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雲が流れて

 砧は訝しむような、また何かを確かめるような視線を冬野目に送っている。それは他の二人も同じで、肯定や好意的な感情は含まれていない。

 窓からは相変わらず気持ちの良い日差しが射し込んでいる。夏本番が来る前の、独特な湿気を含んだ空気が四人を包む。

「助けに行くって……話聞いてたんか? あっちは腐れ変態だけやなく、えげつない護衛までおるんやで? それに比べてこっちの戦力はたった三人や。この状況で壬生はんの救出に向かうんは……」

 一条は言葉じりを濁したが、冬野目にはその続きがはっきりとわかっていた。

 つまり、無謀なのだ。

 あの工場での一戦ですら、砧の覚醒無くしては勝てないものだった。一条は相手の策略に嵌り、吠木は手助けができるほど余裕が無かった。これから乗り込もうとする場所には、その相手を遥かに凌ぐ戦力が待ち構えているのだろう。

 そこに真正面から立ち向かうのは勇敢な行動などでは決して無く、愚の骨頂だと冬野目自身も理解している。

 加えて、それは自分以外の三人をとてつもない危険に晒す行為だということもわかっていた。ただの人間である冬野目に、妖怪大戦争のような戦いに参加できる力は無く、ともすれば足を引っ張るだけの存在になるかもしれない。いや、なるだろう。

 それでも冬野目は引かなかった。

 このまま美作の良いように壬生を扱われるのは納得いない。なぜそのような強い感情が湧いて出てきたのか自分でも判然としないが、とるべき行動だけははっきりと目の前に提示されていた。

「無謀なのは承知です。みなさんを危険な目に遭わせるのも心苦しいです。でも」

 すう、と息を吐いてから冬野目は言った。

「壬生さんを助けたいんです」

 他人のために、これほどまで強い意思を込めた言葉を吐いた経験が無い冬野目にとって、この言葉自体は縁遠いものだった。周囲からの理解を諦め、孤立を甘んじて受け入れ、その代わりに自分の領域を守ってきた冬野目にとって、他人のためにこれほどまでに感情を揺さぶられるという経験が無かったからだ。

 しかし、不思議と違和感は感じない。自分の口から出た言葉が三人を巡り、そして自分に返ってから身体の中に馴染む感覚すらある。

「わたくしは……」

 沈黙を破ったのは砧だった。戦況の報告をしていたときの厳しい表情からは打って変わり、口元にはあたたかな微笑みを浮かべている。

「御主人に、ついてゆきましょう」

 そう言って朗らかに笑う。

 敵陣の真ん中に飛び込んで情報を集めてきた砧は、現在の戦力差を誰よりも把握しているだろう。砧一派一番の戦力であり肝心要の柱である彼女を以てしても、その戦力差は歴然としていて、状況は絶望的なものであるはずだ。

 しかし、彼女は笑った。

「目的は壬生さんの奪還です。何も、烏丸一派の解体が目的ではない。そうなれば、局地戦を仕掛けてゲリラ的に戦えば光明は見えるやもしれません。それに、風穴があいた組織は瓦解しやすいものです」

 うやわらかな眼差しで冬野目を見乍ら、砧は言った。しかし、その言葉に含まれた重みを冬野目は感じ取った。砧の父親は妖の頭取として、各位に気を配って平和を保っていた。しかし、何が目的かわからない烏丸一派が口火を切り、その平和は脆くも崩れてしまったのだ。

 砧の父親が必死に積み上げてきた平和は簡単に瓦解してしまった。

 それに対して思うこともあるのだろう。しかし先程から砧の口から出てくる言葉に、烏丸一派への恨みや敵意といったものは感じられない。

 本来であれば下の身分である一条や吠木に対する態度から、砧の性格を推し量ることができる。彼女は身分の上下など気にせず、気の合う友人として二人と付き合っている。言葉遣いで多少の区別はしているものの、本来砧は争いや対立を好む性格ではないのだ。

 だからこそ、許せないのだろう。

 烏丸一派がこの東京で何を企んでいるのかは定かではない。しかし、その煽りを受けて砧の仲間は戦火に巻き込まれた。傷ついた者もいるだろうし、安心して暮せる土地を追われた者もいるだろう。それはどう見ても理不尽で、許せる行為ではないのだ。

 いつか一条が言っていた言葉を冬野目は思い出す。妖同士の抗争は日常茶飯事であり、弱肉強食の世界なのだと。人間はたまたまそうならないように、上手く社会のシステムを構築しただけなのだと。

 しかし、今の人間の世界だって一朝一夕で出来たものではない。数々の争いがあり、多くの血が流れ、目を背けたくなるほどの理不尽の上に成り立っているのだ。なによりも、一条が言うような社会のシステムが完成しているとは冬野目には到底思えない。

 今でも争いはある。ただそれが目に見えないだけだ。やり方が狡猾で陰湿になり、自分の手を汚さないように誰かを攻撃できる環境が出来ただけに過ぎない。

 そう、まるで美作のように。

 未だ人間は争いの最中にある。

 壬生の一件で砧が手助けをしてくれるのは有難いことだった。何の力も持たない冬野目にとって、彼女が唯一の頼りだからだ。

 しかし冬野目には言葉で確かめなければならないとこがあった。

「砧ちゃんは、どうして助けてくれるんだい?」

 一条と吠木も同じことを考えていたのか、揃って砧の顔を見た。二人からしてみれば砧は守るべき要人であり、厄介ごとからはむしろ遠ざけるのが仕事だ。

「わたくしは……」

 手を胸に当て、ゆっくりと話し始めた。

「壬生さんと御主人には恩返しをしなくてはなりません。烏丸にやられて命が危ないところを助けて頂きましたから。それに……」

 ふっと視線を下げる砧の表情は、何かを思い出しているように冬野目には見えた。

 しかし続きの言葉は出ない。

「……砧さんがそう言うなら、仕方ありませんね」

 黙って聞いていた吠木が観念したように言った。

「ウチらは護衛やしな。それに、壬生はんは友達やし」

 一条は腕を組んで頷いている。

 それを聞いた砧は顔を上げて笑顔を咲かせた。

「そうです。お友達なのです。わたくしはこの身分のために、あまり友達と親しくすることができませんでした。なので、壬生さんと御主人に助けて頂いた後の日々は本当に楽しかった。友達が出来て、一緒に過ごす日々が楽しかった」

 砧が京都でどのような日々を過ごしてきたのかは、冬野目は想像もできない。しかし、姫様なのであればそれなりのしがらみや、制約の下で呼吸をしてきたのだろう。冬野目のように人間関係を限定してしまうこともできず、かと言って自由に遊び回るわけにもいかない。次期頭取としての期待もあれば、それはさぞかし息が詰まる毎日ではなかったのだろうか。

 朗らかに笑う砧は鈴が鳴る様な可憐な声で言った。

「ですから、大切なお友達を助けたいのです」

 その言葉は冬野目の中に深く沁みた。冬野目にとっても、壬生は大切な存在だ。それまで満足に友達ができなかったので、壬生を友達と呼んでいいのか判断がつかない。しかし、無くしてはいけない存在だという確信はある。

 冬野目は瞑目して静かに頭を下げる。

「みんな、本当にありがとう」

 冬野目が今まで見て見ぬふりをしてきた物、関わりが無いと無関心を貫いてきた物。それは誰かと争うという面倒な行為だ。非効率的で野蛮だと思っていたその行為に、まさか自分が身を投じるとは思ってもいなかった。

 しかし、不思議と冬野目の胸中は穏やかだった。


 今後の行動方針を決めた一行は部屋から出た。既に外で待機していた冬野目は、砧と一条の姿を見た冬野目は言葉を無くした。

「どや? 似合うやろ?」

 得意げにポーズを決める一条は薄い青色のシャツを着て、首にはネクタイを締めている。胸ポケットには星の刺繍があり、半袖部分に腕章がついている。肩からは黄色い紐のようなものが伸びていて、それは黒いタイトスカートの途中まで垂れ下がっていた。

 一条がこのアパートに持ってきた大きなバッグには、この服が一式入っていたらしい。

 軽く乗せただけの帽子の位置を調整して、一条はスカートの丈を気にした。

「しっかし……これ短すぎちゃう? パンツ見えてまうで?」

 同じ服装をした砧が横でため息をつく。

「秘常が無暗矢鱈に成長するからです。まったく……いつのまにそんなに……」

 砧も一条と同じ服を着ているが、冬野目が受けた印象は一条のそれとは違った。窮屈そうな胸元を留めるボタンは今にも弾けそうで、少し動くだけでも弾力を誇示するように胸元が揺れる。

 二人は婦警らしい服装をしている。これで聞き込みをすれば、少しは壬生の目撃情報を得られるだろうとの判断だった。

「しゃーないやん。砧やっていつの間にそないボインに……あれ? 冬野目?」

 無言で前かがみになる冬野目を見て、二人の偽婦警は訝しむ。先程までの真剣な雰囲気からのギャップで、冬野目の冬野目はすっかり過反応状態に陥っているのだ。

「な、なんでもないです」

 ようやくそれだけ言うと、少しでも視界から二人を外そうと冬野目は先に階段を降りた。後から私服姿の吠木も降りくる。

「それでは、僕は戻って雪丸を取ってきます」

「う、うん。集合はこのアパートね」

 吠木は頷いた後、冬野目をじっと見た。

「な、何かな?」

「……ああいうの、好きなんですね」

 それだけ言うと吠木は冬野目の言葉を待たずに去ってしまった。何の事だかわからずにいると、階段を下るカンカンという音が聞こえてくる。

 階段の方を振り返った冬野目の目には、桃色と紫、二種類の三角形が飛び込んできた。

「こぽぉ」

 奇声を漏らして顔を背ける冬野目に、一条が不審者を見るような視線を送る。

「なんやねん気持ちの悪い……ウチらが本職やったらあんた即逮捕やわ」

「い、いえ。なんでも。それよりも、それコスプレ用の制服ですよね? 大丈夫ですか?」

 二人が着ているのはもちろん本物の制服ではない。冬野目のパソコンで『婦警 制服』を検索して出てきた画像をもとに、砧がつくったものだ。砧は初めの検索結果には満足がいかなかった様子で、検索ワードを追加して『婦警 制服 えろ』と打ち込んでから再び検索をかけていた。

「御主人、これで良いのです。それに、早速効果が確認できましたし」

 砧は満足そうに、にっこりと笑う。見た目は幼い乍らもしっかりと発育した胸部や太もも、それにきゅっと締まった腰回りに冬野目の視線は再び吸い寄せられる。

 敬語ロリって良いなぁ……と冬野目が感心していると、隣でぽかんとしていた一条が口を開いた。

「なんや砧、それどういう意味?」 

 ふふふ、と笑って砧は答える。

「不特定多数の人間に聞き込みをしても効率が悪いですからね。情報を引き出しやすそうな相手を絞って聞き込みをするのです。そして、こちら側も持てる武器はフル活用するのです」

 それでも納得のいかない様子の一条に、砧は更に言葉を続ける。

「良いですか秘常、これからの聞き込みは主に男性を相手に行います。それも、パッとしない男性を狙います」

「パッとしないって……どんなん?」

「まぁ端的に言うなれば……モテなさそうな男性、ですね」

「あぁ」

 一条は冬野目の方をちらりと見た。

「あんなんやな。おっけー」

 しかし、砧はその判断に異議を唱えた。

「ちょっと、御主人はモテないわけではありませんよ」

 頬をぷくぅっと膨らませて抗議する。

「えっそれはないやろ! あんなんあかんて! 冬野目よりプレステのが魅力的や!」

 罵倒に捻りを入れた一条を真っ向から見据えて、砧は徹底抗戦の構えを見せた。

「いいえ。そんなことはありません。御主人はわたくしの傷の手当てをしてくれて、その上お風呂にまで入れてくれると約束したのです」

「いやいや……それは冬野目だけが良い思いするイベントやん……」

 しかし砧はそんな一条の言葉を無視して冬野目に視線を向ける。

「御主人、約束ですからね? わたくし、忘れてませんからね?」

 少し怒ったような表情の砧に言われ、冬野目は何の反応もできない。

「それに風呂ならウチが一緒に入ったるから! な?」

「秘常のことは好きですが、百合はちょっと……」

「そう言わんと! な? ええやん少しぐらい!」

「うーん……」

「悪いようにはせえへんし、他には何にもせんから! な? ええやんええやん!」

「そのコテコテの関西弁が何だかいやらしいというか……」

 援助交際モノAVの冒頭のようなやりとりをする二人を見ていると、冬野目の冬野目も少し落ち着いてきた。

 美作と烏丸が待ち受けているところへ乗り込むとしても、まずはそれがどこなのかを探らなければならない。これから聞き込みをしたとしても、簡単に情報が手に入るのだろうか。砧はなにやら自信満々で語っていたが、そう簡単に事が運ぶとは思えない。

「あの……砧ちゃん」

 恐る恐る二人の偽婦警の間に割って入り、冬野目は疑問を投げかけた。

 それを聞いた砧は真剣な表情になり、顎に手を当てて答え始めた。

「それは大丈夫です。それに言うなれば、ここはもう敵陣の中だとも言えます」

「え?」

「砧、それどゆこと?」

「思い出してみてください。壬生さんを奪還した日、このアパートに人気はありませんでした。それどころか、この近所に人が住んでいるのかすら怪しかった。それなのに、秘常が少し探しに出ただけで簡単にタクシーがつかまりましたね」

「せ、せやな。罠やったけど」

「そう。あれは罠だったのです。つまり、相手はわたくし達の行動を監視していた。誰も歩いていないような街なのに、移動の手段を求めてすぐにあのタクシーに見つかったのがその証拠です。人気が無いにも関わらず、どこかから見張られていたのです」

 冬野目と一条はふむふむと頷き乍ら聞いている。

「そして、別の面から考えるとこうも推測できます。烏丸は構成員をほとんど東京に動員している。それらが人間に変化しているならば、どうしても住む場所が必要になるはずです。恐らく、美作グループの資金でそれは確保されているのでしょう。まとまった数の構成員や協力者をひとつの場所にまとめておいて、その真ん中にあの美作の隠れ家もあれば、その構成員たちが護衛代わりになるので都合が良い」

 何かに気付いた様子の冬野目が口を開く。

「まさか……それって……」

「そう。このアパートが美作の隠れ家。そして……」

 砧は周辺の家々を見渡した。

「この街は恐らく、烏丸の構成員や下っ端の人間が住む街です」

「そ、そんなら、ウチらはこれから敵に敵の情報を聞き出そうとしてるっちゅうことか? 上手くいくわけないやん!」

 しかし砧は表情を変えない。むしろやや邪悪に微笑んだ。

「そこでわたくし達の出番なのです。秘常、約束は守ってきましたか?」

「え? そ、そら守ってきたけども……何なん?」

「ふふふ。なら心配は無用です」

「い、一条さん、どんな約束をしたんですかは?」

 聞かれた一条は少し顔を赤くして答えた。

「こ、この制服を着る時は、なるべく派手な下着をつけぇって……」

 冬野目の脳裏では、ひとつの仮説が浮かんでいた。

 もしもその仮説が正しいのであれば、この聞き込みは比較的スムーズに成功するだろうと、冬野目は思った。


 果たして、砧は邪悪な笑みを浮かべたままで言った。

「行きましょう秘常。仕事の時間よ」



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