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零の鼓動  作者: おばれ
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赤城 零(クリス・レッド)

ジリリリリッ―― 耳障りなアラーム音が、意識の奥から現実へと引き戻した。

「……ん、く……?」

重い瞼をこじ開けると、目に映ったのは――見覚えのない天井。 薄暗い部屋。締め切られた空気。 どこか、湿気と埃の匂いが鼻をついた。

「……どこだ、ここは……?」

起き上がろうとした瞬間、身体が妙に軽いことに気づく。 腕も、足も……自分のものとは思えないほど細い。 鍛え上げられたはずの筋肉が、まるで影も形もない。

「っ……!?」

驚いて布団を跳ね除け、裸足で床に立つ。 そのまま窓辺へ歩き、ガラスに映った“自分の顔”を見た瞬間――全身が凍りついた。

挿絵(By みてみん)

「……誰だ、これは……」

見知らぬ少年の顔。 黒髪で、どこか気弱そうな眼差し。 レッドの鋭さも、獣のような本能も感じられない。 動揺のまま部屋を見渡すと、机の上に置かれた学生証が目に入った。 零明学園高等学校 1年A組 赤城零

――赤城零。

それが、この身体の“名前”。

「……俺は……赤城零……?」

口にした瞬間、頭の奥で何かが“軋んだ”。(……? いま……何か……)

突然、脳内に走る閃光のような断片。 知らないはずの風景が、記憶の底から浮かび上がる。 グラウンドで泥まみれになって走る日々 誰からも期待されず、見下され、嘲笑されていた時間。 家に帰れば、母の作り置きの弁当と、空っぽの居間。

(……これが……赤城の、記憶……?)

混乱しながらも、確かに“感じた”。この身体の奥深くに染みついた、過去の断片が――まるで、自分のもののように流れ込んでくる。

(まるで、赤城の人生を……なぞっているみたいだ)

記憶は完全ではない。けれど、そこには確かな“感情”が宿っていた。悔しさ。劣等感。孤独。そして、あきらめ

――「でも、サッカーだけは……やめたくい」微かに聞こえた少年の声が、胸の奥を叩いた。 そのとき、机のスマホが震えた。

──通知:ニュース速報

【クリス・レッド、W杯優勝直後に倒れる。現在、意識不明の状態。 】

心臓が跳ねた。

「……俺……が、倒れた……?」

震える手でスマホを開き、画面を覗き込む。そこに映っていたのは、あの“自分”――いや、“クリス・レッド”の姿だった。

(……俺が……世界から消えた……?)

理解が追いつかない。 けれど、この心臓の鼓動、この呼吸、この記憶の断片―― すべてが、“赤城零”としての自分を確かに存在させていた。

(この身体は、あきらめ続けた人生を歩んでた。……でも)

「……ここから、やり直すしかない」

声は掠れていた。 けれど、その言葉の奥には、火のような決意があった。“赤城零”の鼓動が、胸の奥で鳴っていた。 今、この瞬間から――世界一のストライカー、クリス・レッドとしてではなく、無名の高校生・赤城零として“戦い”が始まるのだ。


ギィ……。

古びた襖を開けると、かすかに味噌汁の香りが鼻をくすぐった。 台所では、エプロン姿の女性が慌ただしく動いている。

赤城零の“母親”――名前はまだ思い出せない。 だが、その背中はどこか――寂しげだった。

「あ、……起きたの。おはよう、零」

「……あ、ああ。……おはよう」

一瞬、返事に詰まった。 言葉は自然に出たものの、“自分の”母親におはようを言うのは、十何年ぶりだったかもしれない。

「……ほら、ご飯。適当に作っといたから、先に食べてて」

そう言って、母親はコンロに背を向けたまま、味噌汁の鍋をかき混ぜている。 その声も、背中も、どこか距離があった。 テーブルには、ラップのかかった小さな弁当箱と、質素な朝食。 ごはん、卵焼き、冷ややっこ、そして味噌汁。 レッドは静かに正座して箸を手に取った。 が、何を話していいのかわからない。

(……赤城は、普段どんな会話をしていた?)

赤城の記憶は断片的だ。 家庭での空気。無言の朝。時折聞こえる咳払い。 でも、言葉はなかった。 沈黙。 気まずさを紛らわせるように、味噌汁を啜る。

「……今日は、部活あるの?」

母の問いかけに、わずかに肩が跳ねた。

「あ、えっと……ある、と思う」

「……そう。ちゃんと……食べて、行きなさいよ」

「……うん」

言葉が続かない。 レッドにとっては初めての朝だが、母親にとっては「いつも通り」の時間。 なのに、息子はどこか他人のように辿々しい。 気づかれていないはずはない。 それでも、母親はそれを指摘することなく、ただ背を向けたまま言った。

「……昨日、夜遅かったでしょ。寝言、すごかったから」

「……あ、そう……だったかも」

「……何回も、“ごめん”って言ってたわよ」

“ごめん”。

レッドの記憶にはなかった言葉だ。 だが、赤城の“感情”がその一言に反応した。 胸の奥に、重い石のような後悔が沈む。

「……あの、さ」

思わず声を発していた。

「……いつも、ありがとう」

母の動きが一瞬、止まった。 けれど、すぐにまた味噌汁をかき混ぜる音が戻る。

「……なによ、急に」

照れたような、けれどどこか――嬉しそうな声だった。

(……赤城。お前は、いつも言えなかったんだな)

レッドは静かに、箸を置いた。

「……行ってきます」

「……いってらっしゃい」

その声が、今朝一番、あたたかかった。


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