5 侯爵家の夜会にて
身辺を綺麗にして、誠実な対応をしたつもりのデニッシュは何も恥ずかしい事などないと言わんばかりの態度で、一人で夜会に現れた。
初めての夜会でもないので、周囲の人々は彼とエクレアの婚約関係を知っていた。
よって彼が夫人の可愛いエクレアを連れていない事に気付いた周囲の人々がさわさわ注目していたが、デニッシュは胸を張って夫人の元へ挨拶に向かった。
あまりにも堂々としていたので、エクレアは急な用事……体調不良などで顔を出せなくなったのだろうかと、周囲は思った。
パートナー同伴の夜会に堂々と一人で現れるのはマナー違反だが、婚約者以外と踊らないという意思表示ならばいっそ潔い。普段からエクレアに強気でちぐはぐな印象を受けていたが、彼も婚約者を大事にする男だったのか……など思われたのは数分。
挨拶を受けた夫人は、訝しげにデニッシュを見た。
「わたくしのエクレアは一緒でないの?」
欠席ならば、連絡が来るはずだ。
エクレアは(流石に)可愛がられている自覚があるので、約束を果たせないときは夫人が不安にならないよう、いつも連絡をくれる。
それがないのに、姿が見えない。
嫌な予感を扇子で隠し、自分が選んだ一番お勧め度の低い男を一瞥した。
しかし彼は何を勘違いしているのか、いつも自信満々に胸を張る。
今日も堂々と、伯爵令息にしては尊大に、こう言った。
「彼女は侯爵令嬢を名乗る詐欺師でしたので、もう二度と夫人の前に顔を出せないよう処分して参りました」
自信のある声には張りがある。
ハキハキした声は、夜会の会場によく響いた。
――会場に流れる音楽すら、止まった。
ざわりと揺れた人の声に指揮者が慌てて指揮棒を振ったが、続く演奏はとても弱々しい。
夫人は扇子を口元に当てたまま目を見開いて、デニッシュを凝視した。
カッと見開かれた目に凝視されたデニッシュは、夫人から感謝されると信じて疑わない態度で言葉を続ける。
「風の噂で本物の侯爵令嬢が見付かったと聞きつけました。となれば、偽物が近くにいては本物のご令嬢の肩身が狭くなってしまいます。せっかく私を侯爵家の跡継ぎと推してくださいましたのに、偽物がいては縁も結べません。ですので、こうして私自ら偽物を処分し、身綺麗にしてご挨拶に来た所存です」
この男は何を言っているのだろうか。
周囲はさっと一歩どころか三歩ほど離れた。瞬き一つしない侯爵夫人と、何故か煌めきながら胸を張るデニッシュから一斉に距離をとる。扇子を持つ夫人の手袋に覆われた手が、ブルブルと震えている。
「さあ! 新たな出会いに、祝杯を挙げましょう! 本物の侯爵令嬢はどちらに? 夫となる私が姿を見せていなかったので、まだ紹介前でしょうか」
周囲を見渡したデニッシュは、そこでようやく人々が自分達から距離をとっている事に気付いたが、気付いただけで疑問に思わず自分の花嫁となる令嬢を探した。
しかし周囲にはそれらしい、見知らぬ高貴な女性は見当たらない。
夜会は始まったばかりだし、まだ会場入りしていないのだろうと、夫人に視線を戻し……。
高貴なご婦人から発せられたなど信じられないくらいの高音が、夜会会場に響き渡った。
「キィイイイイイイイイシャマァアアアアアアアアアアアアッッ!!」
「キャアアアアアア!!」
堂々と胸を張っていたデニッシュは、予想外の反応に同じくらい甲高い悲鳴を上げた。
夫人は奇声を上げながらデニッシュに突進した。左の肘を突き出して、デニッシュの胸元に打撃を与える。予想外の攻撃に油断していたデニッシュは踏ん張る間もなくひっくり返った。強かに尻を打ち付け、背中も無様に打ち付ける。
突進した夫人は起き上がる隙を与えずに、デニッシュの上体に馬乗りになった。やけにキラキラしたスカーフを引っ掴んで、手にした扇子をデニッシュの頬に打ち付ける。右から左。左から右へ往復ビンタ。これを連打。
「キシャマ!! キシャマゴチョキノブンジャイデッッ!! ワチャクチノキャワユイエクレアニヨキュモォオオオオッッ!!」
興奮した中年女性の声帯はキンキン高くて何を言っているのか全く聞き取れない。爆発した怒りだけが衝撃波となって目に見えるようだ。
周囲の人々はさっと視線を逸らして見ないふりをした。
高貴な方の醜態は凝視してはならない。私達は何も見ていない。衝撃波? 見てない。なにそれ知らない。
高貴な方の細腕から繰り出されるとは思えないゴキャッだのバギョッだの破壊音が聞こえるが、何も聞こえない。デニッシュの呻きと助けを求める声も聞こえるが、聞こえないったら聞こえない。
つつつ、と人垣が動いて、侯爵家の分家が夫人達に背を向けて円になった。ほほほと笑いながら背中に荒れ狂う夫人を隠す。招待客はそれに笑みを返し、心なしか激しさを増した音楽に導かれダンスホールへと移動した。
家格が下の貴族ならともかく、家格が上の貴族には逆らってはならない。手を出せるのは同格の相手かそれ以上。
王族が軽々しく現れるわけがないし、この国には現在公爵は陛下の弟君が一人だけで、侯爵家が頂点のようなもの。さらにツールフライド侯爵家は国防を担う一族なので、これしきの醜聞揉み消されるに決まっている。
というか夫人もいい動きをするのですね、と招待客はダンスに励みながら見事な肘打ちを披露した夫人を脳裏に描き、遠い目をした。
今宵でこれも忘れます。私達は何も見ていません。
しかし、あの男は一体何を言っていたのか。
招待客が疑問を抱く中、分家の囲む人垣にそっと近付く影。
「母上、そいつはもう動きませんよ。エクレアさんの情報を吐かせる為に裏へ行きましょう。たたき起こさないと」
こそっとそう言ったのは、夫人と同じ髪色の青年。
十七年前に行方不明になった夫人の娘……ではなく、息子だった。
そもそも(二回目)




