表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ねぇ、これ誰かわかる?  作者: 三嶋トウカ
2月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/68

第25話:広がるだけの溝_3


「それなんだけど……。今月は振り込めないから、残ってる余剰分から引き落としてくれる?」


 少し困ったような、申し訳ないような口調で私は言った。『自分も不本意だ』という気持ちを表すように。


「は?」


 明らかにムッとした顔で、この人は不機嫌そうに言う。こんなものは想定内だ。想定内というか、むしろこれを待っていた。この人は、私が知っていることを知らない。だからこんな態度をとる。『俺は怒っている』という態度を見せて、私を委縮させるために。

「ちょうど保険の見直しがあってね。同じ保険ではあるんだけど、内容が変わったの。保険料も下がるし、カバーしてくれる部分も増えるんだけど。それで更新したら、年払いもできるようになっててさ。だから、年払いに切り替えたんだよね。それで今回の給与、その支払いに回したから。だから、来月分の生活費、口座に残ってるお金から出してくれる?」


 自然と笑顔になる。嘘なのにスラスラと言葉が出てくるあたり、私はなんの罪悪感も抱いていないのだろう。


「なんで勝手にそんなこと決めてんの? 払えよ」

「払えないもん。支払いに使ったから」

「ふざけんな。お前の貯金から出せよ」


 ……浮気は人の性格を換えるのだろうか。それとも、この人はもともとこういう性格で、隠していただけなのだろうか。


「なんで?」

「生活費払うのが当たり前だろ!?」

「え? こういうときのために、共同口座に毎月余ったぶん貯金してるんだよね? そこから出してよ」

「ほ、保険うんぬんはお前の我儘なんだから、そんなものに使えるわけないだろ!?」

「どうして? あ、もしかして出金する時間がない? それなら、私が代わりに出してくるから、クレジットカード出して?」


 ニコニコしながら、私は右手を差し出した。


「う、うるせぇ!! とにかく俺は認めない! 自分で出せ!」

「だから、出せないの。はい、これ」

「なんだよそれ」

「私が結婚してからつけてた家計簿のコピー。これで見るとね、別にこの先数か月くらいは口座にお金入れなくたって、全然余裕で生活費として使えるお金が残ってるはずなの」

「……」

「だから、出してくるからカード貸して? 忙しいもんね? 私が行ってくるよ」

「だっ、だいたい! そういうことは事前に相談するもんだろ!? なに勝手に決めてんだよ!!」

「え、それ言う? 会話ないのに?」

「はぁ!?」

「そもそも、家にいないじゃん? 私が連絡しても、既読か未読でスルーだし、帰る連絡も無くなったし」

「それとこれとは別だろ!?」

「出かけるときも連絡ないし、遅くなるときもご飯が要らないとか、そういうのも報告ないし。……あ、このあいだ、実家に帰ったんだってね? お義母さんから聞いたけど、それも報告なかったなぁ?」

「俺は良いんだよ」


(――あ? 良いわけないだろうが?)


 そう思ったが、今言うべきではないと、問い詰めるべきは明日だと、自分に言い聞かせて別の言葉を探す。


「アナタがしないことは、私もしないことにしたの。不公平だから。さ、早くカードちょうだい?」

「なんで口答えしてんだよ……自分の立場わかってるのか?」

「立場ってなに? 嫁だけど?」

「お前は年下なんだし、俺のほうが稼いでるんだからな? 俺よりも格下なわけ。黙って俺の言うこと聞いてればいいんだよお前は」

「ん? 今その話関係ないよね? 明日出してくるよ。お金ないと困るし。……それとも、私がお金下ろすと困ることでもあるの?」


(……ここまできたら、私が口座の中身がないこと気付いてるって、うっすらとでも察することできると思うんだけどな……?)


 とんでもなく腹は立つが、この先のことを考えたら黙っているほうが得策だ。でもつい、チクリと余計な一言を追加してしまった。


「……はぁ? なんで困るんだよ!」


 明らかに焦っている。が、私はなにも突っ込まない。


「明日月末だから忙しいよね? あ、やっぱり、今から私が下ろしてくるよ! はい、カード」


 一旦下げた手を、私は再度上げた。


「うるせぇ!」


 私を無視して、そのまま外へ出ていった。バタン! と大きな音を立ててしまったドアが、あの人の怒りや苛立ちを表している。


「えぇぇ……なんで怒ってるの……?」


 心からの言葉だ。なぜあの人が怒っているのか、私にはわからなかった。確かに相談せずに保険……の話は良くなかったかもしれない。が、それがもうちっぽけなくらいに、あの人は自由にやっているのだ。そんなこと言われたくはない。だいたい、私が格下だとか、どれだけ馬鹿にすれば気が済むのだろうか。これは部長の言っていたモラハラなのかもしれない。私も仕事はしているし、それなりに稼いでいる。家にお金を入れて、家事を引き受けて、勝手にいなくなる夫に文句も言わず生活しているのに。浮気をしてお金を使い込んでいる男に、そんなことを言われる筋合いはない。


 ――ガチャン。――キィ――ドンッ!


「わっ!」


 どこへ行ったのか連絡を入れるべきか、それとも放っておくべきか考えていると、大きな音が鳴った。多分、乱暴に玄関のドアを閉めた音だ。


「これで十分か? 来月は金入れろ。じゃねぇと追い出すぞ」


 彼は手に持っていた万札を宙に向かって放り投げた。


「あ! お金をそんな雑に扱わないでよ! 放り投げるなんて!」

「うるせークソが! 離婚されたくなかったら、お前は金入れて黙ってればいいんだよ!」


 ふわふわと舞った一万円札が、順番に床へと落ちていく。


「お前なんかと結婚してくれるやつなんて、俺以外にいねぇよ。お前だって、俺に捨てられたくないだろ?」

「……な、なんで、そんなこと……」

「反省しろよ」


 ――ガチャン。――キィ――。


 フンッと鼻で笑うと満足げにそのまままた部屋を出て、あの人はどこかへ行ってしまった。


「……え、え?」


 戻ってこないことを確認して、私はボタンを押したままになっていたボイスレコーダーと、スマホのカメラを止めた。


「ビックリした……」


 まさか、モラハラの証拠を残してくれるなんて。


「……あれホントに、私が結婚した人なのかな……? 途中で宇宙人と入れ替わってないかな……?」


 私が好きになった【弓削蒼飛】は、優しくて頼りがいのある大人の男性だった。少し不器用なところもあったが、それも含めて愛していた。今のあの人とは、似ても似つかない。


「どこで間違えちゃったんだろうなぁ……」


 学生の私から見た彼は、素敵な大人の男性だった。……そもそもそこから、間違っていたのかもしれない。二十六歳になった今の私は、出会った当時のあの人の年齢を超していた。そこで、思ったことがある。学生だった私から見ると、この年齢の社会人はすごく大人に見えたが、実際に自分がなってみるとそんなこともない。立っているフィールドが違うだけで大人に見えた。というか、周りの同年代の異性が子どもに見えた。だからこそ、相対的に大人に見えていた。

 『大人だから言うことは正しい』『年上だからつき従うべき』『社会人だから敬うべき』と、勝手に思っていた。そして彼もそう思っていた。それが私の中で越えられない壁になって、あの人相手になにも言えなくなっていた。喧嘩はしたくない、言い合いもしたくない。機嫌が悪くなれば機嫌を取って、相手を上げて自分を下げた。嫌われたくなくて肯定して生きてきた。誰かに『良い彼氏だね』『素敵な旦那さんだね』と言われると、自分が目を瞑っていた気になる部分はそのまま目を瞑り、相談もできなかった。しなかった。周りにそう見えているのだから『そうじゃない』なんて言えなかった。


 それでも、上手くやっていると思っていた。


 もっと本音でぶつかれば良かったのだろうか。それとも、自分の意見をハッキリ言えば良かったのだろうか。優しく諭せばよかったのだろうか。見て見ぬフリをしなければ、会話をたくさんしていれば、私が結婚したあの弓削蒼飛のままだったのだろうか。


 浮気もせず、ちゃんと家に帰ってきて、一緒に食事をとり、休日はともに出かける。それがこんなに、難しいことだとは知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ