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こわれもの

 陽はすっかり暮れ、街には夜の帳が降りている。

 冬野目の下宿は中央線の最寄駅から徒歩でたっぷり三十分はかかる位置にあり、尚且つ道中には長い長い坂もある。

 その坂を上り、更に少し行って次は下る。そろそろ次の駅が見えてくるのではないのかというところで、大きな建物と開けた場所が見えてくる。それは中学校で、日中には道に面したグラウンドで少年少女がはつらつと若い身体を動かしている。

「あんたあれやろ、中学校とかでたまにある、『最近この辺に変質者が出るから注意しましょう』ってやつの犯人やろ」

 一条は右手で頬杖をつき、湿った視線を向けている。言われた冬野目は頭や腹部をさすり、苦痛に顔を歪め乍ら否定の言葉を吐いた。

「そんなことしませんよ。だいたい現実の女の子はどれだけ可愛くても、こうして武力に訴えることがあるのであまり好きませんね」

 部屋の中には様々な文房具、取り分け殺傷能力が高いものが散乱している。これは一条が冬野目に放り、その後壬生がそれらを集めて、さらにもう一度冬野目に放った結果だ。物理的な攻撃に晒された冬野目は、その後精神的な攻撃にも晒された。そして、今では心身ともに疲弊し切って、片隅で小さくなっていた。

「それは冬野目、あんたが悪いわ。壬生はんの気にしてるポイントを堂々と茶化して……女の子には優しくせんとあかんよ」

 当の壬生は、今はベッドで砧と一緒に毛布にくるまって大人しくしている。俗に言う不貞寝というやつで、先ほどから立て続けにかけられている謝罪の言葉には全く反応しない。

「別に茶化したわけではないんですけど……壬生さーん、本当にごめんなさい」 

 しかし返事は無い。くくっと吊り目を細めて笑い、一条は楽しそうにしていた。

「冬野目、あんた女の子にモテへんやろ?」

「見ればわかるじゃないですか……」

「自業自得やわ。これからは優しくすることやな」

 しかし、これが冬野目にはよくわからない。壬生の胸元が荒涼としているのは誰が見てもわかる事実あり、それを取り繕ってみても事実は変わらないし壬生の果実も育ちはしない。それに、彼は壬生の美貌については正直に評価しているし、それを本人にも伝えている。そのときの壬生はなんだか恥ずかしがり乍らも嬉しそうだったけれど、それは別に優しさから出た言葉ではない。冬野目自身が思ったことを正直に伝えただけだ。

 正直に物事を伝えることが、一番の誠実なのだと彼は信じている。

「でも……一条さん、さっきのあれはなんだったんですか?」

「さっきって……カラスマ?」

「そうです。そのカラスマ……あの黒スーツの男、何なんです?気持ち悪かったですね」

「あんたにゃ言われたく無いと思うけどな……まぁええわ。あいつはカラスマ言うても下っ端や。ただの兵隊やな。羽はあっても飛べへんし、言葉も自由には話されへん。低級なやつや」

「腕が鳥の羽に成ったように見えましたけど……」

「ちゃう、鳥の羽に成ったんやのうて、鳥の羽に戻ったんや」

「戻った……?」

「せや。カラスマは漢字で烏、に丸。地名にもある、烏丸や。安直な命名やな。その烏丸一派が砧を狙って追手を差し向けた。あいつはその中の一匹や」

 話が呑み込めない様子の冬野目に向かって、一条は表情を変えずに言葉を続ける。

「いや、一匹やのうて一羽かな。まぁ、どうでもええけど。たぶん砧は実家から飛び出して一人になったところを、烏丸一派に狙われたんやな」

「そう、それなんです。一条さんや吠木君は、砧ちゃんのお知り合いなんですか?事情を知っているのなら、ぜひ教えてください」

 冬野目は身体をさする手を止めて、一条に正面から向き合うように座った。 

「それよりも、あんたらはなんで砧と知り合ったん?なんでこの子はウチのこと覚えてへんの?」

「砧ちゃん、記憶喪失らしいんです。壬生さんが聞き出してくれたんですけど、自分がタヌキだってこと以外は何も覚えてないらしいです」

「あぁ……そういう……それなら納得や」

 すると、隅で正座をしていた吠木か口を開いた。冬野目はそちらに振り返る。

「砧さんとはどこでお知り合いになられたのですか?」

「えっと、僕がコンビニに寄って買い物をして帰ろうと自転車に跨ったら、駐輪場の隅で倒れている砧ちゃんを見つけたんだ。その時はまだ、タヌキの姿だった。それで、壬生さんと一緒に僕の下宿まで運んで、一応の手当をして食べ物をあげた。それで翌日目が覚めると……」

「今の、人間の姿になっとった、っちゅうことか?」

 次は一条に向き直り、話を続ける。

「そうです。本当に驚きましたよ……いきなり自分のベッドから全裸の女の子が出てくるんですから……」

「あ、お前!砧になんもしてへんやろな!」

 片膝をついて血相を変える一条をなんとかなだめ、冬野目は言葉を続けた。

「な、何もしてませんってば。それに砧ちゃんと一緒に布団に入っていたのは壬生さんです。僕はこの堅い床で寝ました」

 それでも疑いの視線を向ける一条に対して、何度も同じ説明をした。渋々納得した一条に対して、冬野目は更に疑問を投げかける。

「でも……砧ちゃんはなぜ全裸だったんですか?それに、どうやって人間に成ったんです?そう言えば、一条さんもさっき巨大な熊に成ってませんでしたか?僕はもう何がなにやら……ワケがわかりませんよ」

「いっぺんにそない聞かれても……まぁええわ。そらワケわからんやろぉしな」

 そして一条は長い脚を崩して胡坐をかき、人差し指を教鞭のように振るって話し出した。

「まず、砧がなんで裸やったかたやけど、そら当たり前や。狸は普段、服なんて着てへん。当然、人間の姿に成った瞬間も服なんて着てへんわ。次にどうやって人間に成ったかやけど……これは説明しても無駄やと思うわ」

「無駄って……どうしてですか?」

「ほな逆に聞くけど、なんで人間は車とか飛行機とか造れるん?なんで東京から京都まで、たった数時間で移動できる乗り物を開発できるんや?」

「なんでって……それは色々な人が知恵を出し合って、時間をかけて……」

 歯切れが悪い冬野目の言葉を、小気味良い関西弁が遮った。

「ちゃうちゃう、そういうことやないねん」

「そういうことじゃない?」

「せや。だって答えは単純明快どってん快晴やもん。人間にはそれが出来るねん。出来るから、その方が便利やから、造るし使う。そやろ?」

「はぁ……そうですけど」

「それと同じや。人間の姿に成れるから、その方が便利やから、砧は無意識にそうしたってだけや」

「そ、そんなことが可能なんですか」

「目の前でみたやん。それにウチの熊も見たやろ。ま、ウチの熊と砧の人間化は別物やけど……」

「あ、あの……砧ちゃんがタヌキなのは、ひとまずいいとして、一条さんと吠木君は……何者なんです」

「ウチら?言うてへんかったっけ。うちは狐で、はじめくんは犬や」

「狐と……犬?」

「そ。まぁ犬言うても、狛犬の類やね。ウチも伏見稲荷の門番みたいなもんや。こう、鳥居の前に置いてあるやつ」

「となると……吠木君も一条さんも、今は人間の形をしているだけということですか……?」

「そう。なんや、砧が人と一緒におるっちゅう情報を聞いて、この方が何かと便利やと思ってな」

 次は吠木が口を開く。

「一条さん、砧さんが行方不明だって聞いて血相変えて飛び出したんですよ。周囲の制止も振り切って、真っ直ぐ東京に向かって走り出したんです。何の考えも無しに、ですよ」

「そ、それは悪かったって言うたやん」

「挙句に途中で人間の姿に成り、案の定服を用意していないから全裸で、そして人間の姿だと速く走れないとか言って他人の車を盗み、事故を起こして目撃されるという体たらくです。全く。今着ている服だって盗んだものでしょう?なんでそうやって何も考えないで行動するんですか!後詰めに回る僕の身にもなってくださいよ!」

 顔を紅潮させて吠木が食らいつく。当初の冷静な印象から逸脱したその姿に、冬野目は釘付けになった。

「全く!何処の誰かも知らない人に裸を見られたのですよ!?一条さんは女性ですよ!動く前になんで僕に相談しないんですか!」

 眉根を寄せて詰め寄る吠木は、しかし小柄なので一条を見上げる格好だ。しかしその迫力は凄まじく、さすがの一条もひたすら謝罪じみた言葉を繰り返すだけだった。

「ごめん、ごめんて……でもウチの裸なんて今更見られても別になぁ……恥ずかしがる歳でもなし。ま、相手が冬野目みたいな変態なら嫌やけど」

 かかっと笑う一条に向かって、吠木は小さな身体を精一杯伸ばして立ち上がった。そして右手を振り上げ、拳を握って一条の頭に向かって振り下ろした。

 拳骨、である。

「いたっ!ゲ、ゲンコツすることないやん!そない怒らんでも……いたっ!」

 数発、頭頂部に打撃を食らい蹲る一条。それを見た吠木は鼻からふんっと息をもらして、元の落ち着いた様子へと戻った。

「失礼、取り乱しました。冬野目さん、砧さんは本当に何も覚えてはおられないのですか?」

「う、うん。と言っても、砧ちゃんが僕のところに泊まったのは一日だけで、あとは壬生さんの下宿に泊まっていたから、あまり話せてないんだ。それで大学で壬生さんから話を聞いたら、どうやら記憶喪失らしいと」

「そうですか……それはやっかいですね。僕達の目的は砧さんを無事保護して、砧一派の元へ送り届けることです。でも、今の状態で戻っても、記憶が無いのではどうすることもできないでしょう」

「あの……吠木君と一条さんは、砧ちゃんのお友達なの?それでそんなに一生懸命になっているの?」

「お友達とは、違いますね。身分が違いすぎます。さっき一条さんも言ってましたけど、僕と彼女はまさしく狛犬なんです。近衛兵、門番、護衛……呼び方はなんでもいいですが、要は砧さんを守るためにいるのです」

「え……あの子はそんな身分なの?」

「はい、姫様ですから」

「ひ、姫様?」

「そうです。砧一派の後継者筆頭であり、在野妖の頭取の一人娘。それが砧さんです。だから、こうして駆けつけて探していたのです。一条さんは砧さんと歳も近いし、小さい頃はよく一緒に遊んでいたらしいです。なので、心配で居ても立ってもいられずに先走ったのでしょう。それは本来ならば規律を乱す行為ですが、砧の本家は今こちらに人手を出せるほど余裕がないので、僕らの動きを大々的に制約するつもりはないみたいです。それに、もちろん本家も砧さんの帰りを望んでいますし」 

「えっと……話がよく飲み込めないんだけど、要は砧ちゃんは大事なお姫様なんだね。でも……なんで今回みたいに襲われる危険を冒してまで、本家を出たのかな」 

「あの子は責任感が強いんや」

 頭頂部を押さえて蹲っていた一条が復活し、会話に加わった。

「烏丸一派の狙いは、一大勢力である砧一派の崩壊や。真っ向からぶつかればお互いにかなりの損害が出る。それで、あの子は自分で烏丸んとこ行って話をつけようとしたんや。自分は後継者やからな、相手も交渉のテーブルにつくと踏んだんやな」

「えっと……話の流れかから察するに、何やら抗争のようなものが起きているんですか?」

 ふう、と一息ついて落ち着いた様子の一条が冬野目の疑問に答えた。

「せや。まぁ、あんたら人間には関係無いことやけどな。昔っからよくあることやし」

「でも……」

 冬野目はそのスポンジのような脳味噌を必死に稼働させた。あの森で見た鳥男、今後あのような存在と関わるのは、極力避けたい。ただの人間が相手ですら酷く苦戦するのに、あのような訳のわからないものに相対するなんて危険すぎる。今回は一条と吠木がいたので何とか退けることができたが、今後も同じように上手く事が運ぶとは到底思えない。これまでのように自堕落で没交渉で、精神的な自給自足で満足していた生活に戻りたい。

 しかし。

「でも、僕は砧ちゃんともう知り合いです。あの子は僕を『ごしゅじん』と呼んで懐いてくれるし、壬生さんも実の妹のように可愛がっています。今更他人のことだからと見捨てるようなことは……したくないです」

 それを聞いた一条と吠木はしばしお互いの顔を見合わせ、やがて難しい顔をして黙り込んだ。

 しばしの、重たい沈黙

 先に口を開いたのは一条だった。

「……あんたも見たやろ、あんな化け物が何体も出てくるねんで。生身で、しかもひょろっちいあんたが手ぇ出してどうにかなる相手ちゃうわ」

「でも……このままだと砧ちゃんの家族は大変なことになるんですよね」

「まぁ……そやな。砧んとこだけやなく、傘下におる一条一派も吠木一派も、只では済まんわ」

「それなら尚更です。放ってはおけません」

「べ、別にあんたら人間が手ぇ出す必要は無いねんで。危険やし、それにこれは自然界の節理や。あんたら人間が、もう他の動物にちょっかい出されへんだけのシステムを構築しただけの話で、他の動物は毎日生きるか死ぬかの綱渡りをしとる。今回の件も、よくあることやし」

「だって、一条さんも吠木君も結果的には僕を助けてくれましたから。次は僕が何か……いや違うな……」

「な、なんや」

「そう……単純に心配なんです。居ても立ってもいられなくて飛び出した一条さんと同じように、僕も何もしないわけにはいかないんです」

「……でも、ほんの数日前に会ったの砧と、今日初めて会ったウチらやで?」

「それでも、です」

「……どうなっても知らんで」

「大丈夫です。僕は……」

 冬野目は右手をぎゅっと握り、腕に貧相な力こぶをこしらえた。

 そして吐き出すように、呟くように言った。

「……まだ、脳内で壬生さんの顔に砧ちゃんの乳まわりという、完璧な女性偶像を構築せきてはいないのだから……」

「……なんか言うた?」

「いえ、何も。とにかく、僕も何か手伝いますから」

「……まぁ、人手は多い方がええけど……」

「ですよね。……しかし今日は疲れたなぁ。お二人とも、どこに宿をとっているんです?」

「とってへんよ。ここに泊まるわ」

 さっと見やると、一条は平気な顔をしている。

「え……僕の部屋に、ですか?」

「せや。野宿はもう嫌や」

 

 それから布団を敷き、簡易的な寝床をこしらえて電気を消した。なんだか前にも同じようなことがあったなぁと思いながら冬野目は横になり、隣にいる吠木を見た。

「吠木君、狭くてごめんね」

「いえ、構いません。こうして屋根と壁があるだけで有難いです」

 ベッドには壬生と一条、その間に挟まれるようにして砧がすやすやと可愛らしい寝息をたてている。これは予想されうる冬野目からの様々な触手を防ぐために、一条が頑なに主張した陣形だった。

 女性に挟まれて寝てみるのもまた風流、と考えていた冬野目は大いに落胆したが、こうして暗闇の中で隣を見ると、吠木もまた端正な顔立ちをしていることに気が付いた。睡魔と戦い、うとうとと船を漕ぐ姿は微笑ましく、冬野目の心中には新たな思いが芽吹いた。





「ショタもこれまた風流、かな。ふふふ」

 

 


 





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