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ねぇ、これ誰かわかる?  作者: 三嶋トウカ
2月

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第26話:広がるだけの溝_4


 ――もう、後悔しても昔には戻れない。


「……はぁ、ちゃんと録音できてるのかな? 両方聞いてみよう……明日のため、明日のため……」


 ガチャン。――キィィィ――。

『なぁ』

『あ、おかえりなさい。どうしたの?』

『今月のお金、まだ振り込んでないよね? なんで? 給料日とっくに過ぎたでしょ?』

『それなんだけど……。今月は振り込めないから、残ってる余剰分から引き落としてくれる?』

『は?』

『ちょうど保険の見直しがあってね。同じ保険ではあるんだけど、内容が変わったの。保険料も下がるし、カバーしてくれる部分も増えるんだけど。それで更新したら、年払いもできるようになっててさ。だから、年払いに切り替えたんだよね。それで今回の給与、その支払いに回したから。だから、来月分の生活費、口座に残ってるお金から出してくれる?』

『なんで勝手にそんなこと決めてんの? 払えよ』

『払えないもん。支払いに使ったから』

『ふざけんな。お前の貯金から出せよ』

『なんで?』

『生活費払うのが当たり前だろ!?』

『え? こういうときのために、共同口座に毎月余ったぶん貯金してるんだよね? そこから出してよ』

『ほ、保険うんぬんはお前の我儘なんだから、そんなものに使えるわけないだろ!?』

『どうして? あ、もしかして出金する時間がない? それなら、私が代わりに出してくるから、クレジットカード出して?』

『う、うるせぇ!! とにかく俺は認めない! 自分で出せ!』

『だから、出せないの。はい、これ』

『なんだよそれ』

『私が結婚してからつけてた家計簿のコピー。これで見るとね、別にこの先数か月くらいは口座にお金入れなくたって、全然余裕で生活費として使えるお金が残ってるはずなの』

『……』

『だから、出してくるからカード貸して? 忙しいもんね? 私が行ってくるよ』

『だっ、だいたい! そういうことは事前に相談するもんだろ!? なに勝手に決めてんだよ!!』

『え、それ言う? 会話ないのに?』

『はぁ!?』

『そもそも、家にいないじゃん? 私が連絡しても、既読か未読でスルーだし、帰る連絡も無くなったし』

『それとこれとは別だろ!?』

『出かけるときも連絡ないし、遅くなるときもご飯が要らないとか、そういうのも報告ないし。……あ、このあいだ、実家に帰ったんだってね? お義母さんから聞いたけど、それも報告なかったなぁ?』

『俺は良いんだよ』

『アナタがしないことは、私もしないことにしたの。不公平だから。さ、早くカードちょうだい?』

『なんで口答えしてんだよ……自分の立場わかってるのか?』

『立場ってなに? 嫁だけど?』

『お前は年下なんだし、俺のほうが稼いでるんだからな? 俺よりも格下なわけ。黙って俺の言うこと聞いてればいいんだよお前は』

『ん? 今その話関係ないよね? 明日出してくるよ。お金ないと困るし。……それとも、お金下ろすと困ることでもあるの?』

『……はぁ? なんで困るんだよ!』

『明日月末だから忙しいよね? あ、やっぱり、今から私が下ろしてくるよ! はい、カード』

『うるせぇ!』

『えぇぇ……なんで怒ってるの……?』

 ――ガチャン。――キィ――ドンッ!

『わっ!』

『これで十分か? 来月は金入れろ。じゃねぇと追い出すぞ』

『あ! お金をそんな雑に扱わないでよ! 放り投げるなんて!』

『うるせークソが! 離婚されたくなかったら、お前は金入れて黙ってればいいんだよ!』

『お前なんかと結婚してくれるやつなんて、俺以外にいねぇよ。お前だって、俺に捨てられたくないだろ?』

『……な、なんで、そんなこと……』

『反省しろよ』

 ――ガチャン。――キィ――。

『……え、え?』


 スマホもボイスレコーダーも、あの人が出ていってから、十秒ほど経ってから停止ボタンを押していた。帰ってきてからまた出て行くまでの流れは、余すところなくどちらも上手く録音されていた。


 さすがにお金の落ちる音はよくわからなかったが、私の言葉で捨てたことはわかるだろう。なんと無礼な。


「……下ろしたのか……うん、下ろしたんだ……ふふふっ、あははっ」


 しかし、お金をわざわざこの時間で下ろしてきたのか……と思ったらなんだか笑えてきてしまった。下ろさなかったら、立証できるかは別で経済DVも追加しようと思ったのに。私の入金額が、出金額よりも上回っているから、その金蔓を手放したくなかったのだろう。自分の給料だけで浮気相手と遊べないなら、そんな身の丈に合わない付き合い辞めれば良いのに……と思ったが、あの人は見栄っ張りだ。とくに、女の子と年下にはいい顔をしたいタイプ。やすやす辞められないのはわかっている。


「すごいね、優秀だね」


 これだけハッキリ録音できているのなら、明日は問題ないだろう。ただ、スマホはコートのポケットへ、ボイスレコーダーも鞄のサイドポケットへ入れる予定だから、もう少し音質が悪くなって声も小さくなるとは思っている。本当ならビデオカメラを抱えて突撃したいところだが、そんなことをすれば速攻でカメラが壊されてしまうだろう。これなら万が一どちらかがバレたとしても、残った片方で録音できる。


「頑張れるかな……頑張らなきゃ明日……」


 あの人は、今日はきっと帰ってこないだろう。帰ってくる理由がない。『帰らずにアイツを反省させてやろう』くらい思っていそうだ。図らずとも録音の練習もできたし、運よく使えそうな録音も手に入れることができて一石二鳥だった。帰ってこないのはありがたい。もう居場所はGPSで確認できるし、毎週の予定も大体は把握できている。むしろあの人が帰らないことで私はひとりになれるから、自分の時間が保てて良いとすら思っている。


「別に追い出されても良いんだけどなぁ……」


 あんなことを言われた後だと、思わず独り言も増える。追い出されたところで、私は仕事もしているし、ひとり暮らしをする生活能力も経済力もある。この家は賃貸で支払の名義はあの人だ。ライフラインもあの人だから、私は別に借りればそれで済む。追い出す……が離婚という意味ならば、三年に満たない結婚生活は短かったかもしれない。けれど、このまま自分の心を殺しながら一緒に暮らすくらいなら、自分の自由に生きたい。あの人も、自由に生きればいい。


「……親になにか言われるかな……ま、明日言えばいいから気にしなくても良いか……」


 体裁は気にされるかもしれない。二十六歳でバツイチ、子どもなし。離婚理由は相手の浮気とモラハラを追加。できるならば経済DVも併せて相手側のトリプル有責。私はサレ妻で、男を見る目がなかった。そう言われるだろう。それでも、人の噂も七十五日と言うから、それくらい経ったころにはみんな忘れて興味も持たれまい。


 私は趣味部屋へ向かい、日記に挟んであった離婚届を取り出した。無記名のものが二枚と、既に記入済みのものが二枚。捨てられたり、破られたりしてもすぐに出せるよう複数枚もらってきた。私の名前を先に書いておいたのは、あの人へ『私は離婚するつもりがある』と訴えるためだった。記載していない紙は、あの人が『私を脅すために自分の名前を書いて私に渡す』ことを想定している。あの人は『主導権も決定権も自分が持っている』と思っているだろうから、私が記載した紙を渡しても、鼻で笑って破られる可能性がある。だから、相手の出方を注意深く伺いながら、どちらを出すか見極めなければならない。

 理想はその場ですべて記入してもらい、私が離婚届を提出しに行くことだ。あの人に任せては、忘れたりわざと出さない可能性が出てくる。毎回請求するのもせっつくのもお願いするのも、そもそも顔を合わせることさえ疲れてしまうから、できるだけ早く終わらせたいのだ。


 だからと言って、すぐに離婚できるとは思っていない。あの人がもえのさんと一緒にいたいと思っていて、もえのさんもあの人と一緒にいたい……と思っているのなら別だが。浮気で離婚はシタあの人のほうが体裁も悪いから、ゴネにゴネる可能性はある。


「頑張れ、頑張れ私……!」


 何度も『頑張れ』と自分を鼓舞し、明日の準備を済ませてから眠りについた。

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