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晴れ間が見えて

 時刻は午後の三時を過ぎて、日差しは少し和らいでいる。

 婦警の制服に身を包んだ一条と砧は、美作の隠れ家付近のアパートを見て回っている。視線の先は主にベランダで、ここに男性用の衣服が干してあるかを確認しているらしい。

 次々と他人の洗濯物を確認して回る見目麗しい二人の婦警。それと極々ありふれたこの住宅街は決して馴染む光景ではなかったが、幸いにも通行人はおろか人の気配すら無いため、二人の後をつけて歩く冬野目はほっと胸をなでおろした。

 しかしこの光景を他人に見られたら、自分は若い婦警の後をつける変質者にしか見えないのではないかという不安を抱えつつ、冬野目はそっと足を動かしている。

 周囲に広がるのはいたって普通の住宅街だ。大きくはないが小奇麗な一軒家が続き、その合間には一人暮らし用の小さなアパートが建っている。遊具が二つほど置いてあるだけの小規模な公園もあり、暮す分にはなんの不自由もないような、静かな街だ。

 ぬるい風が冬野目の頬を撫でて過ぎ去り、日中の太陽光を吸い込んだアスファルトが熱を発している。

 額に浮かぶ汗を拭い、冬野目は前をみつめる。いま自分がいる街が、美作の所有する土地かもしれないと思い出している。

 砧の推理によると、恐らくここいら一帯の土地は美作が買い上げ、辺りの建物に住むのは烏丸の関係者だろうということだった。

 自分には想像もつかない世界だ、と冬野目は思う。

 美作の両親が並大抵の資産家ではないことくらい、冬野目でなくとも同じ大学に通う者なら一度は聞いたことがあるだろう。しかし、こうしてその規模を目の当たりにすると嫌でも実感する。その上、美作本人は成績優秀で人望も厚く、思い描くままに人生の王道を胸を張り乍ら意気揚々と歩んできたのだろう。

 しかし、だからこそ冬野目にはわからない。

 美作はなぜ烏丸のような化け物の手を借りてまで、壬生に執着するのだろう。美作の周りにはいつでも女性がいる。その中には壬生と同じくらい、いやそれ以上に器量の良い女性もいるはずだ。それならば、わざわざ犯罪行為に手を染めてまで壬生を傍に置く必要なんてないはずである。

 所詮、自分とは住む世界が違う人間の考えることなどわからない。冬野目の考えはそこに至り、あとは何も考えずにひたすら砧と一条を見ていた。

 

 二人の婦警の聞き込みは難航した。

 いくら歩いても誰ともすれ違うことは無く、ひたすら他人の洗濯物を確認して歩く。漸く目的のものが干してある部屋を見つけ訪ねてみても、玄関口で美作の名前を出した途端に強引にドアを閉められてしまう。それを二時間ほど繰り返した。

 日は傾いて、昼間が後退し夕方が顔を出し始めている。

 欲しい情報を全く引き出すことができないまま、三人は小さな公園に入ってベンチに座った。

「おそらく、口止めをされているのでしょう」

 親指の先を噛み乍ら、砧はそう言った。

「烏丸にとって美作氏は、いわばスポンサーですからね。おいそれと情報が出ていかなように、下っ端には口止めをしていても不思議ではないです」

 しかし言葉とは裏腹に、砧の顔には何か確信めいたものが浮かんでいる。

「逆に考えれば、目的地は近いです。彼らの口をなんとかこじ開けることができれば、壬生さんに肉薄できるでしょうね」

 歩き回って疲れが出たのか、少々うんざりしたような顔の一条が口を挟んだ。

「でもこれ、ホンマに成功するんかいな……さっきから人自体あんまおらんし、いたとしてもすぐにドア閉められてしまうやん。ウチら警察の格好してるから逆に警戒されとんちゃうんか……」

「警戒……そうですね、確かに」

 冬野目は遠くから見ていたので会話自体は詳しくわからないが、一条と砧の姿を確認した相手は一様に顔色を曇らせていたようだった。そして一言二言会話を交わしたところで、急に相手がドアを閉める。その繰り返しが続いていた。

 砧は顎に手を当てて何かを考え込み、それを一条は不思議そうに見つめている。

「相手はわたくしたちの服装を見て、何か怯えたような顔をしていましたね……」

 そう呟く砧の横で、一条が冬野目をじとりと睨む。

「冬野目。普段から警察にびくびくしとるオドレなら、怯える理由がわかるんとちゃうん?」

「別にびくびくしてなんかいませんよ……。でもそうだなぁ、普通は何かやましいことがあるときに、警察と会ったら怯えるんじゃないですかね」

 それを聞いた砧は、「やましいこと……」と繰り返し呟いていたが、やがて冬野目の顔を見た。

「御主人、あのぷとっとしたお友達は美作氏とアルバイト仲間でしたよね?」

 冬野目は頼りない記憶を手繰り寄せる。

「あぁ……鎌田だね。そう、そう言ってた」

「そのぷよっとした方、ここに呼ぶことはできませんか?」

「え……どうしてだい?」

「少し、気になることがありまして」

「うーん、あいつは基本的に家から出たがらないやつだからなぁ……」

 砧の目に暗い火が灯る。

「わたくしに良い案があります」

 そう言うと砧は一条の方へと向き直る。そして拒否を許さない雰囲気でこう言った。

「秘常。餌になるのです」

 意味がわからない様子の一条は気の抜けた顔をしている。

「えさ? ウチが?」 

 砧はこくりと頷く。

「そうです。これで何か情報が引き出せるかもしれません」

 話が通じていない様子の一条を差し置いて、砧は小さな公園の敷地をぐるりと見渡した。そして二つしかない遊具を交互に観察し、片方を指差した。

「あれです。あれに座るのです」

 砧が指差した遊具は、大きなバネのような物の上に木で動物をかたどったものがついている。そして動物の頭には、左右に短い棒が突き出ている。

 その遊具は動物の背中に座り、頭から突き出ている短い棒をつかんで、全体を揺らして遊ぶものだ。

 一条はわけがわからない様子で、離れた場所にある遊具をじっと見つめている。それをよそに、砧は冬野目に耳打ちをした。

「御主人、携帯電話のカメラを起動しておいてください」

 どこか楽しげにそう言う砧に、冬野目は動揺しつつ曖昧に頷いた。

 一条は既に遊具に向かって歩き出している。その後ろを歩きながら、砧は内緒話をするように顔を近づけて言葉を続ける。

「良いですか、秘常があの遊具に乗ったら写真を撮って下さい。アングルはなるべく下からです。お願いします」

 そう言うと砧は歩調を早た。

 冬野目は砧の狙いがよくわからないまま、ポケットから携帯電話を取り出してカメラを起動する。

 遊具に触れた一条が砧に話しかけた。

「砧ぁ、これに乗ってなんか意味あるん?」

「ええ。これは秘常にしかできない重要な仕事なのです」

「ウ、ウチにしかできない?」

「そうです。頼りにしていますよ、秘常」

 砧にそう言われ、一条は俄然やる気を出したようだった。ようし、と言いながら遊具の横に回り、何回かぎしぎしと揺らしてみてから頷き、足を上げて跨ろうとして、止まった。

 しばしの静寂。

 しょぼ暮れて足を下ろす一条。

「……あかん砧。パンツ見える」

 眉根を寄せて困り顔になる一条。それもそうだろう、上がりかけた太ももが制服の短いスカートを広げて、中の夢空間が冬野目がいる現実にコンニチワしそうだったのだ。

 冬野目は相変わらず砧の狙いがわからなかったが、ただ猛烈に感謝した。

「秘常、乗りなさい」

 有無を言わせない砧の声に、一条の目にはうっすらと光るものが浮かんでいる。

「せ、せやかて……見えてまうもん……」

 頬を桜色にして俯く一条の姿に、冬野目はなにかこう、グッとくるものを感じた。

「秘常、あなた東京に来た当初は服を用意せず、全裸で走り回っていたそうじゃないですか。それが何ですか今更。パンツの一枚や二枚、お天道様にお披露目出来ないで何が妖ですか。それで伏見稲荷様に顔向けができるのですかっ!」

 冬野目は正に暴論というものを目の当たりにした。それは一分の隙も無いほどに理不尽が詰まった理論で、もはや論と呼ぶことすら許されないのではないのかと冬野目は考えたが、結局は何も言わずに黙っていた。

 それはひとえに、一条の短いスカートの中にある夢空間とコンニチワしたいからに他ならない。

 暴論をぶつけられた一条は、それでも反論めいたことは何も言わずに、葛藤するように顔を歪めている。頬の桜は今だ可憐に色づき、目から流れ出た透き通った液体が一本の筋をつくっていた。

 そんな一条の様子を見ていた砧だが、やがてふうっと息を吐き出すと一条に歩み寄った。そして先程とは真逆の、まるで聖母のような優しい声音で話しかけた。

「良いですか秘常。わたくしは、何も秘常に恥ずかしい思いをさせたくてこんなことをしているのではありません。さっきも言いましたが、これは壬生さんのために必要なことなのです。それに……」

 そこで言葉を切ると、砧は表情を暗くして俯いて見せた。

「……こんなこと頼めるの、秘常しかいないの……」

 と弱々しく言った。

 冬野目は思った。よくもまぁぬけぬけと、こんなに淑やかに振る舞ってみせるものだ。元はと言えば砧の鶴の一声で一条が駆り出され、遊具にまたがることで夢空間をコンニチワさせてしまうかもしれない危機に瀕しているというのに。

 もうひと押しだ、砧ちゃん! と、冬野目は心の中で拳を握った。 

 しばらく考え込んでいた様子の一条だが、誰でも見抜ける程度でしかないはずの砧の演技によって簡単に籠絡され、意を決した表情になった。

「……わかった。やるわ! こんなん頼めるの、ウチしかおらへんねやろ?」

 こくんと頷く砧。

「ほな、やる! 大好きな砧の頼みやさかいな!」

「有難う、秘常。わたくしも大好きですよ」

 にっこりと微笑み合う二人の美女。

 完璧な誘導を果たした砧を見て、冬野目は「あの娘は現代の諸葛亮公明や」と何故か関西弁で感心した。

「あ、それに」

 砧が胸の前で両手を合わせて言った。そして一条の傍まで寄って行き、一条の短いスカートの裾をつかんだ。

「こうしてわたくしがつかんでいれば、秘常の下着は見えないでしょう!」

 一気に表情を明るくする一条。

「それええやん! 初めての共同作業!」

 うふふと笑いあう二人。 

 どちらともなく遊具に向かい、一条が慎重に脚を上げて跨ろうとした。砧は約束通りに一条のスカートを抑え、夢空間への道は完全に閉ざされていた。

 話が違う、と冬野目は憤った。が、その憤りはどこに向けることも出来ない。かくも世の中というのは理不尽なものなのかと嘆息しつつ、二人の美女が絡む様を眺めていた。

 やがて一条は完全に遊具にまたがった。動作が慎重だったのと、砧のサポートの効果なのか、ついに夢空間は夢と潰えてた。

 満足げに遊具に座っている一条が口を開く。

「そういや砧、これが壬生はん救出とどう関係が」

 しかし一条が言い切るより前に、砧が元気よく宣言した。

「動かしまーすっ!」

 一条のスカートから手を離し、一条の肩を掴んだ砧は勢いよく揺らし始めた。慌てて取っ手部分を掴む一条だが、あまりにも急な出来事で動揺したのか、ただひたすら悲鳴をあげている。

「御主人! 打ち合わせ通りに!」

 テレビマンのような砧の一言に、冬野目はその狙いがようやく合点がいった。

 事前に言われていたように、携帯電話のカメラを構えて下から舐めるようにして撮る。取っ手につかまることで精一杯の一条は自分のスカートを押さえる余裕は無いらしく、大きく揺れる度に冬野目が夢にまで見た夢空間がコンニチワしている。濃い紫色が放つ怪しげな魅力が、そのすぐ横を伸びる白くて無垢なふとももの魅力を引き立てる。魅力の相乗効果は抜群で、ちらちらと映る一条の必死に何かを堪えている表情が、冬野目には芸術的にすら思える。

 冬野目は夢中でシャッターを切った。



 かくして、鎌田を釣る餌は無事撮影された。

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