第46話:一報_2
ここのところ、気分の優れない日が続いている。というか、あの年末からずっと、だ。前に進めば多少は良くなると思っていたが、いざ離婚へと進んでいって、時間も流れていっているのに、良くなることはなかった。萌乃さんの家に言ったとき、多少は気が紛れたと思ったのに。
そんな私は今日、仕事を終えて探偵事務所の一室へと来ていた。調査結果が出たのだ。ここに出揃う内容がどんなものだって受け入れるつもりだし、もう今さら取り乱したり、大袈裟に驚くこともないだろう。
「お待たせいたしました。こちらが結果となります」
「ありがとうございます」
待ちに待ったこの瞬間。知ったのはたった数か月前でも、もっとずっと前から私を苦しめていた存在。それが誰なのか、ようやくわかるときが来たのだ。
(あぁ、萌乃さんのように、すんなりと話が進む相手だと良いけど)
私は封筒へ手をかけ、ゆっくりと封を開けると中身を取り出してテーブルに置いた。表紙をめくり、そこから一枚一枚書類に目を通していく。一言一句逃さないように、左上から順を追って。
「……いただいたお時間で、かなりいいものが撮れたと思いますよ」
「そう、みたいですね」
「いただいた曜日指定でもしっかり撮れましたし、追加で依頼を受けた直近の一週間、ずっと同じ女性と一緒にいましたね」
「……ほんとですね」
「自宅へ行くのは避けていたのか、すべてホテルを利用。奥様も家に帰ってこないと仰っていたので、滞在場所も兼ねていたのでしょう。このホテルは在宅ワーカー向けに部屋を一か月単位で貸し出しもしていますから、恐らくそれを利用したんでしょうね。最近なのか、ずっと前からかはわかりませんが」
「そうですね……」
「女性もすべての日でこのホテルへ入っていくのを確認できました。今どきは宿泊者以外が入れないホテルも多いですからね。入れたとしても、併設されたカフェにラウンジ、ロビー程度だったり。出勤は一緒にしていますね。朝出てくるところもバッチリ」
「……本当に、すごいですね。こんなにハッキリ撮影できるなんて……」
「スタッフのおかげですよ。それから、奥様のおかげですね。かなり時間と行動も絞れましたし」
「あはは、ありがとうございます」
そう言いながらも、私は素直に喜ぶことはできなかった。
引き伸ばされた写真と、そうでない写真。どちらも浮気相手とあの人の顔がよく写っていた。ふたりともいい笑顔なのが無性に腹立たしい。……私はあの人の笑顔を、もうどれだけ見ていなかったのだろうか。もしかしたらこの隣にいるのは私で、浮気調査の写真なんかじゃなく、思い出の一枚としてアルバムにしまってある未来があったかもしれないのに。いつどこで、どうしてその未来は消えてなくなってしまったのだろう。
もう驚かないと思っていたのに、悲しくなることはないと思っていたのに、いざ私の依頼した結果が目の前に形として現れたら、その気持ちはどこかへ行ってしまった。あれだけ待ち望んでいたのに、今は時間を巻き戻せないかとさえ思える。『こんなはずじゃなかったのに』、と。
目の前の結果をどこかへやってしまうように、私はまだ温かいお茶をゴクゴクと飲み干した。
「……弓削さん?」
「……」
「弓削さん? 弓削さん?」
「え? あ、はい?」
「大丈夫ですか?」
「あぁ、えぇ、まぁ」
「顔色が悪いですよ? いえね、やっぱりいらっしゃいますよ。『自分はなにがあっても大丈夫』って思っていても、実際目の当たりにすると気分の悪くなるかたは」
「そうですね……。やっぱり、えぇ……」
「見終わりましたら、話しのほう続けてもよろしいですか? あ、少しお待ちくださいね。お茶のお代わりお持ちしますから」
その言葉を聞いた近くに座っている男性がおもむろに席を立つと、空っぽになった湯呑を、湯気の立つ新しいお茶が入った湯呑へ交換してくれた。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
不思議なことに、他人様の淹れたお茶は美味しい。自分が作ったご飯よりも、誰かの作ったご飯が美味しく感じるのと同じだろう。ふぅふぅと湯気をかきわけて冷まし、まだ熱いお茶を喉奥へ三口ほど流し込んだ。
「ええと、すみません。もう大丈夫です。話の続きをお願いします」
「もちろん。それではまずこちらの写真なのですが……」
ここからは、調査記録の内容と写真の内容の説明が細かく入った。内容と写真を照らし合わせながら、本人たちの様子や行動を説明してくれている。
「それで、休日はー……はい、あの、五百蔵奈七さんと会っていたようですね」
「あ、ですよね」
思わず同調してしまった。これで五百蔵さんも、より多くの証拠をゲットできただろう。今のところの最終週は、私があの人につけた探偵と、五百蔵さんが奥さんにつけた探偵の、二視点からの尾行で得た証拠が存在している。
「それで、こちらは何部用意しますか? 今は説明するだけなので、一部の用意しかなくて」
「えっと、じゃあ……全部で四部お願いします。あ、三部は全体をそのまま。残りの一部は、五百蔵さんへ渡したいので彼の奥様に関する部分だけお願いします」
「承知しました」
個人情報満載の、漏洩してはまずい内容だと理解しているが、おそらく問題ない。私ひとりでここへは来たが、このあと五百蔵さんと合流することになっている。この探偵事務所で。いわば共闘なのだ。お互い約束した。だから実際にはあり得なさそうな対応も、事務所側はおおまけにまけて了承してくれたのかもしれない。
「そろそろ時間ですね」
「あ、本当ですね。おふたり一緒に、五百蔵さんの結果を聞くということで間違いないですね」
「はい」
そんなやりとりをして五分も経たないうちに、五百蔵さんはやってきた。
「あ、弓削さん、お久しぶりです。今回はありがとうございました」
「とんでもないです。こちらこそですよ」
少しだけ久し振りに会った五百蔵さんは、以前よりもやつれているように見えた。
「……大変、みたいですね?」
「えぇ、まぁ。でも、お陰さまでなんとかなりそうです」
「それなら良かった」
「そちらはどうですか? 順調ですか?」
「今日で出揃った感じはしますね。あとはいつ使うか、どう使うか……」
「なかなかそこが難しいですよね。勢いに任せてすぐに全部ぶちまけたい気持ちもあるし、しっかりと周りを固めて、極限まで追い詰めたい気持ちもありますし」
「ここまで来たから、失敗は絶対にしたくないです」
「わかります! お互い頑張らないとですね」
「そうですね」
私たちはグッと握手を交わした。もうここからは、お互い伴侶と、そして浮気相手と戦うしかないのだ。そう望んでいたから。
「それでは、早速五百蔵さんも結果を聞いていただいてよろしいですか?」
「はい」
あの人が五百蔵さんの奥さんと一緒にいたのは、やはり土日で間違いなかった。火木は違っていた。萌乃さんでもない。あの人には私という枷がもうないから、やりたいように自由によろしくやっているのだ。気になるのはやはり金銭面だったが、義母が貸した三百万がある。まだ時間もそれほど経っていないから、余裕で残っているはずだ。だからホテルにロングステイもできるし、まだまだ浮気相手をひとりに絞ることもしていないのだろう。萌乃さんという一番若い相手を失ったから、誰か補充する可能性だってある。……そのころには浮気ではなくなっているかもしれないが。
「……というわけで、こちらの調査報告は以上となります」
「「ありがとうございました」」
わたしと五百蔵さんの声が重なる。気が付けばお互い、揃って頭を下げていた。
「今日はお疲れさまでした。……帰りましょうか」
「そうですね」
探偵事務所を後にする。五百蔵さんの手から、あの人と奥さんの浮気調査結果をもらった。代わりに、私が受けっとっていた四部のうち一部を彼に渡す。たかだか紙なのに、その重みは胸を締め付けるほどだった。




