第41話:息つく暇もなく_2
「い、いえ。私がいけなかったんです。誰かに相談するべきでした」
私が頭を下げて、彼女も頭を下げている。
「でもその。夫が悪いとは思うんですけど。あのバレンタインの手紙は……?」
ここの説明がつかない。明らかに夫を好きな女性からの手紙だったし、彼女も手紙を渡したことは認めた。渋々付き合っていたのなら、あんな思いを書いた手紙は送らないと思っている。
「……不機嫌になるんです。私が乗り気な態度を見せないと。だから、たまに『私がアナタを好きなんです』って素振りを見せていたので。……あとはいい店に連れて行ってくれたので、それは嬉しくて……」
「はぁ、なかなか現金な理由ですね……」
「すみません……」
あまり後腐れがなさそうなのが救いか。ともかく、恋愛感情はなさそうに見える。
「前回は聞かなかったんですけど、男女の関係はありましたか?」
「……はい」
「まぁ、あれだけ頻繁に会っていればそうなりますよね。これで見ると、うーん、夏前くらいかなぁ……」
「付き合うというか、頻繁に家に来始めたのはそれくらいからです」
「ちなみに、アナタ以外にも浮気相手がいたのは知っていました?」
少し驚いた顔をした、ように見えた。
「……はい」
「あ、知ってたんだ」
今度は私が驚いた。
「実は、その……以前に奥様のお顔を見たことがあったんです、彼の」
「え、私の?」
「いいえ、今目の前にいる奥様ではなくて」
「違うの? え?」
今『奥様の顔を見たことがある』といったばかりなのに、目の前にいる私ではないとはどういうことなのか。
「kiccaのトーク画面の背景を、女性にしていたんです。それで、私が『この人奥さん?』って聞いたら、彼はそのとき『そうだよ』って答えたんですけど。……その、言いにくいんですが……」
「な、なに?」
「奥様ではなくて……別の女性だったんですよね」
「……えぇぇ?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。私なのに私じゃないとは。どういう意味だ。
「でも、奥さんだって答えたんだよね?」
「はい。だから、最初ウチにいらっしゃったとき、失礼なのはわかっていますが『え、浮気相手が乗り込んできたの?』って思ったんです。それならそれで、正直連れて帰ってもらいたいなって思って。でも、話を聞いていたら『あれ、この人が本当の奥さんなんだな?』とわかって。さすがに自分も浮気してるのに、父親も連れてくることはないかとも。あの写真の人は、浮気相手なんだ、私以外にも浮気はしてたんだと理解した感じです」
「あぁぁ、私より先に複数浮気相手いたこと知ってたんだ、超ウケる」
別に面白くはないが、ついそう言ってしまった。私はそのあと母に言われるまで気が付かなかったのだから、彼女のほうが察しが良いのが少々悔しい。
「あの人にはその話したの?」
「していません。あれからウチには来ていませんし、私も連絡を入れていないので。会社では会ってしまうので今はどうしようもないんですが、この一週間は、定時で帰られていました」
(じゃあもしかして、一週間その奥さんだと偽った女のところに帰っていたってこと?)
我が家に帰ってこなかったのだから、その可能性は十分にある。
「その女性、どんな人だった?」
「ええっと……奥様と比べると、歳は同じか少し上に見えました。私よりは上、彼よりは下だと思います」
「他には?」
「髪の毛は茶色……かな、そこまで薄い色ではなかったと思います。結構顔が近かったから……。おでこは見せてたかも……顔周りはうーん……緩いウェーブだったような……」
「なるほど」
「服装は見えなかったです。写真の半分は彼でしたし……。あまり、そういうツーショットの写真をトーク画面とはいえ設定する人だとは思っていなかったので、私自身驚いたので覚えています。……笑顔でした、ふたりとも」
「ありがとう」
「あ、でも、もう画面は変えられていると思います。私がそれを見て、次に見たときは普通の画面というか、ただの背景になっていたので」
あの人は浮気生活を満喫している。ここまで来たらもう笑ってしまう。
「なんなのよもう……。ただのクズじゃん……。……ねぇ、その女の人の顔見たらわかる?」
「た、多分……。ハッキリわかります、とは言えないですけど、かなり私の中でインパクトがあったのでおそらく」
「もし、判断してほしいと思ったときに呼んだら、来てもらえる? 私今、その人を探してるの。どこの誰なのか。アナタが話をしてくれたら、奥さんだって偽ってたこともわかるし、それって本当の妻がいるのにすることじゃないから。でも、その相手もウチの夫もいるタイミングになるかもね。会いたくないかもしれないけど、自分が悪いことをしたと思って、少しでも償いたいなら」
「やります。そのときはすぐに連絡してください。なにがあっても行きます」
(おぉ、即答)
彼女は彼女なりに、罪悪感を感じていたのかもしれない。だからお金を用意して、自分で証拠を持ってきた。ここまでするなら、私もそこまでもう怒りは湧かない。生温いと思われるかもしれないが、彼女相手に責めるのはもうこれで十分だ。あとは、残りふたり――。
「ねぇ、もう不倫はやめなよ? もったいないよ、まだ若いのに、もっと他に良い相手がいるよ」
余計なお世話だと思いつつ、口出しをしてしまった。でも、本当にそう思う。また同じことになってしまっては、彼女自身も辛いはずだ。
「しないです、もうしません」
「できるなら、夫の行為は相談したほうが良いと思うけどね、今からでも会社に。辞める覚悟はあるんでしょ? 印刷した紙を見せたら? セクハラとかパワハラの窓口あるんじゃないの?」
「あります。……けど、そうしたら奥様が……」
「私、今年度中……って、もう一か月もないんだけどさ。離婚するつもりなの。アナタは私に対してもう清算したと思ってるし、そのあとはあの人がどうなっても構わないよ。むしろ問題になってくれたほうが、離婚しやすくて助かるかも」
「……わかりました」
「あ、別に、しなくてもいいけどね。嫌な話をまたしなきゃいけなくなるし、アナタも責められることにはなると思うし。社内不倫だから、会社によっては懲戒処分でしょ? 先に辞めるって宣言したらいいのかな……どうなんだろ」
「総務に仲の良い女性の先輩がいるので、その人に相談してみます。私は怒られるだろうし、もしかしたら相手にされないかもしれません。でも、まだ全部、ケジメをつけられていないと思うので」
「そう……」
「そのときに、もう奥様と話はしたことは、伝えても大丈夫ですか?」
「構わないよ。でも、夫には伝わらないようにしてほしいかな。まだこっちも片付いてないからさ」
「そこは私も口にしませんし、先輩にも念押しします。必要なら、経過もご報告します」
「報告してくれると助かるかな。動きやすくなりそうだから」
「はい。休み明けに、早速相談に行きたいと思います。休みに個人的に先輩に連絡を入れて、時間を作って記録を残してもらいます」
「……頑張って。ごめんね、月並みなことしか言えないけど」
「とんでもないです。こちらが蒔いた種なのに、奥様の手を煩わせてしまって……」
「違うよ。種を蒔いたのはウチの夫。アナタじゃない。必要だったら証言するから」
自分で言って虚しくなった。正直、今の段階で少し彼女に対して情が湧き始めた。ウチの夫がいなかったら、今ごろ彼氏ができていたかもしれないのに。夫がいなくても不倫していた可能性はゼロではないかもしれないが、少なくとも夫と付き合うことはなかったのではと思う。彼女へのkiccaの連絡は、ウチの夫から始まり終わっている。
「そのときは、どうぞよろしくお願いします」
萌乃さんは頭を深く下げた。
「もう頭下げなくて良いよ。正直、くれてやっても良いかなと思ってたんだけど、夫のこと」
「ご、ごめんなさい……。い、要らないです」
「だよねぇ、現妻の私が要らないんだもん」
大袈裟にリアクションをとってみると、クスリと萌乃さんが笑った。こんな出会いじゃなかったら、友達になれたのかもしれない。……いや、もしかしたら今からでも友達になれるのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えていた。




