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気温が上がり

 冬野目一行は、美作が壬生を拉致監禁していたアパートに戻った。既に夕暮れと呼ぶには辺りは暗く、街灯も灯り始めている。日中よりは気温が下がったとはいえ、空気は今だ湿気を多く含み、恐らく数字よりも気温の体感温度は高い。それにも増して不快指数は跳ね上がっている。

 部屋の前で待っていた吠木は、紫色の布に包まれた細長い棒を抱えて不機嫌そうに座り込んでいた。

「……どれくらい待ったと思っているんですか」

 目をすわらせ、小さな身体をさらに縮こませて冬野目を下から睨み付ける。

「ご、ごめん。思った以上に時間がかかったんだ。でも、そのおかげで壬生さんの居場所に見当がついたよ」

「……全く。部屋にいても暑いし服が肌に張り付いて気持ち悪いし。かといって外に出ても蚊がいるし。とんだ災難でしたよ」

 唇を尖らせて吠木は言う。

「はじめくん、そんなら部屋の中におった方がよかったんちゃうん?」

 困惑顔の一条に、砧が言葉をかける。

「吠木は、わたくしたちの帰りを今か今かと待っていたのです。だから、帰ってきたら早く姿を見つけられるようにと、こうして外にいたんですよ」

「ほえぇ、砧はなんでもお見通しやなあ」

「窓からこちらを窺っているのが見えましたから」

 にっこりと笑う砧に、吠木は頬を染めて抗議する。

「べ、べつにそんなんじゃありません。それよりも部屋に入りましょう」

 一同はアパートの一室、空っぽの部屋の中で円を組むように座った。窓は網戸が引かれ、夜空には満月が輝いている。

「さて、次に向かう場所は決まったわけやけど……」

 一条は腕を組み、胡坐をかいている。

「このまま真正面から攻め込むつもりやないよな?」

 すまし顔の砧が答える。

「ええ。わたくしたちの目的は壬生さんの奪還であり、烏丸一派の解体ではありませんから」

「ほな、こっそりと侵入して壬生はんを取り戻して、こっそりと逃げるっちゅうんが理想やな」

 一人で頷く一条。

「そう……ですね。それが一番確率的には高いでしょう」

 冬野目は心配そうに口を開いた。

「あの……そう何か作戦があるのですか?」

 冬野目は不安だった。自分はアリほどの戦力にもならないうえ、そもそも仲間の数は少ない。それに比べて烏丸の主な戦力は、これから向かおうとするビルに集められているというのだから。

「大丈夫やろ。真正面から殲滅戦をしかけるっちゅうならまだしも、コソコソするんやったらウチらの方が有利や」

「有利? なぜです?」

「考えてもみい? あっちは敵がどこから来るかわからんから、戦力を分散させとる。それに比べてウチらは、持てる戦力を一点に集めて突破、そして一人の人間を掻っ攫ったら、あとは逃げるだけや。そもそもの目的が違うねん。向こうは広い土地をカバーせなあかんねんから」

「あぁ……成程。つまり、目的達成の最低ラインを厳守するという一点においては、僕たちのほうが難易度は低いってことですね?」

「せや。それに、こっちには記憶を取り戻した砧もおる」

 視線を向けられた砧は、静かに正座をしている。その様子は落ち着いているようであり、冬野目の不安は幾分、解消されたように思えた。

「たしかに……それなら大丈夫そうですね。吠木君も、今回は武器があるわけだし」

「ええ」

 吠木が紫の布を取ると、中からは見事なつくりの日本刀が姿を現した。窓から入る月光に照らされて、面妖に輝いている。

 刃に視線を向け乍ら、吠木が澄んだ声で言う。

「これは武器というよりも、あくまで鎮圧用なのですが……それでも、前回の倉庫のようにはなりません」

 そう、前回の戦闘では一条が孤軍奮闘し、その結果敗北寸前まで追い詰められた。その間吠木は相手の術にかからないようにするのに精一杯で、一歩も動くことができなかった。

 冬野目が日本刀を指差す。

「それ、刃は潰れているって言っていたけれど……どんな効果があるんだい?」

 すらりと刀を鞘から抜き、切っ先を天井に向けて構える吠木。

「これは、相手の胆力のみを切るのです。なので、肉体は傷つきません。妖専用の道具ですね」

 はあ、と冬野目は息を漏らした。確かに目の前で行われてきた二度の戦闘は、単純な肉弾戦とは言い難いものだった。一度目の最後はこの刀で決着がついたし、二度目の倉庫での戦闘は、砧の不思議な力で敵を無力化し、一条の、これまた不思議な力で相手を無力化した。

 言葉の続きを、砧が引き継いだ。

「これは雪丸といい、妖の長い戦いの教訓を活かした代物なのです」

「教訓……?」

「御主人、今の人間界では、戦争は頻繁に勃発していますか?」  

 少し考え、口を開く冬野目。

「……いいや、最後に大きな大戦があってから、少なくとも七十年くらいは起きていないね」

「それは、なぜだと思いますか?」

「なぜかって……凄惨な戦争を経験した人が、その経験談を後世に残して、戦争は良くないことだとみんなが認識したからじゃないかなぁ」

 自信なさげに話す冬野目。それも無理はない。現代に生きる大学生にとって、戦争は教科書の中の出来事でしかない。それは現実ではなく、どこか作り物じみたおとぎ話のようなものなのだ。歴史という学問や、戦争という出来事は知っていても、それがどんな光景を生み、どんな意味と価値観を人に植え付けたのかは、知る由がない。

 果たして、砧は目を細めて話し始めた。

「雪丸は、相手を傷つけずに無力化するために生み出されました。それまでの妖同士の抗争は、人間の戦争と同じく、相手を殲滅、もしくは全てを奪うことが勝利条件であり、目的でした。しかし、これが出来てからは変わりました。胆力が使えなくなった妖など、子供を驚かす怪談話ほどの力も持ちません。これに切られた者は、妖と呼ぶには中途半端な存在に成り果てるのです。先程、吠木はああ言いましたが、雪丸の目的は本来、相手を無効化することではありません」

「え……そんな強力な武器、他にどんな目的が」

「それは、人間の武力と同じです」

「人間の武力と……?」

「そうです。今、人間界で戦争が勃発しにくいのは、決して先人たちの教えなどではなく、お互いがあまりにも強力な武力をもってしまったからなのです」

「それは、どういう……」

「下手に手を出すと、自分にも甚大な被害が及ぶ……それなら、お互いに武力を持ち、おいそれと手を出せないような状況をつくる。これが無難なやりかたです。そのバランスが崩れた時、また戦争は始まるでしょう。だから、過去の経験から人間が学び、戦争を積極的に回避しているわけではないのです」

 砧は雪丸を指差す。

「今の妖界で、雪丸のようなものを持つのは我が砧一派のみです。その気になれば他の一派を解決に追い込むこともできる。しかし、使い方によっては強力な抑止力にも成りうる。わたくしの父は、後者の使い方を選びました」

 砧はすっと顔を上げ、一同の顔をゆっくりと見渡しながら凛とした声音で言った。

「わたくしも、雪丸を抗争の道具にはしたくありません。あくまでも壬生さんの奪還のために使います」

 ふう、と一条が息を吐いた。

「変わらんなぁ。誰よりも大きな力を持っとるけど、誰よりも平和主義や」

 言われた砧は叔穏やかな顔である。うっすらと微笑みを浮かべ、何も言葉を発しはしないが、静謐な雰囲気をまとっている。

「それに、抗争なんて何も面白くはないです。わたくしは平和の海におぼれて、秘常や吠木をからかい乍ら愉快に暮らしていければそれでいいのです」

 一条と吠木も、その言葉を聞いて緩やかな表情を浮かべた。

「さて、それでは動きましょう」

 きゅっと表情を締めた砧。一同は立ち上がり、月明かりに照らされたそれぞれの表情を見て、冬野目は呟いた。

「やっと、これで終わるんだ」

 その声はあまりにも小さくて、誰の耳にも届いてはいないだろうと思っていた。しかし、妖共はしっかりとその言葉を拾い上げ、冬野目の方を向いた。

「わたくしたちの、そして御主人の友人を取り戻しにいきましょう」

 白っぽい月明かりが街を照らす夜更け時、三人の妖と一人の人間は巨大なビルを目指して動き出した。



 



 目的のビルに近づけば近づくほど、その大きさに圧倒された。

 この近くには高い建物がないので目立つのもあるが、それにしてもこれは大きい。その佇まいは、自らの資金力や影響力を周囲の住民に誇示しているかのようでもあり、また持たざる者を見下しているようでもあると、冬野目は思った。

 物陰に隠れ、少しづつビル―M・G・(ミマサカグループビルディング)―へと向かう一向。深夜なので誰かとすれ違うこともなく、これまでは至って順調な行軍と言える。

 相変わらず月明かりは優しく街を照らしている。

「チッ、やっぱり正面には警備員がおる」

 路地の壁から顔を半分だけ出し、ビルの方を見ていた一条が呟く。冬野目も恐る恐るビルの正面玄関を見ると、そこには二人組の屈強そうな警備員が立ってた。腰には警棒のようなものを装備していて、誰も通さない、という意気にあふれているようだ。

「では、こちらから入りましょう」

 砧はそう言うと、姿勢を低くしてビルの裏手へと向かった。一同もそれにならって移動した。

 ビルの裏には、別の建物との隙間がある。しかしそこは、人一人がどうにかして入れるほどの幅しかない。

「入り口がないか、様子を見てきます」

 そう言うと吠木は素早く移動して建物の隙間に身体を入れて、そのままするすると奥へと進んでいった。

 その間にも、警備員が巡回してくるのではないかと、砧は周囲の警戒を怠らない。

 しばらくすると、身体中についた蜘蛛の巣や、砕けたコンクリート片など払いながら、吠木が戻ってきた。

「奥に窓があります。どうやらトイレのようですね……今は使われていないのか、巡回がくる気配もありません」

 ふむ、と顎に手を当てて考え込む砧。

「そこから入りましょう」

 砧がそう言うと、吠木が眉根を寄せて口を開いた。

「それが……鍵がかかっています。窓を割ってもいいのですが、そうすると音で警備員が駆け付けてくる可能性が高いです」

「それもそうですね……」

 再び顎に手を当てて考え込む砧に、不敵な笑みを浮かべた一条が声をかける。

「ふっふっふ。どこかに侵入する言うたら、こんなんは日常茶飯事なんやで」

 彼女は金髪のショートカットを揺らし乍らそう言うと、どこから持ってきたのか、ガムテープを取り出した。

「これを窓に貼ってから割れば、音は殺される。それに硝子の破片が落ちることもないし、潜入にはもってこいや」

 ガムテープの芯に指を通してくるくると回し、誇らしげに言う一条。

「秘常、コソ泥みたいで素敵ですね」

 にっこりと微笑む砧の言葉は、決して褒めているものではないと思う冬野目である。しかし一条は得意げに頷き、真っ先に壁の隙間に向かって歩き出した。

「ええか、ウチが潜入に成功したら、小さい狐火を窓の外に出す。それが見えたらみんな来てや」

 一同が頷くと、一条はしなやかな身のこなしで、さっそうと隙間へ入っていった。

「本当に……コソ泥スキルが上がっています」

 横でそう呟く砧を冬野目が見ていると、その視線に気付いたのか、砧はゆったりと目を細めた。

「昔、よく色々なものを盗まれました。切った髪に切った爪に洗濯前の下着……それにわたくしが食べ残した食事も、気が付くと無くなっていましたねぇ」

「あ、それ全部一条さんですよ。僕は何度も現場を見ています」

 犯行現場の目撃を申し出た吠木に、砧は朗らかな顔で応える。

「それらの経験も、こうして役に立つのですねぇ……」

 冬野目は思った。あのショートカット金髪関西弁は、人間界なら確実に逮捕されて国家権力の世話になる。そしてそのための費用の出どころは、自分たちのような善良な市民が汗水たらして働いて納めた税金である。

 犯罪、ダメ絶対。

 そうこうしているうちに、目の前に続く暗闇の中にぼうっと光るものが見えた。

 狐火である。

「僕が先に行きます」

 闇の中に吠木が溶けた。それを見ていると、ふとした疑問が冬野目の脳内に降りてきた。

「砧ちゃん……君ら妖なら、なにもこんなことをしなくても建物の中に入れるんじゃないかな?」

「ええ。余裕です」

 しらっとそう答えた砧に、疑惑の視線を向ける冬野目。

 砧はその視線を受け止め、言葉をつづける。

「しかし、それでは御主人が侵入できないでしょうから。御主人も一緒でないと意味が無いのです」

「え……それは」

「そろそろ行きましょう」

 言葉が最後まで出てくる前に、砧はさっさと暗闇の中に進んで行ってしまった。

 仕方がないので冬野目も後に続く。

「意味って……なんだろう」

 砧の後を追って闇の中に飛び込むと、冬野目が思った以上に壁との隙間は狭く、上手く歩くことができない。

 肩は擦れて痛むし、おそらくあまり風が通らないのだろう、かび臭い空気が停滞していた。

 しかし、それでも冬野目は自らを奮い立たせ、狐火が見える窓までぐいぐいと進んだ。

 ガムテープが貼られて、更に割られている窓の真下につくと、窓のサッシに手をかけて渾身の力を込める。

 冬野目は身体は肉という肉がそぎ落とされて、戦闘力皆無のゼロ戦のような構造をしているので、重量はさほどではない。しかし、その『さほどでもない重量』を引き上げるほどの筋力も、彼の腕には無かった。しばらく声にならなううめき声をあげてサッシと格闘していると、手首をつかまれて一気に引き上げられた。

「きゃっ」

 思わず可憐な女子中学生(テニス部所属・ほどほどに巨乳)のような声をあげてしまった。冬野目。ふと顔を上げると、薄く形の良い唇に人差し指を当てている、金髪の美人がいた。

 どうやら窓の中、つまり使われていないトイレへと落ちたらしい。

「ホンマ筋肉無いなぁ。もっと肉食べなあかんで」

 このコソ泥さん、素敵。そう思った冬野目である。

「さて、行きましょう」


 ゆっくりと砧が扉を開けると、意外にも何の音も無くすんなりと開いた。

 磨き上げられて光る床を踏みしめ、廊下へと出る一向。左右に首を振ると、どちらも先が見えない暗闇が続いている。

 

 


 

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