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鼻にピーナッツを入れたら、取れなくなった

作者: 稲風八十八
掲載日:2025/05/02

「ギャー!」


 陽差しが高くまで昇り、宮殿の白壁にまぶしく反射している午後。セミの鳴き声が遠く響き、庭園では噴水が涼しげな音を立てる。

 焼けた石畳の向こう、庭先では兵士たちがスイカを冷やし、侍女たちは日陰で扇をあおいでいた。猫も一匹、貴族用のベンチでゆったりと昼寝をしているほど。

 そんな、誰もが怠けたい夏の昼下がりのことだった。

 王国の王女・フィオナの叫び声がひときわ響いた。


「ヴェリオ! ヴェリオはおらぬか!?」


 フィオナは、顔の半分を両手で隠しながら護衛騎士の名を呼んだ。


「いかがされましたか、姫!」


 慌てて駆けつけた護衛騎士・ヴェリオは、フィオナの顔面に思わず絶句した。


「ヴェリオ! 鼻が、鼻が苦しいのだ!!」


 そう言うフィオナの両鼻の穴には、ちょっとだけピーナッツが見えていた。

 あまりにマヌケだ。


「……姫。まさかとは思いますけど、また『実験』を……?」

「違う! ……いや、違わぬが、違うのだ!」

「姫!!」


 ヴェリオはグッと眉を顰めた。

 そう、この姫は『自由すぎる姫』として知られているほど、天真爛漫で何にでも興味津々。

 過去には『ゼリーを鼻で味わってみたくなった』『香水を鼻に直に入れたらどうなるか試したい』などと言って、鼻を使った実験を繰り返してきたのだ。


「ヴェリオ、いったいどうしたらよいのだ!? ピーナッツが……、思ったよりも奥に!!」


 フィオナは鼻を押さえたまま、縋るような目で訴えた。

 今回は、本気で詰まっているらしい。


「まず、どうしてピーナッツを鼻に入れようとしたんですか……!」


 ヴェリオは半ば呆れつつ、問い返した。


「この形状、妙に鼻にぴったりでな……」


 ヴェリオは、フィオナから事情を聞き出した。

 簡潔に言うと、どうやらフィオナは異国から献上された珍しき豆――、ピーナッツを鼻に入れてみたら、抜けなくなったらしい。


「……それで、鼻にピーナッツを入れたと?」

「うむ! 王族の好奇心は、国の未来に通ずるのだ!」

「いや、だからといって鼻にピーナッツを詰めていい理由にはならないでしょう……!」


 ヴェリオは一瞬、本気でこの姫の未来を案じた。


「と、とりあえず、すぐに医者を……」

「待て! 他の者に知られてはならぬ!」

「そう言われましても……。姫、詰まっているのは、ピーナッツですよね?」

「そうだ! それがどうした!!」

「いや、どうしたもこうしたも……」


 ヴェリオは額を押さえてため息をついた。


「そなたは騎士だろう! 鼻の詰まりなど、引き抜いてみせよ!」

「無茶苦茶だぁ!」


 フィオナは潤んだ瞳で「お願い」と囁いた。

 その鼻から突き出たピーナッツを忘れたような真剣な眼差しで。


「はぁ……」


 ヴェリオは再度深いため息をつき、ポケットからピンセットを取り出した。


「……姫、少々、お顔をこちらに」


 そう言って、ヴェリオはフィオナの鼻にそっとピンセットをあてがった。


「……いきますよ。少し痛むかもしれませんが、我慢を!」

「うむ……ッッ!!!」


 フィオナはぐっと目を閉じ、神妙な顔で覚悟を決めた。

 だがその表情がまたおかしくて、ヴェリオは胸に込み上げてくるものを堪えるのに必死だった。


「……」


 ヴェリオは真剣な表情で、ピンセットの先を慎重に鼻の穴へ。

 ほんの少し、ピーナッツの先端が見えている。

 ピーナッツは絶妙な位置にあった。


「動かないでくださいね。……よし、あと少し……」

「びゃあっ! く、くすぐったいぞ!」

「我慢してください姫っ! 動かないでください! 今抜きますから!」

「ふぐっ! ヴェリオ、痛っ……。あっ、くすぐったぁぁあ! ……ぶえくしょん!!」


 ――ぶぴっ!


 軽快な音がして、何かが飛んだ。

 ピーナッツである。

 ピーナッツは勢いよく、ヴェリオの服に当たった。


「……任務完了、です」

「これで……、これで我が鼻は自由だ!」

「姫、お願いですから、今後、鼻は空気の通り道だけに使ってください」

「うむ、努力はする」


 努力止まりかよ、というツッコミは飲み込むことにした。


「いいかヴェリオ。絶対に誰にも言うなよ? 絶対にだ! 口外したら、そなたの鼻にも詰めるからな!」

「……わかりました」


 半ば脅されながら、ヴェリオはしぶしぶ頷いた。


「では姫、このピーナッツは私が処分しておきますので……」


 ヴェリオはポケットからハンカチを取り出し、床に落ちたピーナッツを丁寧に拾い上げた。

 そして、ほんの一瞬だけ、視線を落としたまま手を止める。


「……」


 それから、そっとハンカチに包み、静かにポケットに戻した。



   ◇◆◇



 それから数日後。

 ヴェリオは人目を避けるように城の裏庭の林の中へ足を運んでいた。

 彼はあえて、あまり人が寄り付かない古びた温室の陰にいた。

 それなのに――。


「……ん? ヴェリオ、そこで何をしておるのだ」

「姫っ!?」


 なぜか、フィオナが通りかかった。


「な、なぜここにいるんですか!? 今の時間は、書庫での読書のはずじゃ!」


 ヴェリオは鼻のあたりを手で抑え、慌てて姿勢を正す。


「読書? そんなもの、我には必要ない! それよりも、そんなに焦ってどうした!」

「いえっ、焦ってなど!」

「いや、焦っているだろう。まさか、恋の悩みか? それとも、秘密の任務か?」

「いえ、あの、その……」


 いつになく言い淀むヴェリオに、フィオナは怪訝な顔をした。


「? ヴェリオ、顔が赤いぞ? それも、鼻のあたりが……」

「……姫。人は、時に間違いを繰り返してしまうことがあるのです……」

「??」

「その、ですね。鼻が、苦しいんです。ちょっとだけ……」

「……そなた、まさかっ」


 フィオナの瞳孔がギュッと開かれる。


「ピーナッツを鼻に入れたな!?」


 ピーナッツ in 鼻。

 フィオナの後を追うように、護衛騎士・ヴェリオまでもが鼻にピーナッツを詰めてしまった。



   ◇◆◇



 時は遡ること、五時間前。

 それは、ほんの出来心だったのだ。


「あ」


 数日前の、ポケットの中で温まったピーナッツが、まるで誘うようにヴェリオの指に触れた。

 指先に伝わる、ほどよい硬さ。

 ふと、フィオナのあの言葉が脳裏をよぎった。


 ――この形状、妙に鼻にぴったりでな……。


「……いやいや、何を考えている!」


(私は騎士だ。忠誠と理性を誓った男。姫の愚行を窘める立場にある者だ!)


 鼻にピーナッツを詰めるなど、そんな愚行――。

 しかし。


「これは一度、姫の鼻に入ったピーナッツ……」


 気づけば、ポケットの中からピーナッツを取り出し、指先でくるくると転がしていた。

 まるで、意思を持つかのようにピーナッツは「試してみるか?」と誘ってくる。

 ヴェリオは無意識にごくりと息をのんだ。

 どうして自分の手はこんなにも自然に動いているのか。止めるべきは頭か、心か、それとも全部か。


(あのとき、姫は言った。『王族の好奇心は、国の未来に通ずるのだ』と……)


 ヴェリオは想像した。

 あの可憐(?)な姫が、ピーナッツを鼻に挿入するその瞬間を。

 そのとき、彼女は何を思ったのだろうか。

 突き刺すような知的探究心か。無垢な好奇心か。あるいは、自分に救いを求める前提での甘えだったのか。


(もし、そうだったなら……)


 ヴェリオは周囲を見渡した。


「……」


 誰もいない。

 林の中、温室の裏。


「完璧なロケーション……」


 完璧なタイミング。そして、完璧な豆。


「……一瞬。そう、一瞬だけなら……」


 指先のピーナッツが、徐々に鼻先に吸い寄せられる。


(これは、姫を理解するために必要なこと。あの日、姫がどんな思いでこの異常な行動に至ったのか。姫の感じたすべてを、この鼻で、体で、心で体験するために……!)


 これは、ヴェリオにとっては忠誠。いや、愛。――いや、忠誠だ。


「……よし!」


 ヴェリオの最後の理性のストッパーが、音を立てて砕けた。

 彼は自分に言い聞かせるように頷くと、ピーナッツを軽く押した。

 すると――。


 ぴたっ。


「あ」


 入った。

 それはあまりにもスムーズに気持ちよく、鼻の中へ。


「……っ!!」


(これが、姫の見ていた世界……!)


 ピーナッツはぴたりと鼻にフィットし、まるで運命のパーツがそこにおさまったかのようだった。

 驚くほどしっくりとヴェリオの鼻の奥へ。そして、魂の奥底にまで入り込んできた。


(な、なんという感覚……。これはもう、ただの異物ではない。共鳴……?)


 鼻の中にあるだけなのに、心が熱くなる。


(ああ、姫……。今ならわかります。貴女がなぜこれを入れたのか)


 鼻が詰まっているだけなのに、なぜだか涙が出そうになる。


(貴女は真実を見ていた。ピーナッツという名の、宇宙を……!)


「あまりにも、深い……っ!」


 感動が押し寄せ、ヴェリオは地面に手をついて震えた。

 鼻にピーナッツを入れて感極まる騎士。

 そんな愚行を、誰が想像できただろうか。

 だが、ヴェリオにとってこれは儀式。姫に近づくための、通過儀礼だ。


「……あっ」


 ぽたり。

 興奮のあまり、ピーナッツを入れていない方から鼻血が垂れた。


「あぁ、つい興奮して出してしまった……」


 ヴェリオはポケットからハンカチを取り出して鼻血を拭おうとした。

 しかし。


「……このハンカチはダメだ!」


 なんせそのハンカチは、あの日、姫の鼻から取り出したピーナッツを包んだものだったから。


「危なかった」


 間一髪。

 少しでも判断が遅れていたら、聖なるハンカチで鼻血を拭くという、騎士として取り返しのつかない所業を犯すところだった。


「ふぅ……」


 一時的に噴き上がっていた興奮も静まり、わずかに理性が戻ってきた。のはいいのだが。


「……あれ? これ、ちょっと、詰まりすぎてないか……?」


 指でつまんでも届かない。

 呼吸がやや不自由になってきた。

 嫌な汗が、ヴェリオの背を伝う。


「ちょっ、嘘だろう!?」


 ヴェリオは焦り慌てて、顔が真っ赤になる。


「今すぐどうにかしなければ!」


(こんな情けない姿を姫に見せることはできない!)


 顔を振ってジャンプするが――。


「……うぐっ」


 抜けない。

 片鼻を押さえて「ふんっ!」とやってみるが――。


「いや、いやいやっ、こんな、こんな最期……! いや違う、別に死なないが!」


 出てこない。


(なぜ!? なぜ、こうなった!? 誰が悪い!? 姫か?)


「いや、私だ!」


(落ち着け、落ち着くんだ、私。……ここは戦場じゃない。冷静に、状況を分析するんだ……!)


 深呼吸をしようとして――、できない。

 鼻が詰まっている。


「ああああ!」


 ヴェリオは膝から崩れ落ちた。

 あの時、自分が姫をあれほど叱ったというのに。

 今や、その騎士まで同じ過ちを犯しているではないか。


「ふ、ふぐ、うっ、ふごっ……!」


 鼻と体と心(脳みそ)が大パニックを起こす中、ヴェリオは涙目で壁を叩いた。

 その表情には、騎士の威厳も威風もなかった。

 あったのは、鼻にピーナッツを詰めた男の哀れな狼狽だけであった。



   ◇◆◇



 そして、現在。


「ははははっ! おかしい! おかしすぎるぞ、ヴェリオ!!」


 フィオナは腹を抱えて笑い出した。

 普段の真面目な騎士の姿とのギャップが、彼女のツボを完全に突いたらしい。


「私だって、詰まるとは思わなかったんです! 入らないはずだったんですよ!?」


 言い訳にならない言い訳を叫ぶヴェリオ。

 しかし、ピーナッツは未だ彼の鼻に鎮座している。


「まさか、我の気持ちを理解しようとして……、とか言うつもりではあるまいな?」

「……っ!」


 ヴェリオ、図星だった。

 図星すぎて、呼吸すら止まった。


「……くっ。そこまでして共感を求めるとは。そなたもなかなか、変わっているな」

「わ、笑ってないでどうにかしてください、姫!」


(『他の者に知られてはならぬ』と貴女に言われた時の気持ちが、今ならよくわかります……!)


「どうにかするとは?」

「抜いてください、鼻のピーナッツを!」


 涙目になって訴えるヴェリオに、フィオナはふう、とわざとらしくため息をついた。


「仕方あるまい。騎士に情けをかけるのも、王族の務め! 我が直々に、執り行ってやろうではないか!」

「この人が女神か」


(た、助かります……!)


「……ただし、条件がある」

「条件、ですか?」


 嫌な予感がする。

 というか、絶対に嫌な予感しかしない。


「この話、我が脚色して物語にしてよいか? 題して『騎士と鼻豆の誓い』!」

「騎士と鼻豆の誓いぃ!? な、なんですか、それは!!」

「勇敢なる騎士が、己の鼻に豆を詰めて忠義を示すという感動の物語じゃ!」

「いやいやいやいや、感動の方向性が間違ってますって!」


 ヴェリオは全力で首を振る。

 だが、フィオナ姫の目は輝いていた。

 悪ノリのスイッチが完全に入っている。


「民に読み聞かせれば、笑いと涙で王国中が包まれよう。書き下ろし決定じゃな!」

「冗談じゃない! お願いです、姫! それだけは、どうかそれだけは……!」

「では、取るのをやめるか?」

「くっ……。……ありがとうございます! 世界一素晴らしい姫であらせられます! 感謝と尊敬と崇拝を込めて、これから命尽きるまで、姫の笑いの種となりましょう……!」

「ふっ、よろしい。騎士の忠義、しかと受け取ったぞ!」


 そうして、フィオナは意気揚々と、どこからか取り出したティーセットのスプーンを構えた。


「さあ、顔をこちらに寄こせ!」

「ちょ、ちょっと待ってください。姫、それで抜くつもりですか!?」

「安心せよ、昔読んだ医術書に書いてあった。『異物を除去する際は奥を刺激せぬよう、斜めに優しく、くいっと』だ」

「ひいっ……。やっぱり医者を呼びませんか!?」

「いいや、我に任せておけ!」


 容赦なく近づいてくるスプーンとフィオナの笑顔。


「ぐぅう……!」


(その笑顔は反則ですって、姫! 騎士でなければ、今すぐ地に伏して崇めてしまいたい……!)


「覚悟せい、ヴェリオ!」

「……っ!」


(その眼差し、まるで結婚式で誓いを交わすような……)


「うわあああっ!!」


(……式、挙げるか?)


 ヴェリオの悲鳴が、静かな林の中で響いた。



   ◇◆◇



 数日後。

 王宮の大広間には、老若男女が集められ、大規模な朗読劇が開催されようとしていた。

 壇上に立つのはもちろん、フィオナ。


「では、朗読劇『騎士と鼻豆の誓い』を始めるぞ!」


 フィオナは高らかに宣言すると、拍手と笑い声が広がった。

 舞台袖では、騎士団の正装に身を包んだヴェリオは鼻に絆創膏を貼って、豆のぬいぐるみを胸にしっかりと握りしめていた。


(……どうしてこうなった)


 軽くため息をつきながらも、その表情はどこか諦めと微笑みが入り混じっていた。


「忠誠とは、時に鼻にも通ずる、か」


 そう呟いたヴェリオの鼻の奥には、もう何も詰まっていなかった。


(あぁ、誰か、あの物語を焚書にしてくれないだろうか……)


 こうして王国に、一つ伝説の笑劇が誕生したのであった。

【登場人物紹介】

▼フィオナ

王国の第三王女。おてんば姫。おもしれー女。

好奇心旺盛で、鼻からピーナッツを詰める程度には自由。鼻は、可能性の入り口だと本気で思っている。


▼ヴェリオ

フィオナ姫の護衛騎士。ふっ、おもしれー男。いや、やべー男?

真面目で冷静だった(過去形)。姫の自由さに振り回されながらも、今日も今日とて忠義(とそれ以上)を貫いている。あと、密かに恋心を抱いている。最近、鼻は可能性の入り口だと思い始めた。


▼ピーナッツ

異国から献上された豆。形状が妙に鼻にぴったり。姫と騎士の忠誠を繋いだ、伝説の存在。現在は、朗読劇の小道具として王宮で保管されている。


▼ハンカチ

ヴェリオのポケットに常備されていた、布製の忠義。このたび、姫の鼻から救出されたピーナッツを包むという大役を果たした。現在は、王宮の宝物庫の片隅に、ピーナッツと共に厳重に保管されている。



最後までお読みいただきありがとうございました!

ブクマやリアクション、評価などで応援していただけると、とても励みになります!もちろん、感想も大歓迎です!

ピーナッツを鼻に入れるのは危険ですので、絶対に真似しないでくださいね!(笑)

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