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ねぇ、これ誰かわかる?  作者: 三嶋トウカ
2月

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第31話:タカナシモエノ_5


 廊下へ続くドアの前にあの人が立ち塞がった。そんなことをしたところで、こちらには父もいるし意味がないのに。


「……なに?」


 冷ややかな視線を送り、彼へ問いかけた。


「あ……いや……。ほ、ほら、なぁ! 今日はさ? たまたまここにいただけだよ!」

「たまたま?」

「そうだよ! たまたま! だから、ここにいることに別に意味なんか」

「どうしてたまたまここにいるの?」

「は?」

「だから、どうしてたまたまここにいるの? 会社からすごく近いわけでも、我が家の近所でもないのに」

「そ、それは……たまたまだからだよ! いっ、今までだって! たまたま会っただけだ!」

「たまたま……って、意味わかってる? なんで【人様の家】に『たまたま』いるわけ? ここが駅やコンビニならたまたまいたって理解できなくもないけど、浮気相手の家に偶然来るってなに? 週三で来てるのわかってるって言ったよね? それのどこが稀なの? 偶然会社の部下の……浮気相手の家に繰り返し来る偶然ってなに? 思いっきり目的持って来てるでしょうが」

「ぐっ……」


 なにも考えていないから、そんな薄い台詞しか吐けないのだ。


 私は普段、こんな物言いはしない。この人の話に『ん?』と思うことがあっても、最後まで話は聞くし望んだ言葉を投げかけていたつもりだ。ケンカになっても、いつも一方的に終わらされたから、言い合いになることもほぼほぼなかった。好んでケンカを続けるつもりもなかったし、反論して嫌われるのを避けたかった。そんな私が今、反論しているのだ。これも想定外なことで、きっと内心ドギマギしているに違いない。


「恥ずかしくないの? 萌乃さんは私の話にきちんと回答してくれているし、もう自分が浮気相手だったこと認めてるよね? 少なくとも、今、私の話を聞いてまずいことだって言うのを理解して、自分の立場をわきまえているよね? それなのにアナタはなに?」

「なんだよ!」

「アナタが有責なの。慰謝料、もちろんもらうから」

「はぁ!? そんな金ねぇよ! 離婚するって言うんだったら、お前の金の半分は俺のモノだからな」

「お金? アナタが使っちゃったじゃない、全部」

「給与全部こっちに入れてないだろ? それ寄こせよ」

「……はぁ、あのね? 家電は誰が買ったの? 生活していくには服もいるし、お弁当作れなかった日はお昼代もかかるよね? そりゃ私だって外食するし、友人と出かけたりもするよ? スマホ代や保険代はお互い生活費には含めてないよね?」


 ……半分嘘で半分本当だ。生活費として扱っていない支払いはある。それは、共同口座から出しておらず、個人の残った給与から出している。これは本当だ。嘘なのは、さも『残っていない』口ぶりで話したが、その実残っているということだ。そしてそれはお互いの話で、彼だって残っている可能性がある。それなら残高は共同財産となり、お互いの所有物となる。


「だからなんだよ。残ってるだろ?」

「アナタも残っているでしょ?」

「それは俺のだからな!」

「じゃあ私のお金は私のモノだけど? っていうか、離婚するから慰謝料としてそのお金なくなるかもね? 共同口座に残ってたお金使いこんでいるし、そのぶんもらわないと割に合わないんだけど?」

「誰がお前なんかにやるかよ!」


 彼女を許せるわけではないし、メチャクチャに責め立てたい気持ちはある。けれど、今それをすべきではないこともわかっている。ドラマだったら取っ組み合いのケンカでもして『彼は私のモノよ!』『この泥棒猫!』なんて罵り合うだろう。好きな人を、手放したくなくて。自分が一番なんだと信じたくて。だが今のこの人に、そんな価値はない。私の好きだった弓削蒼飛はもういない。お金にどうしてこんなに固執するのかわからないが、この人には渡せない。


「円満に離婚できないなら、弁護士にあいだに入ってもらう? 最初はお互いの両親かな? 納得がいかないなら、調停にする? それでも進まなかったら裁判でも良いよ?」

「ばっ……バカじゃないのか? わざわざ弁護士に裁判なんて」

「それはアナタ次第だよ? この状態で、とても婚姻関係継続なんかできないからね? 離婚一択なの。お金使いこむモラハラ不倫野郎と一緒に生活するなんて無理」


 ――ドンッ!


「ひっ!」


 小さく悲鳴を上げたのは萌乃さんだった。イライラを抑えきれずに、壁を殴った彼に怯え、そしてその音にも怯えていた。この姿を見て、萌乃さんはなにを思っただろう。『次に殴られるのは、私かもしれない』だろうか。彼を見ていたら、そう思っても無理はない。


「今日はもう帰ります。この人も話し相手はできないでしょうし、そもそも、こちらの話を聞かないでしょうし。後日、ふたりで」

「……わかりました」

「あ、連れ出したほうが良い? 次に殴られたくないよね?」


 口を開けてなにか言おうとしたが、目線を外して俯くと、萌乃さんは頷いた。


「なっ、おい!」

「暴行罪とかになるの? それとも、傷害罪かな? もしかして脅迫? ねぇ、どれになるか知ってる?」


 私のわざとらしい一言に、彼は押し黙った。盾となる物には、どこまでも弱い男だ。


「部屋の外に出なさい。萌乃さんは、私たちが部屋を出たら、ちゃんと鍵をかけて? チェーンロックも忘れずに」


 私は一礼して玄関へと向かった。あの人はそのまま動くことはなかったが、萌乃さんは私と父のあとをついてきた。


「お邪魔しました。……急に、ごめんなさい」

「あ……いえ。……すみませんでした」

「……もしなにか、伝えたいことがあれば連絡してください。これは私の電話番号です」

「はい……」

「君はまだ若い。あの男のどこが良いのかは私もわからないが、自分の人生を無駄にするんじゃない」

「うるさい! お前が決めるな!」

「蒼飛君、君、今同じ男である私の目から見ても、みじめで滑稽だぞ?」

「……っ!」

 

 あの人は先に階段をドスドスと踏み鳴らしながら一階へと降りて行った。『俺は怒っている』というアピールだろうが、そんな子どもじみたことをしてもこちらは呆れるだけだ。なぜまだわからないのだろう。エレベーターで降りた私たちよりあとで、彼は一階へと降りてきた。こちらを一瞥すると、エレベーターホールの壁にドンッと背中をついて腕を組み、動こうとしない。


「さ、シオ行くぞ」

「うん」


 あの人に聞こえる声で言う。ついてくる気配はない。こうして、私と父はマンションをあとにし、母の待つ車に乗り込んで、そのまま家へと戻ってもらった。


「本当に、うちに帰らなくても良いの?」

「まだやることもあるし。あの人がいないあいだじゃないとできないこともあるし」

「でも、もし帰ってきたりしたら……」

「それなら手伝えば良い」

「えっ?」

「父さんは、二泊分の荷物を一回帰って持ってくる。母さんは、このままシオと一緒にいてくれ。私たちがここに泊まれば良い」

「お父さんたら、そんな急に……」

「ううん。いてくれたら心強い。もし帰ってきても、私ひとりじゃなかったら、あの人もなにもできないだろうし」

「決まりだな」


 私の家に着く。母とともに車を降りて、運転を代わった父はそのまままた車を出した。


「……それにしても、まだ不思議な感じがするわ」

「私も。夢見てるみたい」

「浮気相手の家に乗り込むなんて、なにもなくてよかったわよ」

「相手の女性ね、すごく大人しかったの。諦めたのかな、バレちゃった、って」

「まぁ、少なくとも分が悪い、と思ったんじゃない? 否定したって騒いだって、自分のしたことには変わりはないんだもの」


 怖いくらいに大人しかった萌乃さん。また会うか電話でも話すことになる。彼女がすべきは、このまま大人しくこちらの条件を飲んで、慰謝料を払うことだ。そうすれば、せめて公になることはないし、なくなるのもお金だけで済む。……それに比べて。


「そういえば、お母さんなにか言いかけなかった? ほら、あの車の中で。ちょうどふたりが来たから、なんて言おうとしてたの?」

「あぁ、そうねぇ……」


 母は少し考えてから言った。


「浮気相手って、今日行った家の子だけじゃないんじゃない?」

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