time to believe now 1
あの日から半年、ようやくここに参加する余裕が出てきました。日常が戻ってきた感じです。余裕がある人はどうぞ読んでいって下さいな。
―time to believe now―
誰にも見えないものが見えた時。
誰にも聴こえない音が聴こえた時。
人はその存在を信じる事が出来るだろうか。
自分にしか見えないもの。
――ねえ、今の見た?
――いいえ。
自分にしか聴こえない音。
――なあ、今の聴こえた?
――ううん。
そう言われてしまっては、思う事は決まって――気のせいか。
本当に存在しているものでも、本当に存在している音でも、自分以外みんなが否定してしまえば、その存在を信じる事はとても困難になってしまう。
――本当に見えたんだ。
――本当に聴こえたんだ。
そう訴えても返ってくるのは、心配、怪訝、酷い時には無視。
みんなにそんな態度を取られればやっぱり――気のせいか。
自分一人にしか認識できない事を信じる人間。
そんな人間を周りはどう捉えるだろう。
――どうして信じてくれないの!
――嘘なんかじゃない!
そんな強い訴えに返ってくるのは、非難、恐怖、そしてとうとう迫害。
こうなればもう信じられないのは自分自身。
自分の目を疑って、自分の耳を疑って、ついにその存在を否定する。
誰にも見えないのだから存在しない。
誰にも聴こえないのだから存在しない。
自分には見えるけれども。
自分には聴こえるけれども。
それは視覚に異常を来しているからだ。
それは聴覚に異常を来しているからだ。
そして――
それは精神に異常を来しているからだ。
誰にも見えないものが見えた時。
誰にも聴こえない音が聴こえた時。
人はその存在を信じてはいけない。
お話は次からです。