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横時雨

 美作のアパートを後にした一行は、通りに出てタクシーを拾うことにした。雨が降っているので、吠木の背中でぐったりとしている壬生を鑑みての判断だ。

 夜は深まり、辺りはしんと静まり返っている。人は一人も歩いていない。こんな雨の夜には誰も出歩きたくはないだろうという常識的な判断を加味しても、あまりにも静かすぎると一条は感じていた。

 それに、美作のアパートは住宅街の真ん中だ。周辺の住民の気配すらしないというのはどういうことだろう。いくつかの家に目を向けてみたが、どの窓にも明かりは無い。

「なんか……不気味やな。誰も歩いてへんし、どの家も暗いままや」

 明かりと言えば等間隔に並ぶ街灯があるだけだ。

 人の存在が感じられない住宅街には、雨がアスファルトを叩く音だけが響いている。これではタクシーを拾おうにも、そもそもこの辺を走っているのかすらわからない。壬生には冬野目の上着をかけているが、このままでは風邪を引いてしまうかもしれない。

 冬野目が口を開く。

「電話でタクシーを呼びましょうか?」

 ポケットから携帯電話を取り出し、画面に落ちる雨粒を拭き乍ら操作した。

「あれ……?」

 異変に気づいて画面を見ると、画面には圏外の表示。

「おかしいな……こんな街中なのに」

 しかし、何度試しても結果は同じだった。電源を一度落としてみても、やはり圏外になる。冬野目は腑に落ちなかったが、仕方なく一条に伝えた。

「圏外? ほな……やっぱりタクシー拾うか。それかウチがこっち来た時みたいにそのへんの車、盗むか」

「あの時、事故を起こしたじゃないですか。駄目ですよ壬生さんもいるのに。それに、美作って人に『人間のルールを守れ』って啖呵切ったのは一条さんですよ。盗むの禁止です」

 吠木は呆れた様子でそう言った。

 しかし、いくら待ってもタクシーは通らない。それどころか、車の一台すら見かけない。

「なんやねん……この辺に人はおらへんのか。ちょっと、見てくる」

 そう言い残し、一条は走って行ってしまった。一行はひとまず屋根のある場所を探し、雨を避けることにした。

 少し歩くと、店を畳んでから相当時間が経っているであろう小さな商店を見つけた。そこの店先には屋根が突き出ており、なんとか雨が凌げそうだ。

 所々割れたガラスに、錆びている上に内容が時代遅れの看板。一見して、廃墟になる一歩手前といった印象を冬野目は持った。

「仕方ない、ここで一条さんを待とう」

 濡れていないところに壬生を下ろして、冬野目と吠木は服や髪についた水滴を払う。

 砧は心配そうな表情で壬生の顔をのぞき込んでいる。

「お姉ちゃん? 砧だよ。わかる?」

 反応は無い。それでも砧は根気強く壬生に話しかけ、垂れさがった手を握ったり頭を撫でたりしている。

 その様子を見ていた冬野目は、何とも言えない気持ちになった。あれだけ傍若無人な振る舞いをしていた壬生だからこそ、今の状態を受け入れることなんてできない。

 それに、あんなに可愛がっていた砧の言葉すら届かないなんて。

「壬生さんは……どうしちゃったんだろう」

 冬野目がそう呟くと、吠木が冷静な声で言った。

「何かの薬物が原因であれば、早く病院に連れて行ったほうが良いですね。タクシーよりも救急車が先かもしれません」

「でも、美作さんは薬物は関係ないって言ってたよね」

「冬野目さんあなた、あの人の言うことを信じるのですか? 相手は壬生さんを誘拐して監禁していた張本人ですよ?」

 冬野目は少し考え込む。

「そうなんだけど……あれだけ壬生さんに固執しているんだから、害があるような薬は飲ませないんじゃないかなって。それに、こんな症状になる薬なんてあるのかな……」

 壬生は一見すると何の異常も無いように見える。一定の間隔で瞬きをして、呼吸も正常だ。しかし、意思がすっぽりと抜け落ちてしまったような表情。身体に力が入らないのかぐったりとしていて、支えていないと左右のどちらかに倒れてしまいそうになる。

「僕は特に詳しいわけじゃないけど、こんな特殊な症状になる薬なんて、聞いたことがないよ」

 眉根を寄せる冬野目と吠木。

「それと、なんだか気になることも言ってたね。『君が砧さんか』って……」

「確かに……なぜあの人が砧さんのことを知っていたのでしょう」

「わからない。でも、途中で態度が一変して鍵を渡してきたこととそれは無関係じゃないような感じがするね」

「そう……ですね。冬野目さん、あの人は何者なんです?」

 吠木は冬野目の横顔を見る。

「僕にも良く分からないんだ。大学では、あのルックスだから女の子から人気があるよ。それとお祖父さんが企業の会長で、お父さんが社長らしい。つまり、とんでもないお金持ちの家系だね」

「うーん。それだけでは何もわかりませんね」

 雨はより強くなって、今では前が見えないくらいだ。落ちて跳ね返る雨粒が舞って、冬野目は霧の中に佇んでいるような錯覚を覚えた。

 相変わらず誰もいないし、車も通らない。雨音以外は何も聞こえない。

「あ、あれ」

 吠木が指差した先に光が見えた。位置が低いので街頭ではないことがわかる。その光はゆっくりと近づいてきて、冬野目達の前で停まった。

 後部座席の窓が開いて、中から一条が顔を出した。

「お待たせ。タクシー拾ってきたで!」

 一条が助手席に移り、後部座席には吠木、砧、壬生、冬野目の順で乗り込んだ。広さの関係で四人は座れないので、砧は吠木の膝の上に座った。

「あっ!はじめくん、抜け駆けはあかんで!」

 振り向いてそう言う一条。しかし吠木は極めて冷静に答えた。

「一条さんの膝に砧さんを座らせるわけにはいきません。何をするかわかったものじゃないです」

 そして砧のお腹のあたりに、ぎゅっと手を回した。

「これで大丈夫。砧さん、あまり動かないでくださいね」

「は、はいっ!」

 真剣な顔の砧。

 一条は悔しそうな様子で言った。

「なんやねんもうー!それなら冬野目が屋根とかでええやん!それなら三人座れるやん!」

「無茶言わないで下さいよ……」

 タクシーがつかまって安心したのか、車内の空気は明るい。やがて男性の運転手は車を出し、その後はゆるやかな時間が流れた。

 砧は相変わらず心配そうに壬生の手を握っていたが、疲れたらしく眠ってしまった。吠木はそんな砧を支え乍ら、雨粒が当たる窓を見つめている。

 ガラスが曇っていて外は見えない。冬野目は頬杖をつき乍ら、冷たい窓に額を押し当てて考えている。

 自分は壬生を救えたのだろうか。こうして美作の手元からは奪還したが、とても健全な状態とは言えない。これから病院に連れていくとしても、その前にまずは壬生の両親に連絡した方が良いだろう。

 しかし、どう伝えれば良いのか。

 娘さんはお金持ちのハンサムに誘拐されて、よくわからないけれど人形のような状態になってしまいました、とでも言えば良いのだろうか。

 そんな酷い話があって良いのか。

 否、良いわけがない。 

 今、冬野目が感じている感情は人生で初めて持ったものだと言ってもいい。それくらい冬野目は他人に興味が無かったし、誰かを心配したりしたことが無かった。

 しかし、今は本気で壬生の状態を案じている。自分勝手の化身であるかのように振る舞う壬生が懐かしかったし、黒い下着を用意したときの、顔を真っ赤に染めて怒った壬生を思い出せば微笑ましい気持ちになる。

 そして美作には、はっきりと怒りを感じている。

 こんなことは今までになかった。冬野目は他人と極力関わらないようにしてきた。なるべく他人の視界に入らないようにしたし、他人を視界に入れないように立ち回ってきた。 

 誰かとケンカをした経験なんて、もちろん皆無だ。

 しかし今、冬野目は猛烈に後悔している。なぜ自分は美作を殴らなかったのだろう。壬生の姿を目の前にして、なぜ平静を装って一条の行動を見守っていたのだろう。あまつさえ、銃を構えた一条を思いとどまらせるための発言をするなんて。

 彼女ではなく、僕が撃ってやりたいくらいなのに。そう思う冬野目の拳は、自然と強く握られていた。

 今まで誰を殴ることも傷つけることも無かった拳は、だから壬生を助けることが出来なかったのか。

 情けない思いで全身が満たされる思いを抱え、冬野目は窓を見つめた。そこには、車内が反射して壬生が映っている。

「助けに来ました、って言ったのになぁ」

 その呟きは誰にも届かない。

 それよりも大きな声が響いたからだ。

「運ちゃん、ホンマにこっちか? なんかちゃうで?」

 一条は運転席に座る人物に詰め寄った。しかしハンドルを握る男性は何も答えず、ただ黙々と車を走らせる。

 冬野目が水滴を拭いて窓の外を見ると、確かに見覚えの無い景色が続いていた。見慣れた住宅の数は減って、田んぼや屋敷のような家が増えている。

「い、一条さん、どこに向かうように頼んだんですか?」

 一条は振り返った。

「駅や。とりあえず壬生はんを駅前の病院に連れてこ思て。でも……運ちゃん、これホンマに駅の方向か?」

 やはり男性は言葉を発しない。白い手袋をはめたその手はしっかりとハンドルを握り、深く被った帽子からは視線を窺うことはできない。

 何か、おかしい。

 やがてタクシーは大きく曲がって、細い道へと入っていった。舗装が途切れて、車体が小刻みに揺れる。

「おいおい……運ちゃん、本社にクレームいれるで!どこの会社や」

 そう言って一条は車内に置かれたプレートを手に取った。それには運転手の名前と写真、そして所属する会社名が記されている。

「……ん? 冬野目、これ何て読むん?」

 一条が差し出してきたプレートには運転手の名前と、にこやかに笑う女性の写真があった。

 アルファベットと、その横に書かれてある小さな文字を確認する。

「MGCS……美作グループ・カーサービス……」

 冬野目は咄嗟に運転席に座る人物と、プレートの写真を見比べた。

「……一条さん、その人は運転手じゃない!本来の運転手は男です!それにこの会社は……」

 白手袋の男性は急ブレーキを踏み、タクシーは工場のような建物の前で停車した。

「この会社は、美作一家が経営する会社です」

 車体を打つ雨の音が響く。

 ブレーキを踏んでからの運転手は、両手をだらりと垂れ下げたまま動かない。首は不自然なまでに脱力し、完全に意識を失っているようだ。

「ウチらはまだ、ミマサカから逃げきれてへんっちゅうことか」

 一条はそう言うと、キャスケットを深く被りなおした。そしてドアを開けて、目の前にある建物を見上げた。

「わっかりやすいのぉ。でっかく『ミマサカ』って書いてあるわ……ん? これは……」

 正面の入り口、その上には大きく看板が掲げられていた。

『美作グループ配送センター』と書かれたその看板は、しかし赤茶けて老朽化が感じられる。辺りに人気は無い。それどころか、背の高い木で遮られていて民家すら見えない。

「へぇ。まんまと隔離されたっちゅうわけやな」

 タクシーから降りて、一条は工場を睨み付ける。

 続いて砧と吠木も降りる。冬野目は車内に残る壬生を横に寝かせ、上着を掛け直してから車外に出た。

「丁度ええ。壬生はんのことも聞かなあかん思とってん。普通の病院でええもんか、半信半疑やったしな」

 雨でぬかるんだ地面を踏みしめて、一条はキャスケットを取った。

「え……どういうことですか?」

 冬野目の問に、一条は握っていたものを見せて答えた。

「これ……羽ですか?」

「せや」

 手のひらを逆さにして、持っていた羽をぬかるみに落とす。

「黒い羽、まぁカラスやな。つまり、あの腐れ変態に取り入っとる阿保は」

 突然、工場の入り口が開いた。中は暗く、何も見えない。

「烏丸一派っちゅうことや」

「え……じゃあ、壬生さんのあれは……」

「たぶん、烏丸の仕業やな。病院じゃ治せへんと思う」

 一行は工場の入口前で立ち止まる。近くで見ても、中の様子は窺えない。

 しかし、冬野目にも何かの気配は感じられた。

 吠木が口を開いた。

「一条さん、今日は雪丸を……」

「わかっとる」

 一条は舌打ちをして、その細くて白い手の指を鳴らした。

「なんとかせなあかんやろ。どうせ逃げても、また同じことや。あの腐れ変態のアパートの周りに人気が無かったのも、烏丸のせいかもしれん」

「僕らで、どうにかできるんですか?」

「やらなあかんやろ。砧も壬生はんも、ウチらで守るんや」

 一条は、吠木の肩に手を乗せた。

「オンナにはな、やらなあかん時があんねん。おい、冬野目」

 後ろにいた冬野目が返事をする。

「砧のこと、頼むわ。もしウチらがやられたら、どうにかして連れて逃げろ。ま、そうなったら望み薄やけどな」

 それまで黙っていた砧が口を開いた。

「私も、戦う!お姉ちゃんを助ける!」

 それを聞いた一条は振り返った。その表情はとても優しく、慈愛に満ちているように見えた。

「砧、あんたはちゃんと逃げ。ほんで早く記憶を取り戻して、本家に帰るんや。あんたには他にもやらなあかんことがあんねんから」

「でも……」

「大丈夫、壬生はんのことはウチらに任しとき。な?」

 そう言って一条は砧の頭を撫でる。

「……わかった」

「ええ子や」

 にっこりと笑い、砧を抱きしめる一条。しばらくそうしてから、覚悟を決めたように腕を離す。そして目の前にある工場入口、その中に広がる闇を威嚇するように言った。





「行きまひょ。現代の妖怪大戦争や」

 

 

  

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