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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

● - the Trap Hole -

作者: シロクマ

挿絵(By みてみん)


「はい、119番■■消防署です。火事ですか? 救急ですか?」


 通報時刻、23時47分。

 発信場所、■■公園。発信者、■■ ■■。


『たすけて……っ』


「どうか冷静に。火事ですか? 救急ですか?」


『救急……いえ、救助を!』


「わかりました。至急、救助に向かいます。地区と番地、または目印を教えてください」


『あっ、あっ、こ、公園です。■■駅そばの■■公園の遊具付近で、ぐっ……ぅあう……』


 痛ましい声。

 極度の緊張。泣き出しそうな息遣い。怪我をしているのは発信者の女性だろう。


「どなたが、どうなさいましたか?」


『あ、あたし、穴に! 落とし穴に落ちて……っ! 脚に、なにか! き、木が刺さってて……っ」


 落とし穴。

 意外な一言に、私は聞き返さざるをえなかった。


「落とし穴ですか?」


『はい、はい……。あ、ぐ、落とし穴です、痛っ……! ひっ、ひっ、ぎぃ……! これは罠!? ふーふーっ、なんでこんな、ただの公園に、穴が……っ』


「わかりました。周囲にはなにが見えますか?」


『なんにも……! ぐ、あ、はぁ、深くて、穴が深くて、深いから穴が、その、木が! 杭が!』


「杭? 木製の杭ですか?」


『刺さってるのっ! あだじの脚にっ! は、は、はぁ、ああ、血が、止まらなくて……っ』


「安静にして。無理に動かさず、そのまま救助を待ってください」


『早く! 早ぐっ!』


「そちらに救助隊と救急車が急行しています。意識をしっかり保って、必ず助けに参ります」


『はぁはぁ……あ、はぁ、はぁ、ぐっ、あぁ』


 電話口越しに、悲痛な叫びが聞こえる。

 彼女の弱りゆく息遣いに、私はもう手遅れになるのではないかと焦った。

 脚部を串刺しにされているとしたら最悪、失血死の恐れがある。


 深夜の公園、暗い穴の底にひとり。

 なんの脈略もない、落とし穴という理不尽な悪意に襲われて。

 寒空の下、失われていく体温、終わりのない苦痛……。いつ失神してもおかしくない。


 想像するだに恐ろしい。

 発信者の恐怖たるや、きっと私には真に理解することはできないだろう。


 私は懸命に、状況を聞き取り、応急指示を伝えて、はげましの言葉で彼女に寄り添った。

 そして現場へと救助が到達できるよう、迅速に情報をやりとりする。

 一刻を争う中、しかし私は考えずにはいられなかった。


“落とし穴”


 それは何か。

 地下に埋設された設備の破損によって地面が陥没する、という事故だろうか。

 それなら合点はいく。木製の杭というのも何かの間違いだろう。


 しかしもし、通報通り、木製の杭を仕込んだ古典的な串刺し落とし穴だとしたら。

 人為的殺意に満ちた罠。

 この駅前の公園という人目につく条件下で、だれにも気づかれないように深い穴を掘るのは困難なことのはずだ。なにか、説明できない異常事態が起きている――。


 その手がかりを得ようとなにかをたずねても、発信者からは苦痛の悲鳴と不安ばかりが届く。

 まるで自分までも、暗い穴の底で死にゆく絶望と孤独を共有しているような心地になる――。


『助かりますよね……? あだ、あたし、助かりますよね……?!』


「はい、必ず。ですから落ち着いてください。安静に――」


『きゃああっ!! ね、ネズミがっ、あたしの脚を……! ぎ、ぎにっ……!」


 一分近く通話が途絶する。

 真夜中、穴の底、ふくらはぎを串刺しにされたままネズミに遭遇したというのか。


 必死の抵抗が受話器から聴こえてくる――。

 やがて通話が再開されると発信者は疲れ切って「咬まれた」「もう嫌」と繰り返した。

 私はどうにか冷静さを取り戻すよう言葉をかけるが、次第に届かなくなってきた。


 無理もない。

 もし、私が同じ目にあったら……。


 ただ公園を通りがかったがために、偶然の不幸によってそうなったとしたら……。

 電話越しに、その映像の一切を見ることができないからこそ、私は想像を余儀なくされた。


 心細い発信者を助けてあげたい。

 その力強い意志さえ、すぐさま受話器を下ろしてしまいたい衝動に負けそうになる。


「まもなく救助隊が到着いたします。どうか、それまで――」


『……あなた、だれ?』


「どうされました」


『だ、だれかが、穴の上から見下ろして……あっ』


 だれか。

 だれかとは、何者か。


 公園は真夜中、昏く深い穴の底から何者なのか、彼女に知る術はない。

 そしてそれは救助隊員でないことを、私は知っている。


 私は直感した。

 そのだれかとは、落とし穴の罠を仕掛けた張本人であろう、と。


『なんで、笑ってるの……? ねえ、たすけて、おねがい、たすけてよ……っ』


 私は絶句してしまった。

 気休めの言葉なんて、きっと彼女には届かない。


『い、嫌……いやっ! やめ――』


 声は途絶えた。

 それっきり、彼女は喋らなくなってしまった。


 なにが起こっているのかと聴力を働かせようとするが、よくわからない。

 映画のようにわかりやすい効果音が親切に鳴ってくれるわけでもなく。


 物と物が接触する、淡々とした作業音のような音だけが響く。

 無抵抗の、静かになってしまった発信者は今、どんな目に遭っているのか。

 それを確かめるために、なにか声を発するべきなのか。


 けれど、でも。

 今、もし声をあげたら――。

 “ソレ”は通話先である“わたし”を認識してしまうのではないか。


「あ、ああ……っ」


 自然と、嗚咽が漏れてしまった。

 冷たい汗が止まらない。


 いつしか感染症のように、私まで、昏い穴の底にいるかのように錯覚する。


『……■■■』


 ほんの一言だけ、ソレはなにかを発した。

 そして通話は切られた。


 私は、もはや発信者の身を案じることより、自分が無事であることに安堵していた。

 なんて醜く、情けない、無様か。


 そんな後悔をできるようになったのも勤務明け、一眠りしたあとようやくだった。

 言うまでもなく、目覚めるまで私が見たのは悪夢だった。






 事の顛末。

 発信者――被害者女性は公園の穴の底で遺体で見つかった。

 現場の救助隊員はこう話していた。


「即死だろう。遺体の複数箇所が串刺しで……。とても、通話ができたようには思えない」


 私は一度たりとも、現場を見ていない。

 複数の救助隊員の目撃情報より、自分の記憶を疑った。


 けれど――会話記録は正常に、最後の瞬間まで、被害者とのやりとりを記録していた。


 私は一体、何者と会話していたのか。

 あの罠は一体、何だったのか。


 ――知りたい。

 ――知ってはいけない。


 矛盾した心の叫びに、私は身を引き裂かれる思いだった。


 罠だ。

 これは罠だ。


 そう感じ取っていても、じゃあどうすればいいかだなんて、何もわからない。

 串刺しの落とし穴に一度掛かってしまったが最期、彼女がそうであったように。


 そうと気づいた時には手遅れだからこその、罠だ。

 いつソレを踏み抜いてしまうとも予期できず、あるとわかっても、怯えて暮らす他にない。




 半年が過ぎ、あの落とし穴もすっかり埋め戻された真昼の公園――。

 ふらりと立ち寄った私は、何も知らず子供らが遊び回る平和なさまをぼうっと眺めていた。


『……必ず』


「え?」


『必ず、助けに来るって言ってくれたのに……』


 私用の携帯から女の声が響く。


 トンッ。


 背中を押されて、よろけた私が踏ん張ろうとした時、不意に浮遊感がおとずれた。


 落下する。

 昏い穴の底へ、串刺しの落とし穴へ。


 だから私は、だれかに助けを求めることにした。


『はい、119番■■消防署です。火事ですか? 救急ですか?』


 通報時刻、■■時47分。

 発信場所、■■公園。発信者、■■ ■■。


「たすけて……っ」



                                         

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無残 怖すぎます ありがとうございます
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