time to believe now 13
前半部はほぼ無意味なシーンですね。ナツさんが、伏線らしき発言をしますが、このエピソード中の回収はありません。
一月三十日 日曜日 日中午前
「さ、寒すぎる……」
日曜日。
非常に寒い日曜日。
いや、異常に寒い日曜日。
見上げた空は雲一つ無く、風もピタリと凪いでいた。
故に起こった放射冷却。
今朝の最低気温はこの冬一番で、日中もそのまま気温は上がらず、摂氏零度に届かないという。この地域においては、実に五年ぶりの真冬日だ。――こんな日は暖房の効いた部屋に閉じこもっていたい、日曜日なのだから出来ない事ではない……というのに俺は外に居た。
寒い寒い日曜日の朝、かれこれ三時間、俺は外をうろうろしているのだ。
(居ないな、水沢のお母さん……)
ここはすっかりお馴染みになってしまった、アーケード街のあの横町付近。
目的は、言うまでもなく水沢の母親。
俺は昨日に引き続き、彼女を探していたのだった。
今日は、午後一時から、水沢の父親に会う予定となっている。それまでに、もう一度水沢の母親に会えないかと思い、朝から捜索していた。探す理由は……とにかく何か情報が欲しかったのだ。
昨晩、俺は父さんに全てを話した。病院の時とは違って、包み隠さず全部をだ。葉山ことりの件もあって、父さんは俺の話を真摯に聞いてくれた。そして、その話自体は信じてくれた。しかしながら、現時点で何も出来る事は無いという――
「――志朗の見た“ビジョン”? が、真実だとしても、その内容に『水沢さんのお母さんが殺された』という事を指し示すものは、何も無いよ。いや、そもそも殺されたと考える事自体、早計だね。人目に付かない場所で事故死し、そのまま発見されていない可能性もある。それにね、志朗、この話には根本的な問題があるんだ。何よりもまず、水沢さんのお母さんの死亡が証明出来ない。まあ、その……幽霊、に……なってる? 訳だから、亡くなっているのだろうけど、それは志朗にしか証拠となり得ない事なんだよ。法的な死というのは便宜上のもので、やはり遺体があって初めて死亡が確定する。志朗の話だけでは、水沢さんのお母さんの死を認める訳にはいかない。どんなに僕が君の事を信じていても、警官としての僕には、今の段階で出来る事は無いんだ――」
――つまり、事の真相を暴く前に、まず、水沢の母親の死亡を指し示す、客観的な証拠が必要だった。
俺一人だけが確信していてもしょうがない。
俺一人だけが真相に辿り着いても意味が無い。
それでは、ただの自己満足で自己完結だ。
水沢の母親は、きっと何らかの望みを俺に託した筈。そこには俺に出来る事が何かある筈。しかし、今までの情報じゃ足りない。これでは真実に辿り着けない。俺は一体何をすればいいのか、何かそれを明確にしてくれるものを示して欲しい。
「はぁ、駄目だ、居ない……」
そう願いながら、始めに出会った場所と昨日のホテルの間を、幾度か往復したが、未だ、水沢の母親の姿を確認する事は出来ていなかった。
今の時間は午前十一時。こんな寒空の下でも日曜日の商店街は賑わう。朝に比べて多くなった人波の中から、人一人を探し出すのは難儀になりつつある。昨日のように、葉山ことりが何かを示してくれるのではと期待したりもしたが、今のところ彼女も現れない。俺の身体もいい加減冷えすぎて、震えがきている。
(仕方ない、今日はもう諦めるか、この後用事もあるしな。……いや、少し休んでから、もう一度だけホテルの方まで行ってみよう。それで丁度、約束の時間に合いそうだ。そうと決まれば……)
何か温かいものを口にすべきと考え、辺りの店を物色する。
ちょっと早いが昼食を摂るのもいい。
そして俺は、目の前の立ち食いそば屋で即決した。安いしお手軽だ。見れば、ぼちぼち客も入っている。この寒さだと衝動的に食べたくなるのかもしれない。開店直後のその店はすでに賑わいを見せていた。
俺も誘われるように暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませっ」
実は初めて利用する店。自宅の近くに贔屓にしている店がある為、他のそば屋はほとんど利用していないのだ。
俺は軽く緊張しつつ店内を観察した。思ったよりも広い。別に立ち食いじゃなくてもいいのではないだろうか。やけに高いテーブルで、無理やり立たされているかのように見えてしまう。そこが醍醐味なのかもしれないけど。
ひとまず、暖房の効いた店内で人心地は付けた。どうやら食券方式のようなので、販売機の前へと足を運ぶ。品揃えは多い、トッピングが違うだけで味にそう違いはないのだろうが、これだけあると迷ってしまう。
「ん?」
メニューを端から順に眺めていると、ある表示に目が留まった。
《七草?そば》
このクエスチョンマークは一体……。
七草とは春の七草の事だろうか。人日の節句はもうとっくに過ぎているから、時事的にはズレたメニューだ。いや、お粥じゃなくて蕎麦だから関係無いのかも知れない。そもそも、クエスチョンマークが付いているのだから、春の七草ではない可能性が高い。
ひどく興味がそそられた。美味しそうかどうかではなく、敢えてクエスチョンマークを付けている理由が知りたくなった。
「…………」
チャリンチャリン……ピッ
硬貨を食券販売機に投入して、ボタンを押した。
もう後戻りは出来ない。
俺はカウンターに居たお兄さんに食券を渡す。
「これ、お願いします」
「はい、かしこまりました……え? な、七草そば一丁っ!」
今、「え?」って言わなかったか?
もしかしてやってしまっただろうか……。
だがもう遅い、覚悟を決めよう。
「お、お待たせしましたー、七草そばです」
流石は立ち食いそば屋だ。ほんの二、三分で出てきた。
はてさて、どんな蕎麦なのかな。
(ネギ、のってるな……)
早くも春の七草ではなかった。いや、ネギはどんなトッピングでも付いてくるから、正味には数えないのかもしれない。見た感じは緑一色だし、まだ春の七草である可能性は残って……
(……って、この匂いパクチーじゃん)
春の七草はそれほど香りを主張しない。主に香り立つのはセリかな。後は、スズナとスズシロ(カブの葉とダイコンの葉)の軽い青臭さぐらいだろう。いずれにしろ、香草のように、好き嫌いが分れるような匂いは放たない。
(ん? これってルッコラか?)
原形を残したままの葉っぱを発見した。パクチーがある以上、コイツに味の主張は無理だな。というか他全部無理だろ。この蕎麦はパクチー味だ。
「…………。……いただきます」
いつまでも観察していたら、蕎麦がのびてしまう。幸い、パクチーは苦手という程ではないので、食べられなくはないだろう。
「ふー、ふー、ずるずるずるずる……」
ネバネバがあるな、モロヘイヤか?
確信は無いが、セロリとミツバも居る気がする。
あとは……
「……んくっ」
ツーンと来た、もしやワサビの葉か?
しかも何か口の中がスースーする、ミントじゃないだろうな。
(これ、ある意味凄いかも……)
出汁の香りが全くしない。
醤油の香りが全くしない。
蕎麦の香りが全くしない。
俺は今、一体何を食べているのだろう。
「……ずるずる……ずるずる……ンク。うっ、ケホッ。ふぅ……ズズズズズ……ゴクン。ぷはぁ……」
俺は黙々と食べた。
黙々ともぐもぐした。
目目連は目玉だけの妖怪だ。
ろくろくびもほくほくだな。
「――ハッ」
思考が解体している。イカン、気をしっかりと持って食さねば。
「ングングングング……ゴックン。ふーーー……うぷ」
心を無にして一気に平らげる。そしてすぐさま、空になった器を返却口へと持って行った。
「ごちそうさまでした」
返却口の向こう側で、さっき俺の注文を受けたお兄さんが洗い物をしていたので、一声かける。
「あ、あざーしたぁ……」
「あの……」
「は、はい、何か?」
「ミントだけはやめた方がいいと思います」
「で、ですよね~……」
お兄さんの苦笑に、愛想笑いで応えてから店を出た。
そして、店先にあった自販機をロックオン。迷い無く財布から硬貨を取り出して、流れるような手つきで投入。間髪入れずに、好物であるミルクココアのボタンを押したら、フライング気味に取り出し口へと手を伸ばす。手にした缶の熱さも気にせずにプルタブを上げ、すかさず口を付けたのだった。
「ズズズ……ふ~~」
え?
あの香草ちゃんぽん蕎麦の感想?
好奇心は猫をも殺す。
ガラガラガラ……
俺が店先でココアを飲んでいると、店内から高校生と思しき女の子が出て来た。女子高生もこういう店を利用するんだな。
「……好奇心は猫をも殺すってヤツね……」
「え?」
俺がついさっき頭に浮かべた文言を、その女の子が呟いた事に驚き、思わず彼女の顔に目を向けた。相手もこちらに顔を向けた為、互いに視線を絡める形となる。
「あ」
「あ」
見知った人だった。
初見は先週の月曜日で、認識したのはつい昨日。
キレイなロングヘアーが印象的な彼女。
「ナツさんか」
「因幡じゃん」
それは伊波千夏。
水沢ひかるの親友を称する女の子。
「居たんだな、気付かなかったよ」
「てことは、アンタも居たんだ。……あ、ねえ、それ一口くんない?」
「それって……これ?」
「うん」
出会うなり、いきなり俺の飲みかけを所望するナツさん。
実質、昨日知り合ったばかりの相手と回し飲み?
しかも異性同士で?
ドキドキなんてしてませんよ?
「……はい」
「サンキュ。ングング……」
彼女は躊躇う事無くココアを呷る。
俺が意識し過ぎなだけなのか?
「ふぅ……なんとか消えたわ」
「消えた?」
「うん、ちょっと変なモン食べちゃってさぁ」
それって、もしかして……
「……『七草?そば』だったり?」
「え? そうっ、そうなのよ! なになに? もしかして因幡も食べた?」
「ああ。クエスチョンマークが気になってつい」
「だよねだよねっ! アレは気になるよねっ! もうアタシ、チャレンジャースピリットが刺激されちゃってさぁ、これはいくしかっ……て感じ? 地雷でもネタになりそうだったし」
「で、正しく地雷だったと」
「キツかった~。もうアレだね、おソバの味じゃないよね、有り得ない匂いだったし、なんかネバってたし、しかも鼻にツーンってくるし。なんの罰ゲームだっつーの。あんなん売るなっつーの」
「でも食べた?」
「そこもやっぱチャレンジャースピリットでしょ。アレって絶対店側からの挑戦じゃん? 食えるモンなら食ってみろってさ。アタシ、そーゆー事されると火が点くんだよねぇ。汁一滴残さず完食してやったわっ。アンタは食べれた?」
「俺もキツかった~。でも勿体ないから、なんとか平らげたよ」
「あんなのちっとも勿体なくなんてないわよ。アタシら、もしかして残飯処理させられたんじゃないでしょーね。……うっわ~、改めて考えてみると心配になってきた。だってアレ、食べ物のニオイとは思えなかったもん。ひょっとしてヤバくない?」
「その心配はないと思うぞ。それぞれが独特の風味を持つ香草だったから、互いにケンカしまくってたんだよ」
「え? アンタ、アレに何入ってたか判んの?」
「多分、パクチー、ルッコラ、モロヘイヤ、セロリ、ミツバ、ワサビ、ミントだと思う。あとネギ」
「すごくない? ワサビはあると思ってたけど、それ以外は判んないわよ。あ、スースーしてたのはミントか。んじゃ、あのキツいニオイって、いろんなんが混じった所為なわけ?」
「いや、あの匂いは、ほぼパクチーだな。そこは間違いない」
「ぱくち?」
「あれ、知らない? ……えっと、コリアンダー?」
「あっ、コリアンダー知ってる! ひかるがカメムシ臭いって言ってたやつだ……って、そうじゃん! アレ、カメムシのニオイじゃん! うげ~、そう思ったら不快指数倍増~」
「好き嫌いの分れる代表だよな。俺、パクチー自体はそうでもないんだけど、後から来るミントがな~」
「アレが平気とか、どこの星のヒト? アタシはトラウマになったかも……。う、思い出したらまた気持ち悪くなってきた。ングングング……プハァ……あ、ごめぇん因幡、大分飲んじゃった」
「ああ、いいよ、全部あげる」
「え、でもアンタ、ちょびっとしか飲んでなかったじゃん」
「口直ししたかっただけだから」
「あ、もしかして、アタシが口付けたから? 因幡ってそういうの気にするヒト?」
「べ、別に気にしないけど。寧ろそっちが気にするんじゃない? 女子なんだし」
「あー、さっきはそれどころじゃなかったからねぇ、とにかく口直ししたかったのよ。……そっかぁ、アタシ、アンタと間接キ……」
「皆まで言うなっ!」
「あれあれ~? なになに~? やけに過剰な反応じゃ~ん。実はずっと意識してた~?」
「あっ……。ち、違くてっ、だって知り合ったばっかで……その、なんだ、異性だし? じゃなくてっ」
「あーらら、焦っちゃってまあ。……因幡ってムッツリ?」
「なんでだよっ!?」
「だって、話してる間、ずっとチューの事考えてたんでしょ?」
「考えてないっ!」
「思い返してみると、アンタずっと唇を尖らしてた気が……」
「そんな訳あるかぁぁぁっ!」
「キャハハハハ……」
やけに会話が弾む。トラやミケ以外の人間とこんな気楽に話せた事なんて、殆んど覚えが無い。なんとも新鮮な気分だった。これが「七草?そば」のお蔭だというのなら、あの苦行は無駄では無かった訳だ。
「ふぅー、なんか因幡って、やたら話し易いわね。打てば響くって言うかさ。孤立してるような奴だから、てっきり暗い性格なのかと……て、あーっと、ごめん」
どうやらナツさんは、歯に衣着せないタイプのようだ。でも、陰でグチグチ言われるよりは、こちらの方が遥かに好感が持てる。
「いや、俺の方も、ナツさんってキツい人のイメージだったから、こんなに気楽に話せるなんて意外だよ」
「……まあ、ひかるの事があって敵視してたからね。それに、噂からはアンタがこんな人柄だなんて、想像もつかなかったわよ。何しろ……、……ッ」
「ん? 何しろ?」
「……なんでもない」
「……うん、まあ、だいたい分かるよ、自分が学校のみんなからどう思われているかは」
「もしかして、サイト、見ちゃった……?」
「サイ……ト?」
「え? あっ、ヤバッ」
サイト……。
文脈からすると、俺に関するサイトが存在するって事か?
いや、ちょっと待て、それはさすがに……。
「あ、あの、それってどんな……」
「因幡っ!」
「わっ」
「口滑らせたアタシが言うのも何だけど、気にすんなっ!」
「…………」
本当に何だな。
でも確かに、そういうのは気にしないに限る。
気にしてもしょうがない。
「分かった、気にしない」
「絶対よ? 探したりとかしちゃ駄目だかんね? あんなのに踊らされるなんて、馬鹿みたいなんだから」
「探さないよ。良い事なんて一つとして無さそうだしさ」
「そう……。その、ゴメン」
「ん?」
「アタシも踊らされてるクチなのに、勝手な事言っちゃって……」
彼女は本当に申し訳無さそうな面持ちだ。
「…………。さっき、俺を敵視してたって言ってたけど」
「え? あ、それもゴメン……」
「『してた』って事は、今はしてない?」
「……うん、アンタ、思ってたのと全然違ったからさ……まだちょっとしか話してないけど、因幡っていい人っぽいし」
……これって、チャンスだったり?
「じ、じゃあさ、その、俺と、と、と、とも……」
「え?」
「あ、いや……」
本当は言いたかった。
「友達になって欲しい」と。
だけど言えなかった。
彼女であれば承諾してくれそうな気配ではあるが、そうなったらなったで、彼女の学校生活に何らかの支障を来すかもしれない。
「その……」
察するに、その妙なサイトには、俺の事がかなり陰惨にかき込まれている模様。そんな俺と付き合いがあると、煽りを食う可能性がある。そこに思い至ってしまっては、鼻白んでしまうのも仕方ないと思う。
「ええと……」
……言い訳かな?
単に俺がヘタレで気後れしてるだけ?
うーん、いっそここは強気に……
「……なんでもない」
「は?」
……行けませんでした。やっぱりヘタレでした。
「あ、はは……。で、でも驚きだよ、徳英に裏サイトが存在してるなんてさ。未だに? って感じだ」
「……あれって元々、試験のヤマとか、抜き打ちとかの情報を、交換する為のスペースだったの。誰が起ち上げたかは知らないけど、最初は特に問題のない、ごく小さいコミュだったみたい。でも、いつの間にか利用者が増えて、だんだん荒れてきたんだ」
「そして学校裏サイト化した、と」
「…………。……ううん」
「え、違う?」
「そのサイトさ……。……ダメ、やっぱダメだ」
何を思い直したのか、ナツさんは一番気になるところで話を切ってしまう。
「あのさ、絶対に気になってると思うけど、この話、忘れて? その代わりアタシ、なんとかしてみるから」
「なんとかって……え? 何? よく、解んないんだけど……」
「閉鎖させんのよ。……こんなこと言っても説得力無いだろうけど、アタシもずっとアレはどうかと思ってたのよね。直接自分に関係無かったから見て見ぬふりしてたんだけど、こうやって実際にアンタと話をしたら、なんだか罪悪感がさ……」
ど、どれほどの事が書き込まれているのだろうか。
激しく気になるし、激しく怖い。
「全部がアレの所為とは言えないけど、アタシのアンタに対する、その……偏見? はアレが元だし」
「…………」
ちょっと待ってくれ。それじゃあ、現在の俺の学校内における境遇は、そうなる様に何らかの意思が働いているという事にならないか?
それは信じ難い……いや、信じたくない。
「でもでもっ、心配しなくていいから。あんなの、ちょっとチクればソッコーで閉鎖よ。因幡は何も気にせず今まで通りで、ね?」
ナツさんから聞かされなければ「知らぬが華」状態だったんですが……。
唐突に衝撃的事実を告げられて、頭の中が飽和状態だ。それでなくても、水沢の母親の件で頭を酷使しているというのに。
まあ、だとしても……
「ありがとう、そんなに気に掛けて貰えて嬉しいよ。どうかお願いします」
……知り合ったばかりで、しかも最初は険悪ですらあったというのに、ナツさんは俺の為に骨を折ってくれるという。ここは素直に感謝を示すべきと考え、俺は軽く頭を下げた。
「え? あ、ま、まかしといて……」
なんとも思わぬ展開になったものだ。
「七草?そば」とのギャップが凄い。
そして、伊波千夏の今の印象と第一印象のギャップも。
「……水沢の親友、か……」
「え、なんて?」
「あ、ううん」
最初にキツい子と思えたのは、彼女が水沢の為に怒っていたからか。大切な親友を心配していたから、俺を害有りと見なしたんだな。今はもう解る、ナツさんはとても良い人だ。
「ちょっとちょっと、なに生温い視線よこしてんのよ。アンタ、やっぱムッツリ?」
しまった、不躾に見つめてしまっていた。……しかも生温かった?
「いやいやいや、あー、あの、そう、それ! ナツさん部活?」
とにかく目に付いたナツさんのスポーツバッグを指差して、大きく話を変える。我ながらかなり不自然だった。
「これから? 時間平気?」
「なんか誤魔化してない?」
「あ、もしかして部活と違う? それとも、もう終わったとか?」
「……午後からよ、午前中はちょっと買い物してたの。もう少し時間を潰したら行くわ」
ふぅ、どうにか話が変わったな。……その代わり、不信を買ったかもしれないけど。
「そういう因幡は? 制服って事は学校行くんでしょ? そっちも部活なの?」
「いや、俺は……」
ナツさんなら構わないか。
「……水沢の父親に、一時から会う事になってるんだ」
「えっ、ひかるの? なんで……あ、一昨日の事か」
「そう」
「でもアンタ、事を荒立てないって」
「うん、申し出たのは先方。会って謝罪がしたいんだそうだ。学校で会うのは学校側の希望」
「…………。ねぇ、それってひかるも来るの?」
「ん? んー、どうだろう。来ない可能性が高いんじゃないかな? 俺に会いたくないだろうし」
「ひかる、ケータイの電源切ってんのよね……」
「え、まだ連絡取れてないのか?」
「だから、学校で会えるんなら会っときたい。なんか心配だし」
「家には?」
「行った、昨夜と今朝、でも会ってくれなかったわ。ひかるって浮き沈みの激しい子だから、機嫌損ねて引きこもる事はわりとあるんだけど、こうも音沙汰無いのは初めてかも。何かあった時、いつもなら、すぐアタシに泣き付いて来るのにさ。……かなり不安だわ」
「不安……」
ナツさんは随分と水沢の事を気に掛けているようだ。それはもちろん友達思いだからだという事は分かっている。しかし、二日会えなかったぐらいでそこまで心配するのは、やや過保護ではないだろうか。例えば、俺が二、三日ミケに会えなかったとしても、淋しくはあるが、彼女の身を案じたりはしないと思う。幼い子供ならともかく、もう自分で大抵の事は出来る年齢なのだから。しかし、今のナツさんは、水沢に会えない事をとても不安がっている。まるで、子供が心配で目が離せない母親の様に。
「……あのさ、これ、答えなくてもいいんだけど、訊いていい?」
「何よ、その変な言い回し」
「水沢って、自殺を図った事ある?」
「ッッッ!?」
ナツさんの驚愕の表情。
その反応だけで伝わってきた。
「……なん、で?」
「すまない、軽々しく訊いていい事じゃなかった」
「いいからっ! なんでそう思ったか訊いてるのっ!」
「ナ、ナツさんの心配の仕方がちょっと過剰気味に思えたんだ。あと、その……俺が通ってる病院の先生に、嫌な話を聞いてしまって。えっと、水沢みたいな子は、自殺してしまう可能性があるって……」
「ちょ、ちょっとアンタ……ひかるの事、医者に話してんの?」
「も、もちろん個人が特定出来るような話し方はしてないぞ?」
「だとしても、それって、ひかるの事を精神科医に分析させたって事でしょ? 本人を無視してさ。そんなんありなわけ?」
「それは……返す言葉も無いよ……。自分でも解かってはいるんだ、『俺にそこまで踏み込む権利なんて無い』って、『必要以上に関わるべきじゃない』って。けど、どうしても考えてしまうんだよ、『何か俺に出来る事があるんじゃないか』って。ま、まあ、水沢からすれば、余計なお世話以外の何物でもないんだろうけどさ……。それでも、なんて言うか……俺と水沢って、結構重なる部分があって……だから俺達が出会った事には、何か意味があるように思えて……」
「…………」
「つまり、何が言いたいかというと、俺は決して軽々しい気持ちで……えと、ナツ……さん?」
俺が弁解を繰り広げていると、いつの間にかナツさんが、冷ややかな視線をこちらに向けていた。やはり、先生達に水沢の事を話したのは、軽率だったか。せっかく得たかも知れなかったナツさんの信用を、早くも失ってしまったかも知れない。
「結局はそういう事か……」
ナツさんは、呆れたような声でそう言った。表情にも落胆の色が見える。
「ようするに、アンタもひかるにホレたクチなのね」
「ホレッ!?」
予想に無い解釈をされていた。
「ま、ひかるはかなり可愛いからね、別におかしかないわ。結局アンタってムッツリだったわけね」
「なんでそーなんのっ!?」
「いい人ぶってたけど、所詮下心だったんだ」
「誤解だっ!」
「言っとくけど、ひかるってすげーモテんのよ? アンタなんて相手にされないって」
「そ、そんなのは言われなくても……」
「それにね、昨日あたしと一緒に居た男子。確かにひかるのカレシって訳じゃないけど、なんの関係も無いって訳でもないのよ」
「……え?」
「だ、だからっ、ひかるにはそーゆー男友達が結構いるって事っ!」
「…………」
それっていわゆるセフレ?
つまり、水沢には無軌道な性行動があるって事か……。
「ナツさん、それって敢えて言う必要あったか……?」
少なからず驚いた。
ナツさんが、水沢のネガティブ・キャンペーンをするとは思いもよらなかったからだ。
「あっ、う……。……そう、よね……アタシ、なんで……」
今のナツさん、もしかしたら冷静じゃなかったのかも知れない。
でもそれはひとまず置いといて。
今の話が本当なら、やはり水沢は……。
「なあ、さっきの質問、やっぱり答えてくれないか?」
「さ、さっき?」
「水沢は自殺を図った事があるのかってやつ」
「ッ……そ、それは……」
「反応からして、あると解釈したんだけど」
「ち、違う違うっ! じ、実際にした事は無いわっ」
「実際に?」
「…………。……ほのめかすのよ。アタシ、今まで何度も説得して止めてきた……」
「そうか……。なら、酒やタバコは? 変なクスリとかは?」
「ちょっとちょっと、一体何が聞きたいわけ?」
「水沢って、自己愛に欠けてはいないか? 自分を大切にしないというか、出来ないというか」
自己愛の欠如。
それは高井先生が危惧していた、境界例の特徴。
「よ、よく分んないんだけど……。でも……そうね、確かにひかるには時々、『自分なんかどうでもいい』みたいな言動があるわ」
「マジか……。じゃあ、友達との付き合い方とかは? 対人関係は良好か?」
「な、なんなのよ、もう……。男子には人気あるけど、女子からは敬遠されがちよ。ひかる、気分屋でヒス持ちだから。……アタシはひかるの事解ってるから気にしないけど、他の女子とは確執が出来易いの」
「ヒス持ち……」
昨日もそんな事を言っていたな。多分、医学的な意味でのヒステリーではないだろう。この場合「激情的」だとか、「癇癪持ち」を指していると思われる。その所為で、対人関係が不安定になっているようだ。
聞けば聞くほど、高井先生から教わった境界例の特徴に当てはまる。もちろん、素人の俺が判別できる事ではないが、先生が言ったように、疑いがあるというだけでも専門家に診せるべきだ。何しろ、自殺してしまう可能性があるのだから。
これは、失礼を承知で水沢の父親に進言した方がいい。仮に思い過ごしだったとしても、俺がただはた迷惑な奴になるだけ。見過ごして水沢に自殺される事だけは、絶対に避けなければならない。
(……って、水沢の父親に進言?)
それは……どういう事になる?
水沢がそうなった原因が母親の死にあるとして、そこに父親が関与していたとしたら?
只の憶測と切り捨てる事が、今の俺には難しい。中途半端に得てしまった情報の所為で、会った事もない水沢の父親に信用が持てなかった。
――チカラには疑問を持ちなさい。
……美作先生の懸念通りの状態に陥りつつあるのかもしれない。
「……なばっ、ちょっと因幡っ! ちゃんと教えなっ、だからなんだっていうの!?」
「え? あっ……」
「聞いてんの!? 一人で考え込まないでよ! ひかるの事、アタシにも教えなさいっ!」
しまった、ナツさんをほったらかしにして思考に没頭していた。質問するだけしておいてそのままにされたんじゃ、彼女が納得いかないのも当然だ。しかし、どう説明すればいいのだろう。何も確定していないのに話だけ聞かせても、結局納得しないのではないだろうか。
「その、なんて言えばいいか……、……ん?」
「何よっ!?」
ビイイイイイィィィィィ……
「ッ!? き、来たっ!」
「へ? 誰が?」
耳鳴りのような音。
その微かな音に気付いた瞬間、俺はすぐさまアーケード街の雑踏へと目を向ける。パッと見、目的の人物は見当たらない。俺は背伸びしながら、あの横町への曲がり角付近を目で探した。すると……
「居たっ、水沢さんっ!」
「え? ひかる?」
……チラッとだけ、あの女性らしき姿が、角を曲がって行く様子を目にした。
「ナツさん、急で悪いんだけど用事ができた。ゴメン、俺行くから、じゃっ!」
「じゃって、ちょっと……!?」
俺は、唐突に話を打ち切って、駆け出すのだった。
次回は、序盤にチラッと出てきた、アイツが登場します。……やっぱりチラッとですが。