time to believe now 9
え? 日直は居ないのかって? クラス委員が号令を掛ける学校もありますよ?
え? クラス委員が男女とも休んだら、誰が号令を掛けるのかって? クラス委員は休まないから、クラス委員なんです。
え? なんで主人公しか号令掛けないのかって? 偶然です。……あの、もう本編を読んで下さいませんか?
一月二十九日 土曜日 放課後
――キーンコーンカーンコーン……
「起立!」
終業のチャイムの直後、教室に響く号令。
今日も俺の声と共に授業を締め括る。
土曜日は四十五分の授業が四つ、いつもより二十分早い時間に四時限目が終わった。
今日は一度も教師に指されなかった為、誰とも言葉を交わせていない。教師が話しかけてくれなければ、現在の俺に、会話の機会は皆無。よって、本日俺が教室内で発した言葉は「起立」「礼」「着席」だけだった。
俺とクラスメイト達の間に出来た溝は、ほんの僅かも埋まる気配の無いまま、週末を迎えた。……まあ、たった一週間でどうにかなるとは思っていない。大体、溝が出来たのは去年の五月だ。
月曜日から生じている、この学校の生徒達の俺に対する拒絶感は、改善も悪化もしていない。
そう、悪化はしていないのだ。
今日の前日。
つまりは昨日。
俺が水沢の心を傷付け、水沢が俺の身体を傷付けた金曜日。
この日の事件の事は、どうやら、学校中に知れ渡る、などという事にはならなかったようだ。今日一日、俺は常に周りへと聞き耳を立てていたが、特に何か騒ぎになっている様子はなく、少なくとも教室内は、昨日以前と変わらぬ雰囲気を保っていた。これなら、昨日の放課後の事は隠ぺいが成功したと見ていいだろう。
良かったと思う、俺はもちろん水沢にとっても。
その水沢だが、とりあえず今週は自宅謹慎という事になっている。と言っても今週は今日で終わりなので、実質、学校を欠席となるのは今日だけだ。一応被害者という立場にある俺が、彼女の処分を望まなかった事も考慮され、正式に処分はされなかったらしい。だから水沢は、月曜日から普通に登校出来る筈。
彼女がそれを出来る精神状態であるかは判らないが……。
「では皆さん、卒業式に関するプリントを配りますので、ちゃんと目を通しておいて下さい」
いつの間にか広瀬川先生が教室に来ていた。すでに帰りのSHRが行われている。しまった、何か連絡事項を聞き逃したかもしれない。普通なら、後で友達に確認すればいいのだろうが、俺にはその友達が居ない。帰り際、先生に確認しなければならないだろうか。
……今週はどうもよくない、気が散漫になっている。
「皆さんは初めてになりますが、徳英の卒業式は全校生徒が参加します。一年生である皆さんには、特にやるべき事は有りませんが、卒業生を送り出す際に校歌を斉唱して貰う運びとなっています。もちろん校歌は憶えていますよね?」
卒業式の話か。再来月で三年生は卒業するのだが、その三年生には知っている人が居ないので、どうしてもミケの卒業式の方に気が行ってしまう。
「前日にリハーサルがありますので、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
小学校、中学校の時も思ったのだが、卒業式のリハーサルって本番の感動を薄めてしまう気がする。しかも前日って……。
「はい、では今週もお疲れ様でした。日曜はゆっくりと休養を取って下さいね」
「そう思うなら宿題を減らして」と、何度思っただろう。……進学校だから仕方ないと言えば仕方ないが。
ともあれ、この一週間はどうにか乗り切った。明日はしっかりと休み、次の一週間に備えよう。
「因幡君、ちょっといいかしら?」
「あ、はい」
教室を出ようとした時に、広瀬川先生に声を掛けられた。
教卓へ向かおうとしたら「廊下で」と言われ、そのまま教室を出る。直感的に昨日の話だと思ったので、なんとなく、人目を避けるように、廊下の隅へと足を向けた。
「水沢さんの事なんですが……」
先生はやや声をすぼめつつ、そう切り出した。予想は当たったようだ。
「水沢さんのお父様が、因幡君とそのご家族に会って謝罪したいと仰っているそうなの」
「水沢のお父さん?」
「ええ。昨日、四組の谷垣先生が水沢さんを家に送った際に、お父様からそう言われたそうなんです」
昨日、あの後、俺は広瀬川先生の車で家に送って貰い、水沢は谷垣先生に送って貰っていた。
俺を送った際、広瀬川先生は父さんに会えなかった為、昨日の事は俺の口から父さんに話した。だが、水沢の方は家に父親が居たようだ。
谷垣先生が、水沢の父親に昨日の事をどういう風に伝えたかは分らない。しかし、なんだか随分と迅速に謝罪を申し出た気がする。誠実ではあると思うが、水沢が落ち着くのを待って、彼女の話を聞いてから判断してもいいように思えるのだが……。
「あの、谷垣先生は、水沢のお父さんに詳しい説明をしたんですか?」
「え? うーん、どうでしょうか……。時間も時間でしたし、何より水沢さんがかなり憔悴していましたから、長居はなさらなかったんじゃないかしら。だから説明もそれほど詳しくは出来なかったと思いますよ? それに、因幡君と水沢さんのご家族には、学校側から改めてご説明する事になっていますので」
「にも拘らず、昨日の時点で謝罪を申し出たんですね、水沢のお父さんは……」
「そうですけど……それが?」
「……いえ、なんと言いますか、そうそう受け入れられる事では無いと思ったんです、娘が人を……なんて事は。しかも相手は男子生徒ですし、寧ろ、俺側の落ち度を欲するんじゃないかなって。例えば……昨日、広瀬川先生が仰ったような事を疑うとか」
「うう、その事はもう……。でも、言われてみればそうですね。娘の男親としては随分とすんなり……」
俺の考えに信憑性が出て来たんじゃないか?
やはり水沢は昨日のような事が初めてでは無い。だから水沢の父親はすぐに事態を理解し、謝罪を申し出たのではないだろうか。
どうやら水沢の父親には会う事が出来そうだし、その時にでも話を……
「……いや、だからもう気にするなよ、俺」
「はい?」
「あ、いえ……。えっと、謝罪の必要は無い……という訳にはいかないですよね、やっぱり」
「……因幡君が会いたくないのであれば、強要は出来ません。貴方が被害者ですから」
「あ、そうか、そう取られますよね……。だったら、会って謝罪を受け入れた方がしこりを残しませんね」
「なんと言うか、因幡君には頭が下がりますね。その歳で、よくそんな考え方が出来るものです」
「へ?」
「昨日も思ったのですが、因幡君、貴方はもう少し自分を優先してもいいんじゃないでしょうか」
「……優先?」
「良い事でもあるので、今まで指摘しなかったのだけれど、因幡君は、ちょっと物分りが良すぎると思うんです。そういう子は得てして、自分を押し殺している事があります」
「…………」
――我慢しているのね、志朗君。
美作先生の声が聴こえた気がした。
そうなのだろうか。
俺は自分を押し殺しているのだろうか。
けれど、誰だって、何かしら我慢している事はある筈。
「因幡君くらいの年齢なら、もう少し我がままというか、自分の思うように行動してもいいと思います。もちろん限度はありますけど」
「思うように……ですか」
「ええ。よく言われる事ですが、溜め込みすぎた心は、やがて暴走を起こすかもしれません。時には自分の本音を外に出す事も大切ですよ?」
「なるほど……」
俺が水沢に投げ掛けたあの言葉。
水沢を傷付ける事となったあの言動。
俺はそれを、自分の意思に反してと捉えていたが、あれこそが俺の本音だったのかもしれない。
……暴走、か。
俺も母親という存在に関しては敏感だから、心の抑制が効かなかったのだろう。きっと俺は、水沢に母親の死を受け入れて欲しいと思っているんだな。
「ごめんなさい、話が逸れましたね。ええと、水沢さんのお父様には会うという事でいいのかしら?」
「あ、はい。あの、いつ頃になるんでしょう?」
「因幡君側の都合が優先という事を前提に、明日の日曜日を提案しているそうです」
「明日っ!?」
「さ、さすがに無理ですよね……?」
急すぎる。俺はともかく父さんの都合がつかない。こちらに合わせるという事だし、ここは断って別の日に……。
「……いや」
「因幡君?」
……自分の思うように、か。
俺は今、水沢の父親と話してみたいと思っている。
こういうのもありかな?
「先生、ケータイを使う許可を頂けますか? 父に確認してみたいので」
「え? あ、はい、どうぞ」
ケータイを取り出しすぐさま電源を入れる。父さんの番号を表示したところでしばし逡巡。緊急でもないのに、こんな時間に電話するのは、ひどく気が引ける。立て込んでいない事を祈りながら、俺は発信ボタンを押した。
……トゥル……プツ
「志朗?」
「早っ」
「ああ、ちょうど携帯電話いじってたから」
「あっ、やっぱ忙しかった……よね?」
「いや、構わないよ。急用だったのかい?」
「その、じ、実はそれほど急用って訳でもないんだけど、昨日の事に関する話なんだ」
「ふむ、聞こう」
「急な話なんだけど、水沢のお父さんが、俺達に会って謝罪したいそうなんだよ。しかも、明日」
「本当に急な話だね」
「それでさ、その、無理を承知でお願いなんだけど、出来れば明日、時間を作って貰えないかな?」
「ん、志朗のお願い? 先方ではなく?」
「うん、俺が水沢のお父さんに会いたいんだ、早い段階で」
「理由は訊いても?」
「詳しくは今夜話すけど、端的に言えば……そうしなくちゃいけない気がするんだ。直感?」
「それが理由?」
「だ、駄目だよね、やっぱ……」
「…………。……午後一時から三時まで時間を作ろう」
「えっ、いいのっ!?」
「僕もそうした方がいいような気がするんだ。直感?」
「刑事の?」
「いや、父親の。それで? 先方がウチに来るのかい?」
「あ、そういえば聞いてなかった。ごめん父さん、ちょっと待ってて。……先生、水沢さんって、ウチに謝罪に来るんですか?」
「え? ああ……それでもいいのですが、やはり学校でお会いして頂きたいですね」
「そうですか……。父さん? 学校でだって。いい?」
「了解。時間の方はそれでもいいって?」
「うん、こちらの都合に合わせるみたいだから。じゃあ、詳しくは夜にって事で、忙しいトコごめん、父さん」
「ううん、別に忙しくはなかったさ。じゃあ志朗、夜にまた」
ピッ ツー……ツー……
「先生、明日の午後一時からでお願いします」
「あら、お父様は平気だったのですか?」
「ええ。それで大丈夫ですか?」
「はい。では、私から水沢さんに伝えておきましょう。明日の午後一時に学校で、ですね?」
「はい」
「明日、因幡君達は、学校に来たらまず職員室に来て下さい」
「分かりました」
「それでは、今日はこれで。気を付けて帰って下さいね」
「はい、さようなら。……ふぅ」
広瀬川先生に別れの挨拶をして、その場を後にする。
気が付けば、俺は一気に話を進め、明日にも水沢の父親に会う機会を作っていた。完全に感情優先の行動だ。ついさっきまでは、もう二度と水沢には関わらないつもりだったのに、今は、もう行くとこまで行ってしまおうという心境になっている。……ちょっと状況に流され気味かな、俺。
でも実を言うと、最低あと一回は水沢に接触しなければならない理由があったりする。
俺はバッグのサイドポケットを開け、その中から“ある物”を取り出した。
“ある物”とは写真。
そう、水沢母娘の写真だ。
これが、何故か俺のバッグに入っていた。
確かに水沢に返した記憶は無いが、バッグに入れた記憶はもっと無い。推察するに、あの場を収めた教頭先生か春日先生が入れたのだろう。あの時、俺は気絶していたし、水沢はパニック状態だったから、誰の物なのか確認出来ず、とりあえず俺のバッグに仕舞ったのだと思っている。
どうであれ、水沢の大切な写真が俺の手元にある。これを彼女に返さない訳にはいかないので、明日はそういう意味でも良い機会だった。
……ん?
明日って、水沢も来るのか?
父親だけ?
まあ、どっちに返しても同じか。
「……帰ろ」
そう呟きながら、写真を再びサイドポケットへと戻し、しっかりとファスナーを閉めた。
これは水沢にとって、母親との大切な思い出の一つ。絶対に落とす訳にはいかない。
そして俺は、土曜日の学校を後にすべく下駄箱へと向かった。
今日この後は、児の手柏医院へと行く事になっている。今週は色々あったので、いいタイミングで予約が入っていたものと思う。約束は夕方なので急ぐ必要はないし、何をして時間をつぶそうか、と考えていた時だった。
「――ちょっと、アンタ」
下駄箱から外履き用の革靴を取り出すのと同時に、女子から声を掛けられた。――え? 水沢? 一瞬そう思ったが、そこに居たのは見知らぬ女生徒。
いや、どこかで見た覚えがある。
どこでだったか……。
「ちょっと付き合いなよ」
「え? 俺?」
「そうよ、早く来な」
俺の左腕を掴み、強引に連れて行こうとする女子生徒。
「ちょ、く、くつ、靴!」
「もう、何やってんのよ、早く履き替えてっ」
わたわたと靴を履き替え、上履きを投げ込むように下駄箱へと仕舞う。すると彼女は、またも俺の腕を掴み、問答無用と言わんばかりに外へと連れ出した。
それにしても思い出せない。
わりと綺麗な子だから、印象に残りそうなものなのだが。
特に俺の目を奪ったのは、彼女の髪。とても綺麗なロングのストレートヘアだった。軽めの脱色がいい感じにさわやかさを出している。体格もスレンダーで、なんていうか、モデルっぽい感じだ。
顔の方は……不機嫌感丸出しで、恐い印象しかないが。
「あの、君、誰だっけ……?」
「うっさい! いいから付いてこい!」
有無をも言わさぬ勢いで、猛然と足を進める彼女。腕を振り払う事も可能だが、俺にどんな用が有るのかという興味が勝り、素直に付いて行くことにした。やっぱりこの子、どこかで見た事あるし。
「どこへ行くんだ?」
「うっさいって言ってるっしょっ!」
柳眉を逆立てて一喝。
取り付く島も無い、と。
まあ、行けば判るか。
軽く諦めの心境で足を進めていくと、着いた先は体育館。……の、裏?
「連れて来たわよー」
「おう、やっとか」
着いた瞬間に後悔。
そこには三人の男子生徒が居た。
その三人は、すぐさま俺へと近付き、取り囲むような位置取りをする。
体育館裏への呼び出しは、ある意味青春の一ページと言えなくもないが、俺はこんなページ要りません。
「な、何?」
「因幡、訊きたい事がある」
正面の男子が凄みを効かせつつ口を開いた。
着崩した制服の上にコートをだらしなく羽織っている時点でいけ好かない。そして茶色い髪と耳にはピアス。染髪は黙認されているところがあるが、装飾品に関してはウチの学校はうるさい。教師に見つかれば没収される筈だから、終業後に装着したのだろう。……そう思うと、何か微笑ましいな。
それにしても、進学校であってもこういうガラの悪い連中って居るもんなんだな。まあ、トラに比べれば大人しい方か。アイツの場合、コスプレの域に達しているし。
「てめぇ、聞いてんのか!?」
「あ、ゴメン。えっと、なんの話?」
「水沢の事に決まってんだろっ! てめぇ、水沢に何をしやがったぁ!?」
「えっ……?」
そこにきてはたと気付く。
そして、周りの男女四人の顔を確認して納得。
彼らは、月曜日の昼休み、水沢と話していた時に割り込んできた生徒達だ。
男子達の名前は不明だが、女子の方は確か水沢に「ナツ」と呼ばれていた気がする。
「な、何って言われても……何が?」
なんとなく「ナツ」さんに訊ねた。
「昨日の放課後の事よっ! アンタ! ひかるに何したっ!?」
「…………」
お~い、先生方~、隠ぺい失敗してますよ~。
「今日、ひかるが休んだのって、アンタの所為でしょっ!?」
ナツさんが詰め寄ってくる。確かに彼女の言う通りなのだが、ここで肯定はしない。彼女等が、詳細まで聞き及んでいるか判らないからだ。当事者と学校側は隠ぺいの方針なのだから、ひとまずここはしらばっくれよう。
「……水沢さんに何かあったのか?」
「とぼけんな! アンタとひかるが言い争っているところを見た奴が居んのよ!」
それは先生に報せた生徒か?
「ええと、人違いじゃないの? 俺はそんな事してないし」
いけしゃあしゃあと恍ける俺。我ながら感じが悪い。
「ナメてんのかてめぇっ!」
「うわっ」
突然、正面の男子に胸ぐらを掴まれた。一触即発といった雰囲気だ。
「痛い目見ねぇと解かんねーのか!?」
「水沢に何したかとっとと話せ!」
左右の男子も交互に怒声を上げる。だが聞く限り、何かがあった事は知ってても、何があったかは知らないようだ。
「もうっ! いいからやっちゃいなよっ!」
「ぼ、暴力反対……」
このナツって子が一番怖いんですけど……。
とにかく、二日連続の暴力沙汰は避けたい、なんとか落ち着いて貰わねば。
「ここは少し冷静に話さないか? 言っとくけど、俺って平気でチクるタイプだぞ?」
情けなっ。
俺、情けなっ。
「ぐ……コイツ……」
しかし、効果はあったらしく、ひとまず俺を掴んでいた手は放された。
「ふぅ……。あの、君って水沢さんの彼氏?」
「なっ……ち、ちげぇよ」
「んじゃ、こっちのどっちかが?」
「お、俺らも違う……」
男子三人は否定するも、挙動からは、水沢に対してある程度の慕情を抱いている事が窺えた。まあ、水沢の容姿は学校トップクラスだから、おかしな事ではない。
「という事は、みんな友達として、水沢さんを心配しているって事か……」
「そうよ! ひかるはアタシの親友! あの子になんかあったら、アンタのこと絶対に許さないっ!」
ナツさんはまだ冷静ではなかった。親友を想っての行動な訳だな。
「なあ、昨日、水沢さんに何があったんだ? 今日、水沢さんは休んだのか?」
「…………。アンタ……本当にしらばっくれてる訳じゃないの?」
「ああ」
ゴメンナサイ、しらばっくれてます。
「……聞いた話だと、昨日の放課後ひかるが――」
ナツさんの話を要約すると、昨日の放課後から水沢と連絡が取れなくなっており、心配になった彼女は水沢の事を友人・知人に聞いて回った。その際に、昨日の放課後に屋上の昇降口で男子生徒と言い争っていた、という情報を得たそうだ。そこで、月曜日に水沢と一悶着あった俺と、その男子生徒を結びつけたらしい。
なんとも見切り発車な感は否めない。
いや、大正解なんだけどさ。
「ホントにアンタじゃないの?」
「え? あ、ああ、まあね」
ぐ……。
親友を想う気持ちが伝わってきて、良心の呵責が。
「なんだよ、伊波の早とちりかぁ?」
「……そうみたい。ごめん、みんな……」
ぐぐ……。
痛い、胸が痛いっ。
「……ひかる、ヒス持ちだから……キレると何するか分かんないトコあって、心配なのよ……」
ヒス持ち?
ヒステリーの事か?
「えっと、君って水沢さんと付き合い長いの?」
「中学の時からの親友よ……。それが何?」
「彼女のお母さんの話って聞いた事あ――」
「なっ!? ちょっとアンタ、こっち来いっ!」
「――るかって、え? わっ」
またもや、ナツさんは俺の腕を掴んで引っ張りだした。今回は何やら焦っている感じだ。
「お、おい伊波、なんだ、どーした」
「ごめん! アンタ達、もう帰って!」
「はあ? んだよそれ……」
「後でちゃんと謝るから! それじゃ! ……ほらっ、アンタはこっち……!」
男子三人から引き離された俺は、体育館裏のさらに奥へと導かれる。
「……ここならいいわ。んで、アンタ! この前の時といい、ひょっとしてひかるのママのこと知ってんのっ!?」
「えっ、君は知ってるのか? 確か水沢は誰にも話してないって……」
「嘘っ!? ひかる、アンタに母親の話をしたのっ!?」
互いが互いに驚く。早急に話の整理が必要なようだ。
ここはひとつ……。
「さ~いしょ~はグー」
「は? 何?」
「じゃ~んけ~ん……ポン!」
「あ、ポン……」
「ぐ……俺の負けか……」
すげえ、この子。チョキ出したよ。咄嗟には一番出難いんじゃなかったっけ?
「え? 何? なんでじゃんけん?」
「……仕方ない、負けたんだから俺から話すよ」
「へ? ……んと、わかった」
因みに、勝っていても俺から話すつもりだった。ちょっと間を置きたかっただけだ。
ナツさんに話した内容は、水沢にも言った“俺が過去に水沢の母親に会っていた”説。欺瞞も甚だしいが、本当の事を言っても話がこじれるだけだろう。
「――ふうん、フラッシュバックねぇ、そういう事あるんだぁ」
「そっちは? さっきも言ったけど、水沢は誰にも話してないって言ってたぞ」
「アタシはあの子のパパから少しだけ。行方不明の母親を今でも探してるって感じで」
「水沢の父親か……。じゃ、水沢本人とは母親の話をした事ないんだ?」
「あ、と……その……うん」
「あるんだ?」
「んく……い、いいでしょ、別にどうでもっ」
「母親の話をしたら、水沢がキレた?」
「っ!? ちょっとちょっと! なんで知ってるわけっ!?」
「君だったら話してもよさそうだな――」
俺はかいつまんで昨日の放課後にあった事をナツさんに話した。彼女は水沢があんな風になる事を知っていた人物。それでも尚、親友と言ってはばからない彼女にならば、教えても決して悪いようにはしない筈だと考えたのだ。
「――うそ……。あの子、そこまでやったの……?」
「ああ。それで、結果的に大事に至らなかったから、内々で収める事にした。だからさっきはしらばっくれたんだ。ごめん」
「あ、ううん……そういう事なら仕方ないわ。アタシもあの子のそんな話、広まって欲しくないし」
予想通り、ナツさんは水沢を第一に考えてくれた。今の彼女になら、過去の水沢の事を訊ねても、話してくれるのではないだろうか。
「水沢は昔から、母親に関する事には敏感だったのか?」
「う~ん、ひかるは基本的に母親の話は避けるから、最初はよく判んなかった。でも話題に上ると、なんとなく不安定になるのよ、あの子。だから途中から『母親』はタブー扱いにしたわ。ひかるのパパに多少事情も聞いてたしね。でも、去年……なんて言えばいいんだろ。悪化、かな? うん、一気に悪化したのよ」
「去年、急に?」
「うん、去年の今頃さ、あの子すっごい落ち込んでたのよ。それであの子のパパに話を聞いたらさ、なんてったけな……何か、届け出? を出して、ひかるのママが法的に死んだ事になった……みたいな?」
「失踪届け?」
「ああ、それそれ、そんな感じ」
因みに、失踪宣告を申し出て受理されるまで、通例六ヶ月以上はかかる。となると、失踪宣告の申請をしたのは、一昨年の三伏といったところだろう。そして去年の今頃に受理され、役所に失踪届けを提出した、と。つまりは、規定の“失踪から七年”に合わせて、申請をしたという事になる。
「だからアタシ、ひかるを慰めるつもりで『ママの事、残念だったね』って……」
「それは……。その時にキレた?」
「そうなのよ。ひかる、その辺にある物を、片っ端からアタシに投げ付けてさ、『ママは死んでないっ!』って叫び続けたわ。……さすがにあれはビビったわね」
それか。
それがあったから水沢の父親は、すぐに謝罪を申し出たんだな。
「でもでも、もっとビビったのが、その後ひかるは……」
「何も憶えていなかった、と」
「……よくご存知で」
そんな事があっても、この子は水沢の親友なのか……。
俺ににとってのトラとミケだな。
ナツさんが居るなら、水沢は大丈夫なのかも知れない。
「ねぇ、アンタってさ、本当に精神病院に通ってんの?」
「へ? あ、ああ、それは本当の事だ。……あと出来れば精神科病院って言って欲しいかも」
「ふ~ん、なんか思ってたのと違う気がする」
「それはどうも」
「そんなアンタから見てさ、ひかるって……う、ううん。なんでもない」
ナツさんが何を訊きたかったのかは、手に取るように判った。俺も水沢のそこが心配だったからだ。
「……精神に病がある事を指摘するのは、決して侮辱にはならない。そこに相手を想う気持ちがあるならね」
「――ッ」
「自分で病気に気付けないなんて事は、精神疾患に限らず、よくある事だろう? 気付いた人は教えてあげるべきだよな」
「…………。かもね……」
口では素っ気ないが、真摯に受け止めてくれたという感触はあった。きっと、俺の言いたい事は伝わった筈だ。
俺は結局、水沢とは赤の他人で、彼女の領域に踏み込めるほどの信用は持ち合わせていない。だが、このナツさんであれば或いは……。
「アタシ、伊波千夏」
「は……?」
突然の自己紹介。
一瞬呆気にとられたが、俺もすぐに応じた。
「あ、お、俺は……」
「知ってる。アンタ有名だし」
「……あ、そう」
「今日は……その、なんつーか、話せて良かったかも」
「えっ!?」
今、なんて言った?
俺と話せて良かったって言ったのか?
「んじゃ、あたし行くわ。バイ、因幡」
「あ、ああ……」
伊波千夏は去って行った。
しかし、これは、もしかして。
飽くまで希望的観測ではあるが。
それでも、やっぱり、ひょっとして。
俺は――彼女の信用を得たのでは?
こ、こ、これは! 高校入学以来、初の快挙!?
い、いや、落ち着け。ぬか喜びだったら嫌だ、その判断は次のエンカウントの時にすべきだ。
しかしながら期待は隠せない。
だって……俺にもついに、ついにこの学校で友人が! 友達がっ! ――だから、落ち着け俺っ!
そんな感じに浮き足立ちながら、学校を後にする俺だった。
『ナツさん』の次の登場予定は、(劇中での)明日です。