time to believe now 7
今回、短いです。重要な話もありません。でも、ひかるちゃんが登場します。
一月二十八日 金曜日 昼休み
「ううう、さむ……」
寒空の下でのランチ。
俺が醜態を曝した月曜日から、四日経った金曜日の昼休み。
俺は、出来得る限りの防寒対策を講じつつ、学校の屋上で弁当を食べていた。ウチの学校は屋上を開放しているので、昼食を屋上で摂る生徒は多い。
こんな季節でなければ、だ。
ここが生徒達で賑わうのは、基本的に春と秋。ここには、廂も風除けも無い為、夏は熱中症で死にかけるし、冬は低体温症で死にかける。
そして今は冬、したがって屋上に人影は無い。
「……ごはん冷たっ」
何故俺が、こんな過酷な食事の摂り方をしているのかというと、それは月曜日の五時限目に起こった出来事に起因する。
あの出来事で、クラスメイト達との溝を決定的にしてしまった俺は、前にも増して居場所を無くしてしまっていた。
もちろん精神的な意味で、だ。
教室に俺が居ると緊張感が……いや、緊迫感? とにかく、そういう雰囲気が生じるようになった為、それに耐えられない小心の俺は、休み時間になると席を外すようになっていた。
去年、俺が精神科に掛かっている事が広まった時も、教室に居る際は気まずい空気に包まれたが、今回は気まずいどころではない。俺が教室へと足を踏み入れた瞬間に空間が凍結する、といった感じだ。
あれから四日経つが、寛解の兆しは見られない。どうやら、俺の高校生活の一年目は、こんな雰囲気のまま締め括られる事になりそうだった。
「ズズ……わ、もう冷めてる」
学食の自販機で買った、温かかった筈のお茶は、何者かによって冷却が施されていた。これにより俺は、体温の低下に抗う手段を失った事になる。……いや、とっとと校舎に入ればいいだけだが。
ヒュウゥゥゥゥゥウウウウウ……
「ふお!? さむっ、さむ~~~……」
木枯らしが俺に集中砲火を浴びせてきた。――急いで弁当を平らげねば! このままでは、俺を待つ先は死あるのみ! などと独りでサバイバルやってないで学食行けよという意見もあるだろうが、それが出来ない理由が二つ。
一つは、解っていた事だが、すでに俺の噂が学校中に広まっていたのだ。ソースは間違いなく俺のクラスメイトだろうが、人の口にはなんとやら、特にみんなが悪いだとかは思っていない。そんな訳で、俺は今、嫌な意味で学校中から注目を集めている。つまり、学食も教室も大して変わらない環境なのだ。
もう一つの理由というのは……まあ、水沢ひかるが居たから避けている。近付かないと言ったから。
「ング……ング……ゴクン。ふぅ、ごちそうさまでした。……て、撤収っ!」
身体の限界を感じた俺は、わたわたと弁当箱を片付け、ダッシュで校舎内へと戻る……
ギイィ……
……つもりだったが、昇降口の扉が独りでに開き出した為、俺は停止を余儀なくされた。まさかこの時期のこの場所に来るような生徒が、俺以外に居るとは思わなかった。いや、生徒とは限らないか。寧ろ、見回りに来た教師である可能性の方が高い。
「……て、あれ?」
「…………」
俺の予想に反して、そこから現れたのは、教師ではなく生徒だった。
「水沢……」
「…………」
それは水沢ひかる。
月曜日以来。見かけた事はあったが、こうして面と向かうのは四日ぶりだ。なにせ、こちらは出会わないように気を付けていたからな。だが、こういった避けられない偶然はどうにもならない。
俺はすぐに身体を横へとずらし、道を空けるような体を取る。
「……何?」
「え? 何って……屋上に出るんじゃ?」
俺の行動に、何故か訝しげな反応を示す水沢。
屋上に用があるんじゃないのか?
「……出ないわよ、こんな寒いのに」
じゃあ何故……とは訊かない。関わるなと言われているから。
「…………」
「…………」
ヒュウゥゥゥゥゥウウウウウ……
「んくっ……な、中に入りたいんだけど……」
「……入ればいいじゃない」
水沢の態度がおかしいような気もするが、それを判断できるほど親しい訳ではない。今はとにかく、この木枯らしから逃れることが先決。俺は割り込む様に水沢の横を抜け、校舎の中へと入る。その直後、バタンッと、水沢の手によって扉は閉じられた。一体彼女は、何の為に開けたのだろう。
「アンタ、こんな場所で何をしてたの?」
「……え?」
驚いたことに、関わるなと言った本人の方から関わってきた。
「何をしてたかって訊いたの」
「昼食……だけど?」
「は? この時期に? 頭おかし……あ、ううん」
何やら自重したご様子。
しかし、その気遣いがむしろ痛い。
俺は、頭がおかしい事を気にしてなんかいない。じゃなくてっ、俺の頭はおかしくない! ……あれ? 何か頭がおかしい人ほど言いそうだぞ、この科白。
「コホン……あー、俺行くけど……」
いいんだよな?
「待って」
駄目なんだ。
「用があるのか?」
「…………」
「もしもし?」
なんと言うか、俺と水沢は相性が悪いのではないのだろうか。今を含めて過去三回言葉を交わしたが、どうも噛み合った事が無いように思える。
……違うか。
水沢に限った事ではなく、この学校においては、まともにコミュニケーションを取れる相手が俺には居ない。トラやミケの存在のありがたみを再確認する俺だった。
「ねえ……」
「……あ、何?」
「因幡君って、いつもここでお昼食べてるの?」
「あ、ああ、まあね。外で食べた方が美味しいし」
そんな訳ない。寒さで味なんて憶えてない。
「どうりで、教室に居ない筈よね」
「はい?」
「……休み時間に一組覗いても、アンタ居ないんだもの」
「えーと?」
「その、月曜日にあんな事があって……そしたらその後、あんな事になって。……もう、学校に来ないのかと思ってた」
「……?」
「そしたら今日、朝にアンタを見かけて……。でも、休み時間に一組行ったらやっぱり居なくて。だから……もしかしたら、教室に居づらくなって……休み時間になったら教室抜け出してるのかなって思って。そう思って、こうして人目の付かない場所を探して……それで今、ここで見つけたから……その、なんて言うか……」
水沢はしどろもどろといった様子だ。思っている事をうまく言葉に出来ないのだろう。注意深く聞き取らなければ、話の筋を見失いそうだった。
ただ、どうやら彼女は俺に会いたかったらしい。
「あの時の、あの表情が忘れられなくて、すごい傷付いたような顔してたから……。だから、その後のあの事も、その所為なのかなって……」
文脈指示が多くて、いまいち何の事だか判らない。月曜の話でいいのだろうか。
「……だからその、会って謝ろうかと……。でも、今まで会えなかったから……」
「あっ……」
読み取れた。
水沢は、月曜日の五時限目の事を、自分の所為だと思っているんだ。だから、謝罪する為に、俺を探していた。けど俺は、休み時間は教室から出るようにしていたから、今の今まで会えなかったという訳か。
しかし驚いた。
まさか気に掛けてくれていたとは。
一年間、机を並べて共に勉学に励んできたクラスメイトには、避けに避けられまくっているというのに、二、三回言葉を交わしただけの水沢がそんな風に考えているだなんて、思いもよらない事だった。どうやら彼女は、意外と優しい人物だったようだ。
「あの、水沢、勘違いしてるみたいなんだけど……」
「え? 勘違いって?」
「月曜の五時限にあった事と、直前の水沢達とのやり取りには、これっぽっちも因果関係は無いぞ」
「……そうなの?」
「ああ。だから、水沢が謝る必要は無いよ」
「…………」
「…………」
「ふぅ、何よそれ、気にして損したわ」
「あれ?」
水沢の態度が目に見えて変わった。
「だいたいさぁ、アンタ、冬に屋上なんかに居ないでよ。そんなの分かる訳ないでしょ、普通。おかげでこの三日間、昼休みを無駄にしちゃったよ」
「あっ、ごめん……?」
俺の方が謝っちゃった?
「何もこんな寒いなか屋上に来なくたって、人目を避けるなら他にいくらでもあるんじゃない?」
「で、でも、指定されている場所以外での飲食は、校則で禁止されてるし」
「え? なにそれ、そんな校則あるの?」
「校内美化の項目にあるけど……?」
「そんなの……いちいち確認してる人なんて居ないでしょ。大体、みんなそこら中で、好き勝手に飲み食いしてるじゃない。それで先生に怒られてるところなんて、見た事ないよ?」
「そう言われてもな……。校則に記されている以上、とりあえず守っておけば、無用なトラブルを回避できるだろ?」
「ド真面目ね……」
絶対に褒めてないな。
だが、俺が律儀に校則を守っているのは、ある種の自己防衛だ。他人からの印象を少しでも良く、という意味合いがある。俺の現状に素行不良なんてものが加わってしまったら、はっきり言って救いが無いからだ。
――キーンコーンカーンコーン……
「うわっ、チャイム!? 俺、行くから……っ」
「ちょ、ちょっと、まだ話がっ」
「俺、クラス委員なんだっ。号令掛けないと……!」
「そんなの女子の委員がやるでしょ!? いいから待ちなさい!」
「そもそも授業に遅れたくない!」
「ああもう、この真面目っ子! じゃあ放課後、またここに来て!」
「へ?」
「いい!? 分かったわね!? 絶対に来てよ!?」
「あ、ああ……。それじゃ!」
俺は素早くその場を立ち去る。と言っても走ったりはしない。競歩の選手よろしく見た目不自然な歩行法で、教室へと向かって疾歩する。その甲斐あってか、教師が来る直前に辿り着く事が出来た。
俺が教室に足を踏み入れた瞬間、例によって、クラスメイト達にミュートがかかる。いや、ポーズかな。だがそれも、席へと着くまでの短い間だけなので、視線を感じつつ自分の席へと急ぐ。丁度自分の椅子に手を掛けた時に教師が教室に入ってきた。
俺はすかさず号令を掛ける。
「起立!」
――ガタガタガタガタ……
こんな状態でも、皆は俺の号令で立ち上がってくれる。
クラス委員という立場は、去年の五月の前に、立候補で手に入れた。新しい環境で、いきなりそんな面倒を請け負いたがる人間は他には居らず、また、俺のあの事が知れ渡る前だった為、クラスのみんなは好意的に受け入れてくれた。今となってはこの立場が、俺とクラスメイト達の最後の繋がりと言えるだろう。出来る事なら、二年生になってもクラス委員をやりたいが、望みは薄い。「クラスの仕事」という名目を失って、人に関わる機会が無くなってしまったら、今よりもずっと友達を作るのが難しくなるだろう。……クラス委員の今でも、友達が出来そうな気配はないが。
そういえば、今日は友達っぽいやり取りが出来たな。
放課後の約束なんかもしちゃったし。
「……って約束!?」
「おわっ!? な、なんだ因幡、ど、どうかしたか……?」
「あ」
――おいおい、まさかまたなのか……。
――勘弁してよね……。
――もう学校休ませろよ……。
教室がにわかにざわめき出す。
しまった。
実にしまった。
「す、すいません先生。なんでもないんで、授業を続けて下さい」
「だ、大丈夫なのか?」
「はい、月曜日のような事にはなりませんから」
「そ、そうか。……その、コートは着たまま授業を受けるのか……?」
「はい? ……あ」
そうだった、屋上に出る為に完全防備だったんだっけ。
しまった。
またもやしまった。
「あ、ぬ、脱ぎます、俺なんか気にせず授業を……」
「あ、ああ、そうしよう」
教師は、不安そうではあるが、授業を再開してくれた。それと共にざわめきも収束していく。
まずったな、驚きのあまり声を上げてしまった。だがそれも仕方ないと思う。なにしろ俺は水沢と、放課後に会う約束をしてしまったのだから。
意外な事に、関わるなと言っていた彼女が、約束をしてまで俺に会いたがった。月曜日の件は、先ほどの話でもう済んだ筈。水沢は俺に一体どんな用があるというのだろうか。心は不安に包まれるも、僅かに期待が首をもたげてしまうのは、思春期男子には仕方のない事と言えよう。……これまでの彼女とのやり取りの中に、そんな要素は一つとして見つけられないが……ま、期待するだけならタダだし。
「……なんてな」
本当は分かってる。
話が最初に戻っただけだろう。
そう、これはきっと、水沢の母親に関する事。俺と彼女に関係する事柄はこれしかない。いや、俺がそれに関係しているかは、まだ確定していない。だが、水沢が接触を図ってきたという事は、彼女の方は、俺と自分の母親を関連付けているのだろう。となれば、会う前に話を整理するべきだな。
水沢が俺を関連付ける理由。それは俺が口にした「カルチョ」と「ミスミソウ」という言葉。
「カルチョ」は、水沢が幼い頃に母親から付けられたあだ名。
「ミスミソウ」は、水沢と母親との思い出の花。
俺がそれらの事を知る術は二つ。水沢に聞くか、その母親から聞くか、だ。
「カルチョ」と「ミスミソウ」の意味合いは水沢から聞いた。しかし、そもそもその二つの言葉自体は、先週の土曜日にあの女性から聞いた言葉だった。それはすなわち、あの、俺の幻覚に表れた女性こそが、水沢の母親だという事になる。――そんな事はあり得ない、こんなの偶然に決まってる、だってあれは俺の幻覚なんだもんっ。とは今の俺はならない。
それは何故か。
葉山ことり、だ。
俺にパラダイム・シフトをもたらした少女。この少女は俺の幻想の産物などでは無く、確かに、現実に存在している人間だった。いや、存在していた、だな。
そこから鑑みれば、俺が幻覚と捉えていた土曜日のあの女性も、実在の人物である可能性が出てくる。であるならば、あの女性が水沢の母親である可能性も出てくる訳だ。そして……そしてだ、再び葉山ことりの例から鑑みるならば、水沢の母親はもうすでに亡くなって……。
そうだな、まず俺がするべき事は、水沢の母親の姿を知る事ではないだろうか。
「……よしっ」
方針は決まった。後は放課後を待つだけだ。
「い、因幡、本当に大丈夫……か? さっきから、ブツブツと……」
「あ」
しまってばかり(?)だ。
次話もひかるちゃんが登場する予定。というか、しないと脈絡が途切れますね。