第36話:想定外の訪問者_5
私が玄関で見送りをしてから戻ると、母が片づけをしてくれている途中だった。
「……あなた、厄年だったっけ? すごいわねぇ、一気に何人も浮気相手が出てくるなんて」
「もう勘弁してほしいんだけど」
「さっさと別れない。そんな男といたって、とてもじゃないが幸せにはなれん」
「わかってるよ。でも、まだ三人目が誰なのかわかってないから、聞くよりきちんと調べたいんだよね。言い訳のいの字も出ないくらいに、ギュウギュウに問い詰めてやるんだから」
今の時点でも『私が離婚したいと思う理由』としては十分だが、このままでは三人目はなんのお咎めも苦労もなしに逃げるかもしれない。……しかし、そんなことは許さない。離婚後それぞれがヨリを戻そうが憎しみ合おうが取り合おうが私はどうでも良いが、そこに参戦するだろう人間が誰かわからないままなのは解せない。
「明日はあちらのご両親含めて話をするんでしょう? さすがにこうもすぐには、三人目はわからないわよね?」
母の言う通りだ。昨日の今日で二人目は判明したが、三人目まで同じく機能の今日でわかるとは思えない。五百蔵さんのほうは旦那さんが対応しているから、簡単に逃げ隠れはできないだろう。だが、三人目はまったくのノーマークだ。あの人が『浮気がバレそうだから大人しくしていてほしい』と伝えていたら、別れたくなければ言われた通りにするだろうし、証拠になりえそうなものは処分しているかもしれない。そう考えたらなんだか無性に腹が立ってきた。
「朝ご飯食べ損ねちゃった」
「ブランチにしましょう! スープに果物を追加するわ」
良い考えと言わんばかりに両手を叩いて、母はキッチンで作業を始めた。
「……それで。ここからどうするんだ?」
「どう……って。離婚は確定なんだけど。五百蔵さんに探偵を紹介してもらえそうだったら、二週間くらい私も探偵つけようと思ってるよ。それで結果が出たら……ううん、結果が出る前に弁護士には連絡する。もう探す。今日ね、今日!」
「父さんの知り合いに聞いてみよう。もしかしたら、隙間時間でも空いていれば話を聞いてくれるかもしれない」
「お父さん弁護士の知り合いいたの? じゃあお願いしようかな……」
「待ってなさい」
そう言って、父はどこかへ行ってしまった。きっと、今の言葉を有言実行するために電話でもかけに行ったのだろう。
「あら、いっちゃったのね。すぐ戻ってくるでしょ。私たちはご飯食べちゃいましょ」
ぼーっと父のことを考えていたら、母の準備が終わったようで声をかけられた。腹が減っては戦はできぬというし、一度食べ損ねたことを思い出して余計にお腹が空いてきた。
「お母さんありがとう」
私は母と対面になるように座った。
「……本当に予兆はなかったの? 全然、気が付かなかった?」
母は痛いところを突いてくる。
「全然気が付かなかった。本当に。一ミリも」
私は嘘を吐いていない。本当に気が付いていなかったのだ。自分でも不思議なくらいだが、きっと『あお君に限って』『彼は浮気なんかしない』と無意識のうちに思い込んでいたのだ。誰だってそうだと思う。結婚してすぐに、もしくは付き合ってすぐにパートナーに対して『アイツは絶対に浮気する』だとか『他にも付き合っている人間がいる』なんて考えないだろう。相手にもともとパートナーがいて、それをわかっていて付き合っていない限り。
浮気には気が付いていなかったし、浮気するだなんて微塵も思っていなかった。何度だって思うし何度だって言ってしまう。離婚すると決めたのに、浮気相手を詰めに行ったのに、まだどこか現状を信じられない自分もいる。『悪い夢だったらいいのに』『嫌なドッキリかもしれない』なんて考えても、自分が書いた日記や集めた証拠で現実に戻される。
「上手くいっているものだと思っていたのに……ねぇ……」
「私だってそう思ってたよ! 青天の霹靂!」
私はカットされた果物にブスブスとフォークを刺しながら言った。リンゴにもイチゴにも、オレンジにも罪はないが、今だけはストレスのはけ口になってもらう。ちゃんと全部美味しく食べるから。
「結局さ、なんで結婚したんだろうね。だって三人だよ!? 三人と浮気するなら、結婚してないほうが良いでしょ! いや、違うか。してないほうが良いんじゃなくて、しないほうが良い、だね」
「昔は『浮気は男の甲斐性』なんて言ったときもあったけどねぇ。昔でもするもんじゃないわよ」
「……お父さん、そういうことなかったの?」
「お父さん、不器用だから。浮気なんかしたらすぐバレるわよ。それにホラ、おばあちゃんのこととか、親戚周りのことも忙しかったし、仕事も忙しかったし。あんまり忙しくて、上司からお詫びの連絡が来たのよ? してないわよ。昔から、堅物で有名だったしねぇ」
「お父さん、興味なさそうだもんね。そういうの。色恋とか」
「こっちは良いのよ。そっちよそっち。全部早め早めに行動しなさいね? じゃないと面倒なことになるわよ?」
「もうすでに面倒なことになってるよ……」
「……それはそうね」
そのままふたりで、黙々とご飯を食べた。いつのまにか父も戻って来ていて、三人で食事をとる。『弁護士さんどうだった?』と聞く気になぜかなれなくて、ただ目の前の器を空にしていった。
「明日は向こうのご両親に会うんだから。きちんとした服着ていったほうが良いかしら?」
母が口を開いた。なんとも言えない沈黙に、耐えられなかったのだろう。
「お互いにとって真面目な話だ。お父さんはスーツで行く」
「あらあら、じゃあ私もキレイな格好で行かないといけないわね」
「私もスーツ着て行こうかな。久し振りに袖通すけど、まだ入るかな……」
あの人の両親は、まだ半信半疑かもしれない。急に昨日『息子さんが浮気をしています』って言ったのだから。冗談じゃ済まされない内容だから、真面目に受け取ってくれたとは思っているが。昨日の晩あのあと、あの人は状況説明を求められたのだろうか。それとも、頭ごなしに叱られたのだろうか。最も有力なのは『実家には帰っていない』だが。実家に帰らず、五百蔵さんの奥さんの元へ会いに行った。その可能性が一番高い。萌乃さんの家は追い出したし、あの状態ならさすがに萌乃さんも家に入れないだろう。
「そうだ、休みが明けてから、どこかで弁護士と話そう。一時間ほど時間を取ってくれるらしい。先に依頼するときの書類を書いてほしいみたいだが。あまり時間はないかもしれないが、できるか? 早めにもらえれば、それだけたくさんの可能性も提案できるらしい」
「そりゃもちろんやるよ! あの人に私がどこまで知っているのかバレちゃうのも時間の問題だろうし。逃げられたくないからね、三人目に」
「じゃあお父さんも手伝おう。人と話しながらのほうが、まとめやすくなるだろう」
「ありがと!」
「じゃあお母さんは、夜ご飯の買い物に行ってこようかしら。ここで食べるんでしょう? これから忙しくなりそうだから、鋭気を養わないとね」
「……お寿司食べたい。ちょっといいやつ」
「それはデリバリー頼みましょ。お肉もたべたら良いんじゃない? たまの贅沢よ、贅沢。ケーキも買ってこなくっちゃ」
「お義母さん張り切りすぎ」
ふたりとも、私の味方だった。改めてそう感じた。嬉しくて涙が出そうになる。私はひとりじゃない。これなら頑張れる。まだ頑張れると心から思えた。
母が買い物に出かけるのを見送ってから、私と父は必要な書類に目を通し、書けるところから書き始めた。ただ無心に、自分が考えていること、実際に起こったこと、これから先求めることをまとめていく。当然視野に入れているのは離婚と浮気相手への慰謝料請求で、その辺りは自然と内容が詳しくなっていった。肝なのだから当然である。
……実家へ帰ってあの人の浮気を報告してからまだ三日目。一生分の時間を使ったような、濃い三日間だった。明日はまた濃い四日目がやってくる。このまま弁護士に相談して、探偵にも依頼して、三人目も問い詰めるとなると。今年度の終わりにかけて、もう二度と経験したくないほどの時間になることは間違いなかった。




