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くしびと~part Ⅰ~ 8

 え~、今回、男性出現率高いです。女の子はちょこっとしか出て来ません。

 二月十六日 水曜日 帰宅時




「――んん~っ……ふぅ。日、延びてきたなぁ……」


 校舎のエントランスから足を踏み出したところで背伸びをし、空を見上げながら感想を漏らした。

 俺の傍には誰も居ない。

 完全に独り言だった。

 二月も中旬。昼間は着実に勢力を伸ばしてきている。少し前ならば、もうこの時間の空には朱みが射していたが、今ではまだ辛うじて蒼い。お蔭で、校庭で部活動に精を出している生徒達の頑張る姿がよく見える。特に球技系のクラブなんかは、活動時間が延びたのを喜んでいる事だろう。

 俺はそんな彼等の様子を眺めながら、校門に向かって歩き出した。


 ――ビイイイイイィィィィィ……


「んあ」


 直後、もはやこの場所ではお馴染みとなった現象に見舞われる。

 例の耳鳴りだ。

 俺にしか聴こえない小さな小さなこの音は、ある男性との遭遇を示唆する音。だから俺は、校庭に向けていた視線を素早く足元へと移し、必要以上の事象を視界に入れないようにしながら、学校を出るべく校門をへと急いだ。つまり、耳鳴りを無視した形だ。

 評議会室で瑞穂さんとの話を終えた後、俺はある決意を固めた。

 “幽霊なんてものには極力関わらない”という決意だ。

 理由はとしては、もう今朝の様な醜態は晒したくないという事。それに、いくらナツさんや先生方、そして瑞穂さんが噂を消す為に奔走しくれても、俺が奇行に走る限りそれは結実しないという事。加えて、あの作業着のような服を着た幽霊と思しき金髪の男性は、こちらに向けて、全くと言っていいほど意思を示してくれないという事。そういった訳で、もうこの件に関しては一切無視しようと決めたのだ。

 ここを通る度に起こる耳鳴りなんて、周りから不審者扱いされる事に比べれば些末な事だ。仮に卒業するまで続いたとしても、この程度の事ならば耐えられる。これからは……少なくとも校内においては、この“チカラ”に振り回されないようにしなければならない。そうじゃないと、俺の為に気を揉んでくれている皆に示しがつかない。


 ……ビィィィ……


 校門を抜けて通りに出たところで、耳鳴りは止んでくれた。どうやらあの男性とは遭わずに済んだようだ。

 ほんの少しだけ罪悪感がこみ上げてきた。あの男性が、本当に大事な事を伝えたがっているのだとしたらと思うと、どうしても後ろ髪を引かれてしまう。

 今朝のあの光景。

 男性が突如として燃え出すという異状極まりないあの光景。

 これまではただそこに居るだけだった。それが今日は、向こうから接近してきたうえにあの展開。金髪の男性を見かけるようになって一週間になるが、初めて見る新しい展開だ。――あれは一体何を意味するのか。それを知りたいという欲求に駆られるのは、人情として仕方のない事だろう。


「……ああっ、ダメだダメだっ」


 どうにかその欲求を振り払い、重い足取りで帰途につく。

 と、その前に、行かなければならない場所があった。とある文房具店だ。何故そこへと行く必要があるのかというと、本日行方をくらましたアイツに代わる逸材を我が物とする為。明日を迎えるまでに、確実にこなさなくてはならないミッションである。

 さあ、行くぞ、上履きを買いに。


「……ん?」


 文房具店を目指し、学校の塀に沿って歩道を歩いていると、ある集団が目に入った。

 数は五人。

 全員男。

 見た目はガラ悪し。

 それぞれが異なる服装で、その内訳はブレザーが二人、学ランが二人、私服が一人。

 推察するに、他校三校による混合チームだと思われる。いや、何のチームかと訊かれても困るが……。とにかく、徳英高校の前で、別の学校の生徒達が(たむろ)していたのだ。


「ああ? なに見てやがる」


「あ、いや……」


 その内の一人に見咎められたので、慌てて視線を逸らし、足早にその場を過ぎた。

 距離を取った所で控えめに振り返り、もう一度男達の様子を盗み見る。徳英の生徒達が、彼等の前を身を縮めながら通っているのが目に入った。はっきり言って、その男達は真っ当な学生に見えないので、そうなってしまうのも無理はないだろう。今時、不良グループの殴り込みなんてものが起こるとは思えないが、それを連想させるには充分な場景だった。


(どうする? 先生に報せるか? ……でも、彼等は別に学校の敷地内に居るわけじゃないし、単に徳英の友人を待っているだけなのかも知れない。放っておいても……いいのだろうか?)


 判断に窮した。

 彼等に他意はあるのかどうか、直接訊ねるという手もあるのだが……正直に言おう、怖いですゴメンナサイ。だから俺は、「君子危うきに近寄らず」と自分に言い訳しつつ、そこを後にした。




 俺は学校の敷地に隣接している店舗へとやって来た。

 ここが目的の文房具店『ブン・ブン・ブン』である。別に蜂は飛んでない。そういう名前の店なのだ。店舗名はファニーだが、我が校御用達の本格的な文房具専門店だ。徳英学院の理事達の出資で設立された財団法人が運営する店なので、ウチの学生に必要な調度品は全てここで手に入る。徳英高校の制服や体操着なんかはもちろんの事、教科書・参考書等の書籍もあれば、通学用の自転車までもが買えてしまう。「学校生活に必要な可能性のあるものは、とりあえず片っ端から取り扱う」という豪放な経営方針がこの店の売りだ。但し、食品類は置かれていない。やはり、体面的に買い食いを奨励する事はできないのだろう。

 しかしながらこの店、地元の民芸品やらアイドルのカレンダーやらと、意外な物まで取り扱っているから侮れない。今日なんかもこの通り、置き看板にはこう書かれていた。


《春の新色はじめました!》


「……?」


 まるで化粧品のキャッチコピーみたいだった。何の事だかは判らないが、少なくとも俺に必要な物ではないだろう。俺に必要な物は学校指定の上履きだ。

 俺は上履きを求めて店に入り、一直線に靴売り場(文房具店に靴売り場があるのもどうなんだろう)へと向かった。


「――3980円!?」


 思わず声が出てしまった。

 痛い。

 どこがって懐が。

 だが他の靴にするという訳にもいかず、泣く泣く購入。

 ぼちぼちお年玉に手を付けねばならぬ時が来たのかも知れない。必要経費として生活費から落とす事も可能だが、それは最終手段。「自分の使う物は自分のお小遣いから」が俺の信条。父さんからはそれなりに充分な小遣いを貰っているので、その中でやり繰りしてこそ信用を得られるというものだ。

 それから、節約の算段を頭の中で組み上げつつ、店から出た時の事だった。


「……え?」


 ビイイイイイィィィィィ……


 再びあの耳鳴りが起こったのだ。

 しかも、俺の目の前には、見覚えのある女の子。


「こ、ことり……さん?」


 彼女を目にするのは一週間ぶりだった。

 小柄で伏し目がちな、ショートボブの少女。

 初めて俺が“幽霊”だと認識した存在。

 今から十六年前に、徳英高校の教室で自らその命を絶った憐れな女子生徒。

 それが彼女――葉山ことり、だ。


「…………」


 ことりさんは目を伏せたまま、俺の前で立ち尽くしている。

 どうするべきか悩んでいると、彼女はゆっくりと右手を持ち上げ、俺から見て左の方向を真っ直ぐに指差した。

 そんな彼女の姿には見覚えがある。

 一週間前も彼女はこうした。

 あの時、その指の先へ目を向けると、そこに例の金髪の男性が居たのだ。そう、あの男性とは、このことりさんによって引き合わされた。だからきっと今も、この指の先へと目を向ければ、彼が居るに違いない。

 けれども俺は、もうこの事には関わらないと、つい先程決めたばかりだ。となれば、ここで取るべき正しい行動は一つ。


「ごめん……力にはなれない」


 俺はことりさんにそう告げた。


「…………」


 その言葉に彼女が伏せていた顔を上げる。

 そして目にした彼女の瞳は……淋しげに揺れていた。


「……ッ、ホントごめんっ!」


 居たたまれなくなった俺は、彼女を振り切るように、一気に駆け出した。

 しかし、十回ほど地面を踏み付けたところで……


「ああっ、もうっ、なんだってんだぁぁぁっ!」


「わひゃっ!?」


 ……声を荒げながら、180度の急ターンをした。

 ことりさんのあの表情は反則だ。あんな瞳を向けられて尚、無視するなんて俺には出来ない。「もう関わらない」という俺の決意は、結局一時間と持たなかった。……ところで、今「わひゃっ」って言ったのって、まさかことりさん?


「……ん? あれ? 入江……さん?」


 ことりさんの姿を求めて辺りを見回すと、彼女の代わりに、文房具店の置き看板の向こう側でしりもちをついている女の子を見つけた。

 見覚えのあるカチューシャ。

 クラスメイトの入江歌乃に間違いなかった。


「えっと、入――」


「ご、ご、ごめんなさあああああぁぁぁ……ぃ!」


「――江さん……って、あれ?」


 彼女は、俺と目が合うや否や、大声で謝りながら、徳英の校門の方に向かって走り去ってしまった。


「…………。……あっ、も、もしかして」


 自分の行動を客観的に振り返ってみる。するとどうだろう、突然訳も無く女の子を恫喝したように見えるではないか。

 しまった。

 その一言に尽きる。

 どうやら俺は、またもや自ら悪評の種を蒔いてしまったようだ。

 追いかけて誤解を解きたいが、きっと入江さんは逃げるだろう。それを更に追おうものなら、きっと俺は“女の敵”確定だ。今できる事は、失意と共に入江さんの背中を眺める事だけだった。

 しかも、葉山ことりの姿が見当たらない。今、先程ことりさんが指を差した方向を見渡しているが、あの金髪の男性の姿も見当たらない。これでは本当に入江さんを恫喝しただけではないか。


(……ん? そういえば、あの集団も居なくなってるな)


 徳英高校の前で屯していた男達も居なくなっていた。ふと先を見れば、それらしき集団がこちらから逆の方向に向かって歩いている。殴り込み云々はやはり杞憂だったようだ。

 ただ、何か妙な感じがした。

 気になって目を凝らしてみると、先程の五人の他に、徳英の生徒が二人ほど混じっている事に気が付いた。しかもその二人、見覚えがある。一人は、あの吉原鳴海だ。もう一人は……そう、昼休みのあの時に、吉原に食って掛かっていた男子生徒だ。

 ある種の予感がする。

 すると、その予感を確信に変える光景が目に飛び込んできた。


(あっ、今……!)


 彼等が曲がり角を左に折れた際、一人の男が吉原を小突いたのだ。それを見た瞬間、俺は走り出していた。考えての行動ではない。ただ衝動的に身体が走り出したのだ。


 ――ドンッ


「うわっ!?」


「きゃあっ!」


 校門前に差し掛かった時、その校門から不意に出て来た女性とぶつかってしまった。咄嗟に避けたつもりだったのだが、肩が当たってしまい、その女性は地面に尻餅をついた。


「すいませんっ、大丈夫ですか!?」


「いった~い……もう、気を付けて……」


「本当にごめんなさい!」


 見ればそれは先生だった。朝と昼に会った……確か、栗原先生だったと思う。


「あら? 君は……因幡君ね」


「あ、はい」


 手を取って立ち上がらせたところで、彼女は俺に気付いた。


「お昼は大丈夫だったようですね。こんなに元気に走ってるし」


「あ、あははは……」


 苦笑しながら、落ちていた鞄を拾って先生に手渡した。


「それで、何をそんなに慌てているの?」


「……あっ! そうだった! 先生っ、さっき吉原君が他校の生徒に連れて行かれて……!」


「え? 吉原君て、吉原鳴海君?」


「そうですっ。今、あそこの角を曲がっていきましたっ。俺、追うんで、先生は誰か男の先生に報告して下さい!」


 一気に説明を終わらせ、俺はすぐさま吉原達を追った。


「ちょ、ちょっと君ぃ! 待ちなさいってばーーーっ!」


 今ので少し時間をロスしてしまった。急がねばならない。

 吉原達の行った方向は、穂ノ上駅方面とは真逆の区域。つまり、俺がほとんど行く用事の無い区域だった。見失ってしまうと、地理に明るくない俺に、彼等を見つけ出す事は困難。曲がり角の先にその姿がある事を願いながら、俺は足を速めた。

 そしてその曲がり角。


「ああっ、居ないっ」


 声を出して悔しがる俺だった。

 この先は、いわゆる路地裏だ。ここから見ただけで入り組んでいるのが判った。


「――よおっ! 奇遇だなっ!」


 だが、このまま諦めるつもりはない。とにかく捜してみなければ。

 俺は止めていた脚を再び動かし、その路地裏へと駆け()った。


「って、おいコラ無視かよーーーーーっっっ!?」


 ここら辺は飲食店が多いようだ。そこかしこから良い匂いが漂ってくる。だが、開いている店自体は少なく見えた。やはり、駅前の百貨店や、俺がよく利用するアーケード街の方に客足は向かうのだろう。

 そんなやや寂れた通りを突き進んでいくと、交差路に辿り着いた。この先は三つ又に分かれている。


「ハァ……ハァ……ど、どれだ……?」


 どれを進むべきか悩みながら辺りを見回す。何気なく後ろを振り返ってみると……


「……って、こっちも三つ!?」


 まさかの六叉路だった。

 車も通れなさそうな道が六つ。

 つまり選択肢は五つ。

 一つずつ捜せと言うのか。


「ちゃんと区画整理審査通ってるんだろうな……」


 焦りと苛立ちから、我ながら八つ当たりとしか思えない文句が口を突いて出た。しかし、こうしていても吉原達が見つかる筈もなく、仕方なしに五つ全部の道を探す事にした。

 最初の道を選ぶ際、声でもしないものかと、淡い期待と共に耳を澄ませた時の事だ。


 ビイイイイイィィィィィ……


「わ、耳鳴り!?」


 いつものあの小さな音が聴こえてきた。――こんな時に。そう思いつつも、目は辺りを探る。だが、何もおかしな事は起こらない。なので、とりあえずこれは無視し、再び行くべき道を選ぶ作業に戻った。


「……ん?」


 とある道の先に、こちらをじっと見つめている男性が居た。

 そして気付く。

 金色の髪に汚れたツナギ。

 あの男性だ。


(……学校以外で目にする事もあるんだな)


 などと、どこか冷めた感想を抱いてしまうのは、今がそれどころではないからだろう。

 やがて、男性は建物の影にスッと入り、ここからは見えなくなってしまった。俺は、それが良いキッカケだと感じ、男性が居た道を選んで駆け出した。

 そして、あの金髪の男性が居たと思われる場所に近付いた時、それは聴こえてきた。


 ――テメェは前々から気に喰わなかったんだよっ!


 ドスを利かせた男の声。

 その声に一旦足を止める。


 ――はいはい、分かった分かった


 すると、続いて気怠そうな別の声も聴こえてきた。

 今のはもしや、吉原の声なのでは?


 ――テンメェ、吉原ぁぁぁ!


 紛れもなく吉原だった。

 俺はすぐさま声の出所の特定に努める。

 そして、その場所はすぐに判明した。少し足を進めると、公園が視界に入って来たのだ。それは小さな児童公園で、そこに吉原達は居た。


(どういう事だ? あの金髪の男性が居た場所に吉原達が居た。これではまるで、あの男性がこの場所を教えてくれたみたいじゃないか。偶然……なのか?。それとも、この場所に何か意味があるのか? ……いや、今は考える時じゃない。とにかく吉原を助けないと)


 考え事は後回しに、俺は公園の様子を確認する。

 吉原は、六人の男達と対峙していた。

 吉原の正面で主に声を荒げているのは、徳英の制服を着た男――昼休みの時の男子生徒だ。きっと、吉原に侮られた事を根に持ち、腹いせをする為に仲間を呼んで、その吉原を脅しつけているのだろう。


「なあ、こんな所にまで連れて来て口喧嘩だけなのか?」


 絶対不利な状況にある筈の吉原は全く怯んでおらず、それどころか挑発すらしていた。このままでは暴力沙汰は避けられないだろう。


「千葉ぁ、もうやっちゃっていいんじゃね?」


「ああ、こいつ本気でムカつくしさぁ」


 他の五人の男達も臨戦態勢に入った気がする。急ぎ止めなくては。


「ッ……おいっ! やめるんだっ!」


 俺は彼等に駆け寄った。

 そして、そのまま吉原を背に庇うようなポジショニングを行い、彼に代わって男達と対峙した。


「ん? え、お前って……」


 背後の吉原が、意外そうな声を漏らした。


「吉原、大丈夫か!?」


「は? ……ああ、見ての通りだけど」


 吉原が無事なのは一目瞭然なのだが、こういった場合はまず安否を確認するのがセオリーだ。


「あ? なにコイツ。助っ人?」


 突然の乱入者に、男達は頭の上に疑問符を浮かべている。なんとなく、後ろの吉原もそうなっている気がした。


「意外な奴が来たな……」


 俺のすぐ前に居るのは、昼間に吉原に食って掛かった男子生徒。彼も俺の登場に少なからず驚いているようだった。


「なんだ? 千葉の知り合い?」


「知り合いじゃねぇよ。ウチのガッコの有名人」


「なにそれ。よくわかんねぇけど、コイツもやんの?」


「ん? ああ、コイツなら全く遠慮はいらねぇよ。ぶっ殺しても誰も文句言わねぇだろうしな」


「……え゛?」


 しまった。

 助けに入ったはいいが、ここからどうするか全然考えていなかった。

 場の雰囲気は剣呑そのもので、男達は今にも殴り掛かっていきそうだ。今更ながら、無暗に飛び込んだ事を後悔した。脚がプルプルと震えだし、血の気が引いていき、心臓の音はまるで半鐘のように打ち鳴らされていた。この後に楽しい未来など想像できない。一言で言うなら、恐かった。

 どうする。

 どうやって切り抜ける。


「あ、え、ええと……き、きみ、千葉……くん? 千葉君でいいのか?」


 苦し紛れだが、話し合いでの解決を試みる事にした。

 まずは、たった今聞き付けた名前で、例の徳英の男子生徒を呼んでみる。


「あ? んだよ?」


 どうやら千葉で合っていたようだ。


「き、君、この後の事、考えてるか? お、俺達に、暴力を振るった後の事、ちゃんと考えてるのか?」


「なに言ってんだお前」


「暴力事件なんて起こしたら、学校クビだぞ? 俺達は同じ学校の者同士なんだから、隠し(おお)せる筈ないだろ?」


「……テメェ、チクるってのか?」


「お、俺は……泣き寝入りなんてしない。な、何かされたら、しっかりと処分を求める。だ、だからさ、こんなのは……止めとけって。な?」


 前にも、この手で穏便に済ませた事がある。誰だって、学校を辞めさせられるなんて事態は、避けたい筈だ。しかし……


「なにコイツ、超ムカつくんですけど」


「超ダセェ奴じゃん」


 ……周りの男達は、軒並み怒りを露わにした。なんだか、寧ろ殺気立った気がする。


「ナメやがって……そんなんでビビるとでも思ってんのか。チクる気が起こらなくなるくらい、徹底的にやってやんぜ」 


「なっ……」


 千葉は全く退く気が無いようだった。それどころか、やる気満々といった様子だ。まさかこんな生徒が名門たる徳英学院に居るとは。彼が受験突破の為に机に向かっている姿が想像できない。


「なあ、お前。大丈夫だから、ほっといてくれ」


 その声は背後から。吉原が話し掛けてきたようだ。


「大丈夫って何がっ。いいからここは俺に任せてっ」


 この吉原も好戦的な奴だ。ここで放って置いてしまったら、間違いなく喧嘩を始めるだろう。

 そうさせる訳にはいかない。

 ナツさんは、彼が特待生だと言っていた。武道の心得のある者が暴力沙汰を起こすなんて、あってはならない。例え非は無かったとしても、その拳を振るった時点で特待資格の剥奪は免れないだろう。


「フンッ、やっちまおうぜ」


「だな」


 男達が地面を踏みしめた。


「ちょ、ちょっと、落ち着いてくれ。あ、いや、落ち着いた方がいいって」


 俺は彼等を制止すべく、尚も話し合いを試みる。


「うっせぇ、もう黙ってろ」


「うっ……。い、いや、駄目だ。君等の為にも、黙ってる訳にはいかない」


「俺らの為だぁ?」


「い、いいか? 今、君等は、リスキーシフトの状態にあって、正常な判断力を損なってる可能性があるんだ」


「……はあ?」


「だ、だから……と、徒党を組んで暴力行為に走ると、集団心理が働いて、歯止めが効かなくなる事があるって言ってるんだ。え~と、つまり……ひ、一人の時なら『やり過ぎだ』って気付けるのに、集団だとそれに気付けなくなるんだよ。ほ、ほら、ニュースとかで見た事ない? 大勢でリンチしておきながら、『殺す気はなかった』とか言ってる奴等。罪悪感とか恐怖心ていうものは、集団で共有すると薄れてしまうんだ。な? き、君等だって、今、人を傷付ける事に対する罪悪感や恐怖心を感じていないだろ? ここは一旦冷静にならないと、取り返しのつかない事態になるかも知れない。き、君等は……人生を棒に振るようなハメになってもいいって言うのか?」


「なにコイツ馬鹿じゃね?」


「超イミフなんですけど」


「クスリやってのか?」


「お前等にだけは言われたくないわぁっっっ!」


「んだとテメェ!?」


「あ、う、いや……」


 く、駄目か。

 話して分かるような連中ではないらしい。

 こうなったらもうこの手しかない。というか、最初からこうすべきだった。


「……おい、吉原」


 俺は小声で後ろの吉原に呼びかける。


「ん?」


「合図したら走るんだ」


「は?」


 俺はタイミングを見計らう為に相手方を見据える。千葉を始めとする六人は、首やら肩やらを回しながら、じわじわと距離を詰め始めていた。まずは、彼等に隙を作らねば。


「……ッ、お巡りさんっ! こっちですっ!」


 俺は、公園の入り口に向かって、声を張り上げた。


「なにっ!?」


 男達は、まるで示し合わせたように、一斉に振り返った。だがそこにお巡りさんなどは居ない。俺のハッタリだ。


「今だっ、吉原っ!」


 その隙に、俺達は地面を蹴った。そして、公園の入り口に気を取られている男達の合間を、素早くすり抜ける。


「あっ、テメェ……!」


 因幡志朗、十六歳。趣味はジョギング。走る事に関しては些か自信がある。それに、吉原は徳英高校の武道特待生。きっと俺以上の脚力を見せてくれるに違いない。


「よしっ。吉原! このまま大通りまで……って、居なくねっ!?」


 すぐ後ろに付いているものとばかり思っていたのだが、そこに吉原の姿はなかった。そもそも、彼は元の場所から一歩も動いてはいなかったのだ。


「くそっ」


 悪態と共に、ズザザッと急ブレーキを掛け、公園入り口付近で踏みとどまる。そして、すぐさま両脚に鞭打ち、動かなかった吉原の元まで、急いで舞い戻る。


「……っとぉ! ハァ……ハァ……よ、よしわら~……」


「お前、なんで戻ってきたんだ?」


「お前はなんで付いて来ないんだっ!?」


「……別に」


「別に何っ!?」


「逃げるつもりないから」


「お~ま~え~は~」


 なんて厄介な奴だ。これでは、俺が独り善がりの馬鹿みたいじゃないか。


「なんかアイツ、ヤバくね?」


「なにしてぇーんだよ、アイツ。イミフ過ぎんだろ」


「やっぱクスリやってんだべ」


「んだからお前等にだけは言われたくないっつーのっっっ!」


「ああ? やんのかコラァ!」


「うっ、いや、その……」


 どうやら、いよいよ窮地のようだ。

 俺としても、正直ここまで吉原に付き合う必要があるのかと、疑問が湧き始めている。恐らく、吉原には彼等を撃退する自信があるのだろう。何せ、空手部期待の星と目されている男なのだから。だったら、余計なお節介などはやめて、俺だけとっとと逃げてしまうのが賢いのかも知れない。


(ん~~~、いや、駄目だ駄目だっ! そんなの情けないぞ、俺っ!)


 逃げ腰になった自分の心に喝を入れる。

 やはり放っては置けない。吉原がどれ程の実力者かは知らないが、幾らなんでも六人を相手するなんて、ただで済むとは思えない。

 それに、これは俺の勝手な印象でしかないが、何だか彼は自暴自棄になっているような気がしてならない。その根拠は、ナツさんから聞いた、吉原のお兄さんが交通事故を起こしたという話。それと、昼休みの時に千葉が口にした、「人殺しの弟」という言葉。そして、吉原が漏らしたあの呟き――


 ――……どうせ、この学校に居られるのもあと少しだろうしな。


 ひょっとしたら彼は、俺と同じなのではないだろうか。

 お兄さんの起こした事故が原因で、学校に居づらい状況にあるのではないだろうか。

 だから彼は、自棄とも取れる言動を繰り返しているのではないだろうか。

 それらは憶測に過ぎないのかも知れない。しかし、俺自身そう思い至ってしまった以上、吉原を放って置くなんて事は出来そうになかった。


「お、おいっ、千葉!」


 そして俺は強気に千葉を呼びつける。本当の本当に最後の手段を講じる為に。出来ればこの手は使いたくなかった。


「テメェ! 気安く呼んでんじゃねぇよ!」


「うくっ……ど、どうすれば勘弁してくれるっ!?」


「……あ?」


 俺の発言に、千葉は呆気にとられたような顔をした。


「だ、だから! どうすれば、この場を見逃してくれるのかって訊いているんだ! あ、謝ればいいのか!?」


「ぷっ……くははははは……!」


 更に言葉を重ねると、千葉はついに吹き出してしまった。


「マジか、コイツ!? ぎゃははははは……!」


「ダセェ! マジダセェ! ははははは……!」 


 そして他の連中も、千葉に釣られるように笑い出す。

 こういう反応が返ってくる事は予測していた。が、やはり気分の良いものではない。


「くくく……ま、まあ、あれだ……くく」


 逸早くツボから抜け出したのは千葉だった。


「詫び入れてぇってんなら、まずは誠意ってやつだろ。そしたら、考えてやらんでもないぜ?」


「……誠意って?」


 大体想像はつくが、敢えて聞き返した。


「わっかんねぇかなぁ。俺らの大切な時間を潰したんだ。対価ってのが必要じゃね?」


「金銭で解決しろと?」


「そーゆーこった」


「もし、嫌だって言ったら?」


「はあ? 言われねぇと分かんねぇのか? フクロだよ、フクロ」


「…………」


 俺は無言で肩に掛けていたスポーツバッグを地面に降ろし、ファスナーを開ける。そして、バッグの底をまさぐり、目当てのものを探した。すると、指先に覚えのある感触。すぐさま“それ”を取り出して確認する。

 “それ”というのは封筒。

 中には一万円札が三枚入っている。

 緊急時に備えて、常に持ち歩いている予備費だ。

 一般的な高校生には大金と言える金額。さすがに躊躇はあったが、身の安全と引き換えだと自分に言い聞かせ、封筒から紙幣を全て引っ張りだした。


「おい、ええと……因幡。それしまえ」


 吉原が、少し苛立った声で、俺の行動を止めに入った。


「そんな事したら、明日からずっとたかられるぞ」


「……大丈夫。今さえ切り抜けられればいいんだ」


 先程言ったように、俺は泣き寝入りなんてしない。千葉は、暴力をチラつかせて金銭を要求した。今の時点で恐喝未遂が成立している。とにかく今を無事に乗り切れば、後は社会が彼等を戒めてくれるだろう。未来の安全の為に今は涙を呑む、という訳だ。


「さっきから何なんだよお前は。こいつ等は俺に用が有るんだ。因幡には関係ない」


「関係なくない。吉原が彼等とトラブった原因は、元はと言えば俺だ」


「いいんだよ。単に俺がこいつ等をぶっ飛ばしたいだけだ」


「そんな真似したら、特待資格が剥奪されるだろ。ヘタしたら退学だっ」


「……どうでもいい」


「ッ! どうでもいいって……!」


「おいっ! 何をゴチャゴチャやってやがる! ……ああ、もうメンドくせぇ。やっちま……」


「待ってくれ! ほら、これ!」


 業を煮やした千葉が、こちらに向けて足を踏み出したのを見て、俺は慌てて紙幣を差し出した。それを見た千葉は、幾分か表情を緩め、ゆっくりと手を伸ばしてくる。そして、彼が紙幣を掴み取ると、後ろから吉原の溜め息が聴こえてきた。


「ふん、まあ、思ったよりは持ってたな」


「もういいだろう? 頼むからそれで退いてくれ」


「そうだな。考えてやるって約束だもん……なっ!」


 ドスゥッ!


「ふぐっ!?」


 一瞬、何が起こったのか判らなかった。

 突然鳩尾に衝撃が走り、身体が『く』の字に曲がった。目前に地面が近付いてくるのが見え、自分が倒れていっているのだと気付き、体勢を立て直すべく、訳も解らぬままに手近にあったものを反射的に掴んだ。


「さわんじゃねぇよっ!」


 ガツッ!


「ぶっ!」


 今度は顔に鋭い痛み。

 どうやら屈んだところを膝で蹴り上げられたようだ。

 俺は後方に弾かれ、そのまま地面に背中を打ちつけた。その時になって初めて自分が息を吸えなくなっている事に気付き、苦しさのあまりのた打ち回った。


「うぐぅぅ……! んぐ~~~~~!」


 鳩尾を押さえながら地面で転がる。今さっきの顔の痛みなんて感じなくなっていた。とにかく呼吸を回復させようと、俺は必死にもがく。


「! 因幡っ」


 吉原の呼びかけがすぐ傍から聴こえた。だが、こちらにはそれに応える余裕がない。無防備だったところにクリーンヒットしたらしく、苦痛はなかなか和らいでくれなかった。


「ははっ、弱っ。噂からしてどんなヤローかと思ったが、こんな――」


「調子、乗り過ぎだ、お前」


「――ッ!」


 吉原の声の質が変わっていた。そこに今までのような気怠そうな雰囲気は感じられず、明らかな憤慨を覗かせていた。


「くっ……。おい、みんな! コイツは空手をやってる! まずは全員で押さえるんだ!」


「おうよっ!」


 俺は馬鹿だ。

 結局止める事が出来なかった。

 どうして俺は、自分でどうにか出来ると思ったのだろう。ここに来る前に先生と出会ったのだから、でしゃばらずに任せてしまえば良かったのだ。お金を奪われ、暴力を振るわれた挙げ句、吉原は助けられない。情けないにも程がある。――一体何の為にここへ来たのか。それを問われるのが、今は一番つらい。

 失意に苛まれながら、俺は迫りくる男達を、地べたからぼんやりと眺めていた。だがその時……


「――ひゃっはーーーっ!」


 ……救い手(?)の雄叫び(?)が、公園に響いた。

 え~、次回、男性出現率高いです。女の子はちょこっとしか出て来ません。

 ……しばらく女性出現率が下がるかも知れません。

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