第40話:息つく暇もなく_1
こうして怒涛の土日二日間が終了し、さらに怒涛の平日が過ぎた。この五日間で探偵と弁護士の元へ足を運び、また土曜日を迎えようとしていた。探偵さんから調査結果を早くもらいたいが、ここはグッと我慢する。この一週間、あの人は家に帰ってこなかった。代わりに、なんと母が毎日泊まってくれた。ビクビクしながら毎日を過ごしていたが、それは杞憂だった。
GPSをチェックした結果、火木はやはりどこかへ行っているようだったが、月水金の萌乃さん宅への移動はなくなっていた。車はホテルのパーキングに停めているらしく、平日の移動は見られず、彼の鞄に仕込んだGPSにのみ変化があった。とっくに捨てられたと思っていたが、まだ役割を果たすために生きているらしい。ありがたい話だ。このホテルに泊まっているところを見ると、ここで浮気をしているんじゃないかと勘繰ってしまう。萌乃さんはあの人に未練もなさそうに見えたが、実際のところは不明だ。それに、萌乃さん以外の女性を連れ込んだり、ホテルを拠点に出かけている可能性だってある、鞄を置いて。
弁護士さんにも無事依頼ができたので、調停離婚や裁判離婚になっても構わない。面倒な手続きはすべてやってくれるし、当然最後まで付き合ってくれる。配慮からか女性の弁護士さんだった。私の話を聞いて、呆れたり笑ったり驚いたりするその弁護士さんの顔を見て『あ、弁護士さんでもそんな顔をすることがあるんだ』なんて考えてしまった。淡々と業務を進めていくイメージがあったから、これはいい意味でイメージが変わった。
慰謝料については内容証明を送ってくれるそうなので、まずは萌乃さんと話をしようと思っている。彼女に内容証明は不要かもしれない。ふたりで話をしても、スムーズに進むと思っているからだ。甘い考えなのかもしれないが、きっと彼女は文句を言わずに払うだろう。その次は五百蔵さんの奥さんに。そして火木の女性だ。五百蔵さんは旦那さんと共闘できるからあまり難しくは考えていない。一番厄介なのは、まだ全貌が見えていない最後の女性だと思っている。
……それらの結果は、きっと次の探偵さんの報告によってわかる。ここでどんな結果が出ても、私は驚かないだろう。ここまで驚くことしかなかったから、驚くことに慣れた気がする。
「さぁ、彼女はなんて言うんだろうね?」
金曜日、パァっと飲みに行く……なんてこともなく、私はとあるカフェで待ち合わせをしていた。萌乃さんだ。家へ突撃してから一週間。私が忙しい平日を送っているときに、彼女のほうから連絡が来たのだ。この一週間の話と、慰謝料についての話がしたいらしい。私はそれを了承した。ふたりきりの個室はさすがに抵抗があったので、私がこのカフェを指定した。夜でも人は入っているし、他人の目があるから暴挙には出づらいはずだ。
「……あ、あの、弓削……さん」
「こんばんは萌乃さん」
「急にすみません」
「いいえ、私もお話をしないといけないなと思っていたので。そちらにどうぞ」
私のほうが先にカフェへ着いたので、萌乃さんを迎えるかたちとなった。お互いに仕事上がりのため、オフィスカジュアルな格好だ。……腹が立つが、萌乃さんはやはり可愛かった。
「……」
「……先になにか頼まれては?」
「え、あ、そう、ですね。じゃ、じゃあカフェラテを……」
タイミングよくやってきた店員さんに、アイスカフェラテをひとつ頼んだ。私は先に頼んでいて、アイスティーが目の前に置かれている。
「カフェラテが届いてからにしましょう。話の途中、あまり聞かれたくないかなと思うので」
「あ、ありがとうございます」
落ち着かないのか、萌乃さんはキョロキョロと辺りを見回したり、ソワソワと身体をゆすったりしている。
(そりゃまぁ、浮気相手の嫁とふたりは落ち着かないよね、自分が誘ったとはいえ)
カフェラテが届くまでの時間は、ものすごく長く感じた。浮気に関するもの以外には目立って話す内容もないし、お互い恐らくどうしたものかと思っていた。気持ちの悪い沈黙。なんとなく先にアイスティーに口をつける気にはなれなかった。
「お待たせいたしました、アイスカフェラテになります」
「あ、はい」
「ご注文は以上でお揃いですか?」
「はい」
「伝票、こちらに置いておきますね。ごゆっくりどうぞ」
ドリンクは揃ったものの、相変わらず沈黙のままだった。
(……さぁ、なんて切り出そうかな……)
「……あの、今回は申し訳ありませんでした」
「……はい」
『もういいですよ、その件は』とはまだ言えそうになかった。元凶は彼女ではない……というか、彼女ひとりが浮気をやめたとしても、まだふたり残っている。私の夫が元凶であって、あの人が辞めようとしなければまだまだこれからも浮気相手は出てくるだろう。頻度の差はあれ妻以外に三人同時に付き合える男なのだ。
「えっと、その、調べました。お金の問題ではないかもしれませんが、こちらは受け取ってください」
萌乃さんは鞄から封筒を取り出した。おそらく慰謝料となる現金だ。私の目で見ても分厚い。中身は確認していないが、三桁枚数は余裕で入っていそうだ。
「私なりのけじめです。今の会社を辞めても構いません。彼と二度と会うなと、連絡を取るなと言われれば、もちろん連絡も取りませんし誓約書も書きます」
「ええっと。……そこまでキッチリやろうとしているのに、どうして浮気なんかしたの?」
「……すみません」
「……はぁ」
彼女は自分の分が悪いのも良くわかっているし、浮気した場合自分が有責になってそうなったらなにをしなければならないか、なにを要求されるか自分で調べて提案もできるのに。……普通に相手を探せば、高スペックな男性と付き合って結婚できただろうに。わざわざ年の離れた既婚者を狙わなくたって。
「言い訳だと思われるかもしれませんが、あの場には彼がいて話せませんでしたので。今日はその話をしに来ました」
「浮気のこと?」
「はい。……最初は、優しい人だと思いました。仕事のミスもカバーしてくれて、表立って守ってくれました。とても頼もしく見えて、すぐに憧れの存在に変わりました」
声が震えている。自分でなにを言っているのか、良くわかっているからだ。
「あの、印刷したのを見たとき、私もやろうと思ったんです。これ、持ってきました」
次に鞄から取り出されたのは、私が萌乃さんの元へ持って行ったような紙の束だった。
「スマホは変えていません。履歴も消していません。彼とのkiccaのやり取り、最初からすべてです」
「これを……どうしろと?」
率直な感想だった。この紙をもらったって、私にできることはとくにない。萌乃さんの浮気はわかっているし、だからこそ今こうやって彼女は現金を持って私に会いに来ている。とりあえず内容に目を通す。夫が浮気に至るまでの過程を見せられるのは、五百蔵さんに見せられたときとは別の意味で、なかなか拷問のようだ。
「……あぁ、そういうことですか。それでも、拒否しなかったのはアナタの責任でもありますよ。……と言えば良いですか? それとも、相手は上司だし、断ったらどうなるかわからなくて怖いから、仕方がないですよね……と言ったほうが良いですか?」
「……」
彼女はこれを見せたかったのだ。上司に迫られて断り切れずに浮気へと発展した経緯を。私の夫は、部下に対して異動や仕事の提供をチラつかせながら、自分と浮気するように強要していた。最初はのらりくらりと断っていたようだが、立場的に強く出られなかったのだろう。一度応じてからは、そのまま何度も会うことになって週三で家に来るはめになったのだ。読み進めていくと、何度か萌乃さんのほうからやめようと言っていたが、あの人は応じなかった。それどころか、妻や会社にバレて困るのは君だ、と逆に脅していた。
「……ウチの夫が、申し訳ありませんでした」
私が妻としてとる対応としてあっているかどうかはわからない。だが、こんなやりとりを見せられて、申し訳なくなったのは確かだった。会社の女性になにをしてくれているんだ、と。




