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小糠雨

「ストーカー、ですか」

「そうなのよ、最近何だか見張られたり、後をつけられたりしている気がして……それに、下宿の前にある電柱の下に一晩中誰かいたりね。気味が悪くて仕方がないの」

 冬野目が働く古本屋からほど近い定食屋で、壬生は和風ハンバーグ定食の付け合わせの野菜を箸でつまみ乍らそう言った。隣に座る砧は、夢中でオムライスを口に運んでいる。 

 突然の壬生来店で冬野目はえらく錯乱し、直前まで舐め回す様に見ていた尻特集の雑誌を仕舞い、なぜここにいるのかと尋ねた。本来、壬生の下宿はここから二駅分ほど離れた場所にあり、講義も無い時間に彼女がこの辺りにいるのはおかしい。

 理由を聞くと、少し相談があるので付き合ってほしいとのことだった。なので休憩時間まで待ってもらい、こうして食事のついでに話を聞くことになった。ちなみに休憩までの三時間を、壬生はひたすら少女漫画を立ち読みし乍ら待っていた。

「でも……勘違いじゃないんですか?電柱の下に隠れて見張るなんて、いまどきそんなストーカーなんていますかねぇ……」

 冬野目は、煮物定食の豆腐を突っつき乍ら言った。しかし壬生はその言葉を聞いても眉根を寄せたままで、不安そうな表情に変わりない。

「私も初めはそう思ったわ。でもね、それがここ最近ずっとなのよ。いくらなんでもおかしいわ」

「心配なら警察にでも相談してみてはそどうです?少なくとも僕よりは頼りになると思いますが……」

「警察は駄目よ」

「なぜです?」

「こちらに被害が出てからじゃなきゃ動いてくれないもの。それじゃあ遅いでしょう」

「それは……確かにそうですが……でも、僕に言われてもどうしようもありませんよ。見てくださいよ、これ」

 冬野目は右手を曲げて、力を込めた。すると小ぶりな饅頭ほどの何かがぽこりと隆起し、しばらくぷるぷると震えていたと思ったら、元の木の枝のような貧相な腕に戻った。

「ふう……見ましたか?僕よりも野良犬とかのほうが、たぶん強いんですよ。これでは護衛なんて務まりません」

「確かに、なんだか骨そのものだものね、冬野目君。でもね、私は良いとしても……もし砧ちゃんが狙われていたとしたら、何としても守らなきゃいけないでしょう?」

「そうですね……砧ちゃんは壬生さんみたいに暴力的でもないでしょうし」

「冬野目、このナイフよく切れるわ。どうかしら」

 冬野目は黙って椎茸の煮つけを口に運ぶ。よく味がしみていて美味いが、先日一条と壬生に文房具を放られた時に口の中を切ったので、そこにもよくしみる。

「とにかく、本当にストーカーなのかを確かめなければなりません。詳しい話はまた明日、大学でしましょう」

「そんな悠長なこと言ってられないでしょう。この後私が帰宅したところを狙われたらどうするのよ。もしそうなったら、私は自分の血を使ってでも冬野目君の名前を書いて死ぬわよ」

「なぜそんなミスリードを誘い、警察の捜査を撹乱するような真似を……わかりましたよ、じゃあ悪いですけどバイトが終わるまで待っててもらっていいですか?」

「ええ、それでいいわ」

「……なんだか、やけに素直ですね」

「だって相談に乗って頂く上に……こうして夕飯までご馳走になるんですもの。これくらいは当たり前ですわ」


 冬野目が店を締めてエプロンを脱いだのは夜の十一時をまわったあたりだった。一緒に働く先輩は壬生を見るなり妙に大人しくなってしまい、普段は決して自発的にはやらない作業も進んで行った。その成果もあり、思っていたよりも早く自由になれた。

「壬生さん、店じまいです。もう行きましょう」

 棚の前でかたくなに動かない壬生に対して、冬野目はうんざりしたような声で言った。それもそのはずである、休憩が終わってから店を閉めるまでの四時間を、壬生は先ほどの少女漫画の続きを立ち読みし乍ら待っていたのだ。のみならず、本来ならば客を全て店外に出してから行うはずの閉店業務の時間も、彼女は同じ姿勢で漫画を読み続けた。当然注意をして外に出てもらおうとしたのだが、壬生は「拒否します」「嫌です」と言って聞き入れなかった。困り果てた冬野目が何とか頼み込み、仕方なく先輩が注意をしに向かったところ、壬生は読んでいた漫画を少し上に持ち上げ乍ら上目遣いで「わたし、(この漫画)好きなんです……」と瞳を潤ませ乍ら言った。

 先輩は「好きなだけ読んでいていただいて結構です」と言ってその場を立ち去り、その後は一言も発することなく店を後にした。

  

 自転車をおし乍ら壬生と砧と歩く。空気中の湿度が増して、肌にまとわりつくような感覚を覚える。

「それで、なにか心当たりはないのですか?」

「……え?」

「だから、ストーカーの心当たりですよ。どこで目を付けられたとか、最近なにか変わったことがあったとか……」

「ちょっと待って。今、さっき読んでた漫画の余韻に浸っているの」

 すっかりトリップし始めた壬生。仕方がないので冬野目は砧から話を聞くことにした。

「砧ちゃん、最近何か変わったこととかなかった?」

 彼女はしばらく唇に人差し指を当て乍ら考え、首を左右に振った。

「んー、特にないかなぁ……気が付いたら、何だか毎日誰かに見られてるって感じ」

「そっかぁ……」

「あ、でも。その人はなんか持ってた」

「なんか?」

「うん。小さいもの……それをこっちに向けてたような……」

「なんだろなあ……」

 必死に考え乍ら歩くも、何も思い浮かばない。そうしているうちに、下宿に到着してしまった。

「あっ!砧やん!」 

 見るなり一条は砧に抱き付き、慈愛の顔付きで頬ずりをした。

「うぅ、砧に不良のお友達はいないですぅ」

 されるがままの砧。しかし一条は構わずに行為を続け乍ら言った。

「砧、あんたは覚えてへんだけやねん。ウチとあんたは大親友やねんで」

「……しんゆう?」

「せや。ま、そのうち思い出すやろから心配せんでええよ」

 満面の笑みを浮かべる一条を、不思議そうな顔で見つめる砧。

 壬生が口を開いた。

「……思い出した」

「え?」

「ストーカー。どこかで見たことあると思っていたけれど……たぶん同じ大学の学生だと思うわ」

「え……それは本当ですか?もしそうなら、特定しやすくなりますね」

「ええ。でも……学部や名前まではわからないわ。何せ私、友達少ないし」

 澄まして言う壬生に、吠木が言葉をかける。

「そんな堂々と言うことでもないような気がしますが……」

「なに?何の話?」

 存分に砧の肌を堪能した一条が、ほくほく顔で会話に加わった。見ると砧はすっかり疲れた様子で、ベッドに横になっている。

「それが……最近、壬生さんと砧ちゃんにストーカーが付いたらしいんです。行動を逐一見張られて、しかも下宿の前でずっと待たれてるみたいで……」

 一条はストレートに嫌悪感を表した。

「うわ、きっしょ……あんたみたいやな」

「ちょっと、僕はそんなことしませんよ」

「どうだか……しそうやん」 

「どんなイメージなんですか。でも、本当に困りましたね。これが壬生さんのストーカーならまだいいですけど、砧ちゃんのストーカーだったら話はややこしくなりますよ」

 冬野目はまず、これは烏丸一派の仕業ではないかと疑った。壬生を監視するということは、つまり一緒にいる砧を監視することにも繋がるからだ。

「一条さん、烏丸一派というのはみんな、先日のように人間の姿に成れるのですか?」

「うーん。基本的には、成れる」

「では、学生のフリをして大学に忍び込んで壬生さんを監視することも可能なのですね?」

「ま、そやな。でも、そんなことしてなんになるん?あいつらの狙いは砧やで?ほんなら、砧だけ見張ればええやん」

「それなんですよねぇ……」

 両手を頭の後ろ組み、天井を見上げる冬野目。確かに、相手が烏丸一派であればわざわざ壬生をストーキングする必要はない。それに、そんな周りくどいことをしなくても、先日のように強硬手段に出たほうが話は早いだろう。

「壬生はん、ストーカーからの視線は大学でも感じるんやろ?なら話は簡単やん」

「どういうことです?」

「壬生はんと冬野目で、逆にそいつをストーキングしたればええやん。二人で人気のないとこに行けば、候補も減って相手を絞りやすくなるやろ」

「あぁ……確かに。それで、怪しいやつをあぶりだすわけですね」

「せや。ほんで、捕まえるなりなんなりして事情を聞くか警察に突き出すか、やな」

 満足げな一条に、不満そうな壬生が口を開く。

「でも一条さん、冬野目君だと護衛になりません。鉛筆を持った私のほうが、たぶん強いくらいです」

「あぁ……それもそやな。よし、ウチらも手ぇ貸すで」

 ぽんっと膝を叩き、一条は吠木に向き直った。

「はじめくん。砧を保護してくれた二人に、ウチらから恩返しといこうやないの」

「それはいいですけど……大学に潜入するのですか?」

「せやで。他人のフリして行動して、何気なく相手を見つけるんや」

「はぁ……でもそう言った隠密行動に一条さんは向かないと思いますよ。何よりも目立ちすぎます」

「それは……なんとかするがな。それにウチが目立つっちゅうことは、逆にはじめくんは目立たなくなるやん?プラマイゼロや」

 かかっと笑う一条。そして勢いよく立ち上がり、腰に手を当てて声高に宣言した。

「ほな、明日にでも実行といこか。楽しみやなぁ」

「でも……砧さんはどうするんです?一人にして烏丸一派にさらわれたら、本末転倒ですよ」

「もちろん、連れてくわ。砧も大学行ってみたいやろ?」

 ベッドでうとうとしていた砧だが、それを聞いて飛び起きた。

「行きたい!お姉ちゃんの学校!」

 らんらんと瞳を輝かせ、両手をしかりと握っている。相当嬉しいのだろう。

「でも……そのスーツで行くんですか?」

「あ……それもそやな。はじめくんも、ジャージやし」

 一条の服装は出会った当初と同じスーツだ。例のハンチングはあるが、外出時以外は被っていない。一方の吠木は小豆色のジャージで、これも当初と同じままだ。

「服、そろそろ買わなあかんねぇ。何かまともなやつ」

「僕はこれでも構いませんが……動きやすいですし」

「あかんて。それに、それ洗濯したらどうすんの?」

「あ……そうですね……」

「よし。ほな、まずは明日服買にいこ。みんなでショッピングや!楽しみやなぁ」

「あの……なんだか楽しそうですが、遊んでる場合なんでしょうか?」

「何言うとんねん冬野目。これも潜入捜査のためやで。それに、ウチはこのスーツしか持ってへんねん。着替えも欲しいし、下着も買わなあかんわ。必要なことや」

「え……一条さん、今まで下着つけてなかったんですか?」

 冬野目の目の色が変わった。

「そやけど……なんやねん気持ち悪い。変なこと考えるのやめ!」

「いや、若い女性が下着をつけずにいるのは良くないですよ。わかりました。明日まとめて買ましょう」

「何かいきなり乗り気やな……」

「冬野目君は、変質者だから」

 一条と壬生の視線は徐々に温度を無くしていった。

「まぁええわ……。そうと決まれば今日は早く休も。ほんで壬生はんと砧、しばらくここに泊まればええやん。ここならストーカーにばれてへんやろし、ウチらがおるから少しは安心やろ?」 

「そうですね……そうしましょうか」

「やった!ごしゅじんと一緒!」 

「そう言えば、なんで砧は冬野目を『ごしゅじん』って呼ぶん?」

 砧は顔を綻ばせた。

「砧を助けてくれて、ご飯もくれたから、ごしゅじんなの。それで何か恩返しがしたいって思って寝て、起きたらこうなってたの」

「そうなんか……そら、助かったなぁ。でもこいつは本物の変態やで。何かされたらすぐにウチに言うんやで」

 鋭い眼光を冬野目に飛ばし、一条は砧を抱きしめた。

「大丈夫だよ。ごしゅじんは砧に、気持ちいいことしてくれるって」

 にっこりと笑い、一条を振り返る砧。それとは対照的に室内の空気は一気に張りつめた。

「……冬野目、砧に何するつもりやってん」

「ご、誤解ですよ!なにもしてませんって」

「ちゃうねん。何をしたかやのぉて、何をするつもりやったかを聞いとねん!」

 喧々とした雰囲気の中、無邪気な声が響いた。

「違うの、ごしゅじんは砧をお風呂に入れてくれるって!」

 もう、終わりだ。冬野目はそう思って目を瞑った。これからまたあの、凶器と化した文房具がこの身を切り刻むんだ。そして壬生からは鋼鉄の視線を向けられ、吠木からは常識と言う刃物で滅多切りにされるんだ。そう覚悟した。

 しかし。

 待てど暮せど、何の攻撃もされない。精神的なものも肉体的なものも、自分に対する敵対心がまるで感じられない。

 不可思議だ。

 そっと、瞼を上げてみる。

 そこには頬を紅潮させた一条がいた。壬生も砧も、一条から目が離せない様子だ。

 果たして、うっりとしながら長身のショーカット金髪京美人は呟いた。

 

「砧とお風呂かぁ……えへへ。えへへへ」

 冬野目は恐る恐る疑問を口にする。

「……吠木君、一条さんって……」

「あれ、冬野目さんは気付いてなかったんですか?」

 吠木は蕩け顔の一条を指差した。

「あの人もまた、変態です」

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