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ねぇ、これ誰かわかる?  作者: 三嶋トウカ
3月

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第59話:幕を下ろす


「お……終わった……」


 家を出た足でそのまま役所へ向かい、私は離婚届を提出した。無事受け取ってもらえた安堵感から、帰り道車の中で涙が溢れる。


「シオ、頑張ったね。お疲れさま」


 母が優しい声で言う。


「よくやった。頑張ったな」


 落ち着いた声で父が言う。


「うん……ありがとう!」


 今日で、浮気相手を問い詰めるという行為はすべてが終わった。まだ慰謝料請求が残っているが、弁護士に丸投げで問題なさそうだ。


「どうする? 家に帰るか?」

「ちょっとお願いがあるんだ。あの家の……前の家の最寄り駅まで送ってくれない? 明日は私手続き諸々あるし、有休取ったから、今日の夜から実家帰って良いかな?」

「構わないわよ。……美味しいもの、用意しておくわね?」

「やった! このあとちょっと、会いたい人がいるの。駅で待ち合わせようかなって。そっちには行っておきたいんだよね」

「わかった。駅まで送る」


 まだ私には、会わなければならない人がいた。連絡を入れて、駅に車が近づくのを待つ。


「じゃあ、行ってきます」

「気を付けてね?」

「うん。帰るとき連絡するから」


 駅のロータリーで降ろしてもらい、私は足早に待ち合わせ場所へと向かった。


「――あ、いたいた! おーい!」

「あっ! シオちゃん!」

「お待たせ!」


 待ち合わせていたのは砂苗ちゃん。そして……。


「今日はごめんね、あんなので呼び出しちゃって」

「いえ、全然です。お役に立てたならなによりなので」


 萌乃さんだった。


「取り敢えず、どっか入ろ」

「あそこの角のお店、比較的空いてそうだった!」

「わ、ありがたい! じゃあそこで」


 私たち三人はカフェへ入った。レジで注文と会計を先に行うタイプで、運ぶのはセルフだ。砂苗ちゃんの言う通り、休みの日ではあるものの比較空いていて、私たちは一番奥の席へと座った。


「さーてと。ふたりとも、改めて今日はありがとうございました!」


 座ったままではあるが、私はふたりに向かって深々と頭を下げた。


「え、良いんだよそんなの。無事離婚届出せたんだよね? おめでとう!」

「私もそんな、自分の責任もあるので。すみませんでした」

「もういいの! いいの! 萌乃さんのおかげで浮気相手ふたりに燃料投下できたし、あとは勝手に潰し合ってくれると思うんだよね」

「燃料投下って言いかたが凄いね」

「どっちが奥さんになるのか、今ごろまだ言い争いしてるんじゃないかな? あの人の両親が止めてるかもしれないけど。あの人自身はまったく役に立たないしね。余計なことを言うか、なにも言わなくて結局火に油注ぎそうだし」

「ちょっとその、なんというか。目に浮かびますその光景」

「ねー? まぁ、もう関係ないから良いんだけどさ」


 今、自分で思っていたよりもスッキリしていない。もっとこう、目の前が明るくなって、パッと視界が開けるような感覚を予想していた、離婚と言うものに。だけれど、実際そんなことはなく、離婚届を出したことで安堵感は得られたし、多少肩の荷も下りはしたのだが。まだ少しだけ、落ち着けていない自分がいた。


「でも、ふたりとも今日は本当、変なお願いしてごめんね?」

「私は良いよ? ちょっと楽しかった」

「私もお役に立てたので」


 初対面のふたり、しかもかたや隣人である友人の夫の浮気相手、かたや浮気相手の奥さんの友人という、普通なら誰も受け入れたくないであろう組み合わせだ。なにを言われるのかもわからない。それなのに、ふたりはふたつ返事で私の素っ頓狂な話を受け入れてくれた。

 萌乃さんをあの場に呼びたい気持ちはあったが、ずっと同席させるには相手も環境も悪い。できるだけ早くあの場から帰らせたかったが、誰かが追いかけて戻しに行こうとする可能性があった。元とは言え浮気相手だから。それを避けるために、砂苗ちゃんに匿ってもらった。隣の部屋なら、すぐに中へ入って外の様子を窺うことができる。

 そして、私は五百蔵さんがそうしたように、電話を繋いだままにしていた。砂苗ちゃんと。今どきのスマホはひとつのことをしていても、もうひとつのこともできるからありがたい。たまたま私と砂苗ちゃんの携帯会社が同じで、同じ会社同士なら通話料が無料となるプランに入っていたのだ。しかも私はかけ放題。何度か切って再度繋いだりもしたが、ずっと砂苗ちゃんは私たちのやり取りを聞いていたのだ。私も録音していたが、砂苗ちゃんにも録音をお願いした。上手く録れる自信はなかったが、壁の向こうで砂苗ちゃんに聞いてもらうことで、私は心の安定を保っていた。家族以外の人が、当事者以外の人が聞いていれば、私もいくらか落ち着いて話ができるから。


「なにはともあれ、これで不備が無かったら無事離婚できるって言うことなんだよね? お疲れさま!」

「砂苗ちゃんありがとう……!」

「おめでとうございます。……それから、私の言うことを信用してくださってありがとうございました」


 深々と頭を下げる萌乃さんを見ていると、あの日私が萌乃さんの家に行ったときの、私を見てすべてを察したあの顔を思い出す。すべてを諦めたような、子どもの何気ない悪戯がバレたような、そんな顔。彼女の諦めの付けかたは、今日話したふたりを見ると違いが明らかだった。もう、諦めていたのだ、すべてを察した時点で。そういう意味では、一番聡い子であった。浮気したのは良くないが。


「良いんだよ萌乃さん。きっかけになったのはアナタの写真だったけど、アナタよりもーっと大きなものが片付いたんだし。不幸中の幸い? なのかな」

「……」

「ところで、話は進みそうなの? そっちの」

「……っ、あ、はい! 話は聞いてもらえて、私も処分がおります、恐らく。でも、良いんです、これで。私は自分のしたことの、ケジメをつけないといけないから」

「これ、持って行きなよ」


 私は鞄の中から一通の封筒を出した。


「これは……?」

「私たち元夫婦の離婚届のコピーと、私から一筆」

「えっ!?」

「もとはと言えばさ、やっぱり、あの人が原因だと思うんだよね。私の知っている範囲で、三人の女性に手を出していた男だよ? 萌乃さん以外にも手を出してたり、粉かけてたりしたんじゃないかなって。萌乃さん本人が言ったうえで、私からもなにか言えないかなって思って。書いてきたの。ま、要は『確かにうちの元夫と浮気したけど、上司と新人という立場上断れなかったので元夫が悪い。他の女性にも似たようなことをしている可能性があるので、これを機に早急に調査してほしい。元妻として監督不行き届きでゴメン。離婚したので好きにしてくれ。彼女は協力者だった、今反省もしている』って内容」

「そ、そんな……良いんですか……? だ、だって私……」

「あはは、甘いかな? ……世の中の浮気に苦しんでる人から見たら、きっと甘いよね。わかってるんだけど、あの人の本性を見たら、放っておけなくてさ。また同じことすると思うもん。新人に手出して、自分はのうのうと逃げるみたいな。粉かけられたと思うだけで、嫌な気持ちにならない? だから、誰を懲らしめなきゃいけないって言ったら、萌乃さんよりもあの人なんだよ」


 ――あの人。単体だが、そのなかにはこっそり五百蔵さんの元奥さんと、親友だったあの子も含まれている。


「あ、ありが……っ……」

「わぁわぁ! 泣かないで!」


 唇を噛み締めながら、萌乃さんが目に涙を溜めていた。これがあの、浮気現場に乗り込んだときだったら『そんなことでは騙されない』と思っていただろう。『なんてわざとらしい』とすら考え、嫌悪感だって抱いていたと思う。うすら寒い、白々しい、反吐が出る、吐き気がする、なんて。


「ありがとう。なんというか、萌乃さんがあっさり身を引いて、すぐに白旗上げてくれたから、そのあと頑張ろうと思えた部分もあるんだ。協力的だったしね」


 これは私の偽善だ。自分みたいにあの人に引っかかる人が少しでも減るようにと。そんな人だと見抜けないまま結婚した自分への、そして知った結果離婚を選んだことへの戒めでもある。


「もう手伝えることはないかもしれないけど、もし結果が出たら教えてほしいな。それを聞いたら、ようやく終わったって思える気がするんだ」

「もちろんです。一番最初にご連絡します!」

「……私もそれ聞いても良い?」


 遠慮がちに砂苗ちゃんが言った。


「めちゃくちゃ協力してくれたからね。しばらくは、変な動きがないか私も気になってあの人たちのこと砂苗ちゃんに聞いちゃうかもしれないし」

「そこは任せて! って言っても、部屋の外のことだから、なかなか気が付かないかもしれないけど」

「私も、まだ会社にあの人と私がいるのであれば、動向は窺えます」


 私は最後に、この三人で集まることができて良かったと思った。

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