第50話:イロオイナナ_3
と、五百蔵さんからは忠告が入ったものの、この日とくにイオロイナナさんが我が家に来ることはなかった。休日だし夜は両親が揃っていたから、突撃されても問題はなかったのだが。『荷物を実家へ運び出し、今は大人しくしているらしい』と、五百蔵さんから週の半ばに連絡が来た。
これで、二件目の浮気はおおかた片付いたのだろう。私はまだあの人を問い詰めていないし、ナナさんに慰謝料の請求もしていないからあくまでもおおかた、だ。すべてに肩をつける覚悟はできた。グダグダといろいろなことが起こるから、ついここまで引き延ばしてしまった。でも、それももう終わりなのだ。
私も今週末、弓削蒼飛との関係に終止符を打つ。
引き延ばした、といっても、三か月くらいの話だ。世間的に見たら、早いスピードだったかもしれない。私の体感は、たくさんの出来事が一気に起こり過ぎて、一日はゆっくりのようで三か月は一瞬だった気もしている。
この三か月で十歳くらい歳をとった気分だし、人生の中の一大イベントを早送りで進めた気分でもある。まだ終わっていないが、終わりかたが今から楽しみで仕方がない。私はなにも困らない。困るのは、あの人と浮気相手だけ。
「あれ、なんだか今日は機嫌がいいね?」
「え? そうですか?」
簿長は本当に良く見ている。終わりの日が近づいていると思ったら、少しだけ気分が軽くなったのだ。それが態度や表情に現れていたのだろう。
「うん。なんだかちょっと楽しそう」
「楽しそう……そう言われてみればそうかもしれないです」
「なにかいいことでもあった?」
「このあと起こる予定なんです。だから楽しみで楽しみで。それが出ちゃったのかもしれないですね」
「お、いいねぇ。楽しい予定があると、頑張れるからねぇ」
「そうなんですよ」
このあと起こる【いいこと】は、もちろん【離婚】だ。今の私にとって、最大級の良い出来事でご褒美でもある。無事に私の荷物は、新しい家へと運ばれた。写真では確認していたが、大家さんと両親とともに内覧へ向かい、父にそのまま書類を書いてもらって無事入居可能となったのだ。念のため、まだ借主の名義は父にしてある。大家さんと管理会社には連絡済みで、無事に離婚したら私を借主にする予定だ。それでいいと大家さんが言ってくれた。
家電と家具は少しばかり両親の援助を受けたが、今まで住んでいた家から引き取ったものも多い。どうせ私が独身時代に買ったものだし、あの人は帰ってこないから使わない。一応、話し合いにあの部屋はまだ使うから、目立つものはやめた。今までの部屋よりかは当然狭くなったが、それでも私ひとりで住むには十分な広さだ。まだ築年数も浅いし、大家さんが宣言通り家賃をオマケしてくれた。周囲の有用な施設のメモと、安いスーパーの一覧も添えて渡してくれたのだが、これには感謝しかない。
心機一転、ひとりでやっていく下準備は終わった。
あとは、離婚すること、そして浮気相手を問い詰めること、そのふたつ。
「そういえば、来月から残業増やしちゃっても良いの? 今まで、できるだけ定時で帰っていたでしょ?」
「はい。ちょっと入用になってしまって。貯金もしたいので、忙しくなる四月からちょうど良いかな? なんて」
「こっちとしては助かるよ。新人の研修準備と、その研修があるからね。人手があるに越したことはないよ」
「準備も今年は一からなんでしたっけ?」
「そうそう。カリキュラムを一新したいって話が出てね。ある程度固まってるから、それをまとめて運用していくんだけど。ちょうど補佐がほしくてね。弓削さんのこと推薦しておいたから、来月から頼むよ」
「わかりました」
「今月の残りは、あっちのリーダーと話しながら、資料確認しておいて。会議も増えると思うし」
忙しくなるのは構わない。できるだけ、今しなければならないこと以外は考えたくなかったから。そんなに使っていないが、お金もこれからまた必要になってくる。自分で自分を生かしていかなければならない。
「……新入社員、楽しみですね。どんな子たちが入ってくるんだろう……」
新入社員と口に出して、真っ先に頭に浮かんだのは萌乃さんだった。彼女は入社一年目で上司と浮気したことになるが、結局、これからどうしていくのだろう。
「弓削さん入社式出るんだっけ?」
「いえ、そういう話はまだ聞いていませんね。……あ、でも、新人研修担当するなら、顔合わせもかねて出席することになるのかな……?」
「可能性は高いよね。こっちの仕事はセーブして、新人教育のほうに注力してね」
「はい」
「……明るくなったみたいで良かったよ。このあいだはくらーい顔してたからね」
「あはは、すみません。嫌なことが重なっていて。でも、もう解決しますから」
「そうなの? そりゃあ良かった。頑張ってね」
「ありがとうございます」
就業時間中に余計なことを考えてしまい、気が付いたらもう定時を三十分ほど超えていた。とくに予定もないし、のんびり帰ろうと思っていた矢先、砂苗ちゃんからkiccaが送られてきていることに気が付いた。
(なんだろ?)
通知で見切れているメッセージの文字は【写真を受信しました】。そしてその上に『ねぇ、今日って会社休みだったのかなぁ?』とメッセージが続いている。
(私は仕事だけどな?)
要領を得ないまま、帰る準備をして席を立ち、あいさつを済ませてメッセージを開いた。
「んあ!?」
思わず素っ頓狂な声が出る。エレベータホールに誰もいなかったのは幸いだ。こんな変な声、知り合いじゃなくても聞かれたら恥ずかしい。
(これ、ナナさんじゃない……?)
この顔は見覚えがある。五百蔵さんの奥さん……いや、元奥さんのナナさんだ。隣に写っているのは驚くこともないが弓削蒼飛である。
(え? まだ会って……? あぁ、そっか、五百蔵さんはあの人との結婚をナナさんにチラつかせてたから、ナナさん的にはあの人がいないと困るんだ……)
そしてもう一枚の写真には――。
「ごめん、仕事今終わったところ。これって、今日撮った写真なんだよね?」
急いで返信を打つ。待機していたのかたまたまスマホを見ていたのか、砂苗ちゃんからすぐに既読が付き、返信が送られてきた。
『うん。一枚目はわかると思うけど、ウチのマンションだよね……』
「あの人、もしかして今日帰ってきたってこと……?」
『うーん。私はゴミ出しに行ったんだけど。郵便物見て、うっすら外が騒がしいな……? って思って郵便受けの反対側へ行ってみたら、まさかの御主人と女性が』
「あ、この人浮気相手」
『やっぱり!? 実はそうかなと思って写真撮ったんだよね。隠れてこっそり撮ったけど、気が付いてなかったからズームしちゃった』
驚くほど鮮明に取れた写真には、間違いなくあの人とナナさんが写っていた。
「すごいね、メチャクチャハッキリ写ってる」
『私もビックリした! で、こっちの人なんだけど』
「あぁ、こっちも浮気相手」
『わーんやっぱり!』
「え、これいつどこで撮ったの?」
『ちょっと遠い、大きめの手芸センターあるでしょ? 布とかパーツとか、階にわかれてそればっかり売ってる』
「あー、もしかしてクラフトルームってお店?」
『そうそう、それ! 今日そこに午後行ってきて、さっき帰ってきたんだけど。その帰りの駅でね、ちょっと』
「遭遇したんだ」
先ほどのナナさんと写った写真で、あの人は険しい顔をしていた。が、こちらは打って変わって笑顔だ。
「時間が時間だったから、もしかしてご主人お休みだったのかなって、仕事」
「そうかもしれない。……GPSの電池切れちゃったから、動向はもう追いかけられなかったんだなね」
『探偵さんは?』
「一応今週はまだ依頼してる。でも、逐一報告が来るわけじゃないから……」
『それはそっか。……証拠になりそう?』
「うん、ごく最近会ってた証拠になるから、助かるよ」
『良かった! もし、シオちゃんのいないときに帰ってくるようだったら、遭遇したら連絡入れるね!』
「ありがとう!」
久し振りに、あの人の顔を見た気がする。どうしてこんなふうに笑えるのかは相変わらずわからないが、私のなかに不思議ともう怒りという感情はなかった。




