第54話:いらっしゃい_4
「蒼飛……。いい加減にしなさい。シオちゃんの言っていることは、間違いでもなんでもない、当たり前のことだ」
「ねぇ蒼飛……アナタ、今浮気相手がここにいて、結婚しようって迫られて、自分の責務も果たさないで、どうしてそんなことが言えるの?」
ようやく、義両親も自分の息子のしでかしたことの重大さに、気が付いたようだった。私はこのまま離婚届を出しに行っても構わない。奈七さんだって呼ばなくても良かった。ただただ、この人の言い分がおかしいことを、やっていることがおかしいことを、身近な人にわかってほしかったからこんなこをとしている。時間を引き延ばして、浮気相手に喋らせて、この人の無責任さを見せつけて。
「まぁ、弁護士も私は依頼していますし、慰謝料については弁護士から連絡を入れますね。あと、お義父さんとお義母さんの元へはもちろん、会社にも送りますのでそのつもりで」
「っ、ざけんなよ!」
「給与の差し押さえできるか、確認してもらいます。天引きって、楽で良いですよね」
「くそっ、くそっ!」
やり場のない怒りなのか、ブツブツとなにか言っている。私には当然当たれないし、義両親も無理だ。奈七さんには言えるかもしれないが、言ったところでどうにもならないことは目に見えている。
「慰謝料は……いくら支払えば良いのかな?」
義父が言った。自分の息子では埒が明かないと悟ったのだ、やっと。
「想定では三百万ですかね」
「さっ、三百万!?」
「そうです、三百万です。……お金の使い込みに長期間かつ複数の不貞行為、暴言やモノに当たるモラハラ。えっ、これくらい当然ですよね?」
「し、しかし……」
「あ、私はこの人が勝手に借りた三百万、払いませんからね? 私は蚊帳の外でしたし、知らなかったので。そこはどうぞ、ご家族で勝手に話し合ってください」
「蒼飛? 三百万ってなに? あっ! もしかして、私たちの結婚式の費用!?」
「お前ちょっと黙ってろよ!」
「えぇん……蒼飛酷い……」
「ねぇ蒼飛、アナタに貸した三百万、ついこのあいだなんだから、当然まだ残ってるわよね?」
「……もうねぇよ」
「えっ……なんで? なんでもうないのよ!」
「別に。使ったからだけど」
「に、二か月ちょっとで三百万使ったの……?」
「借りてないし。もらったし」
「あげてないじゃない! 貸すだけで、ちゃんと返すって言ったでしょ!?」
「聞き間違いなんじゃないの?」
こんなにいい加減な人だったのかと、私も今驚いている。これが彼の本性なのだ。知っていたら、絶対に結婚しなかったのに。
「それは私的にどちらでもいいので、まずは慰謝料として三百万。それから、今日家を出たら、私はもうこの家には戻って来ません。鍵も置いていきます。明日からは他人なので、どうぞご勝手に」
三百万が妥当かと聞かれると、正直ちょっと吹っ掛けた。もらえたらラッキー、相場より高いと思う。でも、気持ち的にはもっともらいたいくらいだ。
「お前は無責任だ!」
突然、あの人が席を立ち、テーブルをバンバンと叩きながらこちらを責めてきた。
「……はぁ? 無責任の意味わかってる?」
「結婚したくせに簡単に離婚するなんて無責任だ!」
「結婚したのにそれを裏切って浮気するのは無責任じゃないの? 勝手に両親からお金を借りて、黙って自分で使っちゃうのは? ふたりで貯金するはずだったお金、全部自分のモノにするのは無責任じゃないっていうわけ? 浮気相手に結婚するって言うのは? 話し合いもせずに逃げ回るのは? 無責任じゃないっていうわけ? アナタずっと倫理観おかしいよ」
「うるさい……うるさいうるさい!」
駄々をこねる子どものように、その場で地団太を踏んでいる。大の大人がやると、見苦しいことこの上ない。
「もうお前は黙って座ってろ!」
強引に義父が座らせる。隣に座っている奈七さんは、オドオドと怯えた様子を見せた。
「今後のことについては、どうぞ息子さんと話し合ってください。私にはもう関係ありませんから」
「すみませんでした」
「ごめんなさい、シオちゃん……」
「息子さんのおかしさ、理解していただけました?」
「本当に、申し訳ない。まさか、こんな人間になっているとは……」
「こんな人間ってなんだよ!」
「黙って座ってろと言っただろ! お前が喋ると問題しか起きん!」
「お願いだから蒼飛は黙ってて、母さんたちに話をさせてちょうだい」
「それでも親かよ! 俺を守れよ!」
「親だから言っているんだ! いい加減にしろ!」
なにもかもが遅いと思ったが、わかってもらえただけでまぁ今は良しとする。だって、このあとまだ最後のイベントが残っているのだから。
「俺もう帰る」
「まだ話は終わってないだろ!」
「終わっただろ!? 離婚でもなんでも好きにしろよ! そうやって俺のことを思い通りに動かそうとしてるだけなんだろ? はいはい、すみませんでした! 俺が悪かったです! もう浮気しません! これで気が済んだか?」
「そんな上っ面の謝罪もどき、受け入れるわけないじゃない」
「俺が謝ってやってるんだぞ!?」
「『俺が』謝って『やってる』っていうのがそもそもおかしいのよ。どうして気が付かないの? 悪いことをしているのはアナタなんだから、謝るべきであって恩着せがましく振る舞うのは間違ってるから」
「それならお前も反省しろよ!」
「……私反省する内容ないよね?」
「存在だよ存在!」
「存在ってそんな無茶苦茶な……。じゃあ聞くけど、存在に謝罪が必要なら、なんでそんな女と結婚したの?」
この人が支離滅裂なことを言っているのは良くわかっている。わかっているのだが、逆にどうしてそう思ったのか、なんで私と結婚したのか純粋に気になった。存在が気に入らないのなら、結婚なんかしなきゃよかったし、付き合うことすら辞めればよかったのに。
「お前がほかのヤツらに人気があったからだよ! お前と付き合ったときの、周りのヤツらの顔が見たかっただけ! 好きっていう男は結構いたからな。俺がかっさらっていったときの、アイツらの顔は最高だった! 悔しそうで、おめでとうって言いながら目は笑ってなくて。あとはまぁ、お前が若くて、家庭的だったから? 世間体と都合が良かったから結婚しただけなのに、結婚してもらったくせにうだうだ言うなよ」
「呆れた……」
そんな理由で結婚したこの人の、精神状態も思考回路もわからない。むしろそれだけで、そんな陳腐な理由で良く結婚したなとすら思える。
「そんなくだらない理由で、私戸籍に傷つけることになったわけ? 最低な人ね。こんな人と結婚なんてするんじゃなかった」
「なに言ってんだよ。人気者だった俺と付き合えて結婚できて、幸せだったくせに」
「今地獄ですね」
これだけクソ野郎みたいな思考を見せつけられたら、思い残すことはもうなにもない。ほんの少しだけ、心の奥底の底に『結婚した人だから』という小麦粉一粒よりも小さな情があった気もしたが、今の言葉でどこかへ吹き飛んでしまった。……もっと早く知ることができたら、こんなに悩むことも、嫌な気持ちになることも、お金を使うこともなかったのに。
ピロリン――ピロリン――ピロリン――ピロリン――。
「あっ、きたきた」
一階のオートロック解除を願うインターフォンが鳴った。
「はーい、どうぞー! 開いてるからそのまま入ってきて!」
下のロックを解除し、返事を聞かないまますぐに通話と画面を切る。誰が来たのかはわかっている。マジマジと確認する必要もない。
――いや、思い残すことはあった、まだ。
(あ、そうだ。砂苗ちゃんに連絡入れておかなきゃ、あとは……萌乃さんにも)
私はふたり別々に連絡を入れた。どちらもすぐに返信が来る。そしてもうひとり、連絡を入れた。こちらもすぐに返ってくるだろう。
「お前、さっきからなんだよ、スマホ見てニヤニヤして。失礼じゃないのか」
「アナタには一番言われたくない」
「はぁ!?」
「ご両親の言う通り、黙ってたほうが良いと思うよ? このあとはとくに」
もう最終試合のゴングは鳴った。あとはただ、その試合の最後の最後に『お疲れさまでした、さようなら』と、引導を渡すだけで良い。それですべてが終わる。
奈七さんが開けたときのまま、玄関のドアのカギは開きっぱなしだ。そのドアが開くのを、私は今か今かと待っていた。
――ガチャ。




