第49話:イロオイナナ_2
「す、すごい流れだったな……。いや、流れるように終わったな……?」
こんなにすんなり離婚話が終わるなんて、と、私は拍子抜けしていた。もっと奥さんはごねると思っていたし、五百蔵さんも強く出ると思っていたのに。聞いているぶんにはあっさりと、いとも簡単に、五百蔵さんは奥さんの署名入りの離婚届を成果として受け取っていた。
最初聞いたときはケンカの言い合いになると思った。それなのに、五百蔵さんは奥さんを責めることもなく――嫌味はあったように感じたが――声を荒げることもなく、終始落ち着いて話をしていた。奥さんももっと激高したり言い訳をしたりすると思っていたのに、最初のほうに少し片鱗が見られただけで、あとは言われるがままに行動していたように思う。第三者として聞いていた感想は、五百蔵さんはへりくだり過ぎというか自嘲気味だし、奥さんは罪悪感や反省の気持ちと言ったものを一切持ち合わせていないのではというところだ。
自分が萌乃さんの家へ乗り込んだときは、もっと感情的だったし圧をかけていたと思っている。それがないのだ。
「もしかして、相手によって対応の正解とかあるのかな……? 五百蔵さんは奥さんのこと良くわかってるはずだから、この対応をすれば絶対離婚届にサインしてくれる自信があったとか……。すごいや……」
それなら納得もできる。すぐにでも五百蔵さんに聞いて答え合わせをしたいところだが、今五百蔵さんは離婚届を役所へ提出するという、今日一番の大仕事を行っている。邪魔をしてはいけない。
あまり先ほどのやり取りでは離婚後の具体的な話も出なかったし、気になるのは最後に出てきた謎の紙だ。条件とは言っていたがどういった条件か全貌はわからないし、不謹慎だがなんだかワクワクする。短期間とはいえ、あれだけ証拠を集めて子どもを連れて離婚する……と言っていた五百蔵さんが、簡単に終わるはずがない。あんなやりとりの履歴を見せられて、妻が週二で一日中浮気相手とラブホに行っていたのだから。
(……って、その相手がウチの夫なんだもんな。あとふたり浮気相手がいるんだから、私はもっとぶちのめしたいんだけどね……)
乾いた笑いが浮かぶ。私も離婚に向けて動いているから、五百蔵さんの今回の成果は、自分を鼓舞するに十分な話だった。
――夫は、今日も帰らない。
もう、どこにいるのかはわからなくなっていた。切れたGPSのバッテリーはそのままだし、萌乃さんからも連絡がないから、彼女へはもう連絡を入れていないのだろう。
……なんて、白々しいことを言いながら、今週もう何回読んだかわからない浮気の調査結果に、私はまた目を通していた。何度読んでも結果は変わらない。浮気相手が増えることはないが減ることもない。写真に写っている夫を見て、昔の彼を思い出していた。
「……懐かしいなぁ……」
――ヴーヴヴ。――ヴーヴヴ。――ヴーヴヴ。――ヴーヴヴ。
「あれ? 五百蔵さん? どうしたんだろう?」
通話を切ってから一時間半ほど経ったころ、また五百蔵さんからの通話がきた。もう役所へ離婚届を出し終わったのだろうか。……きちんと受理されたのだろうか。
「――もしもし?」
『あ、弓削さん。お世話になります、五百蔵です』
「お世話になります。先ほどは、お疲れさまでした」
まずは彼を労った。昨日今日は、相当な労力と精神力を消費したに違いない。
『ありがとうございます』
「……無事、終わりましたか?」
『あぁ、えぇ。終わりました。パッと見て離婚届に不備はないと、役所に受け付けてもらえましたよ』
「それは良かった! 不備があると、受理されないですもんね……。これを書き直すってできればしたくないですもん……」
『私もそう思っています。まぁ、休日なので実際の受付は休みが終わってからになりますが。それでも一段落ついた気分です』
「よかったです。……このまま家に帰られるんですか?」
『今ちょうど戻ってきたところで、結果のご報告をと思って連絡しました。急に通話を繋いでいてほしいなんてお願いをして、すみませんでした』
「いえいえ! お気になさらず! なんというか、予行演習みたいで、勉強になりました」
『そう言っていただけると、心も軽くなります。……ちょうど帰ってきたところ……と言いましたが、実は帰ってきたら妻がいませんでして』
「え?」
『大丈夫だとは思うのですが、もしかしたらご主人を探してそちらに行くかもしれません。注意していただきたくて、その連絡も兼ねています』
「……きますかね?」
『もしかしたら妻……いえ、もう元ですね。元妻の実家かもしれませんし、私の実家かもしれません。私の実家の場合は、両親に子どもを連れて出かけるようお願いしているので、大丈夫だとは思うのですが……。弓削さんの御主人との再婚も、私はほのめかしたわけなので……』
「そういえばそうでしたね、そんなこと……」
『すみません。ダシにするような扱いをしてしまって。先がないと思われるより、ああやって未来に希望を持ってもらったほうが、すんなり離婚できると思ったので……』
(あ、だから『申し訳ないです』って言ったのか……!)
私に『申し訳ないです』と断ってから、再婚の話を始めていたっけ。あの瞬間はなにが申し訳ないんだろう? と思っていたが、そういうことだったのかと納得した。
「すんなり離婚できることに越したことはないですよ。私自身再構築するわけでもないですし、もう別居状態ですからお気になさらず」
(でも、突撃は困るな……あの人、住所教えてるのかな……)
『すみません。本当にありがとうございます』
「いえいえ。あ。ひとつお聞きしても良いですか?」
『なんでしょう?』
「一番最後に出てきた、誓約書とか契約書的なアレ、なんだったんです?」
『あれですか。仰る通り、誓約書やら契約書の類です。離婚したあと、根も葉もないウワサを立てられたり、会社や実家に突撃されても困るので。それをされたときに、文句が言えるようにの予防線ですね』
「あぁ、なるほど」
『でも別に、弁護士を挟んだとか公正証書にしたためたとか、そういうものではないので。効力があるかと言われたら多分ないんですけどね。ちゃんと話はしましたよ、話を聞いて了承しましたよ、って紙があれば、多少大人しくなるんじゃないかなって希望的観測です、はい』
「ないよりはいいと思いますよ。それで黙る人もいるでしょうし」
『だと良いなって思っています』
「……養育費、本当に良かったんですか?」
『はい、大丈夫です。彼女は今仕事をしていませんし、払えるお金があるとは思っていないので。子どもに固執されても困りますから』
「それは確かに。あれ、でも、慰謝料の話も出なかったですよね? 離婚するのだから、奥様に請求しても良かったんじゃ……。ウチの夫にもですけど」
『正直、少しだけそれは悩みました。でも、今追い詰めるのは得策じゃないって思ったんですよね。離婚までが長引いてしまうかもしれませんから。今日だったら、子どもは私の両親といますから、連れて行かれる可能性も少ない。……育てられないからって、児童相談所に連れていかれたら可哀想ですし。妻と一緒にいるよりかはマシかもしれないですけど。今後変なことをするようでしたら、そのときは容赦なんてしませんけどね』
「なんというか、優しかったですもんね。話しかたとか、終始」
『彼女は激高タイプですし、思い通りにいかないと子ども相手でも平気で怒鳴り散らすようになってしまったので。できるだけ余計なことを考えさせず、かつ、彼女にとって都合の良いことが先に待っているように見せかけることが大事なんです。本当は私が彼女に怒鳴り散らかして詰め寄りたい気分でしたけれど。離婚のために我慢しました。読みが当たっていて、余計な苦労することもなくて助かりましたよ』
そう言ってハハハッと笑う五百蔵さんの声は、初めて出会ったときと比べると、ずっと明るく感じた。




