生きてて楽しい?
こころの医療センター系統の待合で付き添いでいるとさ、思うわけさ。
診察っているの?
診察カードを機械に通して、モニター画面に診察番号が映し出せれて、ああ、今、何番目とかって思うわけさ。
で、診察室にベイビーと入るじゃん?
付き添いだから直近の生活環境を報告するけどさ、それだけだよね。
あとはおくすり処方されたりお尻に注射されたりで終わるわけさ。
精神科医と楽しくおしゃべりしてるだけじゃん? で、精神薬でハイになる、睡眠薬でぐっすり。
羨ましいくらいの薬物依存生活が自立支援医療で低価格で維持していける。
生活保護なら「福祉なんです」と言えば自己負担零円でなんの提出も必要ない(指定病院以外を受診するときは事前報告か病院側から福祉事務所への連絡電話はいるけどね)
頭がイカれているって商売というか生活の糧になる世界なんだと私は思っている。
膀胱炎に苦しんでいる人がいた。
事情を知らない人なら可哀想だねと思うかと思う。
私は全く思わなかった。
自分で導尿している方だったが、まぁ、不衛生な生活環境というか、風呂とか入らない人だったのでそうなるのかなぁと想像できた。
風呂に入らない理由は、職員の言葉遣いや自分の要求に即座に対応してくれないとイライラしてしまうからと言っていた。
まぁ、そういう病気なのだ。自分の欲求を即座に解消してくれないとブチ切れてしまうという病気が精神疾患で、自分が神様でそれ以外はゴミであると心底思ってしまう病気が障害なのだなと支援していた頃は思っていた。
ゴミ屋敷の障害者なんて家の中が物で溢れていないと不安定になる、物が周りに溢れているから安心できる、で、ある。
一般常識で関わってはいけないのが障害者だろう。
自分をどれだけ憐れんでくれるかが基準なのかもしれない。
眼の前の支援者や、法律、制度。
わりと福祉サービスを受けている利用者や家族は支援者をゴミとしか思っていない人が少なくはない。
自分の不幸に泥酔しているので言葉とか通じないのだ。
ニュースで障害者は強気だとか色々とかあったが、強気というか、障害者という(職業)にしてしまっているのかと感じる。
お客様だと思っているのだろう。
そして、そのとおりだと思う、ヘルパー・介護職員なんていうのはレストランのウェイトレスと何ら変わりない、脳みそが動かないから、お手てが動かないから、歩けないから、その代わりを代行するだけの職業でしかない、専門職でもない、なぜにあんなに自信満々なのか理解に苦しむ、介護福祉士試験だって120問中60問はそのへんの小学生にだって解読可能な一般常識問題だ。20点くらいをなんとか自力で取れれば合格する、あんな試験で(えっへん)している介護の仕事をしている人を見ると個人的に背筋が痒くなってくる(不合格になる人はどんな勉強をしていたのだろうか?)
ちなみに前科まみれの私も持ってます。
ちゃんと名簿削除されてから再登録しました。法的な問題点はゼロで資格復活しています(いつからか知らないが試験難易度が更に下がるような報道を目にした、とりあえず増やせ増やせの国家資格なのだろう)
医療費の削減の意味もかねて、精神薬とかは診察なしでパッと処方されるような日本になればいいかなぁ、とか思っています。
少なくとも診察代金は節約できるかと思う。
・・・・・・乱暴な考えかと思うかな?
でもね、精神薬依存しているベイビーたちで立ち直った人って1人しか見たことがなくてね。自立支援医療で最小限の医療費でジャンキーになれるし、精神的な問題がクリアーされてもそもそも社会で生きていく能力値が低いというのもある。
精神病を克服しても世界で生き抜いていけなかった理由が精神病だけではなかった場合はどうしたらいいのだろうかということだ。
自分の人生の問題点は一つではないのかもしれないね。