表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/32

time to believe now 13

前半部はほぼ無意味なシーンですね。ナツさんが、伏線らしき発言をしますが、このエピソード中の回収はありません。

 一月三十日 日曜日 日中午前




「さ、寒すぎる……」


 日曜日。

 非常に寒い日曜日。

 いや、異常に寒い日曜日。

 見上げた空は雲一つ無く、風もピタリと凪いでいた。

 故に起こった放射冷却。

 今朝の最低気温はこの冬一番で、日中もそのまま気温は上がらず、摂氏零度に届かないという。この地域においては、実に五年ぶりの真冬日だ。――こんな日は暖房の効いた部屋に閉じこもっていたい、日曜日なのだから出来ない事ではない……というのに俺は外に居た。

 寒い寒い日曜日の朝、かれこれ三時間、俺は外をうろうろしているのだ。


(居ないな、水沢のお母さん……)


 ここはすっかりお馴染みになってしまった、アーケード街のあの横町付近。

 目的は、言うまでもなく水沢の母親。

 俺は昨日に引き続き、彼女を探していたのだった。

 今日は、午後一時から、水沢の父親に会う予定となっている。それまでに、もう一度水沢の母親に会えないかと思い、朝から捜索していた。探す理由は……とにかく何か情報が欲しかったのだ。

 昨晩、俺は父さんに全てを話した。病院の時とは違って、包み隠さず全部をだ。葉山ことりの件もあって、父さんは俺の話を真摯に聞いてくれた。そして、その話自体は信じてくれた。しかしながら、現時点で何も出来る事は無いという――




「――志朗の見た“ビジョン”? が、真実だとしても、その内容に『水沢さんのお母さんが殺された』という事を指し示すものは、何も無いよ。いや、そもそも殺されたと考える事自体、早計だね。人目に付かない場所で事故死し、そのまま発見されていない可能性もある。それにね、志朗、この話には根本的な問題があるんだ。何よりもまず、水沢さんのお母さんの死亡が証明出来ない。まあ、その……幽霊、に……なってる? 訳だから、亡くなっているのだろうけど、それは志朗にしか証拠となり得ない事なんだよ。法的な死というのは便宜上のもので、やはり遺体があって初めて死亡が確定する。志朗の話だけでは、水沢さんのお母さんの死を認める訳にはいかない。どんなに僕が君の事を信じていても、警官としての僕には、今の段階で出来る事は無いんだ――」




 ――つまり、事の真相を暴く前に、まず、水沢の母親の死亡を指し示す、客観的な証拠が必要だった。

 俺一人だけが確信していてもしょうがない。

 俺一人だけが真相に辿り着いても意味が無い。

 それでは、ただの自己満足で自己完結だ。

 水沢の母親は、きっと何らかの望みを俺に託した筈。そこには俺に出来る事が何かある筈。しかし、今までの情報じゃ足りない。これでは真実に辿り着けない。俺は一体何をすればいいのか、何かそれを明確にしてくれるものを示して欲しい。


「はぁ、駄目だ、居ない……」


 そう願いながら、始めに出会った場所と昨日のホテルの間を、幾度か往復したが、未だ、水沢の母親の姿を確認する事は出来ていなかった。

 今の時間は午前十一時。こんな寒空の下でも日曜日の商店街は賑わう。朝に比べて多くなった人波の中から、人一人を探し出すのは難儀になりつつある。昨日のように、葉山ことりが何かを示してくれるのではと期待したりもしたが、今のところ彼女も現れない。俺の身体もいい加減冷えすぎて、震えがきている。


(仕方ない、今日はもう諦めるか、この後用事もあるしな。……いや、少し休んでから、もう一度だけホテルの方まで行ってみよう。それで丁度、約束の時間に合いそうだ。そうと決まれば……)


 何か温かいものを口にすべきと考え、辺りの店を物色する。

 ちょっと早いが昼食を摂るのもいい。

 そして俺は、目の前の立ち食いそば屋で即決した。安いしお手軽だ。見れば、ぼちぼち客も入っている。この寒さだと衝動的に食べたくなるのかもしれない。開店直後のその店はすでに賑わいを見せていた。

 俺も誘われるように暖簾をくぐる。


「いらっしゃいませっ」


 実は初めて利用する店。自宅の近くに贔屓にしている店がある為、他のそば屋はほとんど利用していないのだ。

 俺は軽く緊張しつつ店内を観察した。思ったよりも広い。別に立ち食いじゃなくてもいいのではないだろうか。やけに高いテーブルで、無理やり立たされているかのように見えてしまう。そこが醍醐味なのかもしれないけど。

 ひとまず、暖房の効いた店内で人心地は付けた。どうやら食券方式のようなので、販売機の前へと足を運ぶ。品揃えは多い、トッピングが違うだけで味にそう違いはないのだろうが、これだけあると迷ってしまう。


「ん?」


 メニューを端から順に眺めていると、ある表示に目が留まった。


《七草?そば》


 このクエスチョンマークは一体……。

 七草とは春の七草の事だろうか。人日の節句はもうとっくに過ぎているから、時事的にはズレたメニューだ。いや、お粥じゃなくて蕎麦だから関係無いのかも知れない。そもそも、クエスチョンマークが付いているのだから、春の七草ではない可能性が高い。

 ひどく興味がそそられた。美味しそうかどうかではなく、敢えてクエスチョンマークを付けている理由が知りたくなった。


「…………」


 チャリンチャリン……ピッ


 硬貨を食券販売機に投入して、ボタンを押した。

 もう後戻りは出来ない。

 俺はカウンターに居たお兄さんに食券を渡す。


「これ、お願いします」


「はい、かしこまりました……え? な、七草そば一丁っ!」


 今、「え?」って言わなかったか? 

 もしかしてやってしまっただろうか……。

 だがもう遅い、覚悟を決めよう。


「お、お待たせしましたー、七草そばです」


 流石は立ち食いそば屋だ。ほんの二、三分で出てきた。

 はてさて、どんな蕎麦なのかな。


(ネギ、のってるな……)


 早くも春の七草ではなかった。いや、ネギはどんなトッピングでも付いてくるから、正味には数えないのかもしれない。見た感じは緑一色だし、まだ春の七草である可能性は残って……


(……って、この匂いパクチーじゃん)


 春の七草はそれほど香りを主張しない。主に香り立つのはセリかな。後は、スズナとスズシロ(カブの葉とダイコンの葉)の軽い青臭さぐらいだろう。いずれにしろ、香草のように、好き嫌いが分れるような匂いは放たない。


(ん? これってルッコラか?)


 原形を残したままの葉っぱを発見した。パクチーがある以上、コイツに味の主張は無理だな。というか他全部無理だろ。この蕎麦はパクチー味だ。


「…………。……いただきます」


 いつまでも観察していたら、蕎麦がのびてしまう。幸い、パクチーは苦手という程ではないので、食べられなくはないだろう。


「ふー、ふー、ずるずるずるずる……」


 ネバネバがあるな、モロヘイヤか?

 確信は無いが、セロリとミツバも居る気がする。

 あとは……


「……んくっ」


 ツーンと来た、もしやワサビの葉か?

 しかも何か口の中がスースーする、ミントじゃないだろうな。


(これ、ある意味凄いかも……)


 出汁の香りが全くしない。

 醤油の香りが全くしない。

 蕎麦の香りが全くしない。

 俺は今、一体何を食べているのだろう。


「……ずるずる……ずるずる……ンク。うっ、ケホッ。ふぅ……ズズズズズ……ゴクン。ぷはぁ……」


 俺は黙々と食べた。

 黙々ともぐもぐした。

 目目連は目玉だけの妖怪だ。

 ろくろくびもほくほくだな。


「――ハッ」


 思考が解体している。イカン、気をしっかりと持って食さねば。


「ングングングング……ゴックン。ふーーー……うぷ」


 心を無にして一気に平らげる。そしてすぐさま、空になった器を返却口へと持って行った。


「ごちそうさまでした」


 返却口の向こう側で、さっき俺の注文を受けたお兄さんが洗い物をしていたので、一声かける。


「あ、あざーしたぁ……」


「あの……」


「は、はい、何か?」


「ミントだけはやめた方がいいと思います」


「で、ですよね~……」


 お兄さんの苦笑に、愛想笑いで応えてから店を出た。

 そして、店先にあった自販機をロックオン。迷い無く財布から硬貨を取り出して、流れるような手つきで投入。間髪入れずに、好物であるミルクココアのボタンを押したら、フライング気味に取り出し口へと手を伸ばす。手にした缶の熱さも気にせずにプルタブを上げ、すかさず口を付けたのだった。


「ズズズ……ふ~~」


 え?

 あの香草ちゃんぽん蕎麦の感想?

 好奇心は猫をも殺す。


 ガラガラガラ……


 俺が店先でココアを飲んでいると、店内から高校生と(おぼ)しき女の子が出て来た。女子高生もこういう店を利用するんだな。


「……好奇心は猫をも殺すってヤツね……」


「え?」


 俺がついさっき頭に浮かべた文言を、その女の子が呟いた事に驚き、思わず彼女の顔に目を向けた。相手もこちらに顔を向けた為、互いに視線を絡める形となる。


「あ」


「あ」


 見知った人だった。

 初見は先週の月曜日で、認識したのはつい昨日。

 キレイなロングヘアーが印象的な彼女。


「ナツさんか」


「因幡じゃん」


 それは伊波千夏。

 水沢ひかるの親友を称する女の子。


「居たんだな、気付かなかったよ」


「てことは、アンタも居たんだ。……あ、ねえ、それ一口くんない?」


「それって……これ?」


「うん」


 出会うなり、いきなり俺の飲みかけを所望するナツさん。

 実質、昨日知り合ったばかりの相手と回し飲み? 

 しかも異性同士で? 

 ドキドキなんてしてませんよ?


「……はい」


「サンキュ。ングング……」


 彼女は躊躇う事無くココアを(あお)る。

 俺が意識し過ぎなだけなのか?


「ふぅ……なんとか消えたわ」


「消えた?」


「うん、ちょっと変なモン食べちゃってさぁ」


 それって、もしかして……


「……『七草?そば』だったり?」


「え? そうっ、そうなのよ! なになに? もしかして因幡も食べた?」


「ああ。クエスチョンマークが気になってつい」


「だよねだよねっ! アレは気になるよねっ! もうアタシ、チャレンジャースピリットが刺激されちゃってさぁ、これはいくしかっ……て感じ? 地雷でもネタになりそうだったし」


「で、正しく地雷だったと」


「キツかった~。もうアレだね、おソバの味じゃないよね、有り得ない匂いだったし、なんかネバってたし、しかも鼻にツーンってくるし。なんの罰ゲームだっつーの。あんなん売るなっつーの」


「でも食べた?」


「そこもやっぱチャレンジャースピリットでしょ。アレって絶対店側からの挑戦じゃん? 食えるモンなら食ってみろってさ。アタシ、そーゆー事されると火が点くんだよねぇ。汁一滴残さず完食してやったわっ。アンタは食べれた?」


「俺もキツかった~。でも勿体ないから、なんとか平らげたよ」


「あんなのちっとも勿体なくなんてないわよ。アタシら、もしかして残飯処理させられたんじゃないでしょーね。……うっわ~、改めて考えてみると心配になってきた。だってアレ、食べ物のニオイとは思えなかったもん。ひょっとしてヤバくない?」


「その心配はないと思うぞ。それぞれが独特の風味を持つ香草だったから、互いにケンカしまくってたんだよ」


「え? アンタ、アレに何入ってたか判んの?」


「多分、パクチー、ルッコラ、モロヘイヤ、セロリ、ミツバ、ワサビ、ミントだと思う。あとネギ」


「すごくない? ワサビはあると思ってたけど、それ以外は判んないわよ。あ、スースーしてたのはミントか。んじゃ、あのキツいニオイって、いろんなんが混じった所為なわけ?」


「いや、あの匂いは、ほぼパクチーだな。そこは間違いない」


「ぱくち?」


「あれ、知らない? ……えっと、コリアンダー?」


「あっ、コリアンダー知ってる! ひかるがカメムシ臭いって言ってたやつだ……って、そうじゃん! アレ、カメムシのニオイじゃん! うげ~、そう思ったら不快指数倍増~」


「好き嫌いの分れる代表だよな。俺、パクチー自体はそうでもないんだけど、後から来るミントがな~」


「アレが平気とか、どこの星のヒト? アタシはトラウマになったかも……。う、思い出したらまた気持ち悪くなってきた。ングングング……プハァ……あ、ごめぇん因幡、大分飲んじゃった」


「ああ、いいよ、全部あげる」


「え、でもアンタ、ちょびっとしか飲んでなかったじゃん」


「口直ししたかっただけだから」


「あ、もしかして、アタシが口付けたから? 因幡ってそういうの気にするヒト?」


「べ、別に気にしないけど。寧ろそっちが気にするんじゃない? 女子なんだし」


「あー、さっきはそれどころじゃなかったからねぇ、とにかく口直ししたかったのよ。……そっかぁ、アタシ、アンタと間接キ……」


「皆まで言うなっ!」


「あれあれ~? なになに~? やけに過剰な反応じゃ~ん。実はずっと意識してた~?」


「あっ……。ち、違くてっ、だって知り合ったばっかで……その、なんだ、異性だし? じゃなくてっ」


「あーらら、焦っちゃってまあ。……因幡ってムッツリ?」


「なんでだよっ!?」


「だって、話してる間、ずっとチューの事考えてたんでしょ?」


「考えてないっ!」


「思い返してみると、アンタずっと唇を尖らしてた気が……」


「そんな訳あるかぁぁぁっ!」


「キャハハハハ……」


 やけに会話が弾む。トラやミケ以外の人間とこんな気楽に話せた事なんて、殆んど覚えが無い。なんとも新鮮な気分だった。これが「七草?そば」のお蔭だというのなら、あの苦行は無駄では無かった訳だ。


「ふぅー、なんか因幡って、やたら話し易いわね。打てば響くって言うかさ。孤立してるような奴だから、てっきり暗い性格なのかと……て、あーっと、ごめん」


 どうやらナツさんは、歯に衣着せないタイプのようだ。でも、陰でグチグチ言われるよりは、こちらの方が遥かに好感が持てる。


「いや、俺の方も、ナツさんってキツい人のイメージだったから、こんなに気楽に話せるなんて意外だよ」


「……まあ、ひかるの事があって敵視してたからね。それに、噂からはアンタがこんな人柄だなんて、想像もつかなかったわよ。何しろ……、……ッ」


「ん? 何しろ?」


「……なんでもない」


「……うん、まあ、だいたい分かるよ、自分が学校のみんなからどう思われているかは」


「もしかして、サイト、見ちゃった……?」


「サイ……ト?」


「え? あっ、ヤバッ」


 サイト……。

 文脈からすると、俺に関するサイトが存在するって事か? 

 いや、ちょっと待て、それはさすがに……。


「あ、あの、それってどんな……」


「因幡っ!」


「わっ」


「口滑らせたアタシが言うのも何だけど、気にすんなっ!」


「…………」


 本当に何だな。

 でも確かに、そういうのは気にしないに限る。

 気にしてもしょうがない。


「分かった、気にしない」


「絶対よ? 探したりとかしちゃ駄目だかんね? あんなのに踊らされるなんて、馬鹿みたいなんだから」


「探さないよ。良い事なんて一つとして無さそうだしさ」


「そう……。その、ゴメン」


「ん?」


「アタシも踊らされてるクチなのに、勝手な事言っちゃって……」


 彼女は本当に申し訳無さそうな面持ちだ。


「…………。さっき、俺を敵視してたって言ってたけど」


「え? あ、それもゴメン……」


「『してた』って事は、今はしてない?」


「……うん、アンタ、思ってたのと全然違ったからさ……まだちょっとしか話してないけど、因幡っていい人っぽいし」


 ……これって、チャンスだったり?


「じ、じゃあさ、その、俺と、と、と、とも……」


「え?」


「あ、いや……」


 本当は言いたかった。

 「友達になって欲しい」と。

 だけど言えなかった。

 彼女であれば承諾してくれそうな気配ではあるが、そうなったらなったで、彼女の学校生活に何らかの支障を来すかもしれない。


「その……」


 察するに、その妙なサイトには、俺の事がかなり陰惨にかき込まれている模様。そんな俺と付き合いがあると、煽りを食う可能性がある。そこに思い至ってしまっては、鼻白んでしまうのも仕方ないと思う。


「ええと……」 


 ……言い訳かな?

 単に俺がヘタレで気後れしてるだけ? 

 うーん、いっそここは強気に……


「……なんでもない」


「は?」


 ……行けませんでした。やっぱりヘタレでした。


「あ、はは……。で、でも驚きだよ、徳英に裏サイトが存在してるなんてさ。未だに? って感じだ」


「……あれって元々、試験のヤマとか、抜き打ちとかの情報を、交換する為のスペースだったの。誰が起ち上げたかは知らないけど、最初は特に問題のない、ごく小さいコミュだったみたい。でも、いつの間にか利用者が増えて、だんだん荒れてきたんだ」


「そして学校裏サイト化した、と」


「…………。……ううん」


「え、違う?」


「そのサイトさ……。……ダメ、やっぱダメだ」


 何を思い直したのか、ナツさんは一番気になるところで話を切ってしまう。


「あのさ、絶対に気になってると思うけど、この話、忘れて? その代わりアタシ、なんとかしてみるから」


「なんとかって……え? 何? よく、解んないんだけど……」


「閉鎖させんのよ。……こんなこと言っても説得力無いだろうけど、アタシもずっとアレはどうかと思ってたのよね。直接自分に関係無かったから見て見ぬふりしてたんだけど、こうやって実際にアンタと話をしたら、なんだか罪悪感がさ……」


 ど、どれほどの事が書き込まれているのだろうか。

 激しく気になるし、激しく怖い。


「全部がアレの所為とは言えないけど、アタシのアンタに対する、その……偏見? はアレが元だし」


「…………」


 ちょっと待ってくれ。それじゃあ、現在の俺の学校内における境遇は、そうなる様に何らかの意思が働いているという事にならないか?

 それは信じ難い……いや、信じたくない。


「でもでもっ、心配しなくていいから。あんなの、ちょっとチクればソッコーで閉鎖よ。因幡は何も気にせず今まで通りで、ね?」


 ナツさんから聞かされなければ「知らぬが華」状態だったんですが……。

 唐突に衝撃的事実を告げられて、頭の中が飽和状態だ。それでなくても、水沢の母親の件で頭を酷使しているというのに。

 まあ、だとしても……


「ありがとう、そんなに気に掛けて貰えて嬉しいよ。どうかお願いします」


 ……知り合ったばかりで、しかも最初は険悪ですらあったというのに、ナツさんは俺の為に骨を折ってくれるという。ここは素直に感謝を示すべきと考え、俺は軽く頭を下げた。


「え? あ、ま、まかしといて……」


 なんとも思わぬ展開になったものだ。

 「七草?そば」とのギャップが凄い。

 そして、伊波千夏の今の印象と第一印象のギャップも。


「……水沢の親友、か……」


「え、なんて?」


「あ、ううん」


 最初にキツい子と思えたのは、彼女が水沢の為に怒っていたからか。大切な親友を心配していたから、俺を害有りと見なしたんだな。今はもう解る、ナツさんはとても良い人だ。


「ちょっとちょっと、なに生(ぬる)い視線よこしてんのよ。アンタ、やっぱムッツリ?」


 しまった、不躾に見つめてしまっていた。……しかも生温かった?


「いやいやいや、あー、あの、そう、それ! ナツさん部活?」


 とにかく目に付いたナツさんのスポーツバッグを指差して、大きく話を変える。我ながらかなり不自然だった。


「これから? 時間平気?」


「なんか誤魔化してない?」


「あ、もしかして部活と違う? それとも、もう終わったとか?」


「……午後からよ、午前中はちょっと買い物してたの。もう少し時間を潰したら行くわ」


 ふぅ、どうにか話が変わったな。……その代わり、不信を買ったかもしれないけど。


「そういう因幡は? 制服って事は学校行くんでしょ? そっちも部活なの?」


「いや、俺は……」


 ナツさんなら構わないか。


「……水沢の父親に、一時から会う事になってるんだ」


「えっ、ひかるの? なんで……あ、一昨日の事か」


「そう」


「でもアンタ、事を荒立てないって」


「うん、申し出たのは先方。会って謝罪がしたいんだそうだ。学校で会うのは学校側の希望」


「…………。ねぇ、それってひかるも来るの?」


「ん? んー、どうだろう。来ない可能性が高いんじゃないかな? 俺に会いたくないだろうし」


「ひかる、ケータイの電源切ってんのよね……」


「え、まだ連絡取れてないのか?」


「だから、学校で会えるんなら会っときたい。なんか心配だし」


「家には?」


「行った、昨夜と今朝、でも会ってくれなかったわ。ひかるって浮き沈みの激しい子だから、機嫌損ねて引きこもる事はわりとあるんだけど、こうも音沙汰無いのは初めてかも。何かあった時、いつもなら、すぐアタシに泣き付いて来るのにさ。……かなり不安だわ」


「不安……」


 ナツさんは随分と水沢の事を気に掛けているようだ。それはもちろん友達思いだからだという事は分かっている。しかし、二日会えなかったぐらいでそこまで心配するのは、やや過保護ではないだろうか。例えば、俺が二、三日ミケに会えなかったとしても、淋しくはあるが、彼女の身を案じたりはしないと思う。幼い子供ならともかく、もう自分で大抵の事は出来る年齢なのだから。しかし、今のナツさんは、水沢に会えない事をとても不安がっている。まるで、子供が心配で目が離せない母親の様に。


「……あのさ、これ、答えなくてもいいんだけど、訊いていい?」


「何よ、その変な言い回し」


「水沢って、自殺を図った事ある?」


「ッッッ!?」


 ナツさんの驚愕の表情。

 その反応だけで伝わってきた。


「……なん、で?」


「すまない、軽々しく訊いていい事じゃなかった」


「いいからっ! なんでそう思ったか訊いてるのっ!」


「ナ、ナツさんの心配の仕方がちょっと過剰気味に思えたんだ。あと、その……俺が通ってる病院の先生に、嫌な話を聞いてしまって。えっと、水沢みたいな子は、自殺してしまう可能性があるって……」


「ちょ、ちょっとアンタ……ひかるの事、医者に話してんの?」


「も、もちろん個人が特定出来るような話し方はしてないぞ?」


「だとしても、それって、ひかるの事を精神科医に分析させたって事でしょ? 本人を無視してさ。そんなんありなわけ?」


「それは……返す言葉も無いよ……。自分でも解かってはいるんだ、『俺にそこまで踏み込む権利なんて無い』って、『必要以上に関わるべきじゃない』って。けど、どうしても考えてしまうんだよ、『何か俺に出来る事があるんじゃないか』って。ま、まあ、水沢からすれば、余計なお世話以外の何物でもないんだろうけどさ……。それでも、なんて言うか……俺と水沢って、結構重なる部分があって……だから俺達が出会った事には、何か意味があるように思えて……」


「…………」


「つまり、何が言いたいかというと、俺は決して軽々しい気持ちで……えと、ナツ……さん?」


 俺が弁解を繰り広げていると、いつの間にかナツさんが、冷ややかな視線をこちらに向けていた。やはり、先生達に水沢の事を話したのは、軽率だったか。せっかく得たかも知れなかったナツさんの信用を、早くも失ってしまったかも知れない。


「結局はそういう事か……」


 ナツさんは、呆れたような声でそう言った。表情にも落胆の色が見える。


「ようするに、アンタもひかるにホレたクチなのね」


「ホレッ!?」


 予想に無い解釈をされていた。


「ま、ひかるはかなり可愛いからね、別におかしかないわ。結局アンタってムッツリだったわけね」


「なんでそーなんのっ!?」


「いい人ぶってたけど、所詮下心だったんだ」


「誤解だっ!」


「言っとくけど、ひかるってすげーモテんのよ? アンタなんて相手にされないって」


「そ、そんなのは言われなくても……」


「それにね、昨日あたしと一緒に居た男子。確かにひかるのカレシって訳じゃないけど、なんの関係も無いって訳でもないのよ」


「……え?」


「だ、だからっ、ひかるにはそーゆー男友達が結構いるって事っ!」


「…………」


 それっていわゆるセフレ? 

 つまり、水沢には無軌道な性行動があるって事か……。


「ナツさん、それって敢えて言う必要あったか……?」


 少なからず驚いた。

 ナツさんが、水沢のネガティブ・キャンペーンをするとは思いもよらなかったからだ。


「あっ、う……。……そう、よね……アタシ、なんで……」


 今のナツさん、もしかしたら冷静じゃなかったのかも知れない。

 でもそれはひとまず置いといて。

 今の話が本当なら、やはり水沢は……。


「なあ、さっきの質問、やっぱり答えてくれないか?」


「さ、さっき?」


「水沢は自殺を図った事があるのかってやつ」


「ッ……そ、それは……」


「反応からして、あると解釈したんだけど」


「ち、違う違うっ! じ、実際にした事は無いわっ」


「実際に?」


「…………。……ほのめかすのよ。アタシ、今まで何度も説得して止めてきた……」


「そうか……。なら、酒やタバコは? 変なクスリとかは?」


「ちょっとちょっと、一体何が聞きたいわけ?」


「水沢って、自己愛に欠けてはいないか? 自分を大切にしないというか、出来ないというか」


 自己愛の欠如。

 それは高井先生が危惧していた、境界例の特徴。


「よ、よく分んないんだけど……。でも……そうね、確かにひかるには時々、『自分なんかどうでもいい』みたいな言動があるわ」


「マジか……。じゃあ、友達との付き合い方とかは? 対人関係は良好か?」


「な、なんなのよ、もう……。男子には人気あるけど、女子からは敬遠されがちよ。ひかる、気分屋でヒス持ちだから。……アタシはひかるの事解ってるから気にしないけど、他の女子とは確執が出来易いの」


「ヒス持ち……」


 昨日もそんな事を言っていたな。多分、医学的な意味でのヒステリーではないだろう。この場合「激情的」だとか、「癇癪持ち」を指していると思われる。その所為で、対人関係が不安定になっているようだ。

 聞けば聞くほど、高井先生から教わった境界例の特徴に当てはまる。もちろん、素人の俺が判別できる事ではないが、先生が言ったように、疑いがあるというだけでも専門家に診せるべきだ。何しろ、自殺してしまう可能性があるのだから。

 これは、失礼を承知で水沢の父親に進言した方がいい。仮に思い過ごしだったとしても、俺がただはた迷惑な奴になるだけ。見過ごして水沢に自殺される事だけは、絶対に避けなければならない。


(……って、水沢の父親に進言?)


 それは……どういう事になる?

 水沢がそうなった原因が母親の死にあるとして、そこに父親が関与していたとしたら?

 只の憶測と切り捨てる事が、今の俺には難しい。中途半端に得てしまった情報の所為で、会った事もない水沢の父親に信用が持てなかった。


 ――チカラには疑問を持ちなさい。


 ……美作先生の懸念通りの状態に陥りつつあるのかもしれない。


「……なばっ、ちょっと因幡っ! ちゃんと教えなっ、だからなんだっていうの!?」


「え? あっ……」


「聞いてんの!? 一人で考え込まないでよ! ひかるの事、アタシにも教えなさいっ!」


 しまった、ナツさんをほったらかしにして思考に没頭していた。質問するだけしておいてそのままにされたんじゃ、彼女が納得いかないのも当然だ。しかし、どう説明すればいいのだろう。何も確定していないのに話だけ聞かせても、結局納得しないのではないだろうか。


「その、なんて言えばいいか……、……ん?」


「何よっ!?」


 ビイイイイイィィィィィ……


「ッ!? き、来たっ!」


「へ? 誰が?」


 耳鳴りのような音。

 その微かな音に気付いた瞬間、俺はすぐさまアーケード街の雑踏へと目を向ける。パッと見、目的の人物は見当たらない。俺は背伸びしながら、あの横町への曲がり角付近を目で探した。すると……


「居たっ、水沢さんっ!」


「え? ひかる?」


 ……チラッとだけ、あの女性らしき姿が、角を曲がって行く様子を目にした。


「ナツさん、急で悪いんだけど用事ができた。ゴメン、俺行くから、じゃっ!」


「じゃって、ちょっと……!?」


 俺は、唐突に話を打ち切って、駆け出すのだった。

次回は、序盤にチラッと出てきた、アイツが登場します。……やっぱりチラッとですが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ