8:上機嫌な元婚約者<アガリスタ王太子視点>
一方、アガリスタ王国では…。
数ヶ月前のこと、アガリスタ王太子は婚約者だった、キャシー・ノウゼン伯爵令嬢と婚約解消した。
理由は彼が森に魔物狩りをしに行った際に見つけた小屋で匿われていた眠り姫…白雪姫に心奪われたせいだ。
しかも調べていくと姫は隣国の前王妃の娘だったが、その美しさゆえに疎まれ、殺されかけたゆえにこんな場所に潜むしかなかった。
しかも前王妃は変装して彼女に会い、魔法をかけたらしく、それから眠って目覚めなくなったとは彼女を匿っていた老人の言。
幸い、息と脈はあったので、彼女に一目惚れしたアガリスタ王太子は、匿っていた老人にアガリスタ王国で治療を受けさせたい、そのまま責任を持って彼女を匿うと約束して、今までの労を労うために路銀を渡して、白雪姫をアガリスタ王城まで、棺のまま連れて行った。
それから王太子は彼女にかかりきりになり、白雪姫の棺を食事の場まで持ち込む始末。
母である王妃マリアは、婚約者がいるのにそんな気味の悪いことはやめろと諭したが、王太子は聞く耳をもたなかった。
そこで王妃マリアは王城の文官と医師を味方にして「食事の場に棺を持ち込むなど、暗殺に利用されたり、感染症を持ち込んだりしたらどうする」と不快な顔で陛下に直訴し、数日経たずに国王、王太子と共に食事を摂るのをやめることになるまでに発展。
王妃マリアはその後王妃宮に籠り、友人であるキャシーの母のノウゼン伯爵夫人やミリエッタ・ジュレミー公爵令嬢、そして王妃教育終わりにキャシーとも頻繁に茶会を開いて愚痴に明け暮れる。
さらに王妃マリアと指摘に食わなかったのは、夫であるアガリスタ国王が、アガリスタ王太子の棺の中の美女との浮気は、才女ではあるが硬い考えのキャシー・ノウゼンとの結婚前の火遊びとでも考えているのか、はたまた王太子に甘い国王が王太子の初恋を応援しようとしているのか…いずれにしても王太子が持ち運ぶ棺を持ち運ぶのを、国王が好意的にみていることである。
そんな王家の不和を是正しようとしたのが、当時王太子の婚約者だったキャシーだった。
まず、商会長で、マリナーレ王国にも支店をだそうとしていたミリエッタ商会長の情報網を生かし、まずは白雪姫がマリナーレ王国の姫だと突き止める。
そして、マリナーレ王国の噂として前王妃が、自分以上の美人を亡くそうと、女児が高位貴族に生まれないように呪いをかけたことに目をつけ、それを突破して伯爵家に生まれた自分の母が、マリナーレ王国の魔法使いの血筋の生まれであることから、自分の母が解呪できるのではないかと思い当たる。
そして解呪できたら、王太子と白雪姫を祝福する為、王命による婚約を解消したいと王妃に申し出た。
正直国王としては、王太子の婚約者をキャシーから別の者に変えるつもりはなく、解呪してもキャシーを王太子妃にするつもりではあった。
もちろんいくら調査でマリナーレの王女と分かったとはいえ、来てからずっと眠っていて素性のしれない白雪姫を王太子妃に据えようとはこの時点では全く思っていなかったのである。
と言うのも、ノウゼン伯爵家、広めの子爵領ほどの領地だが、その実、街道の難所である山に囲まれている上、マリナーレ王国との陸路による拠点であり、国王は下手な侯爵領より重要な場所で、しかもマリナーレ王国前王妃の例の呪いでアガリスタ王国でも公爵家、侯爵家が軒並み王太子と年の近い令嬢がいない状況で、唯一と言っていい高位貴族である伯爵家の令嬢が、ノウゼン伯爵家の令嬢だったのをこれ幸いと婚約者にするよう、国王は王命を下した経緯もある。
しかし、王太子はそんな状況に反発するかのようにキャシーを見ようとはせず、キャシーもそんな王太子を見限るかのように今回の白雪姫騒動を幸いに婚約解消を申し出たのだった。
王妃マリアはもはや、棺を食事の場に持ち込む非常識な息子とそれを容認する夫に辟易しており、キャシーの婚約解消は仕方ないこととし、さらに難しい領地経営を良好にこなしていたノウゼン伯爵家が爵位を返上しマリナーレ王国の夫人の実家に向かうことも仕方ないと認めて、爵位返上を認めたくない夫のわがままも封じ込めてノウゼン伯爵家の訴えを認めた。
最も、それはとある下心ありのことだが、今の段階ではそれは関係がない。
そんな母の心中を知らず、ノウゼン伯爵家のおかげで白雪姫の目が覚め、難関になるかと思われた婚約解消がすんなり済んで、王太子は上機嫌だった。
何しろ、目を覚ました白雪姫が、マリナーレ王国の王女だったと確認が取れ、しかも目を覚ました姫と王太子はお互いに結ばれることを望んだ。
さらには、キャシーの実家、ノウゼン伯爵家が爵位と領地を返上し、夫人の実家のあるマリナーレ王国に移住した。
その理由が、娘が王太子から婚約解消されて、一家が後ろ指を指されると言われた時には肝が冷えた…王太子から見れば円満に解消したつもりだったが、ただただ貴族とは面倒だとだけ思った。
ノウゼン伯爵一家が移住すると聞いた時のアガリスタ国王の慌てぶりは気になったが、それより姫の唯一の血縁で異母兄であるマリナーレ現国王も、アガリスタ王太子と白雪姫との婚約が認められて、晴れて婚約となったことで、王太子としては何も言うことはなかった。
しかし国民に向け、双方合意の上で王太子とノウゼン伯爵令嬢の婚約解消が成立し、隣国のの王女である白雪姫との婚約が発表を済ませると、王太子は思わない評判に耳を疑った。
曰く、浮気して婚約者を捨てた王太子。
曰く、ノウゼン伯爵家を切り捨てた王家。
曰く、隣国の悪政を引いた前王妃の娘がアガリスタを乗っ取った。
当初は一部の口さがない貴族の夫人の噂話程度だったが、次第に高位貴族の間での悪評に変わっていった。
キャシー嬢とは円満に婚約解消したし、ノウゼン伯爵家が爵位を返上して夫人の実家に向かったのは夫人の義兄である子爵が病に倒れ、代理を務める為だ。
白雪姫のアガリスタ王家乗っ取りに関しては、彼女の母が悪性を敷いていたマリナーレ前王妃というだけで、事実無根だ。
こんな噂を流した者は、国家反逆で捕まえてやりたい。
王太子は本気でそう思っていた。
どこまでも能天気な王太子。




