第33話:想定外の訪問者_2
疲れていたからか、何時に眠ったのかは覚えていない。目を覚ましたときには、私よりも母と父のほうが先に起きていた。
「おはよ」
「あら、もっと寝ていても良かったのに。疲れたでしょう?」
「んー。でも、急に帰ってきたら困るし」
「それはそうね。ほら、朝ご飯にしましょう。勝手にキッチン使っちゃったわ」
「え、あぁ、ありがとう」
「お父さん、ご飯が良かった」
「炊くの面倒でしょう? パンがあるんだから、パン食べて」
テーブルの上には、朝ご飯が用意されていて、ただそれだけのことなのにじんわりと心が温かくなった。時刻は十時半、決して早い時間ではない。
ピロリン――ピロリン――ピロリン――ピロリン――。
「あれ? 誰だろう」
「宅配じゃないの?」
「頼んだ記憶ないんだけどなぁ……。はい」
『あ……すみません。弓削さんのお宅でしょうか』
「……はい」
男性だった。よく顔が見えるようになのか、少し離れて立っている。
『私【五百蔵慧流】と申します。あの、ご主人はいらっしゃいますか?』
「いえ、今はおりません」
『そうですか。あの、奥様ですか? 私の妻と、ご主人について、お話したいことがあるのですが……』
「……」
私は思わず父と母を見た。父たちも顔を見合わせていたが、先に父が頷いた。
「今開けますので、お入りください」
『ありがとうございます』
男性は深々と頭を下げた。
自動ドアが開き、男性の姿が消える。
「……え、誰? 私イオロイなんて知り合いいないんだけど」
「蒼飛君の話をしていたから、彼の知り合いなんじゃあないのか?」
「そうなのかな。……『私の妻とご主人について話がある』って言ってたけど、そんなの悪い予感しかしないんだけど」
「また浮気相手じゃないのか? あれだ、その、昔からの付き合いのほう」
「やだ、やだやだやだやだ……ホント、昨日の今日で勘弁してほしい……」
はぁ、と思わずため息は出るし、頭も痛くなってきた。来たのが浮気相手のご主人なら、この不倫はW不倫と言うやつか。どちらも既婚者の……。
ピーンポーン――ピーンポーン。
「きっ、きた!」
心の準備はできていなかったが、鍵を開けた手前今は家の中に入れるしかない。
「……はい」
『すみません、五百蔵です』
「少しお待ちください」
母と一緒に玄関へ向かう。ひとりで玄関を開けるには勇気が足りない。
チャラ……ガチャン。――ギィィ――。
冷たい風がピュウゥと家の中へと入ってきた。相変わらず今日も寒い。いつまでこの寒さは続くのだろうか。ようやく、三月になったというのに。
『あっ……あの、すみません急に。【五百蔵慧流】と申します。ご主人の、蒼飛さんの同級生の、夫です』
「……はぁ……」
そう言われても、とくに言葉が出てこなかった。
「ええっと、とりあえず、中へどうぞ。私の父と母もいるんですけど、構いませんか?」
「奥様が気になさらないのならば」
「私は大丈夫です」
「ありがとうございます、お邪魔します」
父と母がいれば、知らない大人の男性がいても怖くない。
「あの、本当にすみません。なんの連絡もせず、急に来てしまって」
「……いえ。あ、コーヒーで良いですか?」
「ありがとうございます。コーヒー、いただきます。あ、これ、急に来てしまったお詫びです」
「わざわざどうも……」
ご丁寧に菓子折りを持ってきている。
「お茶請けに出しますね」
「私がやるわ。アナタたちはお話してて?」
「ありがとう、お母さん」
食べようとしていた朝食を、一旦冷蔵庫へとしまった。このまま捨ててしまうのはもったいない。
「それで。今日はいったい、どういったご用件でしょうか?」
「……誤魔化しても仕方がないので、単刀直入に申し上げます。……ご主人と、私の妻が浮気をしています」
「……あぁ、はぁ……」
――想像はついていた。自分の妻と他人の夫の関係で、その自分が口を出すことは数少ない。というか、ほとんどないと言っても過言ではないだろう。特別な関係があると、わかっていなければ。昨日は浮気された側だと、萌乃さんに話をしに行った。簡単ではあるが。今日は『浮気した側』だと言われたのだ。私ではなく夫の話だが、こんなふうに聞かされるのもなかなかキリキリと胃が痛む。
「……驚かないんですね」
「……なんというか、その。今日初対面の五百蔵さんに言う話ではないとは思いますが。あの、あぁ、ええっと……。奥様だけじゃないんですよね、ウチの夫の浮気相手」
自分がどんな顔をして今この話をしたのか、自分ではわからない。少なくとも、楽しそうな表情ではなかっただろう。
「それは、なんというか……」
「コメントしづらいですよね、すみません」
「いっ、いえ! その、大変ですね……」
「昨日、そのお相手のところに行ってきたところなんです。まさか、昨日の今日でふたり目……本人ではないですけど。まさか、会うことになるなんて」
「……タイミング、悪かったですね、ごめんなさい」
「いえいえ! 離婚の意志がより固まったということで」
五百蔵さんはとても申し訳なさそうな顔をしていた。眼鏡をかけていて、黒髪の中肉中背……少し線は細いかもしれない。優しくて真面目そうな男性だ。きちんとした話をしに来たつもりなのだろう。今気が付いたが、スーツにネクタイを締めている。
「こちらの話をしてもよろしいでしょうか? ……奥様に慰謝料をいただきたいだとか、どうしてくれるんだと責めに来たとか、そういう内容ではありません。ご主人が浮気していたことを知っていただき、協力をお願いしにきました」
「協力……ですか?」
「はい。まずは、こちらを。あ、私の妻は【五百蔵奈七】と申します。……名前を聞いたことは?」
「ありません。今日初めて聞いたと思います。苗字はとくに珍しいと思うので、一度聞いたら忘れないと思うんですけど」
「……ですよね」
片付けたダイニングテーブルに、引き伸ばされた写真と書類が順に置かれていった。kiccaの履歴のようなものもある。
「これは……証拠、ですか?」
「はい、そうです。そちらのご主人とウチの妻が浮気をしているという証拠です」
「見ても良いですか?」
「もちろん」
写真に写っていたのは、間違いなくあの人だった。隣の女性が、五百蔵さんの奥さんなんだろう。サトコが撮ってくれた写真と比べると、ハッキリと顔が写っている。
「怪しいなと思って、すぐに探偵に依頼しました。本当なら、泳がせて依頼する日を決めるんでしょうが。急に土日に出かけるようになって。丸一日ですよ? 子どももいますから、おかしいなと思ったんです。服装も化粧も派手になって、私の扱いも、子どもの扱いもね、酷くなっていましたし。……とにかく、子どもが可哀想で」
「それで、土日に依頼をかけたとか?」
「その通りです。呆気なかったですよ、まずは全部で四日間つけてもらいました。……ビンゴでした。私が気が付く前にも、何度か会っていたんでしょうね。ルーティーンになっていた」
「すごいですね、ハッキリ写ってる。……間違いなく、夫です」
「……申し訳ありませんが、こちらの家についても、調べさせていただきました。……あ、と言っても、ご主人についてと、奥様はお名前だけです。住所はそのときに」
「あぁ……そうですか。こっちは……メッセージのやり取り?」
「そうです。ご主人と妻のでやり取りです。あとは、妻と妻の友人の。話をしていたみたいで。友人に、浮気してるっていう」
「スマホ見たんですか?」
「見ました。浮気してるくせに、不用心なんですよ。私のことを見下しているというか、バレても問題ないって思ってたんでしょうね。簡単でしたよ。……相手のウッカリもありましたけどね。ロック解除した待ち受けのまま、お風呂に行ったんです。……バカでしょう? そのままkiccaを開いて、動画を撮りました。履歴も落として、テキストで私のメールに。もちろん送信履歴は消しましたけどね」
「……ウチは、ずっと持ち歩いてました」
「まぁ、やましいことがあれば手放さないことが多いですよね。これ、コピーなので。良かったらすべてもらってください。ご主人が浮気をしていた証拠に」
「いいんですか?」
「はい。離婚の話をされていましたし、証拠は多いほうが良いですよね?」
「はい!」
思わぬプレゼントに胸が躍る。なにも知らない私だったら、うろたえて不安になっていた。今の私は違う。戦場がどこであれ、戦える武器は多くあるべきだ。




