陽がさして
人気の無い公園である。砧と冬野目は隣あってベンチに座り、鎌田を呼び出すための算段をしている。一条は隅っこの方でめそめそと泣いている。
太陽はとろとろと沈み、冬野目の頬を気持ちの良い風が吹き抜けた。
空はどこか懐かしい、藍色と紺色の間のような色をしている。
冬野目はちらりと携帯電話の画面を見て、目的の連絡先を呼び出した。
それを見ていた砧が言葉を挟む。
「良いですか、まずは普通に呼び出して、相手が渋った後にエサをちらつかせるのです」
口角を邪悪に上げて、薄い暗闇の中で彼女は笑う。
「どうして?初めからこの画像を見せればくると思うけど」
冬野目は不思議そうに聞いた。それも無理はない、つい先ほど撮影した画像の破壊力は抜群で、異性に対して一般的な感性を持ち合わせる男子ならば、誰もが目を離せなくなるだろう。
その画像に映っているのは、恐怖にじっと耐える、金髪美人の婦警さん。左右に揺さぶられて短いスカートはめくれあがり、紫色の布がちらちらとコンニチワしている。
ならば、それを初めから提示すれば良いではないか。
しかし砧は相変わらず邪悪な表情で答える。
「思うに、あのぷよっとした方は相当な出不精なのでしょう?」
冬野目の脳内に、鎌田の白いマシュマロのような顔が再現される。鎌田は積極的に運動という運動を避けてきたがために、今では全身に脂肪がこびりついていてなかなか離れてくれないと言っていた。彼の肉体はミシュランのアレのようでもあり、ゴーストバスターズのアレのようにも見えると、冬野目は常々思っている。
「そうだよ。あいつはなかなか外出しないんだ。自分が外に出ると世の中の酸素が減って環境破壊になるからとか言ってたなぁ」
「単純に、面倒なのでしょう」
「まぁ、そうだろうけど……」
砧は人差し指を立てて、左右に二回ほど揺らした。
「恐らく、あの方は一度目の誘いを断るでしょう」
「はぁ…どうしてわかるの?」
「今は夕方ですからね。あの方は本来ならば女児向けのアニメを鑑賞していると推測されます。そこに御主人からの誘いの連絡を受けて、アニメと御主人を天秤にかけるわけです」
確かに、と冬野目は思った。鎌田はアニメであれば万遍なく愛を注ぐ男だ。熱血ロボット物でも社会派サスペンス物でも、それが二次元のものであれば大抵の作品に手を出す。そして一通り鑑賞した後、「作画がクソ」「ヒロインが可愛くない」「金髪ツインテがツンデレしないとか無いわー」等々のコメントを残す。最近ではそれに加えて「五分に一回はパンチラが欲しい」という要望も加わることが多い。それを聞いた冬野目は大抵、「全くその通りだ」と思う。
「そうか……僕とアニメを天秤にかけるとなれば、どちらが大切かなんて考えるまでも無い……」
顎に手を当てて考え込む冬野目。しかしそれは形だけのものだ。今の鎌田の状況を自分に当てはめて考えてみれば、答えは簡単に浮き出てくる。
「そうです。あのぷよっとした方からしてみれば、御主人とからの誘いよりも、実在しない二次元の女の子の方が大切なのです」
哀しそうな顔で砧は呟く。それは冬野目を憐れむようでもあり、学友よりも二次元を優先する鎌田を憐れむようでもあった。
「ま、当然だよね」
冬野目の言葉に、砧は俊敏な動きで横を向いた。目の前にいる冬野目はさも当たり前のような表情で藍色の空を見上げている。
「え……あの」
「僕だって、同じ状況だったら誘いは断るもん。むしろ連絡なんて無視するかな。一秒たりとも無駄にしたくないし」
「……」
言葉に詰まっている砧をよそに、冬野目は首を腕組みをして話を続ける。
「で、それと画像の使い方にはどんな関係があるの?」
「え、ええ。それはですね……」
動揺が隠せない砧は深呼吸をした。そして咳払いをして、改めて冬野目の方を向いた。
「まず、一度目に誘いを断ったときに、若干の罪悪感を感じると推測できます。なので、二回目の誘いの時にエサをちらつかせることによって誘いに乗りやすくしてあげるのです」
「へぇ……良くできた作戦だけど、効果は未知数だと思うなぁ」
腕組みをしたまま唸る冬野目。
「な、何故です?」
「だって、その状況で罪悪感を感じるかな? アニメ見てるときに連絡してくるほうが悪いじゃん」
砧はぽかんと口を開けたまま冬野目を見ている。
「ま、一応やってみよう。何にしても一条さんの画像があれば大丈夫だと思うけど」
「え、ええ。お願いします」
鎌田が公園に到着したのは、冬野目の連絡から約十五分後のことだった。
「冬野目、凌辱婦警さんはどこだ」
全身から湯気のような煙のようなものを立ち昇らせている鎌田に、冬野目は公園内の一角を指差す。
「あそこで泣いてるよ。今はあんまり近寄らないほうが良いと思うなぁ」
冬野目が指差した方向を見た鎌田は、地面にしゃがみこんで木の枝で何やらを描いている一条を発見した。
辺りが完全な暗闇に包まれ、街灯が仕事をし始めた公園において、一条の周りだけがなぜか暗く感じる鎌田である。
「あぁ……事後感がハンパないな」
こほん、とわざとらしい咳払いをして、砧が話を始めた。
「あの、鎌田さん? こうして来ていただいたのには理由がありまして……」
そこまで話して言葉に詰まる砧。見ると、鎌田は不思議そうに眉をひそめて砧のことを凝視している。
「あ、あの……なんでしょう?」
動揺とも恐怖とも嫌悪ともとれる表情で身をよじる砧。
「君……先日大学で会った子?でもそれにしては雰囲気が相当違う……でも顔がとてもよく似ているし……」
鎌田の疑問も無理はない。鎌田が一度だけ会ったことのある砧は、記憶を取り戻す前の砧なのだ。あのふわふわとした雰囲気や完全なる妹属性の言動は、今の砧から感じ取ることはできない。
どう説明したものか、と思案した結果、冬野目は一番無難なものを選んだ。
「あぁ、この人はあの子のお姉さんなんだよ」
「……ほう?」
冬野目の適当な説明に、納得以上の何かを得た様子の鎌田。じとっと湿った視線を砧に送り、彼女の全身をつま先から順に舐め回す様に観察している。得に腰回りへは視線の八割以上があからさまに集まり、知りたくもない鎌田の性癖を知ってしまったと、冬野目はげんなりした。
「だから、そのことは気にしなくていい。それよりも、この人の話を聞いてくれない?」そう言って冬野目は砧を手で示した。
思いがけない冬野目の真剣な声色に、鎌田は舐め回すような視線を収めた。
「お、おお……」
「すみません。せっかくアニメ見てるところを呼び出してしまって……」
ぺこりと頭を下げる砧に、鎌田はふふんと胸を張る。
「それは気にしなくていいでござる。録画してあるで候」
「えっ……なんでいきなり武士みたいになったのですか……」
鎌田はクリームパンのようにぷにぷにとした手を組んだ。
「それで、何を聞きたいのでござるか?」
「ええっと……鎌田さんがしていらっしゃったというアルバイトのことなんですが……」
「あぁ、美作さん関係のことだね」
鎌田は表情を曇らせる。
「でもごめん、それは言えないんだ」
「どうしてですか?」
「なんて言うか……あまり人に言えるような物じゃなかったし。美作さんが壬生さんを誘拐したって聞いて、そのバイト辞めたしさ。それに……」
言い難そうに言葉を濁す鎌田。視線を下げて、砧のことも冬野目のことも、視界から外している。
「口止めされている、のですね?」
狙いすましたような砧の言葉に、鎌田は目を見開いた。
「な、なんでそれを……」
「鎌田、それはどんなバイトなんだ?」
冬野目の問いかけに、鎌田はしばらく黙っていたが、やがてのろのろと口を動かし始めた。
「なんというか……日用品を売るんだよ。シャンプーとか洗剤とかをさ。それで、勧めた人が他の人にも勧めて、ウチの商品を使ってくれたらお金が多く返ってくるっていう……」
「それって……」
冬野目は眉根を寄せた。鎌田の話が本当ならば、それは上京するにあたり親から気を付けるようにと言われていたものだと思われたからだ。
「そう、いわゆるマルチ商法ってやつ。まぁ、気が付いたのは最近だけど……」
肩を落としている鎌田を見て、冬野目は大学での彼の様子を思い出した。以前、割の良いアルバイトが見つかったと喜んでいた鎌田だが、まさかそれがマルチ商法だったとは。
「そんなバイトをしてたのか……つまり、やましい仕事だから口止めされていたってことかぁ」
「今考えると全くその通り。でも、当時は全然気が付かなかったんだよ」
二人の会話を黙って聞いていた砧が口を開いた。
「鎌田さん、そのアルバイトはどこでされていたのですか?」
「どこって……この近くにあるビルの一角だけど……それが何か?」
砧はふうっと息を吐いた。
「そこに壬生さんが監禁されている可能性があるのです」
「えっ。砧ちゃん、どうしてそれがわかるんだい?」
冬野目は身を乗り出して聞いた。鎌田も、自分が働いていた場所が犯罪行為に使われているかもしれないことが信じられないのだろう、視線で話の続きを促している。
砧は変わらぬ調子で話を続ける。
「以前にも言った通り、一度我々に壬生さんを取り戻された美作さんは、今度は警備体制が整っている場所に壬生さんを監禁するでしょう。そうなると、烏丸の連中が詰めている場所に壬生さんがいると考えるのが妥当な線です」
鎌田が口を開いた。
「か、からすまって何?」
「あぁ、それは……」
冬野目は迷った。ある程度、一条や砧と付き合いがある自分だからこそ、烏丸のことは受け入れられたのだ。それに、実際に目の前で人間の見た目をした烏丸の兵隊が化け物に成る瞬間を見ている。その経験はどんな言葉よりも、烏丸という存在に対する説得力があった。
鎌田に烏丸の話をしても恐らく理解できないだろう。それは無理もない、おそらく自分も鎌田の立場で話を聞いたら同じだと思う。
必死に言葉を探している冬野目よりも先に、砧が言葉を見つけた。
「烏丸というのは、犯罪集団のようなものです」
「犯罪集団……」
信じられない様子の鎌田をよそに、言葉を続ける砧。
「そして、おそらく鎌田さんのしていた仕事によって稼いだお金は、烏丸の活動資金になっていることでしょう」
「そんな……僕が洗剤や石鹸を売ったお金が、犯罪に使われていたと?」
「そうです。この辺り一帯は、烏丸やその関係者がまとめて住んでいる地域らしいのです。それだけの数を維持するためには、美作さんの資金力だけでは賄いきれないかもしれない。それに、やっていることはマルチ商法ですから。その仕事内容が世間に露見したときのために、おそらく美作グループ本体とは関係の無い、独立した集団として動いているのでしょう。となれば、ある程度の活動資金は自分で稼ごうとするはずです」
「そんな……とんでもないところで僕はバイトをしていたんだな……」
呆然とする鎌田に、砧は優しく微笑みかける。
「大丈夫です。鎌田さんはもう無関係なのでしょう? 気にする必要はありません。それよりも重要なのは、そのビルに壬生さんが監禁されている可能性が高いということなのです。もちろん、私たちは壬生さんを助けるつもりです。ビルの場所を教えてくれませんか?」
「で、でも……」
依然として口が重い鎌田に対して、今度は上目遣いで語りかける砧。
「……ダメぇ?」
「ぐっ!」
砧は上目遣いに加えて、今度は眉を寄せて見せる。
「教えて……お兄ちゃん」
「あっちにあるビルでござる! この辺では一番大きな建物故、近づけば一目でそれと判断が可能でござろう!」
ある方向を指差してそう言った鎌田に、砧はイノセントな笑顔を向けた。
「ありがとっ! もう帰っていいよ☆」
「え?あぁ……うん」
公園を後にする鎌田の後姿を見て、自分と鎌田は同類なのかと冬野目は思った。何だか物悲しくもあり切なくもあり、夏の始まりを告げる湿気がやけに感傷的に感じられる冬野目であった。
「これで、攻め込む本丸がわかりました」
凛とした表情で砧は言う。そこには鎌田を籠絡した偽の妹の姿は無い。
冬野目はじっとビルのある方向を見つめている。
砧が冬野目の服の裾をつかみ、くいくいと引っ張った。
「ど、どうしたの砧ちゃん」
「あれを連れて、吠木と合流しましょう」
砧の視線の先には一条がいる。地面に何かを描くのに飽きたのか、今では一人ベンチの上で体育座りをしている。
「そうだね。でも……これで良かったの? 一条さんなんだか落ち込んでるけど……」
砧の策略によって撮られた写真は、鎌田が「凌辱婦警さん」と呼ぶのに相応しいものだった。その写真の被写体である一条は、撮影が終わると同時に一筋の涙を流して座り込んでしまい、すんすんといじけている。
しかし、砧は冬野目の言葉など意にも介さない様子で歩き出した。
砧の視線の先には、ベンチに座っている一条。
「秘常。壬生さんの居場所がわかりました。吠木と合流して作戦を練りますよ」
しかし一条は何も答えない。それどころか砧の方を見ようともしない。
「秘常? どうしたのですか?」
きょとんとした顔で一条を眺める砧。
「……砧なんてキライや」
ぽつりと、一条が言った。
「仕方ないじゃありませんか。あれは必要な犠牲、もとい写真だったのです」
「……ウチがどんだけ怖くて恥ずかしい思いをしたか……」
「でも、いい写真が撮れましたよ」
「アホっ!」
急に顔を上げ、瞳に涙をためて砧を睨む一条。
「ウチのことも考えて行動してぇや! もう、こんな……」
語気を荒らげる一条であったが、言葉はだんだんと小さく頼りないものになっていく。
「ち、ちょ、砧?」
ついには、おろおろと砧のことを窺う様子になった。
冬野目が視線を向けると、砧が下を向いて必死に涙をこらえている。
「……だって、こうしないと……あの人来てくれないって思って……どうにかして……壬生お姉ちゃんの居場所が知りたくて……っぐ」
おやおや、クサい芝居ですねぇ。と冬野目は思った。壬生のことを『お姉ちゃん』をつけて呼んでいるあたりに、計算の跡が窺える。
「これじゃあさすがに一条さんでも騙されないよ……」と呟く冬野目。
しかし。
「き、砧はすごいな! あの写真のおかげで、ぷよっと君から情報を聞き出せたんやから! ウチも良い仕事させてもろて嬉しいわぁ!」
一転して砧の機嫌を取りにかかる一条。しかし砧は未だ俯いたままだ。
地面には濡れた跡が点々とついている。
「……っぐ。でも、ひ、ひつね、おこってるんでしょ?」
「怒るわけないやろ! 砧の勘違いやで!はっはっは!」
腰に手を当てて呵呵大笑する一条。
砧はいじらしくも手の甲で涙をぬぐい、上目遣いで一条を窺う。
「……ほんとうに?」
「ホンマや! ウチが砧に嘘ついたことなんて無いやん! な?」
それを聞いた砧は笑顔を咲かせて、一条の右手をとった。
「うん! 秘常大好き! さっ、帰ろう!」
「おう! 帰ろう帰ろう」
「一条さんはチョロイなぁ」
手をつないで歩く二人の後を追い乍ら、冬野目はそう呟いた。




