「タバコ彼女」
大学一年の春、僕には彼女ができた。出会いは大学キャンパスの喫煙所での出来事であった。同じ大学構内でできた友人から紹介され、僕はドツボにハマるようにしてどんどん好きになっていった。彼女のことを知りたい一心で授業が終われば喫煙所に通うのが日課になったほどである。授業後もバイト先でも、もちろん家にいる時でも彼女のことを考えてしまう。それほどまでに夢中になった僕の彼女の名前は「タバコ」であった。
彼女、もといタバコを吸い始めて数ヶ月、僕の胸の中は彼女の息でいっぱいである。シュガーキス。巷ではタバコとタバコの吸い口を共有することをそう呼ぶのだが、僕の場合は事情が違った。そこに他人は介在しない。なぜならタバコを吸うことそれ自体が彼女とのキスだからだ。
「お前、今日もタバコ吸ってんのか」
今日も友人にそう言われる。タバコではない。彼女とのキスなのだ。そう彼を説得したものの、いつも邪険にされる。そんなのは彼女ではない。そもそも何がシュガーキスだ。ただのヘビースモーカーではないか。彼はいつもそう言って僕を煙に巻く。それでも僕はこのタバコが好きであった。
「今日で1192本目の彼女か」
僕はいつものように喫煙所で彼女との出会いをカウントする。彼女はいつも20本入りのボックスに入っていて出会いは制限時間付きだ。火を点けてしまえば5分と保たない。それほどまでに彼女とキスできる時間は限られている。そのため彼女との出会いは時限性であり一過性だ。1本毎に彼女との出会いは始まりから終わりを迎えてしまう。その意味で彼女はとても脆く、儚い存在であった。そんな健気な彼女であるが、お金を払えば新しい彼女がやってくる。しかも彼女の種類は売店によって豊富ときた。これはいわゆるレンタル彼女と言っても差し支えないのではないだろうか。
「そんなわけあるか。いい加減にしろ」
最初の頃は友人もそう言って僕を現実に目覚めさせようと躍起になっていたが、仕舞いには「今日は別の彼女試してみたら?」だの「最後には灰皿に捨てるんだからヤリ捨てと変わらないじゃないか」などと言って僕を怒らせる。僕は彼女とキスしたいだけなのだ。そして彼女は変わらずひとつの銘柄にしている。僕は一途だからこの銘柄の彼女が一番好きなんだ。そう公言しているのであった。
彼女とのキスを重ねて四年が経ったある頃、僕は咳が止まらなくなった。階段や坂道を登ると呼吸が苦しくなるようになったのだ。
「それタバコの吸いすぎだって。そろそろ俺らも社会人になるし、お前も禁煙外来にでも行ってこいよ」
友人に通院を勧められて胃がムカムカする。それはまるで彼女と別れろと言われているようではないか。僕は何度となくその勧めを断った。そして断るたびに呼吸がしづらくなっていく自覚があった。
「一日何箱吸ってるんだ?」
友人に言われて答えに詰まる。確か今日は65人目の彼女だ。
「一日3箱以上も吸ってるのかよ。それでこれからも吸うんだろ。いい加減病院行こうぜ。吸いすぎて肺がんになるぞ」
彼女のことは好きであったが、肺がんになるのは御免であった僕は仕方なく禁煙外来に行った。
「彼女と別れろってことですか」
病院内で医師にそう言ったものの、完全にニコチン依存症ですね。と言われて治療として禁煙を命じられ、代わりに禁煙ガムを処方された。以前と比べてまずいガムを勧められ、彼女との事実上の解消を余儀なくされたのである。
最初の数週間は胸が辛くて辛くて仕方なかった。肺がん一歩手前だったこともあるが、何より彼女との別れが辛く、また吸いたくて吸いたくて仕方がなかったのだ。
「彼女、お前の身体を蝕んでいるよ。他の女に替えた方がいい」
入院までした僕の病室に最後まで面会し続けてくれたのは友人だけであった。それほどまでに僕の身体はタバコに侵されていたのだ。
大事に至る一歩手前であったことが幸いし、治療の末、僕は復調した。それからというもの、タバコは吸わなくなった。道すがら売店のそばを通ったとしても、お金を払うことは無くなったし、喫煙所にも寄らなくなった。彼女との交際期間は大学生の4年間であったが、今はもうタバコを彼女とも呼ばなくなった。時たま風に紛れて漂うタバコの臭いを嗅いでは付き合っていた4年間のことを思い出した。
ところで今は別の彼女を作っている。禁煙中に口の中を紛らわすために買いはじめたガムだ。ガムが彼女なら身体を蝕むこともないだろう。僕はまた新しく購入する彼女のカウントを始めた。
「今日で12個目の彼女か」
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