time to believe now 20
さとみさんがどうなったのかが判明します。
二月五日 土曜日 宵の口
「――水沢さとみさんの行方、判明したよ」
「えっ!?」
「お墓の下」
「……は?」
そんな感じに話は切り出された。
俺は今、父さんの運転するパトカーの助手席に座っている。児の手柏医院から、自宅へと送られているのだ。
未だ父さんからは、児の手柏医院で起こっている事に対する説明はない。あそこにやって来た人達の事を、父さんは「二課の方々」と言っていた。二課とは、捜査第二課の事だろう。
何故その人達が高井京助の元に?
あの人の詐欺行為はとっくに時効を迎えた筈では?
俺が父さんを質問責めに会わせようと目論んだ瞬間、そんな事はどうでもよくなってしまうような話を、父さんが口にしたのだった。
「は、墓の下って……だ、荼毘に付されて埋葬されているって事?」
「そうだ」
「あ、あの、あらゆる事が覆るんですケド?」
「但し!」
「わっ」
「別の人間としてね」
「……べ、別……?」
「順を追って話すけど、まずはこの事を教えておいてあげよう。……穂ノ上東署に特別捜査本部が設置された。もちろん水沢さとみさんの事件を捜査する為にね」
「――ッ!」
さとみさんの事案が立件された……?
という事は、さとみさんが本当に見つかった……?
「経緯、聞きたいよね?」
「あ、ああ……うん」
「じゃあ、まずこの話から。……八年前の春の事だ。身元不明遺体が、寄戸の山林で発見された。その遺体の状態はとても酷いものでね、石灰と共に埋められていた所為で腐乱が激しく、ほぼ白骨化といった状態だったんだ。しかも、なんと歯が全て抜き取られていた。この事から警察は、悪質な死体遺棄及び損壊事件と判断して、捜査が行われたんだ。ニュースでも騒がれたから、ひょっとして志朗も知ってたりするかな?」
「え、えっと……ちょっと分かんないかも。それが今回の事とどう繋がるの?」
「その時にね、水沢さんがDNA鑑定をしてるんだ。その身元不明遺体と、ひかるさんのDNAを比較した訳だね」
なるほど、身元不明遺体が、さとみさんかどうかを確かめたんだな。
「解ってるだろうけど、その遺体はさとみさんではなかった。他にも何人か、当時の行方不明者達の家族のDNAと比較したんだけど、結局血縁者は見つからず終い。その遺体は身元不明のまま、事件はお蔵入りになってしまった」
「え?」
今回の事とは何も関係ないような……。
「今の話は一旦置いておこう」
しかも置いとくの?
「同じく八年前の事だ。彩世会という団体で、賠償問題が起きていた」
「彩世会? 賠償問題? うーん?」
どんどん話が離れていっていないか?
「彩世会は、篤志献体組織なんだけど……解るかな?」
「とくしけんたいそしき?」
「簡単に言うと、自分が死んだ後、医学の発展の為に、自らの身体を提供しようと考えている人達の集まりなんだ」
「あ、献体、か。確か、医学生の解剖実習に活用されるんだよね? ……父さん、今、なんの話をしてるんだっけ?」
「事件の真相だが?」
「……脱線してる訳じゃないんだ」
「これからだよ、大事なのは。……その彩世会が賠償を求められた理由はね、いくつかの献体を、保管先の大学で、管理上の不手際により腐敗させてしまったからなんだ」
腐乱とか腐敗とか……人間には使いたくない言葉だな。
「そうなってしまっては、もう献体としての意義は果たせないからね。それらの献体はすぐに荼毘に付され、遺族の元へと還された」
あれ? なんかそれって……。
「さて、ここでさっきの身元不明遺体の話に戻る訳だ」
「え?」
「水沢さとみさんが行方不明になったのは八年前。彩世会で起こった問題も八年前。それと同時期に起きた死体遺棄事件にピンとくるものがあってね。そこで僕は、その身元不明遺体のDNAと、彩世会で腐敗させられてしまった献体の遺族の方々のDNAを、比較させて貰ったんだ」
「あっ、まさか」
「ああ、その遺族の中に居たんだよ。身元不明遺体の一親等内の人物がね。身元不明遺体は、その人物の母親だったという訳さ」
「つ、つまり、彩世会の献体が、寄戸の森に捨てられていたって事?」
「その通り。けどね、その人物の母親は、大学で腐敗させられてしまった献体者の一人。八年前の時点で、とっくに納骨まで済まされている。寄戸で見つかった遺体がその人物の母親だというのなら、お墓の下で眠っている御骨は、一体誰のものなんだろうね?」
「……そ、それが……さとみさん……?」
「そういう事だ」
「で、でも、なんだってそんな事に? それって、さとみさんの遺体と、その献体がすり替えられたって事だろ? いまいち脈絡が……」
「その脈絡を繋げる人物が一人いる。恵砺大学医学部長、三浦誠次教授だ」
「!」
「恵砺大は献体の保管先。しかも、三浦は当時、彩世会の理事をしていた」
「ッ!」
脈絡は、繋がっていた。
つまり、三浦誠次は水沢さとみを殺害した後、自らが所属していた彩世会の献体とすり替える事で、水沢さとみの遺体を隠滅した、という事か。
「そもそもの取っ掛かりを説明しよう。前に言った通り、この事件のネックは、さとみさんの遺体が見つかっていない事にあった。僕は志朗の話から、この事件を殺人事件と仮定して考えた訳だけど、その場合、第一容疑者を挙げるならば三浦だったから、とりあえずという感じで三浦の事を調べたんだよ。そうしたら、さとみさんの失踪のすぐ後に、彼が彩世会で起きた問題の責任を取って、理事職を辞していたんだ。なんだか引っ掛かってねぇ。そこで、この献体破損事故の民事裁判記録を調べてみたんだよ」
「裁判沙汰になってるんだ?」
「さっきは賠償って言い方をしたけど、献体は篤志だから、正確には慰謝料問題だね。遺族団として訴えがあったんだけど、和解で決着が付いてるよ。記録によると、事故の原因は引き継ぎ上のミス。ええとね……献体はまずエンバーミング……まあ、防腐処理の事だね、それを行うんだ。そして、長期保存する為、定期的に繰り返し繰り返しエンバーミングが施される。ところが、複数体の献体が、長い時間エンバーミングを施されていなかったんだ」
「どうして?」
「定期メンテナンスの引き継ぎにミスがあった。メンテナンスの履歴データに不備があって、その所為でしばらくほっとかれてしまったんだね」
「そんな事が有り得るの?」
「もちろん恵砺大にとって、史上初めての失態だ。だけど、それが意図的なミスだとしたら?」
「つまり、三浦がさとみさんの遺体を隠滅する為に、ワザとミスして、早々に荼毘に付させたって事?」
「その献体の保管・保存をしていた大学は恵砺大で、責任者は三浦誠次。だから、ほぼ全責任を彼が負う事になった。だけど、殺人が発覚する事に比べれば、大して痛くもないだろう。刑法で裁かれるような過失ではないからね」
なるほど、なかなかに怖い話だ。
遺棄されていた身元不明遺体が、恵砺大学に保管されている筈の献体だった。しかし、まさか正式な手順で死亡が確定している献体を、警察が捜査対象にする筈がない。彩世会なり恵砺大なりが、紛失を届け出ていれば話は別だが、無くなった献体の分は、水沢さとみの遺体によって穴埋めが成されてしまった。献体者は身元不明遺体として処理され、変死者である筈の水沢さとみは献体として処理された事になる。これでは見つかる筈もない。
「……父さん、二つほど質問が」
「なんだい?」
「まず一つ目。本来の献体の遺族の元にある御骨は、本当にさとみさんのものなの? 火葬した骨からDNAは検出できない筈だよね?」
少し前に、この国では焼骨のDNAに関する大論争が起こっている。我が国の政府の出した結論に、世界中の科学者が懐疑を示したアレだ。
「当然の疑問だね。君の言う通り、遺骨のDNAは検出されたとしても、証拠になり得ないのが現状だろう。けど、ある一つの望みに賭けてみたんだ」
「どういう事?」
「献体というのはね、遺族の元に遺骨が還されるまで、通常一年、長ければ三年は掛かるそうなんだ」
「へえ。……それが?」
「遺棄された献体の遺族がそれを後から知って、慌てて遺髪を所望したんだよ。法要の為にね」
「じゃあ、その遺族はさとみさんの遺髪を?」
「その可能性があると思ってね、その遺髪のDNAを調べたいって、遺族に頼んだのさ」
「ちょ、ちょっと待った。髪の毛だって焼骨とおんなじだよね? そこからDNAは採れない。髪の毛は死んだ細胞の集まりなんだから」
「うん、よく知っているね。けど、髪からもDNAの抽出は可能なんだよ」
「もしかして毛根の事? 細胞が死んだらDNAも分解されていく。八年前のじゃ無理だよ」
「それはその通りだけど、志朗は知らないかな? 四千年前の地層から発見された髪の毛のDNAを抽出した話」
「よ、よ、四千年……!?」
「志朗の言う通り、細胞が死んだらDNAも分解される。その過程は理解してるだね?」
「ええと、上皮細胞の場合、細胞内部がケラチンていうタンパク質で満たされると、ケラチン分子同士の結合により細胞内の溶液がなくなり、その細胞は死んで硬化してしまう。そうして死んでしまった細胞は、その成分は分解されるし、残りは角質になって体外に除去されるから、跡形もなくなるんだ。だから、死んでいる細胞の集まりである髪の毛からはDNAが採れない。……と、思ってました……」
「大丈夫、志朗の言っている事はちゃんと正しいよ。ただ、補足するならば、通常の細胞と髪の毛の細胞は、やや違う。通常細胞は、死ぬと他の細胞に成分を吸収されて消えてしまうけど、髪の毛の細胞は、除去されずに残っているケラチンの塊に、成分……つまりDNAが保存される」
「細胞が死んでるのにDNAは残るんだ?」
「但し、細胞の核DNAではないけどね」
「あ、もしかして、ミトコンドリアDNAってヤツ?」
「おや、知ってるのか。仮に、毛髪の中に髄質が残っていた場合は、核DNAの抽出も不可能ではない。でも、通常、毛髪から抽出されるDNAはミトコンドリアDNAだ」
核DNAに比べてミトコンドリアDNAは、個人の特定・識別の根拠としてやや弱い。例えば、毛髪の持ち主の性別や人種が判定できないのだ。しかし、確実に判定できるものがある。
「……ミトコンドリアは母親からしか受け継がれない。だから、一母系ラインは確実に辿れる。水沢ひかるがその遺髪と同じミトコンドリアを有しているならば、その遺髪はさとみさんのものって事に……」
「それも知ってるのか。……なんだか説明のし甲斐が無いね。まあ、志朗も、もう高校生だもんなぁ」
「そんな事より話の続きを聞かせて!」
「あ、ああ。……さとみさんの母親は、二十年近く前に亡くなっている。さとみさんに兄弟姉妹は居ない。父方に僅かに親戚筋はあるが、そちらの考慮は必要ない。ひかるさんの母系ラインは、さとみさんだけなんだ。そのひかるさんと同じミトコンドリアDNAが遺髪から検出されれば、それはさとみさんのものだと考えるのが自然だね」
さとみさんには身寄りが無いと、高井京助は言っていた。
「もう、大変だったよ」
「は? 何が?」
「毛幹のDNA鑑定は、結果が出にくい上に費用がかなり掛かるからね、上が随分と渋ったんだ。何も出なかったら、きっと僕は始末書ものだったね」
「だったって事は……!」
「志朗、最初に言ったろ? 水沢さとみさんは、見つかったんだ」
「…………」
最初は疑問だらけで受け止め損ねた結論が、今、ようやく胸に収まる。
(そっか、見つかったんだな。……水沢、お母さんが見つかったよ。それが君にとって良い事かどうかは判らないけど、とにかく見つかったんだ)
俺は心の中で、ここには居ない水沢ひかるにそう語りかけた。
水沢は、死んだ母親が自分の傍に居ると信じている。それにより心の平安を得る事ができた。そこにこの結果は、再び彼女の心を掻き乱す事になるかもしれない。それでもやっぱり、自分の母親がどういう運命を辿ったのか、子共であるならば知りたい筈。母親の死を受け入れた今なら、きっと誰よりも知りたがっている筈。
(どうか、この結果が水沢ひかるの、そしてさとみさんの救いとなりますように……)
「志朗?」
「あっと……ごめん、ちょっと感無量で……」
「君は特にそうだろうね。……それで、もう一つ質問があったんじゃ?」
「え? ……ああ、そうだった」
水沢の母親が見つかっても、事件はまだ解決とは言えない。
「献体のすり替えがあった事はもう間違いなさそうだけど、三浦誠次がさとみさんを殺した証拠は出たの?」
「…………」
「父さん?」
「見つかっていない」
「なっ……!?」
「さらに言えば、献体をすり替えたのが三浦だという証拠も無い」
「ちょっ……!?」
「……志朗、水沢さとみさんが見つかった事は、奇跡だ。これは君が、さとみさんと三浦の関係を教えてくれたお蔭に他ならない。だけどね、その関係性が客観的に証明できないんだ。もちろん、僕は君の“チカラ”の事を信じているから、三浦がさとみさんを殺害したものと考えている。状況証拠はそれを指し示しているし、動機も十分だ。けど現実問題、三浦がさとみさんを知らないと言ってしまえば、それを覆す事が不可能なんだよ。残念だけど、誰にでも解るような確固たる物証が無いとね」
「そ、そんな……」
「ただ、献体がすり替えられていた事は証明できた。これは過去に類を見ない重大な事件だ。警察は、恵砺大の家宅捜索を皮切りに、公開捜査へと踏み切る事になっている。三浦にも捜査の手が及ぶ筈だし、そこで何かが掴める事を祈ろう」
「……そっちに、望みはある?」
「彩世会及び恵砺大の献体管理体制が、徹底的に洗われるだろう。三浦がどうやってさとみさんと献体をすり替えたのかは判らないが、大学に遺体を運び込む事も、大学から献体を運び出す事も、決して容易じゃなかった筈。何かが出てもおかしくはない。……と、思いたいが、如何せん時間がね……」
「八年……前だもんなぁ……。さとみさんが見つかっただけでも、良しとしなきゃ駄目……かな?」
「それで納得しろ、とは言わないよ。だけど、志朗の役目は終わったんじゃないか?」
「…………」
「あれからさとみさんの幽霊は?」
「……ぱたりと」
「ふむ……。物語の知識で申し訳ないが、この手の話では、遺体を見つけて貰って成仏というのが定番では?」
「自分を殺した相手に報復……とかは?」
「それも定番だね。でも物騒だ。幽霊に殺人なんか犯された日には、僕ら警察はどうすればいいんだろうね?」
「100パーセントお蔵入り……」
「幽霊課が必要だ」
コミカル、且つファンタスティカルな話になってきた。だけど、誰あろうこの俺自身が、コミカル、且つファンタスティカルな体験をしている。
幽霊なる存在に関わり、過去の“ビジョン”らしきものを目にし、そこから一つの事件を発覚させた。これが物語ならば、事件の解決まで終えて一件落着。
しかし、現実は厳しい。
現実世界で起こる事件は、「コミカル、且つファンタスティカルなチカラ」では解決できない。
――チカラには疑問を。
美作先生の忠告は、こういった意味合いもあるのかも知れない。
「…………。……あ、そうだ。聞き忘れるところだった」
「ん? なんだい?」
「さっき、高井……さんの所に来た警察の人達は一体何を? まさか、逮捕……とか?」
「逮捕状が取れたかは確認しなかったなぁ。まあ、二課がただで済ますとは思わないけどね」
「え? と、父さん? 何? さとみさんの件じゃないの?」
「ああ」
「ええっ? こんなタイミングなのに?」
「うーむ、これは二課の管轄だからねぇ……一課の僕が情報を漏らすのはなぁ……」
「だ、駄目なの?」
「……ま、貴重な情報をくれた志朗になら、彼等も文句を言うまい」
「?……?……」
「そんなに首を傾げなくても……。うちの二課がね、ずっと追っている人物がいるんだけど」
「二課って事は、いわゆる知能犯だよね?」
「そうだ。で、その二課が追っている人物、そいつは幾つかの偽名を使い分けているらしいのだけど、その一つにこんなのがある」
「どんなの?」
「佐藤直人」
「佐藤直……て、ええええええええええ!?」
それ! 高井京助が名乗った名前!
「志朗の話を聞いて、八年前の……というか、高井京助とさとみさんが出会ったと思われる時期から、さとみさんが行方不明になるまでの間に起きた、美人局と思しき詐欺・恐喝事件の、更に未解決のものを二課の友人に調べて貰ったんだ。しかし、高井やさとみさんが捜査線上に挙がった事件は、一切無かった。志朗の言う様に偽名を使った所為か、そもそも被害届けが無いのか。僕はとりあえず、志朗から聞いた高井の偽名、佐藤直人の名前で調べ直して欲しいと頼んだら、友人は調べるまでもないと言って、六件の捜査資料を持ってきたんだ」
「六件も……。あの二人、そんなに騙してたんだ」
「あの二人? 志朗、勘違いをしているね。この六件にさとみさんは関わっていない。いや、関われない」
「え?」
「何しろ、この六件で一番古いものは四年前だからね」
「なんだって!?」
「と言うか志朗、この佐藤直人が高井京助かどうかは、目下、二課が捜査中だよ」
「あ、ああ……そっか……」
「けど、十中八九当たりじゃないかな。二課のあの様子だとね」
「そ、そうなの?」
「あの人数を見たろ? 少なくともひっぱられるさ」
「…………」
これってどういう事だろう。
高井京助は、水沢さとみが居なくなった後も犯罪に手を染めていた?
さっき話した時は、過去を悔いているような事を言っていたが、さとみさんがあんな事になっても自戒できないような人物なら、全く信用は出来ない。
……やはり俺にはあの人が解らない。
あの人は一体どういう人間なんだ。
「……父さん」
「ん?」
「今……さとみさんと三浦の関係性を結び付ける事が出来るのは、高井さんだけだと思う……」
「うん、今のところ彼しかいないね」
「あの人がもし証言してくれたら、三浦を捕まえられるんじゃないかな」
「起訴に、持ち込めるだろうね。だがそうなると、高井は八年前の詐欺行為を認めなきゃいけなくなる」
「あの人、過去を清算したいような事を言ってた。八年前なら時効なんだし、証言してくれるかも知れない」
「…………」
――キキィッ
「父さん?」
父さんは、何故かパトカーを路肩に停め、ハザードランプを点ける。そして、眼鏡を外してから、ゆっくりと口を開いた。
「……志朗、高井京助は証言しないだろう」
「どうして?」
「高井はね、二年間、ネバダの病院へ研修に行っている。その間の時効は停止するんだ」
「ッ!」
海外渡航中は、公訴時効が停止する……。
「警察が掴んでいない容疑を、自白したりはしないだろう。現在の彼は、とても不利な状況と言えるからね」
「で、でも、あの人……言ってたんだ、悔恨の念に囚われているって……!」
「…………。志朗、高井京助という人物はね、『嘘しかない男』なのだそうだよ。気を付けるよう忠告を受けている」
「……え? 誰に?」
「うん……まあ、それはいいとして。もしも、高井が本当に二課の追っている人物だとするなら、彼に人間らしい心は無いと思った方がいい」
「人間らしい心が……無い?」
「その男はね、主に詐欺を働いているんだけど、どうもお金自体への興味は薄いらしい」
「詐欺師なのに?」
「男の目的は、人を破滅させる事ではないかと、二課の友人は言っていた」
「は、破滅って……なんの為に?」
「要するに、最悪の愉快犯なんだ。男は、人の人生が壊れてゆく様を楽しんでいる。最終的に自殺に追い込まれた被害者は多い」
「そ、そんな、馬鹿な話……あって……いいのか……」
「一種のソシオパス(反社会性病質者)なんだろうね」
「…………」
誰かの破滅を娯楽として楽しむ。
そんな人間が居るだなんて信じられない。
「それが……高井京助、なの?」
「二課はそう疑っている」
「……なんで今まで捕まえられなかったんだよ……」
俺は二課の人達の苦労を察しようともせず、つい彼等を責める様なニュアンスで呟いてしまった。
「非常に狡猾みたいなんだ。いつも残される手掛かりは名前だけ。それも偽名のね。被害者が自殺してしまって、情報が第三者からしか引き出せないのも原因の一つ。そして一番問題なのが、自殺していない被害者からも情報が出てこない事」
「え、だって詐欺師でしょ? ターゲットに接触しない筈はないんじゃ……」
「ほぼ接触しないらしい」
「そ、それでどうやって……」
「男の基本的な手口は、詐欺師を操っての詐欺行為。自身は手を汚さない」
「他の詐欺師を?」
「詐欺のターゲット、プラン、実行手順などが記されたマニュアルが、詐欺師達の間に出回っているようなんだ。つまり、二課が負っているのは、そのマニュアルの作成者って事だよ」
「あ、頭が付いてかない……」
「このマニュアル、最悪なのが最終項目。なんでも、被害者が自殺すれば足の付く可能性が大きく下がる、とあるらしい。むしろ自殺の動機として詐欺被害が発覚する可能性の方が高いのにね」
「悪魔のマニュアルだな……」
「二課も頭を痛めているようだよ。実行犯までは辿り着けるんだけど、マニュアルの入手方法は皆それぞれ違っていて、男まで手が届かなかったそうだ。そんな折に、佐藤直人の偽名を使って、八年前に美人局を行ったかも知れない人物の事が、志朗から僕を通して二課へと伝わった。藁をもつかむ思いで、二課は時効の成立している案件も調べ始めたという訳さ」
「じゃ、そこで何かが出たから、高井さんの所に?」
「恐らくね。僕は課が違うから進捗状況は判らないけど」
「何もかも観念して、三浦の事を証言してくれないかなぁ……」
「僕は会った事がないけれど、話で聞いた限りでは、そんな殊勝な事が出来る男とは思えないね」
「……うん……」
一つだけ、希望的観測ではあるが、一縷の望みが残っている。
高井京助は、水沢ひかるの写真を見た時に、彼女が自分の娘と重なり、良心の呵責を覚えたと言っていた。それが本当である可能性は残されている。今の高井が悔い改めている可能性は、決してゼロではないんだ。
俺がその事を話すと、父さんは一つ溜め息を吐いた後、外していた眼鏡を掛け、ゆっくりとパトカーを発進させた。
「父さん……?」
「ふぅ……。あの子の言う通り、『嘘しかない男』のようだ」
「え?」
「高井に子供は居ない」
「――ッ!?」
あの人に、『望み』なんてものは無かった。
この小説はミステリーでは無いので、主人公が事件を捜査したりはしません。ただの高校生である志朗君が、そうそう事件を解決できたりはしないのです。そっちは専門家の父さんに任せて、志朗君は自分の範疇で頑張って貰います。
えー、このエピソード、まだ続きます。あと二話ほど、お付き合いください。