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かわりもの

 窓から健康的な朝陽が射し込み、冬野目百草は夢から覚めた。それまでどんな夢を見ていたかを思い出そうと再び目を閉じてみたが、上手く思い出すことができない。

 いつもそうだ。

 愉快な夢であればあるほど、未練が残る。とてつもなく素晴らしいものだったような気もするし、果たしてそれほどでもないような気もする。しかし、そんなふわふわとした雲のようなものよりも、もっと大事なことがあったような気がする。

 なんだろう。

 思えば、身体中が痛い。関節がきしみ、オイルが足りないロボットになったような気分だ。枕はいつもより高いし、床は今まで経験したことがないくらいに堅い。実家ではそこそこ高い羽毛布団を使用していた彼は、このような堅さに慣れていない。まるで、中学時代にクラスで一番可憐な女子に話しかけたときに頂いた、あの視線と同じだ、と思った。

「悲しいなぁ」

 ふと、口から言葉が出た。すると頭が若干すっきりとしてきて、今現在の状況を冷静に思い出すことができた。自分は床のように堅いベッドではなく、実際の床に寝ている。そして枕は愛用の低反発枕ではなく、いつも自分の貧相な尻を文句ひとつ言わずに受け止めてくれている座椅子だ。

 どうしてこのような状況になっているのか。

 冬野目は自分のエリアを大事にする男だ。そしてそのエリアの中にある所有物に対しては、それがどんなに経年劣化をしても、同じように愛情を以て接する。

 東北紳士なのだ、と自認している。

 なので、本来は尻を預けるための座椅子に頭を預け、ぺたぺたと裸足で歩くのが心地いいフローリングに身体を横たえているのは、彼から見れば非常事態なのだ。 

「あぁ……」

 昨晩の出来事をようやく思い出した。アルバイトを終えて自転車に跨り、帰り道の途中にあるコンビニで軽い夜食を買った。そこでは大学の学友である壬生夏吉が働いていて、彼女と会話をした。その後店を出て下宿に帰ろうとして、それを見つけたのだ。

 布団から這い出して、気を抜くとすぐに世界を遮断しようとする瞼をコントロールする。やけにのどが渇いたのでキッチンに向かうと、上京前にはこんなもの使う機会はあるのかと思ったほどの大皿が水に浸してある。

「壬生さん、あんなにたくさんよく食べたなぁ……」

 そんなことを考えながらコップに口を付けて水を飲む。ちなみのこの水は、都会の水道水を嫌った冬野目が、水道水を一度煮沸させてから冷やしたものだ。彼はまだ田舎での生活が完全には抜けきっておらず、ミネラルウォーターを買うという経済活動については抵抗を覚えている。

 彼が愛情を込めて過熱を冷却を施した水が、食道を駆け抜けていった。

 ふと、部屋の中を見ると自分のベッドが膨らんでいる。その光景があまりにもシュールで、現実ではないようだった。

 そう、昨日の記憶は何かの間違いで、自分は酒に酔って専門の業者に電話をし、こうして朝を一緒に迎えてくれる深窓の令嬢を雇ったのではなかったか。そう考えると辻褄が合う。ような気がする。

 違う違う。頭を振って自分に言い聞かせる。自分には、そんな度胸はないはずだ。それに、もし先ほどの仮説が正しいのであればこうして一人堅い床の上で目が覚めるというのはおかしい。支払うものは支払ったのにサービスを受けていない。詐欺だ。

「えっと、消費者センターの番号は……」

 もともと最高回転数に不安が残る頭だが、さらに今は本調子ではない。パソコンの検索エンジンに消費s、とまで打ち込んでからようやく全てを思い出した。

「ど、どうしよう」

 自分のベッドで静かな寝息を立てているのは、おとなしくしている限りは誰もが振り向く、細雪の如き美少女。そして京都の旅館で育った由緒正しき御令嬢。同じ大学の学友であり、タヌキに並々ならぬ執着を燃やす謎のサークル仲間、壬生夏吉だ。

 ゆっくりと立ち上がり、自分の部屋なのにも関わらず忍び足でベッドに近寄る。若い女性の寝顔を無断で覗き見るような卑劣な真似はしたくなかったが、状況を再確認するためにはしかたがない。これは任務なのだ、と自分に言い聞かせた。

 白く、そして触れるまでもなく柔らかいとわかる頬。瞼はぴたりと閉じられていて、小さな唇は少しだけ開いている。掛布団から顔だけをちょこんと出して、すやすやと夢を見ている。

 控えめに表現して、作り物のようだ。

 これほどの容姿であれば、右手にはハンサム、左手にはタイプの違うハンサム。そして右足で不細工の金持ち、左足では違う不細工の金持ちを一度に弄ぶことも可能だろう。もちろんアルバイトなんて無粋な労働はする必要は無く、毎月の貢物で暮らすことも可能であるはずだ。なんなら彼女が好きな焼きそばをつくらせるためだけに、もう一人ハンサムをはべらせてもいいだろう。

 その彼女が、自分のベッドに。

 もちろん、世間一般的で言われるような男女の一晩があったわけではないにしろ、こうして男の部屋で何の警戒心もなく眠り込むというのは、ほとんど『許可』が出ているということではないだろうか。

 或いは。

 あとは自分の一押しだけだったのではないだろうか。昨晩はあくまで紳士的に振る舞ったし、別段下心があったというわけでもないのだが、冬野目も男だ。二次元の創作品や男性向けの夢動画でしか見たことが無いようなこのビジュアルを目の前にして、いつまでも紳士をやってるわけにもいかない。彼の紳士は二十四時間営業ではない。

「うぅん……」

 甘ったるい声と共に、壬生が寝返りをうった。寝具がすこしはだけ、彼女の柔肌が露わになっている。

 直後、冬野目はテーブルの下に逃げ込んでいた。彼にとっては地震と同じくらいの衝撃だったのだ。

 壬生が起きないことを確信して、彼は再びベッドの横に立った。

 そして、頭を抱えた。そのままもんどりうって転げ回るところであったが、持ち前の豆腐の如き自制心を発揮してその衝動を押し込めた。この際に何丁分の豆腐が費やされたことか知れない。

「どうしてだよ……壬生さん!」

 声を押し殺して、むせび泣くようにして言った。

 彼は何を見たのか。

 壬生が寝返りをうった際、掛布団がはだけて胸部が露出した。もちろん衣服は着用していたが、そこには膨らみと呼べるものがほとんど確認できなかった。

「壬生さんのルックスなら、大きくなきゃ!華奢で清楚で夢乳、これじゃなきゃ!」

 ちなみに夢乳とは冬野目オリジナルの造語で、形も大きさも素敵な女性の胸部のことである。中学時代の可憐なクラスメイトは、冬野目のこの発言を聞いてダイヤモンドよりも堅い視線を彼に突き刺したのだ。

 しかし壬生の胸部は、判定基準である「夢乳ライン」に達してはいなかった。項目でいうと「大きさ」が、赤点だったのだ。そして冬野目に友達がいない理由、特に女性から、精神的にも肉体的にも積極的に距離をとられていた理由はここにある。彼には一風変わったこだわりがあり、かつてはそれを周囲に熱弁して憚らなかった。それを聞いた女性陣はもれなくその瞳を三白眼に変貌させ、以降彼を存在していないものとして扱った。彼はまるで妖怪や幽霊のような存在として扱われたのだ。

 彼のこだわりとは、「背が高くて清楚な美少女は、豊かな乳まわりが好ましい」というもので、これでもかというほどに独断と偏見に満ちていた。ちなみにこだわりはもう一つあり、それは「背が小さくて幼い美少女は、慎ましい乳まわりが好ましい」であり、これは何らかの条例に触れている可能性があった。

 そんなわけで、自分を客観視できるようになってからの彼は他人と距離を置いた。自分の信念を曲げたり偽る必要がある人間関係を捨てて、生涯孤独でも初志貫徹を選んだのだ。

 夢乳紳士である、と自認している。 

 冬野目がフローリングの上で悶絶している。サークルでの自己紹介やその後の遭遇など、壬生と会う機会は幾度となくあったが、彼女の胸部についてはあまり意識を向けてなかっのだ。それは現実の人間に向けるにはあまりにも危険で、いつ国家権力の世話になるとも知れない。なので、ここ最近は二次元や、ネットで特定のワードを入れて検索すると出てくる夢画像で我慢していた。しかしこうしてほぼ完ぺきな女性が目の前に現れ、奇跡的に自分と仲良くしてくれている。その背後に見え隠れ、というかほぼ見えっぱなしの下心については目をつぶり、彼は久々に現実の女性に興味を持ったのだ。相手が睡眠の世界にいて留守中だということを利用して。

 しかし。しかしである。赤点であるその一項目が、彼には許容できなかった。それはまるでインサイドワークが不得手な捕手であり、左利きだということ以外はすべて完璧な三塁手であり、守備走塁は抜群だがバントが苦手な二塁手だった。この比喩の中では、もちろん二塁手は二番打者だ。

 彼は息を整えた。そして、やっぱり創作とネットの世界でのみ自分の居場所は確保されるのかと落胆していると、ベッドの中でもぞもぞと動くものがあった。

「あぁ……タヌキか。なんだかもうどうでもよくなっちゃったなあ。あれ……こんな大きかったっけ」

 無責任なことを言いつつも、一応は保護したのだから容態は気になる。怪我は応急処置であるがしてあるし、食事ももりもり食べていた。これですっかり元気になっているようなら、今日にでも山に帰そう。

「でも……血が出てたなぁ。風呂でも入れて洗ってあげてからの方がいいか」

 タオルを用意し、タヌキのもふもふの毛を乾かすために普段は使わないドライヤーも押し入れから出した。準備万端とばかりに、布団からこっそりとタヌキを連れ出そうと試みた。というのも、このままタヌキを山に帰すことに壬生が反対すると思われたからだ。彼女のタヌキ好きは異常で、下手をすればこのまま飼うと言い出しかねない。そうなれば自分の食事も用意できない彼女に、タヌキの世話ができるはずがない。ひもじい思いをするのが一人から一人と一匹になるだけだ。そうなれば、きっと彼女は自分に世話を頼む。そして彼女自身は気が向いたときにこの部屋を訪れ、気が済むまでタヌキと触れ合って帰るという都合の良い関係になってしまう。

 それはあまりに面倒だ。

 定期的に壬生が訪れてくれるというのはやぶさかでもないが、そのたびに先ほどの苦悶を繰り返すのは御免だ。現実の人間への未練をすっぱりと断ち切るためにも、ここでタヌキとは別れなければならぬ。そう冬野目は決意した。

「……おいで、お風呂で遊ぼう。おやつもあるよ」

 壬生を起こさないよう、囁くような声でタヌキを呼ぶ。まるで小さな子供をたぶらかす変態のような感じもしたが、背に腹は代えられない。

「……おやつ?」

「そうそう、おやつ……え?」

 女性ではあるが、壬生とは違う声だ。

「おやつあるの?」 

「だ、誰ですか?」


挿絵(By みてみん)


「ごしゅじん!」

 冬野目の腹部に衝撃が走る。その紙飛行機並みの強度しかない骨格は悲鳴を上げたが、なんとか大声を出さずに済んだ。

 しかし。

「だ、誰ですかあなた!」

 目の前では、垂れ目がちで大きな瞳がらんらんと輝いている。ネットで見たことがあるボブカットと呼ばれる髪型をした美少女が、冬野目に抱き付く格好でそこにいた。

「ごしゅじん!ごしゅじん!」

 満面の笑みである。混乱する冬野目をよそに、ボブカットの美少女は彼の薄い胸板に顔を埋めた。

「ありがとう!ごはん、おいしかった!」

「ごはん……?ありがとうって……??」

 よく見ると、彼女の右足には白い包帯が巻いてある。不器用なその巻き方は、まさに冬野目が巻いたものだった。

「君は……まさか昨日のタヌキ?」

 それを聞いた少女は冬野目から離れ、態度を一転させた。両足を折りたたんで正座になり、三つ指をついて頭を下げた。

「そのせつはまことに……」などと、舌っ足らずな口調で言う。

「いや……でもタヌキが人間に?そんなアニメみたいなことが……」

「なにもふしぎじゃないよ、つるもやったことだし」

「つる……鶴のこと?それは鶴の恩返しのこと?それは昔話というか、おとぎ話であって……」

 対面の少女は小首を傾げている。言葉が難しかったのか。

「つ、つまり、つくり話なんだ。鶴の話はさ、想像してつくった話なんだよ。現実にあった話じゃないんだ」

「なんでわかるの?」

「え?」

「なんで、つくりばなしってわかるの?」

「それは……」

 華が咲いたように、笑顔が弾けた。

「しんじよう!いま、わたしがいることを、しんじよう!ごしゅじん!」

「信じる……」

 こくこく、と相手は頷いている。それでも、はいそうですかと信じるわけにはいかない。

「でも……」

「うーん?これでも?」

 彼女は脚を差し出した。そこにはさきほども見た不器用な包帯。しかし、それよりも大切なことに冬野目は気が付いた。

「……君、裸じゃないか!!」

 余程混乱していたのだろう。目の前にいる狸顔の美少女が衣服の類を身に付けていないことに気がつかなかったのだ。しかし、一度それに気が付いてしまうともう頭から離れない。一見して冬野目や壬生よりも幼い顔をしているが、何も身に付けずに露出させているそのふとももはぷるんっと肉感にあふれ、腰まわりはきゅっと締まっている。そして胸部に目がいったとき、冬野目は本日二回目のもんどりを召還することになった。

「……どうして」

 包帯の少女は意味が分からない様子だ。

「どうして君みたいな小柄な女の子が夢乳なんだ……」

「む、むにゅう……?」

「君のように小柄で垂れ目がちなロリっこには、慎ましい乳まわりでいてほしいのに……」

 完全にアウトである。

「えっと?えーっと?」

「どうして……その小さい身体にそんなにも適度な弾力を搭載しているんだ……どうして胸部に新幹線を二車両用意してあるんだ……くそう!」

 肩をふるわせ、少女は眉を潜めた。どう見ても怯えている。それも無理はない。今彼女の目の目の前にいる木の枝ような男は、拳を握りしめて血の涙を流しているのだ。いや、人体の構造上そう簡単に目から血は流れないだろう。しかし、そう表現するしかない光景を彼女は見ている。これで逃げ出さず、その場に留まっているだけでも賞賛に値する。

「ごしゅじん、おちついて……」

 包帯以外には何も身に付けていない少女に慰められる木の枝。

「そ、そうだ……まずは冷静に……。はっ」

 何かに気が付いた様子で、冬野目はベッドの方を見た。

「ごしゅじん、どうしたの?」

 こんな光景を壬生に見られでもしたら、もう大学ではやっていけない。

「き、君、とりあえず外に出よう。それからお話しようか」

「そと?そとはきらい……」

 それまでの無邪気な態度とは打って変わって、彼女は俯いてしまった。

「ど、どうして?」

「こわいから……」

 気が付くとい、彼女は包帯を巻いた右足をさすっている。きっと、他の動物に怪我をさせられたのだろう。それがトラウマになって、今は外に出たくないのだろう。

「じゃ、じゃあお風呂に入らない?さっぱりして気分も良くなるよ」

「おふろ?ってなにー?」

「お風呂って、お湯を浴びて身体を洗うところだよ。すごく気持ちいいんだよ」

「へえー。それ、する!」

 笑顔が戻った。

「よ、よし、じゃあ入っておいで。タオルとかはもう用意してあるから」 

「ごしゅじんも!」

「え?」

「ごしゅじんもいっしょがいい!」

「だ、ダメだよ!」

 そこでふと、背後に気配を感じた。

「冬野目君、何をしているの?」

「え……」

 恐る恐る振り返ると、そこには衣服の乱れをきっちりと正して、腕を組んで立っている壬生がいた。

「その子……まさかあなた……」 

「いや、ちがう!ちがうんだ壬生さん!」

 緊張が張りつめる空間に、可愛らしい声が溢れた。


「ごしゅじんー!はやくいっしょにきもちよくなろうよー!」

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