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驟雨

 冬野目は人生で初めての経験、つまり女性の買い物に付き合い、そして荷物持ちという大役を見事果たして下宿にたどり着いた。これでようやく一息つけると思ったのも束の間、一条からの「女の子チームが着替えるから部屋から出てて」の一言で、冬野目は自分の下宿から追い出された。

 なんだかここ数日で、既に普通の人の一生分の理不尽を受けているような気がする冬野目である。

 自らの下宿のドアの前に座り込み、ぼんやりと空を見上げる。時刻は昼とも夕方とも言える時間で、なんだかすべてが中途半端で、ぼんやりとしてしまう。

「……前にも同じようなことがあったぞ」

 独り言も、中途半端な時間の中に消えていった。

 ふと気が付くとドアの中、つまり自室の中からは何やら賑やかな声が聞こえてくる。どうやら女子チームの着替えとやらは大いに盛り上がっているらしく、一人蚊帳の外へと放り出された冬野目はひたすらドアに耳をくっつけて中の様子を窺った。

 きゃあきゃあと、弾けるような乙女達の声が彼の耳をくすぐる。

「おかしい。僕は家主だ、本来ならば寝床を提供している見返りとして着替えのひとつやふたつ、快く拝見させてくいれて良いはずだ」

 耳がドアにめり込むのではないかというほどに熱心に盗聴を行う冬野目。彼の性癖リストの中には「着替え」や「盗聴」、「盗撮」といった項目は無い。しかしそれはわざわざ項目をつくるまでも無く、全てのXY染色体戦士が持っている標準装備だと冬野目は認識している。もしも薄い壁一枚を隔てた向こうで、細雪の如き美しさの令嬢が着替をしていたら、それはもう覗くのが礼儀だ。または、着替える女性が垂れ目がちでその童顔に似つかわしくない大きな果実を二つ、胸部に宿した美少女であったら、本能に刻まれた「是非見たいなぁ」という強い欲求が、偽善の塊たる理性というやつをボコボコにやっつけることだろう。

 つまり今の自分の行為には何ら非難される要素は無い、冬野目は自分にそう言い聞かせた。

 しかし、いくら待っても賑やかな様子に変わりは無く、室内で行われている楽しげな宴が終わる気配は無い。

「混ざりたい」

 思わず出た本音が誰にも聞かれていないことを確認して、冬野目は室内へと向かって声をかけることに決めた。

「一条さん、僕は先に行ってますよ」

 すると、中から陽気な一条の声が返ってきた。

「おぉ、そうしてくれや。ウチらは後から向かう。大学で合流しよ」

 冬野目は、まさに後ろ髪引かれる思いだった。今まさに、この世の中の『粋』を一点に集めた宴が行われているというのに。

 自分の下宿に背を向けて、駐輪場に停めてあった自分の自転車にまたがる。

「無念」

 そう呟くと、彼は煩悶を振り切るようにペダルを漕ぎだした。


 一人で大学に来た冬野目は、とりあえず一条達がくるまで敷地内をぶらぶらしようと決めた。そう言えば、自己紹介以来一度も顔を出していないサークルはどうなったのか。そもそも、あれはどういった活動をするサークルだったのだろう。

 しかし、今更顔を出すのも気が引ける。「暇だから来ました」感が全身から漂ってしまうことは、容易に想像がつく。

「どうしよっかなぁ……」

 あても無く敷地内をうろつく冬野目。ふと見上げると、空には灰色の雲が広がっている。それは時間を追うごとに空の青い部分を侵食して、やがて辺りは薄暗くなった。

「それにしても、ストーカーかぁ」

 目についたベンチに座り、壬生のことについて考える。あの見た目であれば、ファンやストーカーくらいいても不思議では無いと思う一方、どうしてあのような性格に落ち着いてしまったのかという疑念も湧く。もし自分が女性で、尚且つ壬生のルックスで生まれていたら、何の苦労もせずに生きてゆく自信があると冬野目は確信する。困ったことがあれば眉を寄せて俯いて見せ、全力で周囲の同情を引く。そして朝から晩まで阿呆な男どもにちやほやされて過ごし、精神的な充足を得るだろう。

「下らないなぁ」

 考えても仕方がないことという思いと共に、ため息が漏れた。 

 しかし、最近の自分は下らない出来事の真ん中にいるとも思う。人間の格好をしたイヌやキツネやタヌキと一緒に化け物と相対したり、買い物をしたり、食事をしたりしている。しかかもその妖達はもれなく可憐な女性の姿をしていて、自分の下宿に住み着いている。

 こんなことを他人に話したら、それこそ『下らない』と一笑に付されるだろう。

 冬野目は自分のこれまでの人生を振り返ってみた。そのどの部分を切り取っても、華やかさや潤いといったものとは全く無関係だった。それが今や様々な魅力を持った女性に囲まれて、毎日なんだか良いにおいの中で生きている。そう言えば、一条が使った後のベッドに寝転んでみたことがあった。その時はなんの下心も無く、ただ単に横になりたかっただけだが、驚くべき事実に気が付いた。冬野目の貧相な身体を毎夜包んでいたせいで、すっかり出涸らしの茶葉のようなにおいが染み付いていた布団が、なんと一条が一晩使っただけで何やら良いにおいを漂わせていたのだ。それは甘いようでもあり爽やかなようでもあり、そして何だか甘酸っぱいような気もする香りだった。この驚くべき事態に、冬野目はあることを決めた。これまではベッドの所有権を巡って一条と対立しては連戦連敗だったが、もう争うこと事態を辞めたのだ。ベッドも布団も一条に使われるほうが本望だろうし、いくら金髪でチンピラ風で関西弁を扱うとしても、相手は女性だ。本来ならば優先してベッドを明け渡すべき相手なのだ。

 決して一条の残り香を楽しむためではない。冬野目はそう自分に言い聞かせた。

「冬野目」

 脳内での自己弁護をこねくり回していると、声をかけられた。振り向くとそこには知った顔が立っている。

「あぁ、鎌田。どうした?」

 冬野目とは違い全体的にぷよっとしている鎌田は、その自慢の肉体を黒いジーンズとチェックのシャツといった典型的なファッションで飾っている。そして手に持った紙袋からは何かのポスターが突き出ていて、紙袋自体にも可愛らしい二次元の女の子が描かれている。首にはデジカメをぶら下げており、完全に何らかの事案を引き起こしそうな雰囲気を漂わせている、と冬野目は思った。

「壬生さん見なかった?確か同じサークルだよな?」

 このとき、冬野目に衝撃が走った。まさか、この鎌田までもが壬生の『細雪の令嬢』っぽさに酔ってしまったのか。目の前にいる、肉まんの化身の如き柔和な紳士は二次元の女の子しか必要とせず、現実の女子には見向きもしないしされないものだとばかり思っていたのだ。

 それなのに。

 しかし、自分も鎌田も所詮はつまらない現実に生きる有機物だ。いくら画面の中のハニーが魅力的でも、直接触れたり話したりはでないことを嫌と言うほど知っている。今までは何とか自分の精神を騙し、脳味噌を騙してやってきたが、初めから分が悪い戦いだったのだ。鎌田が『実体を伴う現実』という敵に敗北を喫し、こうして壬生の魅力に籠絡されたとしても、彼を責めることはできない。

 冬野目は深呼吸をして、なんとか平静を取り戻した。

「確かに同じサークルだけど、僕はもうほとんど顔を出してなんだ。でも、壬生さんならこれから大学に来ると思うよ」

 冬野目の心中では、戦場を去る同士へ向けた鎮魂歌が鳴り響いている。

「そっか。あのさ、壬生さんてよく通う店とかあるのかな?行きつけの美容院とか……何か知らない?」

「さ、さぁ……そんなこと僕に聞かれてもなぁ」

 冬野目は動揺を隠せない。一体、鎌田はそんなことを聞いてどうしようと言うのだ。まさか何かプレゼントでも贈ろうというのだろうか。そんな映画や漫画でしか見たことが無いイベントを、この鎌田が企んでいるのだろうか。

「でも、冬野目が一番壬生さんと仲良いから」

「え?そんなことないと思うけどなぁ」

 壬生と自分の関係なんて、定期的に食事を奢ったり駐輪場で弱っているタヌキを保護したり、そんな歪なものでしかない。冬野目はそう思ったが、話がややこしくなるので言わなかった。

「でもこの前、学食で待ち合わせていた相手って壬生さんなんだろ?さんざん噂になってるぞ。壬生さんがお前と腕を組んでたってさ」

「いや、そには事情があって……」

「まぁ何でもいいけどさ。今度、壬生さん見かけたら教えてくれよ」

「お、おお」

 背中を向けて去って行く鎌田を眺めて、人は変わるものだなと冬野目は少しセンチメンタルな気持ちになった。

 鎌田のぷよっとした背中が見えなくなったところで、ポケットの携帯電話が振動した。メールの相手は壬生で、みんなを連れて大学に着いたという内容だった。

「正門前で待ち合わせか」

 携帯電話をポケットにしまおうとして、思いとどまった。

「鎌田に教えてやるか……」

 肉まん紳士にメールを送信して、冬野目はベンチから立ち上がった。


 冬野目は待ち合わせの場所である正門に着いた。しかし辺りを見回しても、壬生たちの姿が見当たらない。きょろきょろと不審者のように首を動かしていると、後ろから聞き慣れた声が聞こえた。

「ごしゅじん、こっちだよ」

 振り向くと、そこには眩しいくらいに白い脚をミニスカートから覗かせた美少女がいた。彼女は笑顔を弾けさせ、両手を後ろに組んでいる。

「今日買ったの。似合うかなぁ」

「う、うん。すごく似合ってるよ」

 それを聞いた砧は、文字通り飛び上がって喜びを表現した。その度にスカートが揺れて、中の可愛らしい布がちらちらと挨拶をしている。

「こら砧、スカートやねんから跳ねたらあかんで」

 すっきりとしたパンツスタイルの一条は、砧の肩を押さえ乍ら言った。タイトな服装なのでスタイルの良さが際立ち、服の色合いも落ち着いていてかなり大人びて見える。金髪をさらりと揺らして砧をたしなめる姿は、良く出来たお姉さんといった雰囲気だ。

「どや、何かわかったか?」

 冬野目はすっかり様変わりした二人に見惚れていて、一条の言葉にすぐ反応出来ない。

「おい、砧の脚ばっか見るなや!砧もまた跳ねるな!」

 なんだがギャルゲーみたいだな、と冬野目は感慨に浸っている。

「冬野目君、何か変わったことは無かった?」

 横を向くと、壬生が立っている。

「あれ……」

「な、なによ」

「何だか壬生さんは代わり映えしないですねぇ……」

 壬生も買い物をしたときの服から着替えてはいるが、冬野目から見ればあまり変化が無いように見えた。

「別にいいでしょ!これが気に入ったんだから」

「まあ壬生さんは元から美人でお洒落さんですからねぇ……伸びしろが少ないんですね」

「さ、さらっと美人とか言わないでよ……これ、カワイイでしょ!」

 壬生は服の裾をつまんだ。

「ええ、まぁ」

「何よその反応!またコンパス投げるわよ!」

 冬野目は先日思い知った。壬生のコンパス投擲精度は非常に精確で、確実に眼球を狙ってくる。

「カワイイです。すごくカワイイです」

 首振り人形のように頭を上下させ、同意の意思を示す。すると壬生は満足そうに「そうでしょう」と言って腕を組んだ。

「遊んでる暇は無いで。これから大学に潜入して、壬生はんのストーカーを見つけなあかん。もし相手が烏丸一派のやつやったら危険や」

 三人を順々に見て、一条が口を開いた。

「これからウチらは壬生はんと一緒にその辺を適当に歩く。ほんで後をつけられてると感じたら、人気のないところに向かう。そこで、とっちめたる」

 話を聞いていた冬野目は違和感を感じて口を開いた。

「一条さん、吠木君はどうしたんですか?」

「はじめくんは別行動や。ウチらと周りの様子を引いた場所から観察して、怪しいやつがいないかチェックする作戦や!」

「あぁ、なるほど」

「ほな、いくでぇ!」 

 それから一行は様々な場所を歩いて回った。しかし各学科の本館や北館など、細かく建物が別れていて、更にはラウンジや図書館や研究室、それに交流センターなどもあり、全てを回るにはかなり時間がかかる。ここに通う学生である冬野目と壬生でさえも足を踏み入れたことが無い建物もあり、一行はすっかり見物に来た人のようになっていた。

「ほえー、大学って広いねんなぁ」

 残っている男子学生とすれ違う度に、冬野目は視線を感じていた。怨念や嫉妬が練り込まれていて、それは実体が無いにも関わらず冬野目の身体をぐさぐさと貫き、生命力を奪っていくような気がした。

 これが、ハーレム物か。そう思っていると、携帯電話が振動した。

「あれ……壬生さんからメール?」

「あぁ、大学に入る前、はじめくんに壬生はんのケータイ持たせたんよ。何か怪しいやつがおったら冬野目に連絡してや、って」

「いつの間に……」

 メールの内容を確認すると、見るからに怪しい人物が冬野目達の後ろをつけている、とのことだった。冬野目はそれを一条に伝え、次の行動に移るべきですと進言した。

「よっしゃ。人気の無いとこ、どこや?」

 構内の見取り図が貼ってある掲示板を見つけ、冬野目は一点を指差した。

「えっと、ここが良いと思います」

 そこはコの字になっている建物の中庭のような場所で、三方が建物で塞がれている。滅多に日差しが届かず、ベンチなども無いのであまり人が寄り付かない。ここなら、誘い込むのにはうってつけだと冬野目は考えた。

「よし、そこにしよ。みんな、なるべく自然に歩くんや」

 今までと同じ歩調を心掛けて歩く。やがて、すれ違う学生の数も減ってきた。

 向こうには、目的の場所が見えている。

 一条が呟いた。 

「角で、走るで」

 目的の角を過ぎたところで四人は走った。このまま隠れていれば、ストーカーの姿を確認できる角度だ。

「どんなやつや……」

 息を潜めて待っていると、人影が違づいてくるのがわかった。相手は太陽を背にしているので、その影の長さから冬野目達は相手の位置を知ることができる。

 影はゆっくりと近づいてくる。

 気付くと、横で壬生が小刻みに震えている。

「壬生さん、大丈夫です。一条さんも吠木君もいます」

 冬野目がそう言うと、壬生は小さく頷いた。しかし顔は青ざめている。

「少し、怖いわ」

 壬生の震える白い手を目の前にして、冬野目は迷った。この手を握れば、少しは落ち着いてもらえるだろうか。

 しかし、壬生には心に決めた相手がいる。下手なことをすれば、嫌われてしまうかもしれない。

 決めかねていると、一条が口を開いた。

「来る」

 相手は角を曲がり、その姿を明らかにした。

 全体的にぷよっとして、手にはアニメキャラのプリントが施された紙袋を持っている。

「鎌田……?」

 吠木が見間違いをしたのだと、冬野目は考えた。まさか、自分の友人が壬生のストーカーをするわけがないと思ったのだ。

 しかし。

「そ……その人っ」

 振り向くと、壬生が鎌田を指差していた。顔は先程よりも青ざめていて、今は手だけではく全身が恐怖に震えているように見える。

「陰に隠れてっ……私の部屋を……!いやぁっ」

 もう耐えきれないといった様子で、壬生が急に走り出した。

「壬生さん!」

 冬野目は走り去る壬生の横顔に、涙を見たような気がした。

「あんた、最近壬生はんをつけ回してるらしいなぁ?」

 巻き舌気味に発音して、一条が鎌田に凄んだ。

「そ……そうだ、鎌田、どういうことなんだ?まさか本当に壬生さんのストーカーなのか?」

「ス、ストーカー?何言ってるの冬野目。ぼ、僕はただアルバイトで……」

「アルバイト?」

「そ、そうだよ。壬生さんの写真をたくさん撮ってきてくれって」

 鎌田は首から下げたデジカメを持ち上げて見せた。

「あー!ごしゅじん、これ!この小さいのを、砧とお姉ちゃんにに向けてた!」

「阿保!バイトやからって、してええことと、あかんことがあるやろ。これは立派な盗撮、犯罪やないか!」

 一条の迫力に圧されて、鎌田は言葉をつぐんだ。その様子を見て、冬野目が口を開いた。

「鎌田、前に言ってた割の良いバイトって……このこと?」

 すっかり怯えた様子で鎌田は答える。

「ち、ちがうよ……でも、そ、そのバイトの先輩が、もっと割りの良いバイトを個人的に頼みたいって」

「それが、壬生さんの盗撮なのか?」 

 小刻みに、数回頷く鎌田。  

「なんてことや……こいつは別の変態の下請けかいな……ほんで、その変態の親玉はどんなやつなねん」

 長身の一条に見下ろされ、鎌田は顔をひきつらせて言った。

「ふ、冬野目も知ってるだろ?君のサークルのさ……」

「え?」

「ほ、ほら。学内にファンも多い……」

「もしかして……」

「み、美作先輩だよ」

「美作先輩……」

 一条と砧は話が見えない様子だったので、冬野目は壬生と美作のことを話した。

「なんやねんそれ!一日にメール153通!?きっしょ!きっしょ!!」

「一緒にいるとき、お姉ちゃんのケータイずっと鳴ってた……」

 冬野目は鎌田に向き合い、ゆっくりと諭す様に話し出した。

「鎌田、壬生さんはお前のことをストーカーだと思って怖がっていたんだ。家の近くの電柱から部屋を覗かれたり、出先で後をつけられたりするって。お前はただのバイトだと思ってたかもしれないけど、壬生さんは本気で怖がってたんだぞ」

 それを聞いた鎌田は態度を急変させた。

「そ、それは話が違う。僕は先輩から、壬生さんも承知の上だからって聞いたんだぞ」

 途端に、一条が吠える。

「どういうことや!」

 肩をびくつかせ、鎌田は再び話し出した。

「み、壬生さんと美作先輩はもう付き合っているから、写真を手元に置きたいって。でも普通に撮ってもつまらないから、壬生さんの普段の様子を撮ってきてほしいって頼まれたんだ。壬生さんも了承済みだから心配無いって話だった」

「なんやそれ……おい冬野目!」

 一条は冬野目に向き直った。

「その、ミマサカって変態と会うで。会って、とっちめてやる。これじゃあ壬生はんが可哀想すぎる」

 冬野目は一条と視線を合わせ、無言で頷いた。あの傍若無人な令嬢が震えるほど怖がる様子を目の当たりにして、その元凶である美作を見て見ぬふりはできない。

 恐怖で震える壬生の白い手が、冬野目の頭に焼き付いている。

 砧が口を開く。

「あれ……あ、あの。ごしゅじん」

「砧ちゃん。いま一条さんと大事な話を……」

「あの、お姉ちゃんは」

「その壬生さんの話をしてるんだよ」

「お姉ちゃんは……どこ?」

 冬野目は、はっと気付いて辺りを見回す。先程走り去ってから、壬生は冬野目達のところに戻ってきてはいない。

 どこへ行ったのだろう。

 思わず走って逃げてしまうくらい、怖かったのか。

 一条が鎌田を指差して言った。

「冬野目、ひとまずコイツはもうええ。それよりも壬生はんを探すで。今頃、泣いてるかもしれん」

 冬野目は思い出す。走り去るときに見えた、壬生の横顔。その目元には、何か光るものがあった。

 たぶん、泣いている。

 見つけてあげなければ。

 冬野目の携帯電話が振動した。確認すると、メールではなく電話だ。通話のボタンを押して耳に当てると、吠木が慌てた様子で話し出した。

『ふ、冬野目さん、大変です。壬生さんが……』

「えっ、壬生さん見つかったの?」

『い、いえ。違うんです』

「どうしたの、何が大変なの?」



『み、壬生さんが、さらわれました』

 

 


 


 

  

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