世界一が消えた試合
【W杯決勝 ポルトガル vs スペイン/後半アディショナルタイム 】
夜のドーハ。煌々と照らされたスタジアムには、世界中の視線が注がれていた。 スコアは2対2、後半アディショナルタイム残り30秒――勝負を決する、最後のワンプレー。
「さあ、来るぞ! 世界一のストライカーが、最後の一撃を撃ち抜くッ!」
その名は──クリス・レッド。 背番号⒘。ポルトガルの英雄にして、“ストライカー”という言葉を定義し直した男。
「スペインの猛攻を跳ね返した! ボールは──ポルトガルのキャプテン、ジョアン・フェリスのもとへ!」
ジョアン・フェリス 精密なボールコントロールと視野を武器に、世界屈指のゲームメイカーとして知られる男。 何より彼は、クリス・レッドと⒑年来のコンビ。 ピッチ上で互いの息遣いすら理解しあう、最強のバディだった。
(クリス、ラストだ。お前に任せる)(来い、フェリス。俺が決める。)
二人の言葉に感情は少ない。しかし、それこそが信頼の証。 言葉すら不要の、世界最強タッグである。 フェリスの足元から放たれた一閃のスルーパス。 それは、クリス・レッドのために設計された軌道。 世界中の誰も届かず、彼だけが触れられる角度とタイミング。 右サイドを駆け上がるクリス・レッド。 重力すら拒絶するステップ。流れるような加速から、ぴたりと止まる。
──その瞬間。
「来る……!」
スペイン代表キャプテンのディフェンダー、セルジ・ラモーサが反応する。 ゴール前で構えるその男は、世界でも3本の指に入り、スペイン代表史上最高のDFと評されている。
「絶対に撃たせるな。読め、タイミングを奪え……!」
そう思った次の瞬間──
「撃ったのか……!?」「いや、蹴ってすらない……だと……!?」
「出たァァァッッ!!」
「世界最高のストライカー、クリス・レッドの代名詞――」
「エア・ゼロッッッ!!!」
ノーモーション。視線すらフェイク。 足を振りかぶる素振りも見せず、空気を滑らせるようなスイングから放たれたボールは、キーパーが動く前にネットを揺らしていた。
ズドォン!!
「信じられない! 完璧な軌道! 完璧なタイミング!!」
「ボールは吸い込まれるように、ゴール左上スミィィィッッッ!!」
ラモーサ(見えなかった……いや、“撃つ気配”すら感じなかった……!)
観客「クリス・レッドォォォーー!!!」
「エアゼロだッ!! やばすぎる!」
世界中のファンが歓喜に沸き、スタジアムは地鳴りのような轟音に包まれた。
だが──
「……あれ? レッドが、倒れてる……?」
ジョアン・フェリスの歓喜が、一瞬で疑念に変わる。
「クリス? おい、立てよ。いつもみたいに──」
「……クリス!? 嘘だろ……おい、誰か来てくれ!!」
ラモーサ「早く、早くタンカを!!」
世界NO.1のストライカーが、音もなくピッチに崩れ落ちる。その姿に、世界中が凍りついた。
【東京都・零明学園高校校 学生寮、深夜。】
寮の自室のテレビの前。
薄暗い中、ぽつんと1人ベッドに座っている高校生の姿があった。
青砥 煉
零明学園高校サッカー部1年。中学時代は、Jリーグ東京ムサシの下部組織、東京ムサシジュニアユースに所属。 天才と称されるパスの精度と視野を武器に、高校1年ながらスタメンで零明学園の10番を背負う天才パサー。 その瞳は、スクリーンの先に映る“本物”の光に釘付けだった。
「……来たか」
W杯決勝、ポルトガル vs スペイン。 2対2、後半アディショナルタイムも残り30秒。 映し出されたのは、背番号⒘。ポルトガル代表のエース、クリス・レッド。
「……レッド」
彼の姿を見た瞬間、煉の喉がごくりと鳴った。 そして、ボールを持つもう1人の男、ポルトガル代表のキャプテン、ジョアン・フェリス。 ⒑年来の相棒。 言葉など不要な、天才同士の連携。 何度も、何十回も映像で見てきた、憧れの連携。
「……フェリスが蹴る。レッドに、撃たせる」
語るように、煉は呟いた。 それは、実況よりも早く、的確だった。 ジョアン・フェリスの右足から放たれたスルーパスは、まるで設計図のように正確。 レッドだけが到達できるポイントへ、寸分違わず転がっていく。
「……完璧だな」
煉の指先が、膝の上でわずかに震えていた。 クリス・レッドが加速。 右サイドから、異次元のスピードで相手を置き去りにする。 フェリスのパスが止まるその一点で──ぴたりと止まり、
何もない。
「……え?」
蹴っていない。モーションすらない。 次の瞬間、映像がぶれた。 ボールは、すでにゴールに突き刺さっていた。
「……“エア・ゼロ”」
呆れるような、憧れるような、感嘆が漏れた。 煉は知っている。 この技は、シュートの枠を超えた「芸術」であり、 その生みの親こそ、画面の中の男、クリス・レッド。
「……すげぇ」
本心だった。 憧れていないわけがなかった。 幼いころから何度も映像を見て、何度も真似しようとして、できなかった。
──ただ一人で完結する点取り屋。
──そして、それを最大限に引き出す世界最高のパサー。
自分が、ああいうストライカーと組んだら、どこまで行けるんだろう? そんな妄想を、何度したかわからない。
「……あれが、世界か」
静かに漏らした、だが次の瞬間──
レッドが、崩れ落ちた。
歓喜が、疑問に変わり、悲鳴に変わる。
「……うそ、だろ……」
フェリスが叫ぶ。ピッチが騒然とする。 煉は、ベッドから立ち上がってテレビに近づいていた。 まるで、画面を越えて何かが届くかのように。
「なんで……あんな完璧なプレーの直後に……」
言葉は空に消えた。 映像が切り替わり、ニュース速報の字幕が走る。
──「ポルトガル代表 クリス・レッド、ピッチで倒れる。意識不明の状態」
煉はゆっくりとリモコンを取って、テレビの電源を切った。 画面が真っ暗になり、自分の姿がうっすらと映る。 その顔は、悔しさと、憧れと、恐怖と、言葉にならない感情に満ちていた。
「……俺には、まだ早い」
でも──その目は、どこか燃えていた。




