たせ冬野目の治療にむかった。

 その甲斐あって、冬野目の臓器は大半が再生に成功していた。血管には血液が通り、頬には赤みもさしている。

 

 吠木の姿を見た時、喜びと共に自分の無力さを痛感した。たぶん、吠木のあの腕をなおす力は残らないだろう。

 自分のわがままに付きあわせた護衛が、二人とも大けがをしてしまった。

 自分が記憶を取り戻したとき、すぐに本家に戻っていれば、こんなことにはならなかっただろう。

 しかし、砧はどうしても壬生を取り戻したかった。冬野目と笑う壬生の姿を、もう一度目に焼き付けてから京都に戻りたかったのだ。

 そのために、自分はどうなってもいいと思っていた。

 しかし、いわば無関係の一条と吠木を巻き込んでしまった。一条は自分の言うことならなんでも聞くし、吠木はその愚直なまでの忠誠心で、自分の後についてくるだろう。砧にはそんな算段があった。

 それが、砧の心をきりきりと締め付けて放さない。

 

 せめて、冬野目と壬生だけでも無事に帰さなければ。そうでなければ、こうして来た意味がない。

 

 手の甲で汗をぬぐい、一息つく砧。見下ろした先には、胸の穴がすっかりふさがっている冬野目がいる。

「なんとか……なりました……」

 そう言うと、砧は気を失った。










  ☆ ☆ ☆












「なんでや! 雪丸がなんで……」

 驚愕の表情を浮かべる一条の後ろで、吠木は雪丸を握りながらかたかたと震えていた。

 吠木が振り下ろした雪丸は、確かに美作の身体に刃を当てた。いや、妖と化した美作の胆力のみを切って、無力化するはずだった。

 しかし。

 美作の身体に刃を当てた雪丸は、そこで止まった。刃が潰れている雪丸は肉を切れない。しかし、そればかりではなく、美作の胆力すら、切った手応えが吠木には感じられなかった。

 美作の翼による攻撃をなんとかかわし、吠木は一条の場所まで戻って様子を窺った。

 しかし、美作には何の変化も無い。

 雪丸の効果が、確認できない。

「きっと……美作さんは……人間だからです」

「あれが人間か!」

「雪丸は胆力のみを切ります。なので、もともと胆力を持たない美作さんには、効果がないのだと……」

 舌打ちをして、一条は砧の方を見た。

「砧! 美作には雪丸の効果がない……砧!?」

「砧さん!」

 二人の視線の先には、冬野目の横に倒れている砧の姿がある。砧には意識がないらしく、二人の呼びかけにも反応はない。

 美作はじっとその場に佇み、四人の姿をガラス玉に映している。


 一条と吠木は倒れている砧に駆け寄った。一条が砧の上半身を抱きかかえ、頬を叩いたり身体を揺らしたりして、何度も呼びかける。

 しかし、反応はない。


「どうなっとんねん……冬野目は起きへんし!」

「傷は……ふさがってますね」

 二人が見たところ、冬野目の身体は完全に元通りになっていた。しかし、意識を取り戻す気配は無い。 

「雪丸は効かへん……冬野目は起きへんし砧は昏睡。これじゃ……」

 吠木は唇を噛みしめ、横で涙目になる一条をちらりと見た。

「なんのために、戦っとったんや……」

 嗚咽にも似た声でそう言い、一条は視線を落とした。

 


 そのときである。


 

「冬野目君……」

 

 はっとした一条と吠木は、落とした視線を再び上げて、声の主を探した。

 

 開け放たれた重厚な扉に手をかけている、細雪の如き美少女。


「冬野目君……」

 

 血臭が漂うこの部屋には馴染まない、深窓の令嬢。


「どうして、目を閉じているのかしら……」


 

 壬生夏吉が、冬野目をまっすぐに見つめていた。


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