time to believe now 19
解決編……という訳ではありませんが、ここからは、さとみさんに関する話が続きます。因みに、さとみさんはもう出ません。
二月五日 土曜日 黄昏時
「――で、水沢、今年度は休学する事にしたらしいんだ。しっかりケアして復学させるって、お父さんが言ってた。水沢本人もやる気を見せてたから、きっと二年から通えると思う」
「へえ。進級は大丈夫なのかい?」
「うん、今年はもう残り一ヶ月ちょっとだから、学校側が色々と配慮してくれるみたいなんだ。でも、水沢って成績優秀らしいから、それほど問題もないみたい。学年末テストも免除なんだって、羨ましいよ」
「テストは志朗の見せ場じゃないか、何を羨ましがる必要がある?」
「有るか無いかで言ったら、無い方がいいに決まってるよ、テストなんて」
「フフ、もっともだね。……うん、なんにせよ、ひかるさんが無事だった事、これに尽きる。志朗、よくやった」
「いや、俺なんて別に……。えっと、水沢の近況はこんなところかな。で、父さんの方の話を聞きたいんだけど、あれからどうなったの?」
「ふむ……」
「もしもし? 父さん?」
「いや、どう話そうかと考えているところだ」
「電話じゃ話せない?」
「というよりは、守秘義務、かな」
「え……? それってつまり……」
「うん、そうだな、志朗が居なければ、発覚さえしなかったかも知れない事件だ。内緒で少しだけ話してあげよう。他言は無用だよ? 志朗」
「も、もちろん」
「今、行っている、DNA鑑定の結果如何では、水沢さとみさんの死亡が証明されるかも知れない」
「ッ!?」
「可能性は薄いが、望みが無い訳ではない。だが、もしそうなったとしたら、かなりセンセーショナルな事件になりそうだよ……」
「え? え? 殺人事件じゃ……ないの?」
「僕の知る限りでは、過去に無かった事件だね。申し訳ないけど、志朗の手からは大分離れている。後はもう、全部父さんに任せなさい」
「…………」
「もしもし? 志朗?」
「あ、ごめん、なんか理解が付いて行かなくて……。何がどうなってそんな事になってるの?」
「説明してあげたいが……ん、志朗、ちょっと待ってて。……うん……そうか。……いや、僕が向かおう。……ああ、そうしてくれ……。……もしもし志朗、どうやら望みが繋がったようだよ。これからまた忙しくなる、詳しい話はまた後で……」
「え? あ、と、父さん、高井先生は関わっているの!? それだけでも……!」
「…………」
「……教え……は、はは……駄目、だよね?」
「……三浦誠次。僕はこっちだと睨んでる」
「三浦っ!?」
「ここまでだ、君は家で吉報を待っているといい。……今は家かい?」
「へ? あ、う、うん、そうだよ……?」
「…………。そうか、じゃ、電話切るよ?」
「あ、と、父さん、頑張って……」
「ありがとう。じゃ」
プツ…… ツー ツー
「…………」
水沢ひかるの自殺騒動から六日後の土曜日。
この一週間、水沢は学校には来ず、今日の放課後……つまりは先程、休学届けを出す為に、父親と共に六日振りの学校へとやって来た。そして、届けを出した後、授業を終えた俺と伊波千夏を呼び出し、親子そろって感謝と謝罪の嵐を浴びせてきたのだ。その時の水沢は、とても明るい雰囲気で、休学を決してネガティブには捉えていないようだった。去り際なんかには、「復学したらよろしくね?」などと俺に声を掛け、復学の意欲を見せていた。もちろん、水沢の心の傷が癒えたなどとは思っていないが、間違いなく良い傾向だろう。しかも、よろしくされたという事は、彼女が俺を、友人として認識してくれている可能性がある。
そんな訳で、少しだけ浮かれつつ、俺は水沢の事を父さんへと電話で報告していたのだ。
別に、仕事中の父さんに、今すぐ伝えなければならない事ではなかったのだが、本音を言うとそれは方便。俺は、その後の進捗状況を知りたかったのだ。だが、話を聞いてみたところ、事態は何やら妙な具合になっていた。先ほどの電話で父さんが口にしていた、DNA鑑定という言葉。それに思うところは単純に「誰の?」。そして、センセーショナルな過去に無かった事件。これらが示すものは何か、残念ながら今の段階では判らない。だが、父さんは、今回の事件をかなり重大な案件として認識しているようだ。いや、もちろん殺人事件は重大な事件だが、父さんの様子からすると、それだけではないように思える。まあ、少なくとも、俺の出る幕などは微塵もないのだろう。
(……無いよな、出る幕なんて)
それが解っていても、俺はここに来てしまっていた。
「…………」
無言で見つめている先は、児の手柏医院。そう、俺は高井京助先生に会いに来てしまったのだ。
ここに着いた時には、少し尻込みをしていて、なかなか入り口の扉に手を掛けられずにいた。それも父さんに電話したくなった要因の一つ。
だが正味は、その後、高井先生に関して、何か新しい情報はないかを訊くことが目的だった。しかし、その必要はなかったようだ。
父さんはこう言っていた。
「三浦誠次」と。
つまり、父さんの考えている容疑者は、高井先生ではなかったのだ。それを聞けた事で、幾分か俺の緊張もほぐれている。
さて、日もぼちぼち暮れ始めている。そろそろ覚悟を決めてしまおう。
そして俺は、父さんの忠告を無視して、高井京助への接触を試みるのだった。
「こんちには」
まずは受け付けのお姉さんに声を掛ける。
「はい、こんにちは。あら? 因幡さん、本日はどうなさいましたか?」
「お話を聞いて頂きたくて……」
「はい。……生憎ですが、本日、美作は急用で外しております。お加減、よろしくないので?」
「ええ、連絡もせずにすいません。……あの、高井先生は?」
「はい、高井は只今、診療中です。お受け出来るとは思いますが、ただ、この後も診察がございまして、お時間が掛かるかと」
「構いません、どうかお願いします」
「はい、ではそのように。お掛けになってお待ち下さい」
美作先生は居ないらしい、珍しい事もあるもんだ。しかし、高井先生とはどうやら会えそうだ。こうなったら何時までだって待っててやる。俺はそう腹を決めて、待合室の長椅子に腰を掛けた。
「ふ~んふふふ~ん、ら~ら~るーーーじゃん!」
待合室には、先程からずっと、やたらと大きな声で鼻歌(?)を歌っている男性が居た。
「ア、アナタ……お願いだから静かにして頂戴。周りに迷惑よ……」
その男性の奥さんだろうか、女性がその隣で居心地悪そうにしながら、男性を窘めている。
「周りだ~? 誰も……お?」
男性が突然立ち上がった。
……何か、こっちに近付いて来ていないか?
「ちょっと……アナタ……!」
「やあ、君」
「あ、はい」
声を掛けられてしまった。多分、何かの症状が出ている人だと思われる。
「私は流しのコンダクター。一曲いかがかね?」
「はい?」
流し? コンダクター? 一曲? ……あっ、この人、指揮者って事か。って、流しの指揮者って有り得る?
「す、すいません、主人が……」
「あ、いえ、お気になさらず」
この病院で他の患者と鉢合わす事は少ないが、時にはこういう事もある。
「さあ、リクエストしなさい。一曲やってあげよう」
「アナタ、やめて……!」
「オマエは黙ってなさい! ……さあ、リクエストを」
これは……合わせた方がいいかな?
「ええと、レパートリーなどは……?」
「ふふん、そうだな……ハノンやドッツァー、デュポールもいいし、パガニーニだって……」
……どうしよう、全然わかんない。
「それにポッパー、後はシュトラウス……」
「シュトラウスで」
ようやく知っている作曲家が出て来た。
「ほほう、君は舞踏曲が好きなのか。曲目は何にするかね?」
「ええと……」
知っている曲は限られている。一番有名なのはドナウだが、あれは長い、フルでやられたらキツイ。
「アンネンポルカを」
これなら比較的静かな曲だし、わりと短かった筈だ。……短いよね?
「んんっ……では」
そう言って男性はタクトを掲げる。もちろん手には何も持っていない。エアコンダクトだ。
「スゥゥゥ……チャラチャ、チャラチャ、チャラチャ、チャッチャー……」
意外……と言っては失礼だが、ちゃんと音程が取れていた。これならば苦痛にはならない。
「……本当にごめんなさいね?」
奥さんらしき人が、俺の隣へやってきて、申し訳なさそうにそう言った。
「いえ、平気ですから」
「……ジャッ、ジャン、ジャッ、ジャン、チャッチャラチャラチャン……」
「ご主人、お上手じゃないですか」
「……ええ、ピアノ講師ですので、音程は取れるんですよね……」
「なるほど、それで……」
「……真面目な人だったのに……まさか、心を病むなんて……。どうしてこんな事になってしまったのか……」
「…………」
「どうして」。患者の家族であれば、精神疾患に限らず、誰もが一度は考える事だろう。
病はいつも、突然に起こる。しかし、そこにはやはり原因があり、兆候もあった筈だ。それに気付く事が出来るのは、患者の近しい人間、即ち「家族」に他ならない。例えば、水沢ひかるも、彼女の父親がもっと早くに向き合っていたならば、ああも深刻にはならなかっただろう。だが幸い、水沢は危機を脱する事が出来た。これから専門家の力添えの元、快方へと向かっていく事だろう。
「心の病気だなんて……一体どうすればいいのか……こんな病院に来ることになるなんて、思ってもいませんでした……」
こんな病院、か。まだまだ精神科の敷居は高いようだ。しかし、頼みの家族が精神科に否定的では、治るものも治らない。
「あの、心の病気とは言いますが、精神疾患は、ちゃんと身体の中で異常が起きているんです。それは、近年の研究でも証明されています。つまり、他の病気と何ら変わりはありません。的確な治療を施せば、治す事が出来るんですよ」
「身体の中で……そうなんですか」
例によって美作先生の受け売りだ。けど、これはとても大事な事。
精神疾患を、「気の持ちよう」だとか、「性格の問題」で片付けてしまう人は、残念ながら少なくない。美作先生は、心と身体を分けて考える『心身二元論』の所為だと嘆いていた。美作先生曰く、「心を内臓の一部と捉え、精神医療という肉体を治療する行為を行う」のが、精神科医なのだそうだ。
「……ありがとう、少し気が楽になりました」
「いえ」
「貴方もご家族が?」
「あ、僕はここに掛かっている患者です」
「えっ……」
奥さんの目の色が明らかに変わった。悲しい事だが、こういう展開には慣れている。
「あ、あら、ごめんなさい……しっかりなさってるものだからてっきり……」
「お気になさらず」
とは言いつつも、少しだけ凹んだ。
「――竹内さーん、三番にどうぞー」
「あ、ほら、アナタ。呼ばれましたよ」
「ジャーンジャ……こ、こら、途中で止めるやつがあるかっ。オーディエンスが居るんだぞっ」
「あ、こちらの事はお構いなく。早く行った方がいいですよ?」
「む、どこへだ?」
「え? ええと……次の公演会?」
「お、そうか。では行かなくてはな」
「ほら、アナタ、こっちに……。では、失礼しますね?」
「あ、はい」
そして、夫婦は診療室へと向かって行った。
今気づいたが、あの人を診るのは高井先生なのだろうか。俺の中の高井先生は、もはや医者としての信用が失墜している。いや、その人間性もだ。しかしながら、今現在、彼に掛かってる患者は、多数いるようだ。水沢母娘にやった事を思うと、その患者さん達が大丈夫なのかどうか、気が気じゃない。
……そう、水沢母娘以外にも、彼が妙な事をしている可能性は否定できない。“ビジョン”で見た高井先生は、人の心を誘導する事に長けているように見えた。あれらは、完全に医者としてあるまじき行為。あの人を医者にしておくのは危険だ。
「――戸塚さん、救急車の手配をお願いします」
「ッ!」
突然、高井先生の声が耳に入って来た。見れば、いつの間にか、先生と受付のお姉さんが話をしている。
「救急車ですか?」
「ええ。竹内さんは、急性期の統合失調症です。入院が必要ですね」
「急性期ですか、うちでは受け入れられませんね。分かりました、手配します」
「お願いします。……あっ、間宮さーん! ロヒプノールとリスぺリドンを持って来てくれませんかー! 0.2と8でー!」
「あ、はぁい!」
随分とバタバタしている。さっきの男性の事だと思われるが、聞く限り、どこか別の病院に移送するようだ。素人目にはそこまで酷い症状には見えなかったのだが……。
それにしても、今、俺の目に映っている高井先生は、見紛う事無く医者だった。真剣な顔で対応するその姿は、格好良くすらある。
解らない。
俺には高井京助という人間が解らない。
「ん? 因幡君?」
「あっ……」
高井先生が俺に気付いた。
「すいません。今、立て込んでるんで、もう少し待っていて下さいね?」
「は、はい……」
先生の態度は、この前会った時と変わらない。優しげな声と顔を俺へと向けてくれた。
俺が“ビジョン”で見た男性は、本当にこの人だったのか?
この人が水沢にあんな非道い事を?
そして、さとみさんを利用して詐欺行為を?
……自信が無くなってきた。
そして、それからしばらく経ち、日も完全に落ちた頃、遂に高井先生と話をする時がやって来た。
「――因幡さーん、三番にどうぞー」
受付のお姉さんに呼ばれ、かなり緊張しながら診療室へと向かった。診療室の扉の前で、一旦深呼吸をして、可能な限り心を落ち着かせた。そして、毅然とした態度を取る事を自分に言い聞かせながら、扉をノックする。
コンコン
「――どうぞ」
「失礼します」
中の間取りは、美作先生の部屋と大差はない。だた、こちらの方が、ずっと診療室然としていた。……美作先生が特殊なだけかも知れないが。
「因幡君、今日はどうしましたか? 確か、春休みにEMDRをやる事になってましたよね?」
「いえ、今日は……今日も俺の話じゃないんです」
「という事は、A子ちゃんの事ですか?」
「……別に『ひかるちゃん』でいいんじゃないですか? 佐藤直人さん」
「…………」
反応は……無い。
「今日は、貴方の話をしに来たんです」
「えーと、因幡君? とりあえず座りましょうか。まずは落ち着きましょう」
「水沢ひかるは無事ですよ? 貴方の事を証言出来るかも知れません」
「因幡君、まずは座って……」
やはり表情に変化はない。この辺はお手の物か。患者の前でいちいち動揺なんかしていたら、医者は務まらない。
「さて、どんな話をしましょうか」
「八年前の話を」
「八年前ですか……僕はまだ医学生でしたね」
「大崎クリニックで、臨地実習を受けてた頃ですか?」
「ッ……よ、よく知ってましたね。叔母さんからですか?」
父さんからの情報だ。臨地実習とは、医学生が実際の医療施設に赴き、実践的な現場を学習する授業らしい。それを、高井先生は、大崎クリニックで行ったのだ。
そして、その大崎クリニックは、水沢の母親・さとみさんが、双極性障害(躁うつ病)の治療の為にかかっていた病院。
「そこで水沢さとみさんと出会ったんですか?」
そう、二人は繋がりがあっても、決して不思議ではないのだ。
「い、因幡君、君は……」
「『亜季さん』、の方が分かり易いですか?」
「!」
反応が……あった。
「三浦誠次さんに、貴方の事を訊いてみましょうか?」
「…………」
高井先生は完全に黙り込んだ。目を瞑っているので、表情からはいまいち読み取れない。
「高井先生、俺の父さんが警官だって事は、ご存知で?」
「何?」
知らなかったようだ。
「県警の警部です。実は今、俺が水沢さとみさんから得た情報の、裏を取って貰ってます」
実際、さとみさんから得た情報は、重要な部分が欠けている。しかし、敢えてそれを伝える必要はないだろう。
「…………。そう、ですか……フゥ」
高井先生は、右手の親指で眉間を強く押している。しばらくその仕草を続けた後、丁寧だった口調を崩して話し出した。
「やれやれ、叔母さんもこんな気持ちだったのかなぁ。誰にも知られていないと思っていた事を、なんの関係も無い筈の人間に指摘される。……これはさすがに動揺が隠せないよ。さとみさんや三浦と繋がるような証拠は、何も残していないつもりだったんだけどね……」
「……認めるんですね」
「言っとくけど、さとみさんの死に関しては、僕は関わってないよ」
「知ってます」
「知ってる、か……。本当、君が怖いよ、僕は」
「俺は、貴方が怖いです。心に傷を負っている人にあんな事させるなんて、人格を疑います」
「返す言葉もないね……」
「……ご自分の行いを理解はしているんですね? 八年前、水沢さとみさんにやらせた事を」
「ああ。けどね……」
「時効なのは知っています。俺はただ、水沢さとみさんに、一体何があったのかを知りたいだけ。そしてもう一つ、水沢ひかるに何故あんな事をしたのか、も」
「…………。ハァ……分かった、話そう。もう隠す気は無い、なんでも訊くといい。大体、さとみさんの……幽霊? から、大方の事は聞かされているんだろ?」
「と言うよりは、その場面を見せられたって感じです。……夫婦のふりをしていた貴方とさとみさんが、三浦という人物に対して、いわゆる美人局を行っていた。そんな“ビジョン”を、あるホテルの前で見ました。その時の貴方達のやり取りを、再現して見せましょうか?」
「いいよ。君のチカラの事は、もうすでに信じてる。エスパー、ミーディアムに続き、サイコメトラーシローだね」
「は、恥ずかしい呼び方しないで下さい」
「恥ずかしいとは……世界中のサイコメトラーさん達に失礼ではないかな?」
「えっ……俺みたいな人って、わりと居るんですか?」
「さあ? 僕は君しか知らない」
「…………。……もしかして、話、逸らそうとしてます?」
「ごめんごめん。なんだか君って、からかうと楽しいんだよ。反応が素直でさ」
「ぐ……」
落ち着け、俺。心理合戦なんてやっても勝てる筈がない。俺はただ、必要な事だけを質問すればいいんだ。ペースを持っていかれない為にも、余計なやり取りは極力避けよう。
「なあ、因幡君。僕は別に、言い逃れしようだなんて考えちゃいない。ちゃんと答えるから、そう警戒しないでくれよ」
「…………」
うん、バッチリ考えを読まれてる。
俺、実は精神科医って嫌いかも。
「……じゃあ、まずはさとみさんの話を」
「ああ。……彼女に関しては、僕に弁解の余地は無い。お金が欲しくて彼女を利用した」
「お金の為……」
「僕の家は医者の家系でね、裕福なんだよ。だから僕は、贅沢三昧で暮らしていた。医学生になって、親元を離れた後も、親の仕送りのお金で、やっぱり贅沢三昧。欲望はとどまる事を知らず、遂には学費にまで手を付けたんだ。そこでようやっと、両親は僕の問題に気付いてね、それからは必要最低限のお金しか与えなくなってしまった。でも、急に生活水準を落として暮らすのは非常に難しくてね。どうにかお金を手に出来ないかと悩んでいた時に、水沢さとみさんと出会ったんだ」
「高井先生、ちょっとすいません。話の続きを聞く前に、一つやっておきたい事がありまして」
「ん? やっておきたい事?」
「ええ。このままだと、冷静に話を聞くのが困難で……。いいでしょうか?」
「? ……どうぞ」
「すぅぅぅ……っ、こんのダメ息子ぉぉぉぉぉっっ!」
「ッ!?」
俺は、憤懣やるかたない思いを一気に吐き出した。こうでもしないと、この人を引っぱたきそうになるからだ。
「ふぅ……失礼しました」
「…………」
「ん? 続きをどうぞ」
「え? あ、ああ……。んっんんっ、えーと……ああ、さとみさんと出会った話か。……君の言う通り、大崎クリニックで実習を受けた時に、彼女と出会った。もちろん僕は学生だったから、治療には関わっていない。僕らが知り合ったきっかけは、待合室でぶつかって、そのまま世間話をしたのが始まりという、些細な事だった。彼女の症状の事を知ったのは、わりと後だよ」
「……因みに、どんな症状なんですか?」
「双極性障害。さとみさんはね、娘さんに関わる事でないと、行動意欲が湧かなかったんだ。例えば、娘さんの学校行事の時にはとても活発な人に見えたのに、町内会の行事では暗く落ち込んでいるように見える。つまり、娘さんの前では躁状態、それ以外ではうつ状態になってしまうんだ」
先週、水沢の父親からうつ病と聞かされた時は、どうも納得いかなかったが、そういう事なら話は解る。俺が目にしてきたさとみさんは、常に娘の為に行動していた姿だった。だから俺は、躁状態の彼女しか知らない。
「僕は……そこに付け込んだわけだね。さとみさんは、その時、離婚の話が出ていたらしくて、夫と別れてしまったら、お金も身寄りもない自分は、娘と引き離されてしまうと思い込んでいた。例え経済的な不安があっても、母親が親権を得るのに問題は無いと僕は知っていたけど、それは敢えて教えずに、お金を得る方法を提案したんだ。それがつまり美人局。正直、相手にはされないと思ったけど、彼女はこっちが驚く程、あっさりと話に乗って来た。よっぽど娘と引き離されるのが嫌だったんだな」
高井先生は飽くまで淡々と話す。良心の呵責は覚えないのだろうか。
「僕たちは完璧に身分を偽り、出来るだけ自分達と関わる可能性の低いターゲットを見つけ、相手が余裕で出せるレベルの金銭を要求し、一切の後腐れを残さないようにして、足が付くのを防いでいたんだ。殊の外上手くいったよ。だから、上玉を見つけた時に、欲が出てしまった。常に金銭の要求は一度きりにしていたんだけど、その時だけ二度要求してしまったんだよ」
「三浦誠次……ですね?」
「そういう事だ。……彼に二度目の要求をした直後、さとみさんは消えてしまった」
「警察に届けようと思った事は?」
「一切無い。僕は、保身の為に、さとみさんと関わった痕跡を消す事しか頭になかった」
まるで他人事のようにそう言い切る高井先生。悪怯れた様子は全く見られない。
「……最低、ですね」
「……最低、だね」
「言い訳無しですか?」
「そんな余地があったかい?」
「…………」
もっかい叫ぼうかな……。
「はぁぁぁ……。それで、その……高井先生は、三浦がさとみさんを殺したと思います?」
「当然思っているよ。状況証拠だけだけどね」
だけど自分の身が優先な訳だ。この人の最初の好印象は返上させてもらおう。いや、好印象でもなかったか。からかわれたし。
「……さとみさんに関しては、ほぼ俺の予想通りでした。次は水沢ひかるの事を聞かせて下さい」
「ひかるちゃん……か」
寧ろ俺にはこちらの方が重要だ。何しろ、この人の所為で水沢は命を落としかけた。返答如何では、グーで引っぱたく事も辞さない。
「日曜日、貴方は水沢ひかるに催眠療法を行いましたね?」
「へえ、彼女、あれが催眠療法だって解ってたんだ」
「って、インフォームド・コンセントすらやらずに行ったんですか?」
「説明しようとは思ったんだがね、僕が『お母さんの事を思い出す方法があるんだけどやってみるか』と聞いたら、彼女は間髪入れずに『すぐお願い』って」
「…………」
水沢、軽挙妄動にも程があるだろ……。
「……それはいいです。でも、その後の事は捨て置けません」
「後?」
「高井先生、貴方、水沢が自殺を図るよう誘導しましたね?」
「……彼女が、そう言ったのかい?」
「実を言うと、水沢からは何も聞いていません」
「え? では何故……」
「俺、その時、後部座席から見てました」
「はっ!?」
「信じられないなら、その時のやり取り、再現しますけど?」
「あ……い、いや、いい……。ま、まいったね……こりゃ……。新たに、アストラルシローも加えないと……。フフ……あと一人出てくれば戦隊ものがやれるなぁ……。超常戦隊シローレンジャー……とかね」
「……どんどん恥ずかしくしないで下さい」
高井先生が壊れ気味なのは見ていて気が晴れるが、今は戦隊の話なんかどうでもいい。
「先生、水沢ひかるを自殺させようとしたんですか?」
俺は可能な限り目に力を込め、そう問いかけた。
「……それは、誤解、だと言いたいね」
「何が誤解なんですか!?」
「…………。……君が、さとみさん母娘の写真を落とした時には、本当に驚いたよ。まさか今になって、再びさとみさんの姿を見る事になるとは、思ってもいなかった。そして何より、そこに写っていたひかるちゃんの姿。実は、あの時が初めてだったんだ、ひかるちゃんの顔を見るのは。そこまで来てようやく、遅まきながら良心の呵責を覚えた。この子が母親を失ったのには、僕に責任の一端がある……と」
「…………」
「……僕にも娘がいるんだ」
「!」
「今年三歳になる。それで思ったんだ、『もしも僕の娘が母親を失ったら』って」
「娘さんが……」
「言い訳にもならないけど、八年前の僕は未成熟だった、精神的にね。あの時の僕は、将来、自分がこんな悔恨の念に囚われるなんて、思いもしなかったんだ」
悔恨。
高井先生は、ちゃんと過去を悔いているのか?
「だ、だったら尚更です! なんで水沢の命を危機に曝したんですか!?」
「そんなつもりじゃなかった!」
「ッ」
「……君の話から、彼女が母親の死を目撃している可能性が浮上して、それが原因で、心に深刻な影を落としているかも知れないと思えた。叔母さんの言う通り、心の傷を癒すためには、その原因と向き合う事が重要。だから僕は、催眠療法で、ひかるちゃんの封じられた記憶を呼び覚ます事にしたんだよ。因幡君、僕はね、ひかるちゃんに、さとみさんの死んだ場所を、思い出して貰いたかっただけなんだ。それで事件が明るみに出れば、さとみさんも浮かばれると思ったんだよ。決して、ひかるちゃんにさとみさんの後を追わせようだなんて、考えていなかった。本当だ」
「水沢の自殺の可能性を指摘したのは先生じゃないですか。その貴方が、境界例かも知れない彼女に、そんな不用意な真似をするなんて……」
「断定した訳じゃない。実際、彼女が境界例に達しているとは思えなかった。けれど僕は、万全を期して、彼女に付き添うつもりだったんだ。万が一にも自殺してしまわないようにね。けど……けど彼女は、僕が気を抜いた隙に、車から降りて行ってしまったんだ……!」
「…………」
「……解ってるよ、結局は僕の落ち度だね。彼女を見失うなんて失態は……」
「高井先生、それが本当なら、どうしてコソコソしたんですか? 偽名まで使って……。そもそも、過去を清算したいというのなら、公に提訴して然るべきでしょう?」
「…………」
「何か言って下さいよ」
「……自分は身綺麗なまま、事を……収めたかった」
「貴方って人は……!」
「家庭があるとこうなってしまうんだ!」
「……ッ」
「……因果……応報だね。三浦の気持が、よく解るよ……」
もう……いいか。この人を責めても、新しい情報が得られようには思えない。ビジョンの裏付けは取れたが、さとみさんが結局どうなってしまったのかは、この人も知らなかった。父さんの言う通り、この件はもう俺の手から離れているようだ。やはり、水沢ひかるを救った時点で、俺の役割は終わっていたらしい。これ以上余計な事はせずに、後は父さんに任せよう。
「帰ります」
「……僕の事はどうするんだ?」
「どうも出来ません。解ってるんでしょう?」
「…………」
「もし……水沢が死んでいたら、俺はどんな事をしてでも、貴方に罪を贖わせようとした筈。でも、彼女は無事だったから……貴方の事は忘れます」
「そう、か……」
「でも、一つだけ言わせて下さい」
「ん?」
「俺は貴方に医師であって欲しくない」
「…………」
「……さようなら、高井さん」
俺は高井さんを一瞥してから、部屋を出るべく、ドアへと向かう。そして、扉を開けた時だった。
「きゃっ」
受付のお姉さんがそこに立っていたのだ。どうやらノックをしようとしていたらしい。精神科は特に、診療中の乱入には厳しい筈。それを推して尚、ここに来たという事は、かなりの急用という事になる。
「あ、因幡さん、失礼いたしました。……終わられたのですか?」
「ええ、丁度。何かありました?」
「あ、はい、いえ、高井先生に急用がありまして」
「そうですか。なら俺は失礼しますね?」
「はい。どうぞお大事に」
俺はお姉さんに一礼して横を通り過ぎる。
ふと思ったのだが、今日の診療代ってどうなるんだろう。一応、患者として来た訳だから、払わねばなるまいか。……何か納得いかないな。
「――あの、高井先生、警察の方がお見えなのですが……」
「!?」
後ろから聴こえてきたお姉さんの声に俺は驚く。
警察?
まさか父さん?
「……ッ」
俺は急いで受付へと向かった。待合室まで戻って来てみると、そこには背広姿の男性が数人。おそらくこの人達が警察なのだろう。
父さんは……居ないようだ。
それにしてもこの人数。ただ話を聞きに来たのであれば、通常、二人組の筈。これだけ数を揃えたという事は、身柄を確保しに来たのでは?
「――志朗、やっぱり居た訳だ」
「ッ!? と、父さん!?」
突然後ろから肩に手を置かれた。
驚いて振り返ると父上が居られた。
うう……あっさりバレた。
「僕はなんて言ったっけな~?」
「……ご、ごめんなさい」
「ま、こうなるとは思っていたがね」
「……刑事の勘?」
「もちろん、父親の勘」
まあ、俺もバレるとは思っていた。ただ、予想よりかなり早かっただけだ。
「父さん、もしかして高井京助を……?」
「ん? 僕は志朗を迎えに来ただけだよ。さ、帰ろうか」
「へ? じゃ、じゃあこの人達は?」
「ふむ、二課の方々だね。何があったのやら」
「……父さん?」
「分かってる、ちゃんと説明はするよ。だけど、この場は去ろう。お仕事の邪魔になるからね」
「え、えと、診療代が……」
「んー、まあ、その辺の融通は利かせてくれるだろう。美作先生とは、昨日今日の付き合いじゃないからね」
「……いいのかな……」
父さんに促されて、俺は児の手柏医院を後にした。
「……志朗、驚くぞ」
「え?」
病院の前に停められていたパトカー群のとある一つの前で、父さんが満面の笑みで話しかけてきた。
もしかして、さとみさんの件が解決したのか?
「なんと! 今日はこのパトカーで君を送ってあげよう!」
「…………」
「ん? 志朗?」
「あ……そ、その、や、やったぁぁぁっ!」
昔、小さい頃、パトカーに乗せて貰って大喜びした事がある。その時から父さんは、機会を見つけては俺をパトカーに乗せてくれるようになった。初めの頃は嬉しくて仕方なかったが、月一回ペースともなると、今や目新しさは皆無。もはや、タクシーよりも乗り慣れていた。しかし父さんは、今でも俺がパトカーに乗りたがっていると、信じて疑わない。
「い、いや~、俺、お巡りさんの息子でよかった~」
「うんうん、役得だね。お友達には秘密だよ?」
親にとって子供はいつまで経っても子供、そういう事なのだろう。俺は――頑張って――はしゃぎながらパトカーへと乗り込んだ。
そして、そこで俺は――事件の真相を知る事となる。
変なところで切ってすいません。真相は次回になります。




